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何者にもなれない蝙蝠達  作者: 和菜
コウモリの長
25/29

あばよ

 

 看守の一人に連れられて、狭く、薄暗い一室に通される。

 ここに来るのは、もう何度目になるのか。

 それを数えるのは流石に馬鹿馬鹿しいが、最後に来た日、のことは覚えている。

 最後に来たのは……もう、半年以上前のこと。華月の除隊を、伝えに、来た時。

 何度来てもここの雰囲気は好きになれない。

 ややあって、アクリル板の向こう側の部屋に、看守に連れられて男が一人、やって来た。

 今回の、俺の、面会相手――夏目優一朗。

 無精髭を薄く生やし、辛気臭い囚人服を纏い、顔に静かな怒りを漲らせ、椅子に座る。

 俺も、こちら側の椅子に座ると、彼の顔をじっと見つめた。


「いい(ざま)ですね、夏目先輩」

「黒咲、お前……よくも俺を売りやがったな」

「売る? 馬鹿も休み休み言って下さいよ。人に自分の罪を擦り付けた挙句見捨てたあんたなんて、売ったって利益も得もありません。

 俺はただ、自分の仕事を果たしただけです」

「……その仕事ってのが、警察の犬って訳か。それとも、やくざか?」

「どっちでもないです。まあ一つ言えるのは……

 今の俺は、あんたより上だ」


 一旦言葉を切って、意識して皮肉と嘲笑をたっぷり含んだ笑みと声で言ってやれば、優一朗は瞬時に頭に血を上らせて、アクリル板越しに俺に掴み掛ろうとしてくる。

 勿論、後ろに控えていた看守に取り押さえられたけれど。


「あんたと無駄話に興じるつもりはない。質問に答えてもらおうか」

「調子に乗んなよ、このチンピラが! お前だって前科者のくせに、上から目線で命令するな!」


「黙れ」


 一瞬で笑みを消し、“蝙蝠”隊長としての俺の顔を、垣間見せる。

 短く低く言い放てば、優一朗は息を呑み、怯んだ。


「貴様こそ、自分の立場と分際を弁えろ」


 とうに心の奥底に沈めた筈の殺意が、またぶり返して来そうだった。

 けれど俺は内心必死でそれを押し留めて、ただじっと、優一朗を睨め付け続ける。

 やがて、優一朗は、どん! と一度テーブルを拳で叩き、俺からぷいと目を逸らした。


「――何故、自分の妻を殺した」


 そうして静かに問えば、僅かな沈黙を置いて、吐き捨てるように彼は答えた。


「あいつ、俺のやることにいちいち文句言いやがる上に、いちいち命令して来んだよ。

 母さん達の様子をちょくちょく見に帰れば、ちょっと帰り過ぎだ、休みの日くらい少しは家事をしろ、とか。

 仕事の日も、帰った後ちょっと家事とか片付けを手伝って欲しいって言うからやってやれば、取り掛かりが遅いだの要領が悪いだの。

 挙句喧嘩の度に俺のことを“マザコン”だの“時代遅れの甲斐性なし”だの馬鹿にしてさ。

 全く冗談じゃねえよ。子供が親の様子気に掛けて何が悪いんだっての。

 大体、家事は妻の仕事だろ。手伝ってやってるだけでも有難く思うべきなのにああだこうだ難癖付けやがって。

 そもそもあっちが俺に惚れて結婚したんだ。惚れた相手の身の回りの世話くらい文句言わずちゃんとこなせってんだよ。

 自分の仕事もちゃんと出来ねえくせに、俺に文句ばっか垂れやがって」


 ――聞くに堪えない、とは、正にこのことだった。

 結婚後、親の有難みを痛感し、暇を見付けては様子を見に行く。

 そう言えば確かに立派に聞こえるかもしれないが、こいつの帰省は、親を気遣っての事ではない。

 単に、自分の飯の世話をしてもらいに行ってただけだ。

 こいつは妻や母親を奴隷か何かと勘違いしているんだろうか。

 夫婦共働きにも関わらず、女は家を守り、家事育児を一人で完璧にこなして当然、なんてのは最早時代錯誤の暴論だ。

 そんなこと、結婚してない俺にだって分かる。

 実際俺は、そういった事が原因で夫や夫の両親に追い詰められ、ついにはそのどちらかに重傷を負わせてしまった妻を、幾度となく見たことがある。

 真緒さんが、家事と言う名の仕事をちゃんと出来なかった駄目な女だというなら、夏目優一朗は、四十にもなろうというのに自分で自分を食わすことも出来ない“大人のなり損ない”だ。

 こんな奴に惚れて、こんな奴に身も心も捧げて、挙句の果てに最期は、こんな奴に殺されて命を終えてしまう、なんて。

 真緒さんが哀れで仕方なかった。


「……もう一つ。何故、妹さんを……桜花を置き去りにして逃げたんだ」


 努めて冷徹に、最後の質問を唇に乗せる。

 実を言うと、こっちが本題だった。


「あんたは……学生時代は確かに、妹に対して多少なりとも思い遣りがあって、それを俺達にも垣間見せていた。

 七年前のあの時だって、妹のためにと言って俺に罪の肩代わりを懇願した。

 だってのに何で、彼女を見捨てるような真似をして、挙句罵るようなことをしてたんだ」


 今にして思えば、その“思い遣り”も、最初から偽りだったのかもしれない。

 そう思いつつも俺は、優一朗の返答を待った。

 すると彼は、そっぽ向いていた顔を、再びこちらに向けて。

 にぃ、と嘲笑を浮かべた。


「桜花……桜花、ねぇ」


 形勢逆転だ、とでも言いたそうな、歪んだ笑みだった。


「何? もしかしてお前ら、デキてんの?」

「………」

「そうか、分かったぞ。あいつだな? あの恩知らずで恥知らずの妹が、お前に協力したんだな?」

「よくもぬけぬけと。恩知らずで恥知らずなのは貴様の方だろう」

「はっ! あんな女に惚れるなんて、お前も大概だな。

 恩知らずなんだよ、あの馬鹿は! そんでとんでもない恥知らず!

 どうせあいつはお前に捨てられるのが怖くて言ってないだろうけどな、あいつは真っ当なふりしてとんだ淫乱女だぞ!」


 ぴく、と、無意識に片眉が跳ねた。

 調子に乗った優一朗がそれを見逃す筈もなく、さっきまでビビってたくせに、妙に饒舌に妹への暴言を吐き始めた。


「あいつはな、大学時代、生まれて初めて出来た彼氏との間に子供を身籠って、中絶までしたんだよ。

 その時の費用は、俺らの両親と相手の両親で折半。だが当然、決して安い金額じゃなかった。

 その後、あいつは大学をサボりまくって落第の危機、親が出してくれた学費も教材費も無駄にしやがった。

 一年足らずでそいつとは別れたが、結局その後大学も辞めた。改心して勉強して資格も取ったが、その費用もやっぱり母さん持ちだ。

 就活は失敗続きで、漸く仕事が決まったかと思えば、取った資格はまるで生かせない、むしろ何ら関係ない職種の、それも非正規!

 対して俺は、あいつが大学入る前からちゃんと介護士として立派にやってたからな。家に多額の生活費も入れて家計を支えてた。言ってしまえば、中絶費用だって一部は俺の稼いだ金だったって訳だ。

 なのにあいつと来たら、大した給料も貰えず、家にだって俺程仕送りも出来てなかった。

 散々俺や両親に面倒掛けて助けてもらってたくせに、俺や母さん達のやることにいちいちいちゃもん付けて、俺らが助けを求めたら全力拒否!

 あいつは、妹としても女としても人間としても使えない、傷物の恥晒しなんだよ」


 どん!!


 ――今度は、俺が、テーブルに思い切り拳を叩き付ける番だった。

 殺してやりたい。

 殺してやりたい……殺してやりたい。

 何故、こんな奴がこの世に生まれて来たんだ。

 何故、こんな奴がこの世で何不自由なく生きていられるんだ。

 何故……こんな奴が、“一人しか殺していない”からと、極刑に処されないんだ。

 どんな仕事に就いて、どんな雇用形態で、どれ程の額で親や家を支えれば立派なのかなんて、そんなの俺の知ったこっちゃない。

 自分が立派だって思うんなら、十分立派なんだろう。

 そんなの、それぞれが勝手に思ってりゃいい。

 けど……だけど。

 少なくともこいつの掲げる“立派”は。

 俺の認識する“立派”とは違うし、桜花を罵り貶す資格なんて、それこそ、これっぽっちもありゃしない。


「な、何だよ。自分の女馬鹿にされて怒ったのか? 俺は本当の事言っただけだぜ?」

「………」

「は、ははーん。桜花に隠し事された上に騙されてたから腹立ってんだろ? あいつはそういう女なんだって。大人しい顔して卑怯で姑息な女なんだよ」


 黙り込んでしまった俺に、優一朗は益々調子づく。

 だが俺は……桜花に対する怒りに震えている訳でも、彼女に幻滅している訳でも、ない。

 ここへ来て、あの晩、車内で桜花が自分の詳しい過去を話さなかった理由が、分かってしまった。

 そりゃ確かに……人に気安く明かせる事じゃ、ないだろう。

 俺は別段、そのことについては何の感情も抱いていない。

 死ぬ程知りたい事でもなかったし。

 俺が今、だんまりを決め込んでいるのは、そういうことではなくて。

 ――単に、一気に膨れ上がった殺意を鎮めることに、集中しているだけ、だ。


「これで分かったろ? あいつだって人殺しだよ。あいつに、俺を批難する権利なんてないんだ。むしろ、その尻拭いしてやった俺に感謝して、助けてやるのが恩返しだろうに、あの馬鹿妹、恩を仇で返しやがってさ」


 だけど……もう、大丈夫だ。

 がたん!

 俺は、わざと椅子を蹴り上げるような勢いで立ち上がり、一旦目を伏せると、すぐさま、冷淡な瞳を優一朗に向ける。

 そして。


「――訊きたかったことはそれだけだ。あばよ、夏目先輩」


 予想していた反応が俺から返って来なかったことに動揺してか、優一朗の目が、驚愕と困惑と、恐怖の色に染まった。


「お、おいおい……何強がってるんだよ……俺の話、聞いてただろ」

「ああ。お陰でよーく分かったよ。貴様が、救いようのない屑だってことがな」


 言い捨てて、俺は優一朗に背を向ける。

 用件の済んだ俺に、これ以上ここに留まる理由はない。


「先輩、昔のよしみで一つだけ忠告しておきます。

 あんた、このまま罪を反省せず、この期に及んでも自分は悪くないと言い続けるなら、下手すりゃ無期懲役で一生牢獄の中ですよ。

 まあ尤も、その方が世間のためでしょうけど」


 最後に、背中越しにそう言って。

 俺は、さっさと面会室を、後にした。


 外に出ると、俺は思わず深く深く息を吐き出した。

 胃の辺りが物凄くキリキリする。

 ブチ切れなかった俺を誰か褒めてくれ。

 まあ、何はともあれ、これで奴との因縁も先輩後輩のよしみも全てチャラである。

 もう二度と俺は彼と関わる気はないし、最終的には、気持ちの良いくらいスッキリした。

 ……桜花の過去のことは、内心、結構、驚いたけど。

 でも、本当に驚いただけだ。

 だからって別に、どうとも思わない。

 あの子のことだ、きっと、その過ちの重さは、とっくに、ちゃんと痛い程理解していると思う。

 それなら、つい最近出逢ったばかりの俺が、とやかく言う必要も、権利もない。


「んー……」


 大きく伸びをしつつ、もう一度、空に向かって息を吐き出す。

 淀んだ空気を体中から追い出すと、急に、妙に清々しく晴れ晴れとした気分に包まれていくようだった。

 今なら……どんなことでも、成し遂げられるような、気がする。

 ――本部長が、俺の“願い”を聞き入れる代わりに突き付けた、条件も。

 よし、と気合いを新たに、俺は、事務所とは違う方向へ歩き出した。


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