第10.5話 ジュース
宮野と佐藤が加わって意見を出してくれたおかげで、夕暮れ前にはようやくレポートがほぼ完成した。時間も遅くなったので、皆は帰宅するつもりだった。
「やっと帰れる……今日はここで死ぬかと思った」
「大げさすぎるよ、沙織ちゃん」
「彼女はいつもそういう感じだよ」
男子たちは自分から進んでテーブルの上に散らばった本を片付け始めた。
心優は一緒に片付けを手伝うつもりで立ち上がった。
「あっ、こういうのは僕たちに任せて。君たちは休んでていいよ」
本に触れたところで宮野にそう言われた。
「おっ……じゃあ頼んだよ。ありがとう」
「祐樹ちゃんって本当に優しいね」
「……僕をからかわないでくれよ。悠人がやきもちを焼くから」
「そんなことはない!」
佐藤は宮野に白い目を向けた。
本を書架に戻した後、皆で図書館を去った。
廊下を歩きながら、佐藤はふと何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。
「祐樹、晩ごはんをお前の家で食べてもいい?今日は俺の母さんが用意してくれなかったから」
「私も行く!」
「あのさ、君たち、まさか僕の家を食堂だと思ってるわけじゃないよね?なんで何度もご飯を食べに来るの?」
「いいじゃん、祐樹の母さんは俺たちのこと歓迎してるだろ?」
「そう決まりだわ!今日は祐樹ちゃんの母さんが何を用意してくれるのか、楽しみだなぁ……それと一番重要な食後のデザートには多分ケーキかな?えへへ」
文句を言いながらも、ため息をついてからスマホを取り出して、母親にメッセージを送る。
「心優さんと久保さんも来るの?」
「私ならいいや。家族と予定があるから」
「ごめんね、宮野くん。私も」
「分かった」
心優が下駄箱を開けると、中に手紙が一つ置かれているのを見つけた。
「またラブレター?これで入学からもう11通以上は受け取ってるよね?私が受け取ったのは7通だけなんだけど……」
奇妙なところで心優に負けたことが沙織には少し惜しいと感じられた。
入学して2週間目から、同じクラスの人や他のクラスの人、さらには先輩からもラブレターが届くようになった。 ラブレターを送ってきた人数と告白してきた人数を合わせると、これまでに16回告白されているけど、心優は例外なく全て丁寧に断っていた。
なぜかと言えば、心優はこれまで誰にも恋愛感情を抱いたことがなかったからだ。以前から恋愛に関しては運命に任せるつもりで、恋愛をしたいからといってわざわざ彼氏を作ることはなかった。それに、誰が本気で、誰が一時の気まぐれかも分からないから、軽々しく決めることはなかった。
その封筒を取り出して開いてみた。
「藤宮先輩……?」
この手紙は、心優と同じ美術部に所属する三年四組の藤宮先輩が下駄箱に置いたもの。 内容はこれまでのラブレターと似ていて、要約すると、藤宮先輩が心優のことが好きだから付き合いたい、と書いてあった。
最後には『考えてみてください。そして、明日放課後に美術部の隣の空き教室に来て、その時に答えを教えてください』と締めくくられていた。
「知り合い?」
早乙女はそう尋ねた。
「うん……」
「それで?どうするつもりなの?」
心優の性格からすれば、沙織は答えを知っているはずだが、それどもさりげなく聞いてみた。
「申し訳ないけど、お断りする」
数回しか会ったことがないけれど、藤宮先輩は礼儀正しくて後輩を気にかけてくれる人だと感じていた。でも、心優は藤宮先輩に対して尊敬の気持ちしか持っておらず、恋愛感情はない。
「心優のことが好きなやつ、本当に多いよな。俺にはチャンスがなさそうだな」
佐藤は冗談っぽく言った。しかし彼は自分のそばにいるよくやきもち焼きの幼馴染のことを忘れていたようだった。
早乙女は彼を冷ややかに睨みつけてきた。 その目はまるでゴミを見ているようだった。
「えっと、なんちゃって」
そばから漂ってくる殺気を感じていたのか、佐藤は慌てて言い直した。
「ほーう?」
悪い予感がした他の人は、幼馴染間の『イチャイチャ』に巻き込まれたくないので、気を利かせて先に立ち去った。
* * *
心優は一人で街を歩きながら、頭を悩ませている。
明日、藤宮先輩にどう断ろうかな……できるだけ傷つけないようにしたいな――そう思ってため息をついた。
すると、前方に気づかずに歩いていた心優は電柱に頭をぶつけてしまい、「ドン」という重い音が鳴り響いた。
「痛っ……!」
頭の絶え間ない痛みに我に返った。
頭がぐらぐらして、激しい痛みが襲い、まるで死にそうな気がした。痛みに耐えながら、頭を抱えてゆっくりとしゃがみ込んだ。
「心優さん……?」
遠くない後から馴染みのある声が聞こえてきた。
振り返ってみて、なんと宮野だった。さっきは明らかに別の方向に向かっていたのに、どうして今ここにいるんだろう?
「何があったの?」
「大したことじゃない……ただ頭をぶつけただけ……ちょっと痛いけどさ、少し休めば大丈夫」
「……ちょっと待って」
すると、宮野は一方のコンビニに入っていった。
心優は疑問を抱きながら彼が冷蔵庫に向かうのを見つめていた。その後、彼は二本の缶ジュースを手にし、カウンターに向かって支払いを済ませた。
コンビニから出てきた後、彼は一缶のジュースを心優の前に差し出した。
「ん?」
「冷やすと痛みが和らぐはずだし、その後に飲んでもいいし……あ、僕も飲みたかったからついでに買ってしまった……」
宮野の突如として現れた微妙なツンデレ反応を見て、心優は思わず微笑んでしまった。
「優しいね。 ありがとう」
心優はそれを受け取って額に当て、そのまま家路につく。一方、宮野はジュースを飲みながら心優と一緒に歩いている。
しばらくすると、痛みは少し和らぎ、冷やすのは本当に役に立ったみたいだけど、頭がすごく冷たい。
「ところで、宮野くんはどうしてここに?」
「ちょっと店に行って物を取ってきたくなったから、引き返してきた」
「そうだったんだ。さっきは頭をぶつけて幻覚でも見たのかと思ってたわ」
「頭、少しは良くなりましたか?」
「うん。おかげで、ちょっと痛みが和らいだよ」
「手伝えて良かった」
夕日が影を伸ばしている。街灯が一斉に点灯され、やがて訪れる夜を迎えているかのようだった。
周りを行き交う忙しい一日を終えた大人たちは、まるで今日の仕事終わりの貴重な自由な時間を得て、ようやく一息ついているかのように、街道を疲れた様子でゆっくり歩いている。
この穏やかで疲れた雰囲気に、もう少し癒しの柔らかい曲があったら、もっと良いだろうな。
「心優さん……君、どんなタイプの人が好き?」
こんな雰囲気の中で、宮野が突然奇妙な質問を投げかけてきた。
「え?なんでそんなことを聞くの……もしかして、私のことが好きなの?」
心優はいたずらっぽく冗談を言った。
そして、首を傾げながら宮野の横顔ををじっと見つめ、彼がどんな反応を示すかを楽しみにしている。
「……君のことを好きな人がたくさんいるのに、君が全然興味なさそうことに気になる」
「んー」
その問いかけに、心優はちょっと真剣に考える。
「相手のことをよく知らずに好きと言われても、その気持ちが本気なのか、ただ外見や他の理由でなのかが分からないでしょ?もしよく考えずに受け入れたら、将来その決断を後悔するかもしれない。お互いを傷つけるようになるくらいなら、最初からはっきり断った方がいいと思うよ」
心優はゆっくりと流れてゆく雲を見上げながらそう言った。
でも、もし未来にいつか、一緒にいると居心地がよくて、私だけに優しくしてくれて、将来後悔させないような人に出会えたら、その人のことを好きになるかもしれないな――今の考えを宮野には話さなかった。 何しろ、こんなことを言うのはちょっと恥ずかしいから。
「……ちょっと意外だな。君にもそういう地味な一面もあるんだ」
「どうやら、あなたはまだ私のことをよく知らないみたいね」
「確かに」
缶のプルタブを引き上げてジュースを一口飲んだ。爽やかなオレンジの風味が口の中に広がり、甘さとほんのり酸っぱさが感じられる。
「……そういえば、図書館で悠人のことをハルに話さなかったこと、ありがとう」
「ん?ただ約束を守っただけだから」
夏休み中に佐藤が北海道に引っ越すかもしれないという話と、早乙女が佐藤を好きだということを思い出し、心優は少し惜しい気持ちになった。
「でも、もし佐藤くんが北海道に行ったら、皆との関係もだんだんと疎遠になっちゃうんじゃない?」
「そうかもしれない……ハルがこのことを知ったらどう思うかな」
「佐藤くんはいつハルちゃんにそのことを伝えるつもりなの?」
「それは彼がいつ勇気を出せるか次第だね」
「まさか佐藤くんは少女マンガの別れのシーンみたいに、北海道に行く前にハルちゃんに告白したいとか思ってるの?」
「……」
心優はあまり漫画を買わないものの、二次元が好きな妹から感動的なマンガの話をよく聞いていた。そのため、時折興味を持つと妹からマンガや小説を借りて読むことがあった。
しかし、宮野の無言の反応は、心優が軽く言った冗談を裏付けるようなものだった。
「え?マジ?まさか私が当てちゃったの?」
「……」
宮野が再び無言になったのを見て、心優は自分の推測が正しいはずだと思う。だが、宮野は嘘をつきたくないのだから、この話はやめといた方がいい。
「あの、ごめんね、おせっかいでした。あなたが困るなら、この話はここで終わりにしましょう」
「ごめん、約束があったから言えなかったけど、嘘をつきたくないから、どうすればいいか分からなくて……」
「あなたは本当にいい子だわ」
「これ、なんかおばあさんが言いそうなセリフだね?」
「おい、私まだ15歳だよ?」
「15歳……君の誕生日はいつですか?」
「10月11日。なんでそんなこと聞くの?もしかして私に誕生日プレゼントを用意したいの?」
「じゃあ、何が欲しい?」
「え?冗談だよ。何も送らなくていいよ。祝福だけで十分だ」
宮野が自分の冗談を本気にするとは思っていなかった。
プレゼントをもらうことを期待しているわけではないけれど、さっきの宮野の質問にはちょっとツッコミたくなった。
普通、誕生日プレゼントはサプライズとして事前に秘密にしておくものなのに、なぜそんなにストレートに聞いてくるのだろう――結局このツッコミたい気持ちを抑えた。
「とにかく、友達が私の誕生日を覚えていてくれたら、たとえ祝福の言葉だけでも嬉しいよ」
「……それじゃ、僕は君の友達ですか?」
「え?宮野くん、何言ってるの?もちろんあなたも私の友達だよ!」
「それなら絶対忘れないよ、心優さんの誕生日」
お喋りしているうちに、分かれ道に差し掛かった。
右側の道は、壁と木々に遮られて夕焼けの光が届かず、壊れた街灯のせいで暗い影が広がっていた。
「じゃあ、また明日ね、宮野くん」
「うん、また明日」
ここで別れた後、心優は右側の少し暗い道に向かい、宮野は左側の夕日に照らされた道を歩いていった。




