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何者にもなれない蝙蝠達  作者: 和菜
コウモリの長
24/29

コウモリが羽搏く夜

 

 夜も更け、そろそろ人々が床に就こうかという、時刻。

 とある町の、とある小さなアパートに、数名の男達が、ぞろぞろと現れた。

 全員きちんとした背広を纏い、緊張感に満ちた表情を浮かべている。

 そのうちの一人、先頭に立っていた四十半ばの男が、一階の端の部屋のドアの前に立つと、ゆっくり、右手を持ち上げた。


「……準備は良いか」

「はい。総員、配置完了しています」

「よし」


 インターフォンのボタンを押す前に、男は背後の部下に、確認する。

 そして。

 三度、立て続けにインターフォンを、鳴らした。


『はーい』


 中から聞こえたのは、少し高めの、女の声。

 恐らくは、夫人、だろう。

 鍵を開ける音が内側から聞こえ、その後すぐ、ドアが開かれる。

 チェーンロックの掛かったドアの向こう、現れたのは六十代くらいの女性だった。

 開いたドアの向こうに立つ、背広を着た数人の男達の姿を見て、女はぎょっとして、ドアを盾にするような姿勢を取った。


「あの、どちら様?」


 警戒心丸出しで、女が問うと、インターフォンを鳴らした男が、懐から、黒いものを、取り出した。


「警察です。夏目美子(なつめよしこ)さんですね」


 ぱか、と開かれたそれは、紛れもなく、警察手帳。

 男の顔写真と名前が、全面にきっちり表示されたそれと、男の質問を聞いて、女は一気に蒼褪めた。


「殺人、及び死体遺棄、犯人蔵匿と犯人隠避の容疑で、貴方方三名を拘束します」


 厳かに言いながら、男の傍らに立つ別の男が、懐から一枚の紙を取り出し、三つ折りにされたそれを、開く。

 ――逮捕状。

 それを見た、瞬間。

 女は、ドアをすかさず閉めて、鍵を閉めた。


「貴方! 優一朗! 警察よ!! 逃げて!!」


 中から聞こえた、そんな悲鳴のような叫び声。

 その僅か数秒後、更に奥の方から、慌てて飛び出すような二人分の足音が、響く。

 だがそれらの言動は、彼ら警察には、想定内のこと、だった。


 ――装着したインカムから、優一朗の母親が警察を足止めし、優一朗とその父親が、部屋の窓から逃走した旨が、耳が痛くなる程の怒声で伝えられる。

 往生際の悪い奴らだ。

 逃げればそれだけ、罪が重くなるというのに。

 それでも尚、自分達は悪くないのだから、捕まるなんて、捕まえようとするなんておかしい、とでも言うつもりだろうか。

 だが今度は……絶対に、逃がさない。

 闇に紛れ、俺は、銃にサイレンサーを取り付ける。

 さあ、“蝙蝠”が羽搏く時間だ。




「お父さん、こっち!」


 薄暗い路地を縫うように走る、二人の男達。

 面白いくらいに想定通りのタイミングで、そいつらは、俺の目の前に現れた。

 息せき切って姿を見せた、正に、その瞬間。

 ――パシュ!

 迷うことなく、躊躇うことなく、引き金を、引いた。

 サイレンサーのお陰で銃声は掻き消されたものの、放たれた銃弾は曲がり角のブロック塀に当たり、破片が僅かに弾け飛び、煙を燻らせる。

 何が起こったのか、なんて、優一朗達には到底理解出来る訳もなかっただろう。


「――手間掛けさせないでもらえますか。可能な限り、穏便に済ませたいんで」


 俺は、銃を構えたまま、思い出したようにぽつんと立つ街灯の下まで、静かに歩を進める。

 無機質な灯りに照らされた俺の顔を見た瞬間、優一朗の顔が驚愕と恐怖に彩られた。


「お、お前は……!」

「お久し振りですね、夏目先輩。でも出来る事なら、二度と会いたくなかったですけど」

「何でお前がここに……っ!? それに、その銃……!」

「あんたには知る必要のないことです」


 吐き捨てるように一蹴すると、俺は、もう一度、拳銃の撃鉄を起こす。


「そのまま大人しくしてて下さい。無傷で警察に引き渡したいんで」


 暗に、まだ逃げるようなら、次は確実に当てるぞ、という脅しのニュアンスを込めて言う。


「な、何だよお前……まさか、警察官になったのか!? いや、けど、犯罪者が警官になんてなれる訳……!」

「……その罪も、あんたが俺に下手な芝居で擦り付けた、半ば冤罪ですけどね」


 狙いを優一朗に絞ったままでゆっくりと彼らに近付きながら、俺は、僅かに忌々し気に呟いた。

 すると、優一朗の口許が、にやりと癇に障る笑みに歪む。


「はっ! 知るかよそんなこと! 大体、お前が善人ぶって、やってもいないことを“自分がやりました”っつって警察にほいほい捕まったんだろ!

 根に持つくらいならあの時断れば良かったじゃん! そうせずに服役した時点でもう全部、あの件はお前の自己責任、お前の罪! いちゃもん付けてんじゃねえよ!!」


 ――パシュ!

 得意げに、そう高らかに優一朗が宣った刹那。

 俺は……半ば無意識に、引き金を、引いていた。


 ――優一朗とその父に当たらなかったのは、不幸中の幸いだった。

 だが、個人的な、意思と感情としては。

 こんな時まで当てないように撃った自分に、反吐が出そうだった。

 ……殺してやりたい。この男を、今すぐに。

 こんな……こんな、奴の、ために。


「俺が善人ぶった馬鹿だってんなら、お前は何だ?

 人間ぶった溝鼠か?」

「どぶ……っ!」

「いや、お前みたいなもんと同じにされちゃ、溝鼠に失礼か」


 優一朗は分かっていない。

 俺は、警察官でもなければ、ただの前科者でもない。ましてや、ただの一般市民でもない。

 罪を犯しながら、逃げて逃げて逃げ回って、のうのうと生きてる罪人共をありとあらゆる手で探し出し、冷たい監獄の中へと導く、“蝙蝠”――その長こそが、この、俺。

 そのためならば――如何なることも容認された組織の、一部隊の、トップ。

 今の俺は、どんな事でも、出来る。

 ゆっくりと、近付きながら、再度、撃鉄を起こす。

 さっき撃った弾は、優一朗達の背後の壁に当たった。

 長年培った、職業的癖、みたいなもんで、咄嗟に狙いをずらしてたんだろう。

 けど、次は……そうは、いかない。


「――優一朗、逃げろ!」


 俺の殺気を肌で感じたのか、優一朗の隣で呆然と立っていた父親が、いきなり、俺に飛び掛かって来る。

 無謀にも程がある、が、俺にとっちゃ、このおっさんは今、至極どうでも良い存在だった。

 俺の銃を取り上げようとしたのか、父親……夏目典孝(なつめのりたか)は俺の右腕に半ば抱き着くようにして、俺を阻もうとする。

 だがそんな行動、息子を助けるにも俺を止めるにも、全く意味がない。

 俺は、腕に絡み付かれる前に僅かに身を逸らし、左手で典孝の手首を掴むと、それを引っ張りつつ今度は身を乗り出し、銃のグリップを、彼の鼻の辺りに叩き込む。

 典孝はその場に悲鳴を上げつつ蹲り、立ち上がることも出来なくなった。


「お、お父さん……!」


 六十過ぎのおっさん相手に少々手荒なことをしてしまったが、これでもかなり手加減はした。

 骨に異常もないだろうし、痛みもじきに引くだろう。

 初めから典孝の存在は眼中になかった俺は、何事もなかったように再び優一朗に銃身を向けた。


「や、やめろ……やめてくれ……! 七年前のことは謝る! 謝るから!!」


 さっきの威勢の良さは何処へやら、必死に言い募りながら、優一朗がその場に土下座する。

 俺はそれを、心底冷め切った目で見下ろした。


「今更遅えんだよ。

 それに、今、お前が詫びなきゃなんねえ相手は、俺じゃない。

 そんなことも分かんねえお前に、お天道さんの下で生きる資格は、ねえよ」


 銃身を、優一朗の額に、ぴたりと、付ける。

 逃げ場はない。無論、避けることも出来ない。

 そして……外しようが、ない。

 崎原に制裁した時とは、違う。


「やめろ……! ま、曲がりなりにも、先輩で、友達じゃないか……!」

「……友達? 人殺し、の、間違いだろ」


 ――これで、あの子の心も、きっと、少しは……、


「――やめなさい、大和!!」


 ――……同時、だった。

 俺を止めようと叫ぶ声が響いたのと。

 俺の指が、引き金を、引いた、のは。


 ――銃を、下ろす。

 俺の、撃った、弾は。

 優一朗の、背後。

 民家を囲う塀に、着弾した。



 □□□



 夏目優一朗とその両親の身柄は、翌朝、所轄から県警本部へ移された。

 これから、彼は厳しい取り調べを受けることになり、ゆくゆくは厳罰に処されることとなるだろう。

 その情報を入手したマスコミが、県警の前を取り囲み、早いところでは中継を始めている番組もある。

 一年前の、女性殺害及び死体遺棄事件の犯人逮捕の報は、瞬く間に世間に知れ渡ることとなった。

 ――そんな騒々しい様子を、俺と柚希は、少々離れた場所から身を潜めて眺めていた。


「……何でお前、あそこに居たんだ」


 憮然としつつ向かいの壁に凭れる彼女に問えば、柚希は困ったように笑って、「あんたのことが心配だったから、って言ったら信じる?」と言った。

 そう……俺が、優一朗を殺そうとしていたあの瞬間、あの刹那。

 俺の名を叫んで止めてくれたのは、あの場に居る筈のなかった、柚希だった。


「最近の大和、何ていうかちょっと、放っておけないっていうか……思い詰めてるみたいだったからね。

 任務に出掛けて来るって言って事務所を出た時も、凄い形相だったから。

 何だか気になって、後を尾けさせてもらったの」


 何処か優しい口調でそう言う柚希に、俺は、意図せず深いため息を零した。

 同僚とはいえ、尾行に気付かなかったなんて、一生の不覚である。


「余計な事、しちゃったかしら」

「……いや」


 嫌味でなく、揶揄でもなく。

 労わるようにそんなことを言うから。

 俺は、観念したように、目を伏せて首を僅かに振った。

 ――本心、だった。

 本当に、あの時止めてくれて、良かったと、心底思う。


「お陰で……約束を破らずに、済んだ」


 俺が桜花と約束したのは、優一朗を見付け出して警察に連れて行くこと、であって。

 本当に死なせること、ではない。

 それに、多分。

 俺があそこで優一朗を殺してしまっていたら。

 桜花は更に自分を責めて、泣いていただろう。

 今度こそ、私のせいだ、と言って。

 優一朗ではなく、俺を想って。

 想像しただけでも、胸の辺りが酷く痛む。

 あの子が俺のせいで泣くのは、どうにも、耐えられない。

 暫くして、一台の車両が県警の前に到着した。

 報道陣は一斉にカメラを向け、シャッターを押し続ける。

 リポーターはマイクに向かって、緊迫した声で早口に現状を伝える。

 優一朗達は警察官達に連れられ、頭から上着を掛けられ、俯き加減で県警の中に入っていく。

 その背中を皮肉るように、朝日が昇り、彼らの背中を照らす。

 彼らは当分の間、太陽の下に出て来ることも、太陽の下を大手を振って歩くこともない。

 夏目優一朗が今、どんな顔をしているかは、俺の位置からは見えない、けれど。

 ――長い夜が、明けた。




「御苦労だった。刑事課の奴らも、やはり“蝙蝠”部隊に任せて正解だった、と満足していたよ。くれぐれもよろしく伝えてくれ、と」

「ありがとうございます」


 いつもより少しだけ興奮気味に喋る本部長に、俺は、静かに頭を下げた。


「よく潜伏先が分かったな。警察も、県内は勿論、隣接する県、本州にまで捜索の手を伸ばして調べていたというのに」

「七海桜花が提供してくれた手紙。全ては、それが、教えてくれました」

「ほう……?」


 ――優一朗達は、自分達の居場所を特定させないために、住所も書かず、わざわざあちこちの郵便局やポストを回り、手紙を投函していた。

 しかし、実はそれこそに、奴らの居場所を突き止めるためのヒントが、隠されていたのである。

 説明しながら、俺は、頭の中に地図を思い浮かべた。


「彼らの手紙の消印場所は一見バラバラに見えて、実はある意味、全て同じ場所だったんです」

「どういうことだ?」

「彼らの手紙の、消印場所である郵便局の場所を、一通ずつ地図上でチェックしました。

 それらの場所を線で繋ぐと、大きな円と、小さな円が一つずつ。

 ……つまり、単純且つ、馬鹿みたいな話ですよ。

 彼らは、手紙を書く度に、近い場所から順に郵便局をぐるぐる回ってたんです。

 一番近い場所は、その円の中心地点から自転車で十分もかからないような所、一番遠い場所は、そこから片道二時間半以上掛かる県外。

 そこで、隊員の一人に手伝ってもらって、虱潰しに調べました。

 二つの円の中心点付近の場所で、この一年、家族で突然引っ越して来た家はないか、そして……あまり外で姿を見掛けない人物はいないか」


 夏目優一朗は、“俺が一番偉くて正しい!”と踏ん反り返る性格でありながら、その実かなりのビビりだった。

 そうでなくても、逃亡犯というのは、いつ誰が自分の事に気付き警察に通報するかもしれない、という警戒心と恐怖心の塊だから、潜伏先では優一朗は、あまり外に出ず家に閉じ籠っているだろうと思ったのだ。


「あとはもう、そんなに時間は要りませんでした。

 良くも悪くも小さな田舎町、一年前に突然引っ越して来て、住人の一人が引き籠ってる家は、勝手に隣近所で噂になるものですから。

 ついでに言うと、優一郎や両親に、県外に移住するだけの財力はありません。必ず県内に留まらざるを得ないと踏んでいました」

「……成程な」


 呆れたように、疲れたようにそう呟くと、本部長はデスクの椅子に腰を下ろした。


「しかし、手紙の消印場所か……蓋を開けてみれば、わざわざ“蝙蝠”に出張ってもらわずとも、刑事部の捜査で充分突き止めることが出来た話だったな。

 そもそもそんな手紙があるなら、何故七海桜花は警察に提供しなかったんだ?」

「一度は提供したそうですよ。でも、書いてある内容は全て似たり寄ったりで、潜伏先のヒントになるようなことは何も書かれてなかった事から、何の証拠にも手掛かりにもならない、って判断されて、返されたようです」

「おいおい……全く、犯人逮捕に浮かれているところだろうが、これはしっかり灸を据えねばならんな」


 大体、最近の捜査員達は、いざという時“蝙蝠”にやらせればいいと思って、気を緩め過ぎているんだ、と言って本部長はため息を一つ。

 まあ、それが俺達の仕事でもあるんだし、別にいいんだが。


「まあとにかく、御苦労だった。報告書は後日でいいから、今日はもう帰って休むと良い。

 狩谷から聞いたぞ。お前、今回は随分無理をしたそうじゃないか」


 そう俺を労わってくれる本部長だったが、俺は、それに首を横に振った。


「どうした、まだ何か気掛かりな事でも?」


 怪訝な顔をする本部長に、俺は姿勢を正し、しっかりと、本部長と向き合う。


「本部長。お願いが、あります」


 ――そうして俺は……昨夜から胸に秘めていた決意と共に、その“願い”を口にした。


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