第15話 宇宙クルーズ船のブッフェ、間接キス
なんで予想と違う展開になっていたのか?
明らかに嫌われるかもしれないことをしたのに、例えば急に距離を縮めたり、親密な仕草をしたり、嫌われるようなことを言ったりして、それなのに嫌われなかったのはなぜだ?むしろ逆に心優さんが照れていたような気がするんだけど……どういうこと?
やっぱり、もっと冷たくしないと嫌われないのか……?
でも、普段の冷たさですら無理してやってるのに、そんなことできるわけがない。
彼女のそばにいればいるほど、本当の自分を隠すのが難しくなって、気づかないうちにだんだん昔の自分に戻っていった。
こっそり心優さんを見たら、さっき僕が口ずさんでいた曲を彼女が口ずさんでいる。浮かぶ笑顔も、歩きながら手を振る仕草も、彼女がどれだけ嬉しいかを物語っている。
……まぁ、心優さんが楽しければそれでいいんだ。
冷たい態度を装っても、何をしても、嫌われることはできないみたい。だったら、このままでいいか。でも、せめて距離は保たなきゃ。僕が彼女を好きだってことはバレないようにしないと。
この世界に来る前の僕は、自分の気持ちを知られたくない一方で、伝えたいという矛盾した思いを抱えていた。けど、『あの事件』の後、この世界で彼女に再会したけど、もう彼女に知られたくない。たとえ今も彼女を好きでも。
……僕、本当に矛盾してるな。
「そして右に曲がって……あったあった」
レストランに入る前から、外で今までに嗅いだことのない不思議な香りが漂ってきた。子供の頃から料理を学んできた僕でも、その香りがどの食材から来ているのかは分からない。それだけでなく、いくつかの楽器の演奏音もぼんやりと聞こえてきた。
香りに引き寄せられたのか、心優さんはわずかに歩みを速めた。
本当に、心優さんは相変わらず食べ物の誘惑には勝てないんだな。でも、それも可愛いところの一つだよね。
レストランに入ってすぐ雰囲気がとても良い感じがするけれど、客はあまり多くない。
中央に置かれたピアノ、チェロ、ハープが僕の注意を引いた。誰も演奏していないのに、それらの楽器が自動で動き出し、聞いたことのないけれどとても美しい曲を合奏していた。心優さんはきっとこの光景に驚くでしょう……?
心配して目を遣ると、心優さんの目はまるでキラキラ輝いているかのようで、ブッフェ以外のものを無視している。
……どうやら無用な心配だったみたいだな。
朝食がまだ消化しきれてないから、食欲がない。とはいえ、同じタイミングで朝食を食べているのに、心優さんはまだまだ食べられるようで、皿にいろんな奇妙な形の食べ物を盛り付けている。何度見ても、彼女の驚異的な食量には驚かされるな。
「食べないの?」
「お腹空いてない」
「そっか」
窓際の席を見つけて座った。
この席からはガラス窓越しに宇宙のようで不思議な景色がはっきりと見え、その上、軽やかな音楽も流れていて、少しだけ心が和んだ。
「先ほど、甘いものが好きだと言っただよね?」
窓の外の景色を眺めていたところ、心優さんがいたずらっぽく笑いながら、スプーンで一口の大きさのチョコケーキを掬って、僕の口元に差し出してきた。
好きな人に食べさせてもらうのがどんな感じかは気になるけど、親密な仕草をとっても心優さんに嫌われることはないと分かった以上、やめておこう。これ以上、距離を縮めるわけにはいかない。
「結構です」
「遠慮しないで」
「お腹空いてない」
「あーん」
僕の断りは完全に無視された。
普段は拒絶されると無理に続けないタイプなのに、なんで今になって僕に食べさせたがるんだ?母性大爆発?
でも、このままだと受け入れない限りずっとこうしてもらい続けることになりそうだな。受け入れるしかないか……
恥ずかしがったら彼女の思う壺だから、絶対に照れた様子を見せちゃいけない。
「……今回だけ」
言い終わったすぐ、スプーンを口に含んだ――生ミントよりも爽やかで、わさびのような辛さが口の中に広がった。
チョコケーキだと思い込んでいた僕は、鼻にツンとくるその味にむせてしまい、何度も咳き込んで、危うく喉に詰まらせそうになった。
「えっ?喉が詰まっちゃった? 水飲むの?」
心優さんは慌ててグラスを押し出し、その勢いで水が少し溢れてしまった。
僕は大丈夫だと手を振る。
だって、辛味はすぐに消えて、ミントの風味も薄れていった。
すると、噛みしめると、リンゴのようでありながらもパイナップルやハニーデューが溶け合ったような、不思議で濃厚なのにくどくない果実の香りと甘味が広がった。
「これは何……?」
「無事でよかった……あ、これはテイアケーキ、あそこにそう書いてあるよ」
ティア?確か、天文学の仮説で原始地球と衝突して月を形成したとされる古代の惑星の名前だった。
「美味しい?」
「ちょっと予想外だったけど、結構美味しい」
「それならまだ食べたいの?また食べさせてあげてもいいよ」
「勘弁してくれ」
これ以上カップルみたいなことを続けたら、この気持ちを隠しきれなくなるかもしれない。
幸い、心優さんはもう無理に僕に食べさせようとはしないみたい。
心優さんは微笑みながら、僕がさっき口に含んだスプーンで、隕石のような外見をした謎の食べ物を掬い上げて自分の口に入れた。
おいおい、ちょっと待ってよ、これって間接キスじゃない!?
「美味しい……」
本人もそのことに気づいたらしく、顔が赤くなった。恥ずかしいなら、なんでそんなことするんだよ?
……正直、彼女が何を考えているのか分からないことがある。もっと早く理解できたらよかったのに。
照れくさそうに頭を下げながら食べ物を口に運ぶ可愛い姿を見て、思わず微笑んでしまった。
* * *
食事を終えた後、船内の放送が船がもうすぐ岸に着くと知らせてきた。そこで、指示に従って甲板へ向かう。
廊下を出ると、目の前に広がるのはガラスのように透き通った巨大な木の幹。柔らかな紫色のオーロラの光が木から放たれ、絹のように四方に漂っている。この前見た発光する透明な魚たちが木の周りを泳ぎ、やがてその光は次第にオーロラに包まれていった。
船は止まった。
すると、魚たちは忽ち木の周りに集まり、旋回しながらついに木を囲む螺旋階段となった。それぞれの階段の先端は、別の枝にぶら下がった別の惑星へと通じている。
「今回の『終点』は、多分一番高いところはず……」
「それは絶対に無理でしょう?すごく高そうだし、そこまで登るとなると、一日中かかっても到達できるかどうか……」
確かに。それに、ここでは時間の流れが外の二倍だから、登りの途中で残りの期限がなくなってしまうかもしれない。でも、登る以外に他の方法はなさそう……
「行こう、もう他に方法はない」
「はーい……」
もしこのまま期限が終わるまで時間を無駄にしてしまったら……いや、なんでまたこんなことを考えちゃったんだ?
頂上へ続く階段に足を踏み入れた途端、階段がエスカレーターのように動き始めた。それも、まったく遅くはない。この調子なら、すぐに頂上に辿り着けそうだ。
どんどん高くなっていくにつれて、円形プラットフォームがほとんど透明であるため、眼下にますます小さく見える船を見ることができることに気づいた。しかし、階段はほぼ透明で、下がよく見える。
「篠原さん、目を閉じて、決して下を向かないで」
けど、もう遅かった。後ろの心優さんは高所恐怖症の発作を起こしてしまい、すでに僕の背中に顔を埋めている。
その細い指が僕の手に触れた。そして、僕の掌をなぞりながら、やがてぎゅっと握り締めて、しっかりと繋いだ。
いきなりの会心の一撃にどう反応していいか分からず、ただ愕然と立ち尽くしてしまった。
「ごめんなさい、ちょっとだけこのままでいさせて……これだけで、少し安心できるから……」
拒まなかった。
僕だって心優さんの手をぎゅっと握り返して、優しく頭を撫でて「大丈夫だよ、いつまで繋いでいてもいいんだ」って言いたい。でも、それじゃダメなんだ。彼女とは距離を保たなきゃいけない――ダメだと分かっていながらも……身体が勝手に動いてしまい、無言でそっと心優さんの手を握り返してしまった。
もう自分勝手な思いに理性を奪われないようにしようって言い聞かせたのに、結局またやってしまった。しかも、その手をずっとこうして握っていたいなんて望んでいる。
あーあ、本気で誰かを好きになると、その人に関わることに対して理性を保つのは本当に難しいな。
でも、せっかく手を繋いだんだから、もう少しこのままでいたい。
僕たちは無言のまま手を繋ぎ続けた。どちらも口をきかなかった。
この雰囲気の中、何を言えばいいのか分からず、気まずさを解消する言葉も見つからない。心優さんの方を振り返る勇気もなく、だって今自分の顔はきっと赤くなっているだろうから、景色を見つめて気を紛らわせようとした。
時間がまるで永遠のように感じられたが、ようやく頂上に辿り着いた。
ここは複雑に絡み合った枝々が覆われ、その枝の中には海のように澄んだ色合いの光が流れている。中央の窪みには僕たちが探していた鏡が立っており、その周りには青い彼岸花が咲き誇っている。
「……少しは良くなった?でも、下を見るのはやめておいた方がいいかも。まだ下がぼんやり見えるから」
「うん」
心優さんはまだ手を離すつもりはないみたいだし、僕もまだ離したくないから、わざわざ言わなかったんだ。
窪みが急で滑り降りることはできなかったが、それほど深くはなく、飛び降りても大丈夫そうだった。だから、心優さんが一緒に飛び降りようと提案してきた。
そして彼女が「せーの」と言ったら、僕たちは一緒に飛び降りた。
「あっ」
うっかり足を滑らせてしまい、心優さんを引っ張って倒れていく。彼女はバランスを崩しながら僕の背中に覆いかぶさるように倒れ込んできた。
「悪い。君、大丈夫か?」
振り返ると、顔と顔の距離がとても近く、まるでキスしそうなほどだった。こんな距離で、お互いの目をじっと見つめ合っている。
間一髪のところで理性を保とうと、キスしたい衝動を抑えようとした。
「……あの、すみません」
「えっ……あっ、ごめんなさい!」
そう言って我に返った心優さんは、素早く僕の背中から降りた。しかし、僕を引き上げた後も、その手はまだ離さなかった。
すると、僕たちはさっきのことがなかったかのように振る舞うものの、顔を赤らめてお互いに目を合わせることができずに、鏡へと向かって歩いていった。




