第10話 騒がしい図書館
15歳、6月12日。
今朝、世界史の先生からレポートの課題が出された。二人か三人でグループを組むという条件だったため、沙織、心優、早乙女の三人が一緒のグループになった。
放課後、三人は図書館で忙しく作業をしている。
「実は私、ちょっと聞きしたいことがあるんだけど……」
作業を始めたばかりのところで、早乙女がそう囁いた。
周りに誰もいないことを確認してから安心した様子で、まるでこれから他の人に聞かれてはいけない機密を話すかのようだった。
「心優ちゃん、沙織ちゃん、普段メイクしてる?」
「私?会社の宴会に参加する時じゃないと、普段はほとんどすっぴんだよ」
沙織は有名な多国籍企業の社長令嬢で、両親の要請で会社が主催する宴会にしばしば顔を出さなければならない。メイクも、良い印象を保つために親から指示されている。
「私もあまりしないよ。だって、面倒くさいから」
それを聞いて早乙女はテーブルに突っ伏したまま、大きくため息をついた。
「どうしたの?」
「ちょっと恥ずかしいんだけど……言ったら笑わないでくれる?」
「分かったわ」
理由はよく分からなかったけれども、それでもそのお願いを快く引き受けた。
「実は、女子力をアップさせたくて。だから、あんたたちにメイクの仕方を教えてもらおうと思って。でも、あんたたちはメイクしていなくても十分女子力が高いから、私がメイクしてもあまり女子力がアップしないかも……」
「え?でも、ハルちゃんは元々可愛いじゃない?」
「時々暴力的だけど、佐藤に対してだけだから。クラスの皆はハルが可愛いって思ってると思うよ」
沙織の率直な言葉に早乙女は過去の思い出を振り返っているようで、ため息をついた。
「だって、あのバカは時々腹が立つことをするから、しっかり懲らしめないと」
「それで、彼が好きなの?」
「そんなにストレートに聞かないでよ、沙織ちゃん……!」
「……うん。でもあのバカ、気づいてないみたい。多分、私に女子力がないのかも」
早乙女は仕方なく苦笑いを浮かべた。その笑顔がなんとも切なく感じさせた。
「そんなことないよ!ハルちゃんはすごく魅力的で可愛い女性だよ、もっと自信を持ってね!」
「こういう気持ちはちゃんと言わないと伝わらないよ。もし素直に伝えなかったら、相手は一生気づかないかもしれないから」
「……でも、言ったら今のような関係が続けられなくなるんじゃないかって怖いんだ」
告白って賭けみたいなもんだから、成功すれば関係が進展するけど、失敗すると次に会う時に気まずくなるかもしれない――これが妹にすすめられて少女漫画を一杯読んできた心優が出した結論だった。
「何か手伝えることがあれば、遠慮せずに言ってね」
「うん。心優ちゃん、ありがとう」
状況が面白くなってきたのを感じた心優は、ますます興味を引かれた。
「そういえば、グループ分けの時になぜ佐藤と一緒にならなかったの?これは距離を縮めるチャンスなのに」
「あのバカは私に聞いてこなかった。ちなみに、あのバカは祐樹ちゃんとグループになったんだけど、最近二人とも様子がなんかおかしい」
「祐樹って誰だっけ?」
「ほら、席が廊下側最前列の宮野くんだよ」
「廊下側……あーあ、あの控えめな男ね。どうしてそう思うの?」
「今朝から、彼らが私を避けているみたいなの。私が近づくとすぐに話題を変えて、何か知ってはいけないことがある感じがするの」
そう言うと、早乙女は不満そうに頬を膨らませた。
ちょうど今、図書館の扉が開いた。音を聞いた心優が扉の方を見ると、宮野と佐藤が入ってくるのが見えた。
「え?お前らもここに?」
宮野は無言で挨拶に頷いた。
「あんたたち、もう帰ったんじゃなかったの?」
「図書館に来る前にちょっと何か食べに行っただけだ」
「へぇー、そうなの?私たちがここに来るのを知ったから、急に気が変わって祐樹ちゃんを図書館に連れてきたのかと思ったわ」
早乙女は笑顔で冗談のようにそう言っていたが、どうにもそれがただの冗談ではないように感じられた。もし佐藤が「その通り」と答えたら、恐らくその後の展開は非常に厄介なことになりそうだ。
心優と沙織は無言で乾いた笑いを浮かべながら、正解を答えるのを静かに祈っている。
「俺のこと、何か誤解してるんじゃない?」
「どうかな」
「俺たちはただ資料を探しに来ただけだ」
「君たちもレポートをやってるの?一緒に話し合いませんか?」
心優は沙織の意図をすぐに理解し、協力することにした。
「そうそう、一緒にやろうよ?」
「いいのか?邪魔にならないかな?」
「いえいえ、全然」
「おい、祐樹、まだあの話は終わってないぞ……?」
「あの話?」
早乙女に疑惑の眼差しで見つめられている佐藤は冷や汗をかき、その視線を避けようとして顔を背けた。
「僕は嘘をつくのは嫌いだから、先に資料を探しておく」
宮野は佐藤の肩を叩いてから、振り返らずに書架の方へと歩いて行った。
「俺たちは友達じゃないのかよ……!?」
「まあ、言いたくないなら無理に言わせたりはしないから」
これ以上詰め寄ると佐藤を嫌な気持ちにさせるかもしれないと察したのか、早乙女は諦めた。とはいえ、膨らませた頬は不機嫌を示しているようだった。
しかし、佐藤はそれに気づかない様子で、彼女の隣の席に座ると、スマホを遊び始めた。
「あら~可愛いね、その拗ね顔。佐藤くん、早くハルちゃんを慰める方がいいよ」
心優は面白がってわざとその二人をからかった。これも佐藤が早乙女を慰めることで二人の間の好感度を高めようとするためでもある。
「え?」
「いらねえよ!バカに慰められるなんて」
「俺のことをバカって呼ぶの、やめてくれない?そんなにいつも呼ばれたら、本当にバカになっちまうだろ」
「大丈夫、どうせすでにバカだったんだから」
「はぁ?もし俺がバカなら、お前は超大バカってことになるんじゃない?」
「な……なんだって⁉」
すると、その二人はまた周りを気にせずに喧嘩を始めた。
「ヤバッ」
結果は心優が期待していたものとは違っていた。
佐藤の前では、早乙女がどうしても素直になれない。もっと素直になれば、とっくに付き合っていたかもしれないのに。
「……君さ、そろそろその悪い趣味をやめた方がいい」
「大丈夫だよ。喧嘩も仲を深めることができるでしょ?多分」
宮野が何冊かの本を抱えて戻ってきたが、喧嘩している光景を見た。
「また始また?」
巻き込まれたくない彼は、二人の横に座る気にならず、沙織の右側にある空いている席に向かった。
「あの、久保さん、ここに座ってもいいですか?」
「いいよ」
同意を得た宮野は本をテーブルの上に置き、椅子を引いて座ろうとしたその瞬間、喧嘩していた二人が同時に彼の方を振り向いた。
「「祐樹、どっちが正しいと思う!?」」
早乙女と佐藤が同時に尋ねた。
「喧嘩を止めなければ、図書委員に追い出されちゃうぞ」
こんなことは日常茶飯事のように、宮野は平坦な口調で言った。
宮野が指し示す方向に視線を向けると、ちょうどカウンターでこちらをじっと見ている先輩と目が合った。
先輩は静かなジェスチャーをして、図書館で騒がないようにと合図した。 それから頭を下げて何かに集中しているみたい。
「フンッ!まあいいや、これ以上バカと喧嘩して体力を無駄にするつもりはない」
早乙女はそう言いながら、拗ねて顔を横に向けた。
「ちょうど俺もそう思ってたんだ」
さっきまで騒々しかった雰囲気が、瞬く間に少し恐ろしいほど静かになった。
沙織は目を細め、事の元凶をじっと見つめて、さっきの喧嘩が仲を深めるという言葉に疑念を抱いているようだった。
すると、心優は片目を閉じてそっとペンで自分の頭を叩きながら、可愛く「てへ」と言った。実際あの二人がこんなことで喧嘩するとは思っていなかったのだ。
「ほら、拗ねるのはやめて、早くレポートをやろ」
「はーい……」
その光景はまるで父親が喧嘩している子供たちを仲裁しているようだ。心優は思わず面白がってしまった。
「なんか宮野くんはハルちゃんと佐藤くんのお父さんみたいだね」
「確かに」
沙織だってそう思っていた。
「まぁ、ずっと俺たちの間に挟まれていたから、いつの間にかそんな性格ができちゃったんだろうな」
「君もそんな自覚があるのか?」
「お疲れ様!祐樹パパ~」
「そんな風に呼ばないでよ!16歳なのにもう16歳の子供がいるって思われたくないぜ」
声を低くしてちょっとした冗談の後、一同は真剣さを取り戻してレポート作成に取り掛かった。
その間、心優はふと先ほど早乙女が言っていたことを思い出した。 そこでLINEで宮野に尋ねてみる。
『ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。』
宮野は手元のスマホの画面が点灯しているのに気づき、通知を目にしてから心優の方に視線を向けた。
しかし、心優はペンを唇の前に当てて、口にしないように合図した。そうでなければ、もし佐藤に気づかれたら答えを知ることができなくなる可能性があるから。
宮野はその意図を理解したようで、LINEで返信した。
『はい?』
今日はあなたと佐藤くんがハルちゃんを避けてるっていう話を聞いたから、ちょっと聞いてみようと思って。
『……実は悠人だけ彼女を避けようとしていた。僕はただ仕方なく協力してただけさ』
『何で?』
『σ(・ω・,,`)?』
『……』
『あ、答えたくなければいいんだ』
『今の忘れて』
『秘密ではないけど、とりあえずハルには秘密にしておいてくれる?悠人が直接彼女に話すのがいいと思うから』
『(*`・ω・)ゞ了解!』
『今朝、悠人が夏休み中に転校する可能性があると言ってきた』
『父親が仕事の都合で札幌市の新しくできる支社に派遣されることになって、家族も一緒に引っ越す予定だが、彼だけまだ決めていない。だから、僕と相談しているわけ』
『え』
『本当に?』
『まだ友達になって数ヶ月なのに、別れることになるなんて…』
『でも、なぜハルちゃんに知らせてはいけないの?』
『多分、まだ心の準備ができていないのかもしれない』
『でも、どの方面の準備かは言えないけど』
『ご理解ください』
『そうなんだ。大丈夫だよ。教えてくれてありがとうね』
「祐樹ちゃんと心優ちゃん、なんでスマホばかり見ているの?」
先ほどからペンを動かしていない二人に気づいた早乙女は、疑いの表情を浮かべながら尋ねた。
「……いや、なんでも」
宮野くんと約束したから、ごめんね、ハルちゃん。心優は心の中で早乙女に謝った。
心優は佐藤がわざとハルを避けていた理由をなんとなく理解した。転校するかどうかは不明だが、それでもあの二人ができるだけ早く付き合えるために、全力で手助けしようと決めた。




