何かが喚んでいる
始業時間から事務所に12ある固定電話は鳴りっぱなしで事務員たちは脇目もふらずメモを片手に応対する。
所狭しとスーツ姿の男たちが各々の書類やスマホを手に室内を駆け回る。
中には昨日からシャツが変わっていない者も居り本当に申し訳ない限りだがそれでも俺は山となった机の書類に目を通し署名を再開する。
何しろ今は書き入れ時なのだ。
全社員が足と頭を使って懸命に働いている。
ウチのような零細企業では人手が足りず気候と相まってこの時期倒れる者も少なくない。
1つ1つ案件をチェックしているとちらちらとこちらの顔色を伺いながら席の前に立つ者が居た。
「……あの、課長」
「どうした、鈴木」
見ると青い顔で鈴木がためらいがちにメモと書類を手渡してきた。
それを見た俺は思わずため息を吐く。
「◯◯工業さんか……
納期が遅れると?」
鈴木が生気のない顔でこくりと頷く。
これでつかえている仕事が玉突きのように更に滞ることになる。
苛立ちを抑えながら鈴木に向き直ると俺は頭の中で人選する。
「仕方ない、平田と佐藤を呼んでくれるか」
「それが……」
鈴木がまた言いにくそうに絞り出すような声を出す。
「今日は体調が悪いらしく2人とも欠席です」
俺は額を押さえながらため息を吐いた。
「……はあ
根性が足りんな。仕方ない、お前が引き継いでくれるか。わからないことがあれば俺に聞いてくれ」
「……わかりました」
鈴木は渋い顔をしながらも首を縦に振り自分の席へと戻る。
取り引き先の都合により更に仕事が増えた上に脱落者も出たので普段の倍ほどの作業量となった。
今日は帰途に着く頃には午後10時を回ってしまった。
俺は電車通勤なのだがこの時間になると駅に立つ人も疎らだ。
街の灯りも弱い。
……疲れた
俺の部署でも他の部署でも今日も辞表を持って来る者が何人か出た。
仕方ない。
毎年この時期は忙しいのだ。
これくらいで根をあげる者は切り捨てていくしかない。
人が減った分更に一人一人の作業量は増えてしまう。
明日の段取りを考えながら疲労感と苛立ちを募らせながら俺はやって来た電車に乗り込んだ。
同乗者もほとんどおらず広い座席に腰を下ろすと自然と目蓋が重くなる。
どうせ自宅近くの駅到着まで1時間程はかかるのでそれまで眠るのはいつものことだ。
…………………………………
いつの間にか眠ってしまっていた俺は薄く覚醒し窓の外へと視線を送る。
電車はちょうど停車しており虫のさざめきのみが耳に届く。
駅の灯りは弱く窓の外の小さな廃屋だけがぼんやりと目に入った。
……いやなタイミングで目覚めたものだ
この山奥にある駅は廃屋や木々に囲まれた無人駅でありはっきり言って不気味だ。
「出る」という噂もあり、数年前に外れの廃屋で誰かが首を吊ったという記事を目にしたこともある。
……あと2、30分程で家に着く。
そう考えながら再び目を閉じようとした時だった。
不意に耳につく動物の鳴き声が聞こえてきた。
低く耳障りなその鳴き声はいつもなら気にしない程度の小さな音であったのだが何故か俺の神経に響くものがあり思わず俺は窓の外を眺め鳴き声の主を探す。
……何かを視界の端にみつけ俺は思わず身を竦めた
よく目を凝らすと遠くの木に止まった黒い鳥が赤い瞳を光らせこちらを見つめているようだった。
さらにその妙な鳴き声が俺の耳に入ってくる。
「……タカ……タカ?」
まるで目が合ったような気がした俺はその不気味な鳴き声と瞳に少し怯えを感じながら目をそらす。
やがて電車の扉が閉まり動き始める。
俺は遠ざかり見えなくなるまでその不気味な鳥の視線をしばらく感じ続けていた。
次の日の朝もいつものように事務所はごった返し聞こえてくる声には怒声や罵声まで混じっている。
書類を作りながら俺はふと気づき通りかかった事務員の一人を呼び止めた。
「おい、鈴木はどうした」
昨日少し多めの仕事を申し付けた鈴木の姿が見えない。
進捗状況の報告が聞きたいのだが。
しかしその事務員は首を傾げながら鈴木の机を調べると半ば諦めたような顔で封筒を手に俺の席まで戻ってきた。
「課長、鈴木さんの机の上にこれが」
ここ数日もう何回吐いたかわからないため息を吐きながら俺は軽く机を叩く。
「またか、ちょっとしごいてやったらこれだ。最近の若いのはどうなってる……」
事務員は怪訝そうな顔で俺を見つめていた。
他にすることもあるだろう。
「わかった、もういい。ご苦労。
……まだ何かあるのか?」
何か言いたいことがあるらしい事務員は少し言いよどんでから口を開いた。
「課長、平田さんは3日前から自宅に帰ってないそうです……」
「ああ、そうか……」
そう言えばそんなやつも居たな。
若干面倒くさくなってきたのでぞんざいな物言いになったが事務員は話を続けた。
「言いたくはないですが鬱……だったんだと思います……
私から見てですけど」
「君は俺が部下の不調に気づかなかった無能上司だと言いたいのか?」
その言い方が俺を咎めるような物言いに聞こえたので自分でも思わず声のトーンがきつくなったようだ。
しかし一度漏れ出た激情は抑えられず俺は思わず当たるように怒鳴りつけてしまった。
「辞めたければ辞めろ!根性なしどもめ‼︎
くそっ‼︎どいつもこいつも‼︎」
事務員は肩を竦めながら小さな声で「失礼します」と言い俺の側から退散していった。
その日は取り引き先の工場の社長が過労でお亡くなりになったというニュースが入ってきた。
これで更に業務が滞ることは間違いない。
帰りの電車に揺られながらPCを片手に書類を手直しする。
「全く根性なしどもめ……!」
気づくと無人の車内でいつの間にか独り言で愚痴を呟いていたようだ。
……いかんな
仕事の手を止めてハンカチで額を拭い深呼吸する。
他の乗客がいなくて良かった。
そう言えばそろそろ件の駅だ……
窓の外を見るとあの真っ暗なホームが近づいてくる。
しかし昨晩目にしたあの不気味な鳥とそして鳴き声はなんだったのだろうか。
多分夢の中の出来事だったんだろう、と考えているとやがて電車は止まり扉が開く。
しん、と静まり返ったその駅は相変わらず人気がなく窓の外から見える廃屋が不気味に照らされる。
今日は何も起こらない。
怯えていたことに苦笑し再びPCを開く。
……しかし扉が閉まるその直前に件の声が耳に入ってきた
「……ツ……タカ?……キ……カ?」
俺は驚いて声の方を見やる。
昨日よりも近い木々にその赤目の鳥は止まっており無表情で俺の目を見つめていた。
よく見ると黒い梟のようだ。
その爛々とした赤目でじっと俺の方を見つめ続けている。
どんどん遠ざかるその姿に俺は背筋が薄ら寒くなるのを感じた。
次の日、ミスをした部下に教育的指導をしていると俺の肩を叩き呼び止める者がいた。
振り返ると笑顔を浮かべた専務がいた。
「小川くん、ちょっと」
別室に連れてこられた俺は勧められるままに腰を下ろした。
専務は相変わらず貼り付けたような笑顔のままで俺の方を見やるといきなり本題を切り出した。
「疲れてるようだね、今日の仕事が終わったら明日から3日やるから少し休みなさい」
「しかし、専務……!」
俺は何か間違っていたのだろうか……
いや俺が居なければとても回らないだろう……
そう訴える前に専務は有無を言わさない様子で俺の肩を叩いた。
「君は良くやってくれている。
とても頼もしく思っているよ。
でも今は冷静さを欠いているようだ。
済まないね、これは業務命令だ」
「……わかりました」
そこまで言われては抗う術はない。
俺は項垂れながら首を縦に振った。
その日の仕事を早めに切り上げ、近場で食事を済ませ久しぶりに軽くアルコールを呑むともう10時を回っている。
慌てて駅に駈けるとちょうどやってきた電車に飛び込んだ。
他に誰もいない大きな座席にどっかと座り込むと自然と口から零れるのは愚痴だった。
「……くっそどいつもこいつも」
どれだけ頑張ろうが誰からも評価されない……
頑張れば頑張るほど周りからは疎まれるだけだ。
「くっそどいつもこいつも……!
俺もやりたくてこんなことやってんじゃ……」
管を巻いているうちに電車は例の駅に到着してしまったらしい。
無人の駅に向けてプシューと音を立てて扉が開く。
樹々と古い家屋に囲まれた山奥のこの駅は意識せずとも相変わらず不気味な雰囲気を醸し出す。
俺はそっと息を呑み窓の外を見渡す。
……今日はあの妙な梟の鳴き声も聞こえない
少しほっとしながら懐のスマホを取り出そうとしたその時だった。
「……ツカ……タカ?……キリ……タカ?」
「なんなんだ‼︎」
苛立ちはピークに達した。
立ち上がりその不気味な声のする方に顔を向けると窓の外の間近くの木に爛々と赤く光る目で俺を見つめる黒い梟がそこに居た。
奇妙なことに俺は恐怖を感じるとともにその瞳に吸い寄せられるように座席から腰をあげるとふらふら歩きながらその駅に降りたった。
梟は近くに立つ木に留まってその赤い目でじっと俺を見つめ続けている。
やがて電車は扉を閉めると俺と梟を置き去りにするように音を立てて駅を後にする。
俺は梟の瞳に吸い寄せられるようにその足元へと歩みを進める。
俺が近寄ると梟は枝から飛び立ちまるで俺を誘導するかのようにゆっくりと飛び始めた。
俺もふらふらとその後を追う。
「……ツカ……タカ?……キリ……タカ?」
相変わらず不気味な低音で奇妙な鳴き声を発し続ける。
どれくらい歩いたかわからないがやがて気がつくと俺は見知らぬ森の中にいた。
梟は高い木の1つに留まり俺をあの赤い目で見つめ続ける。
こんなに異常なことをしているのに何故か恐怖も焦燥も感じず俺はじっとその梟の瞳を見つめ続けた。
……何か
何かは分からないが確信があった。
俺はここで……
ハッと辺りを見回す。
気づかなかった……
爛々とした幾つもの赤い瞳があちこちの樹々からこちらを伺っている。
低い不気味な鳴き声も俺の耳をざわつかせた。
……10?いや20はいる
いつの間にか俺は梟たちに囲まれあの不気味な鳴き声に思わず耳を塞ごうとしたがはたとその手を止める。
「……ツカレタ……カ?
キリステ……タ…………カ?」
ホウホウ、という普通の梟の鳴き声に混じってそんな鳴き声が聞こえてきた。
俺は梟たちのうちの一匹の瞳をじっと見つめ返す。
……そうかおれは
その瞬間何もかもがおかしくなり俺は梟の鳴き声に合わせるようにゲタゲタと嗤いはじめた。
「……どいつもこいつもこわれちまえ!
ぎゃはははははは!
コワレチマエ……!
コ ワ レ テ シ マ エ ……!」
森の奥へまで轟くような俺と梟たちの合唱はいつまでもいつまでも不気味な夜に響き続ける。
……そうかおれはもうこのもりからでなくていいんだ
……あすからはたらかなくてもいいんだ
……モウガンバラナクテイインダ
さらにおかしくなり俺と梟たちはゲタゲタと嗤い続けた。