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何者にもなれない蝙蝠達  作者: 和菜
そして蝙蝠は羽を捨て
29/29

幸福色の地を歩く

 

「、っ、……!」


 驚愕故の反動か、桜花は身を強張らせて逃れようとした、けれど。

 ――逃がせる訳が、ない。

 俺に罪を擦り付けた男の妹で、何なら彼女自身も“人殺し”で、地味で化粧気もなくてお洒落に気を遣う気皆無で、容姿もお世辞にも美人とも可愛いとも言えない。

 それがどうした。それが一体何だって言うんだ。

 そんな、本人に責任がない境遇も、過去の過ちも、本人の趣味嗜好も、どうでもいい。

 やばいな、と、理性が俺に警告を放つ。

 ――恋愛感情ってのは、つくづく恐ろしい。

 一番最初に浜辺で見掛けた時は、好きになる要素なんて、ない、と半ば確信さえしていたのに。

 本気で理性がぶっ飛ぶ前に、唇を離して、額と額をくっつける。


「もう、そんなに長くは待たせないよ。そんなことをする必要も、なくなったから」

「え……?」

「俺はもう、長いこと君の側を離れることは絶対ない。

 今回の出張は、そのための最後の仕事だったんだ」

「……どういうこと、ですか?」

「今の事務所から、独立することにしたんだ。

 個人の探偵事務所を開いて、細々とやって行こうと思ってる。

 警察と関わることも少なくなるだろうし、個人経営だから、出張も少なくなると思う。

 その前に、片付けないといけない仕事があって、そのために今回長期で出張してたんだ」


 俺の突然の報告に、桜花が口をぽかんと開けて俺を見つめる。

 言うまでもなく、本当のところは、“蝙蝠”という極秘部隊を脱退し、ただの前科持ちの一般人として、社会復帰するということ、なのだけれど。

 探偵事務所を開く、というのは本当だ。

 退院して地元に戻ったら、手頃な物件を探して事務所を開く。

 “蝙蝠”で培ったスキルを、クリーンに活かそうと思っている。

 この数日、ずっと考えていた事だった。

 ちなみに、既にネットで物件も探し始めている。


「だから。ね、桜花」

「……、はい」

「俺の仕事、手伝ってくれないか?」


 合わせた額を離して、先程よりずっとぽかんとした顔で、瞳に困惑と驚愕を映して、俺を凝視した。

 桜花の元へ帰ったら、真っ先に伝えるつもりだった想いを、伝える時が、来た。


「勿論、一緒に探偵やれって言う訳じゃなくて、書類の整理や管理とか、依頼人が来た時のもてなしとか、そういうの。

 俺、そこんとこ不得手だし、桜花が引き受けてくれると、とても助かる。そんで」


 一旦、そこで言葉を切る。

 改めて覚悟を決めて、すぅ、と静かに一つ息を吐き出して。


「そんで、仕事が終わったら、一緒に事務所を出て、一緒に同じ家に、帰って欲しい」


 桜花が目を瞠る。

 今度ばかりは、それはどういう意味だ、という疑問は浮かばないだろう。


「もう、君を一人置いて何処へも行かない。

 たとえそういう仕事が出来ても、長いこと君を一人にさせない。

 小まめに連絡をして、君が嫌になるくらい、飽きるくらい、側に、居る。

 ――これは約束じゃない。

 俺の……一生を懸けた誓いだよ」


 受けて、くれる?


 一生を懸けた誓い、と言われて、桜花の顔に一気に熱が集まる。


「い、一生、って……っ」

「うん」

「そ、それは、一体、どういう……!?」

「どういう、って、だから……そういう意味だってば」


 四ヶ月前と全く同じことを訊くから、俺も全く同じ言葉で返した。

 まさか、ここへ来て「どういう意味だ」と訊かれるとは思ってなかった。


「分かっててわざと惚けてんのか? それとも、マジで分かんねえのか?」


 わざと拗ねたように言いながら桜花の顔を覗き込めば、彼女は顔を逸らして俯いた。


「はたまた……ちゃんと、はっきり、言葉で言って欲しいのか?」

「……っ」

「なあ、桜花」


 静かに、けれど敢えて鋭利な声音で名を呼ぶ。

 そのまま俺は、彼女の体をぐっと押して、壁際に追い込んだ。

 逃げられないよう、両手首を掴み、目を逸らさせないよう額をくっつける。

 面白いくらいに身を強張らせて、瞳に怯えの色さえ浮かばせる桜花の姿に、背筋がぞくりと粟立った。


「分からねえ程、無垢なつもりじゃねえだろう?」


 そんな言い方は卑怯だと分かっていながら、俺は敢えてそんな言葉で追い詰める。

 今にも泣き出しそうに瞳を揺らした桜花は、僅かな沈黙の後、震える唇を、漸く、開いた。


「っ……分かりたく、ない、です……」

「……、何で」

「だって、分かってしまったら、認めなくちゃ、いけなくなるじゃないですか……

 ずっと大事に仕舞っておくつもりだったのに……夢のままで良い、って、思ってたのに……」

「……そんなに、俺を好きだって認めるのが、嫌だってのか?

 俺と一緒に生きる未来を、夢のままで終わらせるのが、お前の望みだってのか?」


 意図せず責めるような口調で問い質し、手首を掴む手の力を強めてしまう。

 そんなの、いくら何でも、俺に対して酷過ぎる。

 だけど。

 桜花は、尚も、言う。


「だ、って……だって……私、は……」


 だって、と。

 その言葉を封印したくて、俺は再度彼女の唇を強引に奪う。


「っ、……駄目、です……」


 顔を背けて尚も抗う桜花に、俺は苛立ちと切なさを募らせるけれど。

 その拒絶が、あまりにも苦しそう、だったから。


「――駄目だって言っても駄目。俺は君を……愛してるから」

「っ、……」

「なあ、桜花。

 俺は君を愛していて、そして君も、俺を愛してる。

 それ以上に、それ以外に、一体何が、どんな理由や許しが必要なんだ?」


 桜花が俺の気持ちを受け入れることを恐れる理由は、何となく察しが付いている。

 だが、それを言うなら俺だって、同じ。

 でも――それでも。

 たとえ、誰にも、神様にさえも、許されなくても。

 俺は、桜花と一緒に、もう一度、“人”として、生きたい。


 だから――聞かせて欲しい。

 俺が今、欲しくて欲しくて堪らない、一言を。


「……っ、私……かなり、めんどくさい、ですよ……?」

「いいよ」

「こう見えて、結構、執念深いし、嫉妬深い、し……」

「むしろ光栄だな」

「ノロマだし、要領悪いし、人見知りだし……」

「その辺をフォローし合ってこそ、パートナーだろ?」

「……胸、とか、ぺったんこ、だし」

「そこは割とどうでもいい」

「……あと、私……私も、本当は……――人、を」


 そこから先を紡ぐ前に、俺は桜花の顎を持ち上げた。

 それ以上の言い訳も、前置きも、口実も、聞く気はない、という意志表示。

 すると桜花は、瞳に涙をたくさん浮かべて。


「――私、も……黒咲さんが、好き、です……」


 やっと、そう、言ってくれた。

 欲しくて堪らなかった、聞きたくて堪らなかった、その、言葉を。


 俺は、桜花をもう一度、抱き寄せて。

 今度はそっと、震える唇に、キスを落とした。



 □□□



 一週間後、俺は退院と相成った。

 即死でも不思議でなかった男が、昏睡状態から目覚めた後、通常より少々早い回復を見せ付けて、医者も看護師も感心交じりに驚いていた。

 まあ、警察官と同レベルかそれ以上の鍛錬を積んで来た身なので、自分としてはあまり驚いていない。

 桜花が持って来てくれた服に身を包み、スマホと家の鍵と財布を鞄に詰めて帰り支度を整える。

 拳銃は本部長が密かに持って行った。スマホも実は新しい機種で、“蝙蝠”を脱退した三日後くらいに、送られて来た。


『元々持っていた方のスマホと交換して、また本部に送り返すように』


 簡潔なメモは、本部長の筆跡だった。

 元のスマホには、柚希達の連絡先や本部長の連絡先、その他“蝙蝠”の痕跡がデータとして残っている。

 “蝙蝠”を抜けた以上、部外者となった俺がそれを所持しているなど言語道断、ということだ。

 理解した俺はメモの指示通り、元のスマホを、新しいスマホが入っていた箱に入れて、病院のコンビニで郵送の手配をし――着払いで良い、って書いてあったので、そうした――本部に送り返した。

 これで正真正銘、俺と“蝙蝠”、警察組織の繋がりは一切なくなった。

 新しいスマホに登録されているのは、桜花の連絡先だけ。

 LINEの友達も、桜花だけ。

 孤独なアラサーみたいになってしまったが、心は踊り出しそうなくらい晴れ晴れとしていた。


 午後一番に、桜花が病院に迎えに来てくれた。

 あの後聞いた話だが、桜花は、四ヶ月前の、俺が去ったあの日、会社を解雇されたそうだ。

 SNSで散々晒し者にされた時、桜花の勤務先まで晒されていたのだ。

 と言っても、鎮火される直前だったために、そこまで広範囲に知れ渡ることはなかったらしいが、運悪く、会社の幹部の一人がそれを目にしてしまった。

 当人が犯罪を犯した訳ではないのなら何も問題視しなかったが、SNSで会社名まで晒されてしまっては、会社の経営と将来に関わる。

 そう言われて、本来ならば非正規のスタッフには支払われる筈のない退職金を、秘密裏に桜花に支払うことを条件に、事実上の解雇を言い渡されたらしい。

 それを聞いて俺はかなり腹が立ったが、「どの道、環境の悪い職場で、退職を視野に色々考えていた頃だったから、むしろちょうど良かった」と桜花が笑うので、それについては俺もこれ以上怒らないことにした。

 もっと言えば、「心置きなく即刻黒咲さんの所に行けますから、却って良い事尽くめの解雇ですよ」などと言われてしまっては、腹立ちも治めるしかなかった。

 ……これから忙しくなる。

 “蝙蝠”ではなく、本物の“探偵”として、依頼人の役に立てるように奔走しないといけない。

 犯罪者を捕まえるためではなく、困っている人を助けるため、に。

 言葉にすると、何だかキャラが違い過ぎて苦笑が漏れる。

 でも――それも、悪くない。


 世話になった医師や看護師に簡単な挨拶をして、俺は桜花と一緒に病院を後にした。

 冷たい風が頬を掠めて、そういえばもう冬なんだな、と妙にしんみりと思う。

 三ヶ月も眠ったままだったから、何だか浦島太郎にでもなった気分だった。

 俺達は病院から真っ直ぐ駅に向かい、地元に向かう新幹線の切符を購入した。

 道すがら、繋いだ手は思っていたより小さくて、ちょっとだけ冷たかった。


「私の手、冷たくないですか……?」

「冷たいよ。もしかして、冷え性?」

「……はい。すみません……」

「何で謝るんだよ。ほんと、俺に謝ってばっかだな、桜花は」


 くすくす笑って、指を絡める。

 桜花はあからさまに戸惑い半ば慌てたけれど、無論、解いてやるつもりはなかった。

 駅では十分程待って、新幹線がホームに到着した。

 指定席券に表示された席に座る。自由席の方が安くつくが、桜花と離れずゆっくりしたかったから、指定席を取った。


「――あの、黒咲さん」


 不意に、桜花が少し畏まった様子で俺の名を呼んだのは、新幹線が発車して、すぐのこと。

 何? と問うと。


「今更、こんなこと訊くのも何ですけど……どうしても、気になるので……」

「……何の事だ?」

「……私に、黒咲さんが入院なさっていることを教えて下さった、あの、狩谷さんという女性の方は……黒咲さんの、同僚の方、でいいんですよね……?」


 何処か躊躇うように尋ねられた問いに、俺は、思わず目をぱちくりさせた。

 瞳には不安げな色さえ揺れていて、一瞬、桜花が何でそんな目をして、そんなことを気にしてるのか、内心首を傾げた、けれど。

 そういえば俺、桜花の前で思いっきり柚希のことを、下の名前で呼び捨てしたっけ。

 あの時の、桜花の一瞬傷付いた顔を思い出し、ああ、と納得する。

 つまり。


「何だよお前、もしかして俺とあいつの関係が気になって、内心やきもきしてるのか?」

「そ、そんなんじゃ、ない、ですけど……っ」

「大丈夫。あいつはただの同僚だよ。まあ、事務所辞めちまったから、元同僚だな」


 ――まあ、確かに枕を共にしたことも、何度もあった、けど。

 口が裂けても言えない事実を、そっと心の中で呟いた。呟いた途端、胸が痛くなった。


「安心した?」

「っ……、はい……」


 ――ごめん、桜花。

 俺は君の秘密を意図せず知ることになったけれど、俺は、俺の秘密どころか、本当の事さえ、何一つ、明かせない。

 犯罪者を捕まえるための、元受刑者だけで構成された極秘部隊に所属していたことも、そこで隊長やってたことも。

 必要なら、銃を人に向けて撃つことも躊躇わなかった。多くの人を傷付けた。

 柚希を何の感情も気持ちもないまま幾度となく抱き、捜査上で、彼女以外の女を抱いたこともあった。

 そして……ゴミ溜めの“蝙蝠”部隊を恙なく束ねるために、従わせるために。

 隊員を粛正し、その命を奪った事も、ある。

 他にも、色々……俺は、人に危害を加えることのない一般人のふりして、汚い事ばかりやって来た。

 桜花の指を絡め取り離さないこの手は、真っ赤な血で染まっている。

 これから先、どれだけ多くの人々の役に立とうとも、どれ程の幸せを桜花にあげることが出来ても、“蝙蝠”として俺がやって来たことは、“人”に戻った俺が背負わなくてはならない、決して許されない罪。

 誰も裁く者のない代わりに、俺は一生、桜花に全ての真実は明かせない。

 ずっと隠し通して、騙し通さなくてはいけない。

 初めて本気で好きになった相手を、心の底から愛した人を、欺き通して生きる、それが、この幸せの対価。

 ――覚悟なら、とっくに出来ている。

 本部長に、“蝙蝠”の即時脱退を、願い出た、あの瞬間から。


 俺は、“蝙蝠”ではなく、“人間”として、生きていく。


「、……桜花?」


 ふと、桜花の目が、とろん、と今にも閉じてしまいそうになっていることに、気付く。


「眠いのか?」

「……はい。ごめんなさい、私、子供の頃から乗り物に乗ると、途端に眠くなる質で……」

「そうなんだ。いいよ、寝てて。着いたら、起こしてやるから」

「……でも……」

「おいで」


 俺を気遣って、寝るのを遠慮する桜花の体を引き寄せて、頭を俺の肩に凭れさせた。

 髪を梳くように撫でると、重そうな瞼が徐々に徐々に下がっていき、桜花の体重が俺の体に圧し掛かる。

 三十をいくらか過ぎた後で、こんな、純粋な気持ちで女に触れる日が来るなんて、夢にも思わなかった。

 ――幸せなんて、どうでも良かった。

 そんなもの、欲しいと思ったことさえ、なかった。

 だけど、今は。

 俺を包み込んでくれるこの幸せを。

 俺が包み込んだこの幸せを。

 絶対に、手放したくないと、強く、思う。


「――桜花、ありがとう。愛してる」


 ――“蝙蝠”は羽を捨て、地面に降り立つ。

 何処へでも行ける羽はもう要らない。

 いつでも獣になれる毛並みはもう要らない。


 何物にもなれて、何者にもなれない“蝙蝠(じぶん)”は、もう、要らない。

 俺は黒咲大和。

 憎しみも悲しみも羽と共に捨てた俺が、愛をくれて、愛を与えたいと思えた、ちっぽけな女の子と共に、“人”として生きる日々が、始まった。




 完


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