第1話 記憶を失った私と、見知らぬ無表情な男
目を開けた。
ベッドから起き上がった。
周りを見渡す。
見知らぬ部屋、ベッド、机、椅子、ワードローブしかない。
「……ここは?」
何で私はここにいる?
それに――
「私……誰……だ?」
頭の中が真っ白。自分が誰なのか、名前も家族も何も思い出せない。
「嫌だ……思い出せない、何も思い出せない……!」
髪の毛何本か抜いて痛みが頭を刺激しても、何も思い出せない。
でも突然、ベッドのそばの机には、顔を伏せて眠っている男がいるのに気づいた。
「……え?」
同時にその男が目を覚まし、頭を上げてこっちを見ている。しばらくの間、お互いに目を見合わせて沈黙が続いていた。その男が先に我に返り、ほっとした。
「良かった……やっと起きたんだ……」
「あ、あなたは誰だ……?」
体は不安で震えが止まらない。私は膝を抱えて、毛布をしっかりと巻きつけた。
目の前の男をよく観察してみると、彼は無表情に私を見ているけれど、その目からはわずかな優しさが感じられた。この人、十代のように見える。雪のような白い髪があって、乱れた前髪で左目を隠している。それに、肌はまるで血の気が失せたように青白い。
私の問いかけを聞いた彼は、一瞬落ち込んだような表情を浮かべたものの、すぐに無表情な顔に戻った。
「僕を楓で呼んでくればいい。心配しないで、ここは安全だ。それに、君に何か傷つけるつもりはないから」
声はすごく深い。
「……あの、楓さん、ここはあなたの家ですか? どうして私はここにいる?」
「いや、でも君がそう思うならいいんだ。そして君がここにいる理由については、申し訳ないけど言えない」
「何で?」
「これはルールだ」
「ルール?」
私は眉をひそめ、困惑して楓さんを見つめた。
彼は起き上がって窓辺に向かい、カーテンを少しだけ開けて外を眺めている。
「君の名前は篠原心優、16歳。 それ以外のことは言えないんだ。君の過去について話すと、良くないことが起こるから」
「え?」
「これは現実世界ではなく、簡単に言えばパラレルワールドだ。 もし今言ったルールを破れば、現実に戻れなくなって永遠にこの世界に残ることになる」
「はぁ?一体何を言ってるの?ごめん、理解できない」
パラレルワールドとかルールとかは何なの?
目の前の人は一体誰?なぜ私が目覚めたら見知らぬ場所にいて、また変な人がいるの?
「信じるか信じないかは君の選択だ。僕はただ、事実をありのままに伝えただけだ。でも、信じて欲しい」
嘘をついているようには見えず、口調もまるで懇願しているようだ……とりあえず一応話を聞いてみよう。
「もし、あなたが言ったのが本当なら、どうやって現実世界に戻るの?」
「5日以内に全ての記憶を取り戻せば、現実に戻れる。逆に、この条件を満たさなければ、永遠にこの世界に留まってしまう。記憶を取り戻す方法としては、『裏界』と呼ばれる特定の場所に行くことだと言われてた。その場所の終点に、君の記憶を取り戻すことができるものが存在するらしい」
「……つまり、私は5日以内に全部記憶を取り戻さなければならない、ってことですか?」
「そう。そしてこの間、僕は君と一緒に行動する。それが僕の役割だから」
彼を信じるべきか?
「言いたいことはもう言った。 もし僕を信じると決めたら、リビングに来い」
そう言い残して楓さんは部屋を出た。
閉ざされたドアを見つめながら、先ほど楓さんの言葉と表情を思い出した。
「変な人……でも、悪い人じゃないかも」
筋の微かな光がカーテンの隙間から差し込んできた。
カーテンを開けた。
――!
窓の外の空には、デバスズキとクラゲ、群れをなすサーディン、そしてほとんど透明だが体中に虹色の光を帯びている巨大なクジラが浮かんでいる。今は夜で、満天の星が輝き、微かに薄暗い太陽も見える。
さらに、ここにはたくさんの古い建物が立ち並んでいる。猫のような体型で、短い四肢を持ち、外見はシャチに似ていて、尾びれのある生物が街灯の上に寝そべっている。
美しすぎる……
――いやいや、今は景色を楽しんでいる場合じゃない!
ちょっと落ち着いた後、現状を分析をする。
私の名前は篠原心優、16歳。それ以外の自分のことは何も知らない。記憶が完全に消えてしまったかのようで、どう頑張っても何も思い出せない。
記憶は完全になくなったけど、常識と知識に関することは忘れていない。ここの風景と生き物は確かに認識とは全然違う。
それより、何か分からないけど、見慣れない場所で目が覚めた……ここをとりあえず楓さんの家だと思おう。変な人だと思ったけど、悪意はなさそうで、私のことを知ってるみたいだし。
ならば、楓さんを信じるべき……かな?
ベッドに横たわり天井を見つめながら迷っている。
* * *
しばらく悩んだ末、やはり楓さんを信じるべきだと決めた。
何しろ、恐れてこのまま何も行動をしなければ、何もできないのだから、むしろ楓さんを信じて、彼の話が本当かどうか確かめた方がいい。
リビングに来た。
楓さんは今窓の前に立って外を眺めているが、何かを考えているみたい。私が近づいても気づかなかった。
「……あの、すみません」
「あっ……!」
楓さんはびっくりした。
わざとじゃないんだけど、その無表情な顔に違う表情を見つけたって何だか面白かった。
「ごめんなさい」
「……それより、もう決めた?」
「はい、信じるよ」
「分かった。じゃ、行こう」