第2話 海底庭園、ツーショット
目が覚めてから今まで見てきたもの全てが常識を超えている。通り過ぎた人々にはなぜか影がない、私と楓さんでさえも。
楓さんは家を出てからあまり喋らず、雰囲気がちょっと気まずかったので、私は道すがら時々話しかけた。ただ、この世界について尋ねられた時、楓さんがあまり詳しくなさそうだったのは気づいた。
公園に辿り着いた。
ここの施設がボロボロで、まるで何年も修理されていないようだ。廃れた公園のように見えるが、意外にもカップルが多い。
ブランコの横の大きな木の下には、新しすぎて違和感を覚える鳥居が立っている。って、何で鳥居がこんなところに?
気になっているうちに、ある二人が鳥居を越えた瞬間に姿を消えてしまったのを目の当たりにした。
これは……気のせい?
「行こう」
「え?」
「目的地はそこの鳥居の中」
訳も分からず鳥居の前に近づいた。楓さんのように手を伸ばすと、水に触れたようなような感じがした。 すると、反応する間もなく吸い込まれてしまった。
強烈な白い光が閃き、思わず目を閉じてしまった。
数秒が過ぎてから目を開けると、目の前に広がる光景に思わず言葉を失ってしまった。
目の前には巨大な螺旋状の庭園が広がっていた。全三層で、それぞれには見慣れた植物や、今まで見たこともない植物が植えられている。さらには、支えもなく空中に浮かぶ花壇さえもある。
周りの光と景色は、まるで海底にいるかのようだった。
「凄い……!」
また別の世界に来たみたいな気がする。
周りを見渡し、思わずその目の前の信じられない光景に魅了されてしまった。
「桜、ラベンダー、紫陽花、紅葉、椿……それぞれ咲く時期が違うはずの植物が、今一斉に咲き誇っているなんて……?」
「花の名前、まだ覚えてるの?」
「うん、過去に関する記憶だけがなくなったみたいで、知識に関することはまだ覚えてる」
「そっか」
小道を進むと、様々なデザインの花壇と奇妙な植物、そして緑の垣根が見えた。
ここはどの木や花壇も厳選されたかのように配置されていて、全く乱雑な感じがなく、全体として整然とした美しさがあり、ロマンで芸術的な雰囲気に満ちている。
「まるで第五の季節みたいだね、ここの景色」
「ん?」
「ほら、常識では四つの季節それぞれに違う種類の花が咲くけど、第五の季節は全部の季節の花が同時に咲く季節なんじゃないかな?」
「……第五の季節……か」
横を見ると、楓さんはまるで遠い昔の思い耽るように、無表情で手の中の紅葉を見つめている。
「どうしたの?」
「ちょっと昔のことを思い出しただけ」
ここまで楓さんの言葉から推測すると、彼も私と同じく現実世界から来た人。彼は私の記憶を取り戻すのを助けるのが目的だと言っていた。もし間違っていなければ、それが彼が現実世界に戻るための条件のはず。たぶん今、彼はそのことで心配しているのかもしれない。
「記憶を取り戻せるように頑張るよ。そうすれば、私たちは現実の世界に戻れるから」
「……うん」
遠く、庭園の中央にある噴水像の後ろには、燃えている巨木がある。近づくにつれて気温が低くなった。
そこには羽の生えた猫が何匹もいて、それぞれ首の前に小さなカメラをぶら下げている。何組ものカップルが写真を撮っているけど、写真を撮るのは猫たちだ。
「飛べて、写真も撮れる猫?」
この世界って、本当に不思議だな。何もかも常識を覆してまるで夢のようなおとぎ話みたい。
この不思議な世界に感銘を受けていると、一匹の猫が急に近くの茂みから飛び出して、羽ばたいて私たちの前に飛び、ふわふわな前足を挙げて挨拶のように振っている。
「やあ、人間さん。写真を撮りますか?」
「い、今、猫が喋ったなの!?」
飛ぶだけじゃなくて、人間の言葉まで話せるなんて、これは一体どんな種類の猫なの?
「人間って本当に大騒ぎしやすいですね」
「えっ……すみません、失礼しました」
「うーん……謝るなら誠意が必要だよね。だからお願い、写真を撮らせてください。 そうじゃないと今月の成績がトップになれなくて、ボーナスがもらえなくなっちゃう、そしたら笑われちゃって、それから――」
「はいはい、分かった。手伝ってあげるよ。いいか、楓さん?」
仕方ない、頼まれたんだから。写真を撮るだけなら時間もあまりかからないはず。
「どうぞ」
「何言ってるの、君も来なきゃダメですよ」
「僕も?」
楓さんは私を見やると、その目に迷いがある様子。
「まぁ、この不思議な世界の記念だと思えばいいじゃない」
「……さっさと終わらせよう」
「では、背景にする場所を一つお選びください」
周りを見回してから、噴水像の前で写真を撮ることに決めた。楓さんも異論はなかった。
シャッターを押すとカメラのフラッシュが光り、その後にメモ帳サイズの写真が2枚カメラから出てきた。猫はその写真を私と楓にそれぞれ渡してくれた。
写真の中の私は微笑んでいたが、そばに立って少し距離を保っている楓さんは無表情だった。
「もしかして緊張しすぎてポーカーフェイスになっちゃったの?」
「くっ……」
冗談のつもりだけど、彼の反応って、もしかして本当に当たっちゃったの?
楓さんは写真をポケットにしまい、背を向けた。
「行こう。時間を無駄にするな」
猫と別れ、私たちは最上階へ進む。
歩きながら景色を眺めつつ、最後の階段を登り、ついに最上階に辿り着いた。
ここは床がすりガラスでできていて、下の景色ははっきりとは見えない。中央には、私と同じくらいの高さの楕円形の目立つ鏡が立っている。
その鏡はまるで不気味な魅力を放っているようだった。私はその鏡に向かって歩き出した。
「篠原さん?」
鏡の前に立ち止まり、鏡が私の姿を映し出した。
鏡に触れようと手を伸ばした瞬間、水の滴る音が聞こえた。すると、瞬きをする間に、周囲の景色が一秒も前の海底庭園とは全く違う風景に変わっていた。
今目の前に広がっているのは黒い廊下で、周囲には大小さまざまな不規則な形の鏡の破片が浮かんでいる。少し頭を下げると、地面が水面であることに気づいた。水面に映し出された鏡像はセーラー服のようなものを着た私だった。
前に一歩踏み出すと、水面が波立ち、回廊に響く澄んだ水の音も徐々に弱まっていく。映し出された鏡像も私の動きに合わせて動いた。
「楓……さん?」
振り返ったけど、後ろにいたはずの楓さんはいなかった。
不思議な場所……誰もいない……楓さんさえも……
「今のように別の自分を観察するのって、なんか珍しい経験だな」
恐れていると思い詰めている時、足元の鏡像が突然喋った。
「え……?」
何が起こっているのかよく分からないまま、鏡像が前に歩き出した。すると、私の体も、まるで鏡像の歩みに引っ張られるかのように制御を失って同じ歩調を取った。
「あなたは私……なの?」
「私は『篠原心優』の過去だけど、あなたの未来ではない。私はただ、『篠原心優』の記憶を案内するためにここに現れただけだ。それだけ覚えておけばいいよ」
「……分からないな。でも、こうやってもう一人の自分と話すのってなんだか変だな」
漂う鏡の破片を通り過ぎるたびに映像が浮かび上がり、通り過ぎた後すぐに粉々になって散っていった。 それと同時に、家族や12歳までの記憶が大量に頭の中に流れ込んできた。
「感じたかい? これがあなたの記憶の一部だよ。 でも心配しないで、『処理』後に大量の記憶を取り戻しても身体的な不快感は生じない」
「……」
脳裏に連続してフラッシュバックする過去の記憶の断片は、まるでパズルのピースが一瞬で次々とあるべき場所に組み立てられているかのような感覚。パズルのピースがはめ込まれるにつれ、私はだんだんと色々なことを思い出した。
まだこんな大量の記憶を吸収して適応している途中で、鏡像が突然足を止めた。
すると、シャボン玉が水面から浮き上がり、徐々にひび割れたガラス玉に変化しながら、やがて目の前で止まった。
「これは『篠原心優』の記憶と潜在意識から特別に取り出され、構成された特別な記憶断片。それに触れれば、意識がその中に入って、現実のような記憶の情景を見、体験し、感じることができる。簡単に言えば、過去に戻ったような感じね」
「……正直、過去の私ってどうやってこの不思議な世界のことを知っていたのかしら?」
「さっき言った通り、私は確かにあなたの過去。でも、あなたがこの鏡の回廊に入った時、私はあなたの過去の記憶を模倣して作られた鏡像、同じ記憶と人格を持つ別個の存在。私はあなたがいる世界とは別の世界に生まれたのだから、当然『現実には存在し得ない』ことを知っているわ」
「うーん、過去の私がそんな難しいことを言うの?」
「たまにね。準備ができたら始めよう」
私は手を伸ばして、玉の表面に軽く触れてみた。
空間が波のように揺らぎ、意識も玉の中に吸い込まれるように感じられた。