コウモリから人へ
三人で外に出た瞬間、外で待機していた柚希達が、一斉に俺達の元に駆け寄って来た。
相当の重傷で気を失ったままの城嶋を賢吾に預けると、俺はインカムを取り出して、スイッチを押す。
「――瀬川華月、並びに城嶋丈、確保」
無機質な声で手短にそう告げれば、今度はそこかしこの建物や木の陰から、スーツ姿の男達がわらわらと出て来て、その辺に駐車していた車は赤ランプを灯す。
その様子を、俺達は静かに、けれど、痛みを耐えるような気分で眺めていた。
「華月……」
警官達が華月に歩み寄り、連行するより前に、柚希が今にも泣き出しそうな声で華月を呼ぶ。
だが、華月は、柚希の声に答えることはなく。
“蝙蝠”の仲間全員と一度しっかりと目を合わせて、深く、深く、一礼した。
誰も、何も言わぬまま、華月は警官達に連れて行かれて、城嶋は、駆け付けた救急車に乗せられ搬送されていく。
俺達はただ……やり切れぬ思いで、その様子を、じっと、見つめ続けた。
□□□
看守の一人に連れられて、俺は、拘置所の、狭い面会室の一つに、通された。
ドアの小さな灯り取りの窓以外、光を通すもののない、無機質で静かな室内。
透明なアクリル板の向こうに、こちらとほぼ造りのスペースがある。
俺はそのアクリル板の前に置いてある椅子に腰掛けると、奥の扉が開かれるのを、じっと待った。
漸く、ここに来られた、というのが正直な心情だった。
が、「蝙蝠」の隊長として、今日俺がここに来たのは、必然であり義務であり、執務、だった。
――あれから一ヶ月。
華月の得た情報のお陰で、今まで警察が掴み切れていなかった組織がいくつか壊滅まで至り、結果として、華月の潜入捜査は期待以上の功績を上げた。
だがその経緯は結果を差し置いても看過出来るものではなく、俺達「蝙蝠第七小隊」のメンバーは、警察幹部達からの尋問……取り調べ等々を受けることとなり、相応の処罰を受けることとなった。
事後処理に追われ、報告やら何やらに追われ、ほとんど不休で働いて、やっと今日。
俺は、ここに、やって来た。
ものの数分と経たずうちに、向こうの扉が開き、看守に連れられて、一人の男が姿を現した。
つなぎのような服を纏い、疲れ切ったような……それでいてとても静かな顔をした、華月だった。
ガラス越しに向かい側に座ると、華月は俺の顔を見て、小さく笑った。
「隊長……」
「……らしくねえ顔だな。急に……おっさんになった」
「えええ……酷いなぁ……」
苦笑交じりに冗談を言えば、華月も乗って笑う。
だがもう、あの事務所でやり取りしていた時のような軽快さも、気軽さも、俺達の間にはなかった。
いつもなら一度話し始めると、ずっと喋ってる華月だけれど、今日は、消え入りそうな微笑みを浮かべたまま、口を開かない。
面会時間は限られている。
それに俺は、華月と談笑するためだけに、今日ここへ来た訳じゃない。
……言わなくてはならないことが、ある。
隊長として。上司として。
俺は覚悟を決めると、一度目を閉じて、深呼吸をする。
「……華月、ごめんな」
そうして、まず、そう、言った。
「……いきなり、何すか」
「今回、お前がこんな騒動起こしちまったのには、隊長として、俺にも責任がある。
俺達の捜査なら、城嶋の悪行を事前に調べ上げるなんて、造作もない事だったのにそれを怠り、たかだかホストクラブへの潜入捜査だと甘く見て……お前に、こんな愚行に走らせちまった。
だから……ごめん。隊長として、謝る」
「……、」
「すまなかった」
言いながら、俺はテーブルに手を突いて、深く頭を下げた。
メンバーの失態は、隊長である俺の責任だ。
実際、俺がもっとちゃんと慎重に、重く事態を受け止め見据えて、きちんと的確な判断を下していれば、華月は、もっとちゃんと……「蝙蝠」のメンバーとして、お袋さんとお姉さんの仇を取ることが出来ていた筈。
犯罪者を捕まえるために、犯罪者だけで構成された極秘部隊。
その隊長を務める以上、俺は、どんな小さな判断ミスも、油断も、許されない。
その許されない判断ミスを、俺は、犯してしまった。
だから今回華月に、こんな真似をさせてしまったんだ。
そう痛感していた俺は、華月に会ったらまず、謝らなくてはと決めていた。
後悔に押し潰されながら、額をテーブルに付けて詫びた。
……すると、暫くして、華月が大きく息を、吐き出した。
「……隊長、俺……そういうのマジ、胡散臭いって思ってたんすよね。
下が馬鹿やった時、上の、上司とか親兄弟とかが頭下げて“私の責任です”って言うの。
そう言って同情買おうとしてるみてえだって。
本気で、下の奴の馬鹿、自分のせいだって思ってる奴なんかいねえだろ、って」
「……、」
「けど……あんたは、違いますよね。
俺の知ってる、第七小隊の黒咲大和隊長は……
だから皆、あんたの下に居る」
ゆっくりと顔を上げて、半ば、恐る恐る華月の顔を見遣れば……。
彼は、とても、すっきりした目を、していた。
「大和隊長。詫びなきゃなんないのは、俺の方です。
今回の事……ほんとに、色々、すみませんでした……」
そうして彼は、俺と同じように頭を下げる。
「それから……ありがとうございました。俺の事、止めてくれて」
「え……?」
「正直、ここに入って最初の頃は、時々、城嶋の事さっさと殺しておけば良かったかもなって、思うこともあったんすけど……今は、何処か、ほっとしてるっつうか……隊長が止めてくれて、良かったなって思うんです」
「……そうなのか?」
「はい。だから、ありがとうございました」
憑き物が落ちたような、穏やかで優しい、表情だった。
初めて見る表情だった。
けれどこれが、時に子供っぽくて、賑やかで明るい普段の華月の、俺達と出逢う前の本当の彼の姿なのかもしれないな、とも思う。
その穏やかな瞳が、俺を真っ直ぐ捉え、ほっとしたような輝きは、俺に、優しく語り掛けていた。
もう、大丈夫だよ、と。
――何だか、泣きたくなった。
けれど俺は、ここで泣く訳にはいかなかった。
再び、大きく息を吸い込んで、吐き。
しっかりと、微笑む華月の、優しい瞳と目を合わせて。
「瀬川華月」
決して短くはない間、苦楽を共にして来た仲間の名を、唇に乗せて。
「お前を」
そして、告げる。
今日俺が、本当に、言わなければいけない、言葉を。
「お前を……“蝙蝠”第七小隊より、除名する」
お前はもう“蝙蝠”の一員ではなくなり、ただの、犯罪者へと逆戻りとなり。
二度と、俺達と会うことも、言葉を交わすこともない。
それが……潜入捜査中に規約違反を犯し、一般市民に危害を加え、容疑者に許可なく不要な暴行を加えた瀬川華月への、警察と、俺が下した処罰、だった。
その、除名処分を言い渡した、瞬間。
華月は、決して動じることもなく、泣く訳でもなく。
ただただ静かに微笑みを浮かべて――
「……はい。長い間……お世話に、なりました」
そう、言って、再び、深く、頭を下げたのだった。
タイミングを計ったように、俺の背後でドアが開く。
俺に与えられた面会時間が差し迫っていたので、華月は俺を迎えに来た看守だと思ったことだろう。
だが、その、開けられたドアの向こうから姿を見せたのは……看守では、なかった。
「……、っ」
椅子から立ち上がって振り向くと、俺が予想していた通りの女性が、そこに、立っていて。
華月は笑みを消して、目を見開いた。
「……紗、矢……」
呆然と呟かれた名に、彼女……紗矢は一瞬、気まずそうに目を逸らす。
狼狽える華月だったけれど、俺は別段何も驚いてなかった。
そりゃそうだ。今日彼女を呼んだのは、この俺なんだから。
俺は小さく笑みを浮かべて立ち上がると、そっと彼女の側に歩み寄った。
「俺の面会時間はここまでだ。そしてこの瞬間から、俺とお前の関わりは一切なくなった。
後の事は……お前らで決めればいい」
「隊長……!」
「――達者でな、華月」
それが、俺にとっては最後だった。
ドアで立ち尽くしたまま動けずにいる紗矢ちゃんの肩を、励ますように、応援するようにぽん、と一度叩いて。
俺は、自分でドアを閉めて、拘置所の出口に向かって歩き出した。
その後、二人がどんな会話をして、どんな答えを出したのか。
俺は勿論、知る由もない。
第一話 終