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何者にもなれない蝙蝠達  作者: 和菜
女コウモリ
9/29

接触

 

 翌日は雨だった。

 厚い雲が空を覆い、大量の雨を降らせる。

 こういう日はどうもいけない。

 体も心もどんよりと重くなって、何に於いても気分が乗らなくなる。

 とはいえ、午後になれば例の新入りがやって来る。

 俺は気持ちを切り替えようと、昼食は例のショッピングモールで好物のオムそばを大盛りで平らげた。

 戻ったら、県警から送られて来た指令書を整理して、捜査に当たらせる人員を決めて、新入りが来たら、「蝙蝠」の仕事や規律その他諸々を教えてやって……

 歩きながら、事務所に戻った後の仕事を頭の中で確認している、と。


「あ……」


 やっぱり、何故か、俺は妙に自然と、その姿を発見してしまった。

 毎週ドライブで訪れる浜辺で、時々見掛ける、あの、女性。

 俺と同じようにぼんやり海を眺めて、独り言のような声音で歌を口ずさみ、程なく帰って行く、あの。

 以前ここで見掛けた時は、文庫本を読んでいたが、今日読んでいるのは……手紙、のようだ。

 メールやらLINEやらが普及し、近頃の若者は電話すら掛けるのを嫌煙するという昨今、手紙というのもなかなか珍しい。

 遠方に居る親戚か、はたまた、彼女自身が書いたどっかのアイドルとかへのファンレターだったり。

 ……まあ、かなり硬い表情をしているから、それはなさそうだが。

 それにしても、ここで彼女を見掛けたのはこれで二度目。

 やっぱりこの辺に家か職場があるんだろうか。

 そして俺はやっぱり、彼女の姿を見付けた途端、何故か立ち止まっている。

 ……何なんだろうな、マジで……

 はっきり言って、彼女は俺のタイプではない。

 耳が勝手に拾う彼女の歌も、別段、特別に凄く上手いとも思わないし、何の曲なのかも興味はない。

 が、何故か……

 何故か、姿を見付けてしまったら、こうして、足が止まってしまう。

 目で追ってしまう。

 人は安易に、こういう状態の事を恋だ愛だと言うのかもしれないが、それはない、とはっきり言い切れる。

 無自覚な訳でも何でもなくて、本当に、それは絶対に有り得ない。

 何故なら、俺は……――


「、……?」


 自分の行動に内心で訝しんでいるうちに、彼女の元に、一人の男が歩み寄って来るのが見えた。

 少々太った、色白の眼鏡を掛けた青年だった。

 俺と同じくらいの年頃で、そいつは笑みを浮かべて彼女の隣に立ったかと思うと、彼女の顔を覗き込むようにしながら、声を掛けた。

 彼女はびくっと体を震わせて、驚愕のままに頭上を振り仰ぎ、声を掛けた男の顔を見て、目を瞠った。

 男はそんな彼女の反応を心底愉しそうに笑いながら、尚も何か彼女に話し掛けている。

 流石に俺の地獄耳でも、こんな場所のこの距離では彼女達の会話は全く聞こえないが、遠巻きで見る感じ、二人は知り合いのようだ。

 だが、男が終始笑顔で話しているのに対し、彼女はその顔を、驚愕から困惑に、困惑から不快そうに、徐々に変えていく。

 ……とはいえ、俺には、関係ない事だ。

 二人がどんな知り合いで、二人がどんな会話をしているかなんて。

 早く事務所に戻らなきゃ、新入りも来ることだし。

 ……分かっているのに何故か……

 何故か俺の足は、俺の意志とは裏腹に、彼女の席の方へ、向いていた。


 彼女の隣の席、ちょうど、男の真後ろに位置する椅子に、俺は腰掛けた。

 さっき飯は食ったばかりなので、手には何処の店のトレイも持ってはいなかったが、フードコートをただの待ち合わせ場所に利用する客も少なくないため、誰も見咎める事はない。

 後ろの二人も、俺の存在になど気にする様子もなく、会話を続けていた。


「――憶えてない、なんてことないだろ。俺だよ、松山恭介(まつやまきょうすけ)

「……そう言われても、私は貴方に覚えがありません。人違いじゃないですか」


 俺が席について、まず聞こえたのはそんな会話だった。

 弾んだ声で明るく話し掛ける男に対し、彼女の返事は素っ気なく、半ば敵意さえ滲んでいる。


「嘘だぁ。じゃあ何でそんな顔すんの? 明らかに、俺が急に現れて、めっちゃ吃驚した顔」

「いきなり話し掛けられたからです」


 松山と名乗った男は、彼女にそう言われて、呆れたようなため息を吐き出した。


「まだ俺の事怒ってるんだ?」

「何のことか分かりません」

「ごめん。あの頃、本当にお前の事、凄く傷付けた。この通り謝るから」


 松山は彼女の言葉を無視して、そう謝罪の言葉を口にした。

 それこそ何の話かなんて俺にはさっぱりだが……何だか、言葉に誠意が感じられないのは俺の気のせいだろうか。


「……いい加減にして下さい。知らないと言ったら知らないんです。人違いですよ」


 彼女もそれを感じたのか、単に松山と関わりたくないのか、心底鬱陶しそうに言うと、読んでいた手紙を乱暴にバッグに仕舞い、立ち上がった。

 だが、その手を松山が掴んで引き留める。


「何いつまでも根に持ってるんだよ。もう何年も前の事だろ」

「離して下さい」

「昔の事は水に流して、この後少し話さないか」

「離して」

「まあいいからいいから。時間は取らせないし」


 彼女の話を全く聞かない松山は、強引に彼女を引っ張って行こうとする。

 周りの人達も、流石に少し不穏な空気を感じたのか、不審な目で二人に視線を送っているけれど、止めたり助けたりしようとする者は誰も居ない。

 ちらりと後ろを振り向けば、松山の横顔が見えた。

 とても、きちんと謝罪を口にしたとは思えないくらいに軽薄な笑顔で、もう何ていうか、それこそ、「昔の事なんだから一言謝ればいいだろう」という安易な気持ちでいることが一目で窺えた。

 そんな松山と、心の底から嫌そうな顔をしている彼女を見ていたら。

 またまた俺の体は、勝手に動いた。


 どん! とわざと勢いを付けて椅子から立ち上がる。

 膝裏で押し退けた椅子は、その勢いのままひっくり返り、大きな音を立てて床に倒れた。

 その過程で、椅子の背凭れが松山の尻に当たり、「痛て!」と声を上げる。


「ああ、すみません! 何か勢い余っちゃって。大丈夫です?」


 俺はわざとらしく慌てて倒れた椅子を起こし、元に戻した。


「どうもすみません」


 後頭部に手を当ててへこへこ詫びると、松山はぶつかった尻を擦りつつ、少々不快そうな顔をした。

 その隙に彼女は松山の手を振り払うと、逃げるように走り去る。

 松山は彼女を無理に追い掛けるようなことはしなかったが、代わりに、俺をぎろりと睨み付け、どん、とわざと俺にぶつかって、去って行った。

 あからさま、というか、とっても分かり易い男だ。

 女に間違いなく嫌われるタイプだな。

 松山の言ってた通り、彼女が松山を知らないと言ったのは多分嘘だとは俺も思うが、嘘じゃなくても関わりたくない気持ちも分かる気がした。

 ……全く、何やってんだかな、俺は。

 ただ数回浜辺で見掛けるだけの、一方的に知ってるだけの女性に、妙な助け舟を出した自分の行動にちょっと驚き、半ば呆れる。

 まあ、何にせよここにもう用はないし。

 今度こそ、事務所に帰るとしよう。



 □□□



 遅いわよ、という柚希の叱責に詫びながら、俺は自身のデスクに戻って指令書を広げた。

 週に二度のペースで県警から送られて来る指令書には、事件の概要は勿論、容疑者や逃亡犯、指名手配犯の個人情報が綴られた資料も添付されている。

 俺は指令書に書かれた全ての情報を総合的に鑑みて、割り振る人員を決める。

 慎重に、食い入るように、何度も何度も読み返していく。

 以前にも増して俺は、送られて来る指令書をしっかり読み込むようになった。

 華月の時のようなミスは、もう繰り返したくない。

 一度デスクに就けば、俺の頭からは自然と、先程の出来事など隅の方に追い遣られていた。

 新入りがここに到着するまで一時間もない。

 それまでに、割り振りを終わらせなくては。

 そう思い、夏鈴が淹れてくれた珈琲にも手を付けず、指令書のファイルを捲っている、と。


「っ、」


 二冊目のファイルにして、手が、止まった。


 昨日見た夢は、この前触れだったんだろうか。

 広げた指令書のファイルに書かれた事件の概要と、指令を見つめ、俺は、無意識に奥歯を噛み締める。

 久しく、こういったタイプの指令は来ていなかったから、ちょっと油断していた。

 目を伏せ、小さくため息を零しながら、俺はページを開いたばかりのファイルを、そっと閉じる。


「――柚希」


 そうして、夢に出て来た張本人の名を、低い声で呼んだ。


「はい」


 そんな、俺の声音に気付いたんだろうか。

 一瞬、柚希はきょとんとした顔になったが、すぐに表情を引き締め、きちんとした返事をすると、俺の目の前に歩み寄って来た。

 俺は、閉じた分厚いファイルを一冊、徐に彼女に差し出す。


「任務だ。その“会社”の犯罪の全容を掴め」


 俺の命令に、柚希は微かに眉を顰めつつ、ファイルを受け取ると、その場で開く。

 ――その瞬間、彼女は静かに、すぅ、と目を細めて。


「承知しました」


 と、頭を下げた。

 夏鈴と賢吾には、単に、普通に任務の申し渡しに見えたことだろう。

 けれど、二人は勿論、除名になった華月も、知らない。

 柚希に任務を言い渡す。柚希が任務を言い渡される。

 そこに、「普通」とは違う意味合いが、含まれていることを。

 柚希はファイルを小脇に抱え直すと、一瞬だけ儚く笑んで、踵を返して自分のデスクに戻って行った。

 事務所のドアがノックされたのは、それとほぼ同時だった。

 全員がドアの方を振り向き、大なり小なり緊張感を纏う。

「蝙蝠」の事務所に、基本的に来客はない。

 あるとしたら警察のお偉いさんが忍びで来るか、たまに昼飯に宅配ピザを頼んだ時くらいだ。

 既に全員昼食は済んでいるし、前者ならばそもそもノックなどせずに不躾に入って来る。

 今日この時間帯、他に来客があるとしたらそれは……今日入隊予定の新入り、で間違いないだろう。

 俺は、広げていたファイルを全部閉じて、夏鈴に目配せをする。

 ドアに一番近い席に座っていた彼女は、俺に一つ頷くと、ゆっくりと、慎重に、ドアを開けた。


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