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何者にもなれない蝙蝠達  作者: 和菜
コウモリの長
23/29

纏わり付く過去

 

 土曜日の昼間っていうのは、何処に行っても人でごった返していて騒がしい。

 完全に寝不足気味の俺は、普段気にならないその騒がしささえ耳と頭に響いて、どうにも不愉快だった。

 いつもオムそばを食べに来るショッピングモール。

 ドライブにも行かず、優一朗の捜索も一旦止めて、今日ここに来たのには、理由があった。

 桜花から、また優一朗からの手紙が届いた、と連絡があったのである。

 手紙だけなら先に預かった分で十分だが、消印の場所が今回何処であったかは確かめる必要があったため、今回のも預からせてもらうことにしたのだ。

 待ち合わせに選んだのは、中にテナントとして入っているカフェ。

 人込みを半ば掻き分けて、俺はそこへと急ぐ。

 店に入ると、桜花は先に着いていて、奥の方の席に座っていた。

 呼び掛けながらそちらに歩み寄ろうとして……


「さーくーら!」


 だが、彼女の名を呼んだのは、俺じゃなかった。

 俺の脇を擦り抜けて、一人の男が軽快な足取りで彼女の座るテーブルに近付く。

 色白眼鏡の、見覚えのある顔。

 ここに来るとあの男に遭遇する、なんてジンクスでもあんのか……?

 驚く桜花にお構いなしに、松山恭介は桜花が座る席の真横に立ち、テーブルに片手を乗せて、上から覗き込むように彼女を見下ろした。

 ここから見ても分かるくらい、ニヤニヤと癇に障る笑顔で。


「また会ったねー。何してんの? 一人で買い物?」

「……貴方には関係ないでしょう」

「またまた、つれないこと言っちゃって。この後ちょっと話さない?」

「話さない。もうあっちに行って。人を待ってるの」

「待ってるって誰を? 友達? それとも……お兄さん?」

「、っ」

「!」


 フードコートに比べて割合静かな店内なせいか、二人とはまだ距離のある俺にも、二人の会話が耳に届いた。

 職業病の地獄耳。

 あいつ……何で優一朗のことを……。


「ネットでは、未だにお前が兄さんを匿ってんじゃないかって噂してる奴も居るけど?」

「……知らない」

「まあ俺はどっちでもいいんだけどね、そんなこと。

 何にしてもお前は、兄さんが馬鹿やって両親と一緒に逃亡犯になったお陰で、丸ごと家一つせしめられた訳だ」


 妙に詳しく事情を知る松山に、俺にまで緊張が奔る。

 夏目優一朗の事件の事は、当時それなりに世間を騒がせたが、桜花についてはそこまで詳細を知る者は、現時点では俺と、優一朗と両親以外、居ない筈。


「……何が言いたいのよ」


 ネチネチと桜花を責め立てる松山に対し、当の桜花は負けじと彼を睨み付けつつ言い返す。


「何って、この間も言ったじゃん。もう卑怯で糞ったれな兄貴と両親の事はほっといてさ、俺ともう一回やり直そうよ」


 耳に届いた台詞に、無意識に片眉が跳ね上がる。


「どうせさ、人殺しの妹だなんてことバレたら、お前一生結婚どころか彼氏も出来る訳ないし。その点俺は、お前の事はもう何でも知ってるし、別にお前の親兄弟の事とかどうでもいいし。

 よしんば彼氏が出来たって、お前兄さんのこと言えるか? 言えないだろう?

 一生隠し通して、騙し通さなきゃなんないじゃん。そういうの、お前、良心痛まない?」


 ――段々、腹の底で気持ち悪いもんがぐるぐるし始める。

 なんかよく分からんが、あいつ、すげえムカつく。

 ついに俯いてしまった桜花の顔を見た瞬間、考えるより先に足が動き出す。

 そして。


「――失礼。俺の連れに何か用ですか」


 普段の五割り増しに低い声で、我ながら素晴らしい程の見事な棒読みで言いながら、二人に割り込んだ。


「……あ? 何だ、あんた」


 驚愕する二人だが、松山の方は、俺が以前、自分に椅子をぶつけた相手だということに気付いていないようだった。


「何だはあんたですよ。人の女、勝手に口説かないでもらえます?」


 あくまで丁寧に、でも冷たい眼差しで言ってやれば、松山は面白いくらいに簡単に怯む。

 普段から凶悪犯を相手にしてるんだ、こういう時の眼力は、そんじょそこらの不良より迫力があると自負している。


「黒咲、さん」

「――桜花、おいで」


 松山から視線を逸らすことなく、桜花をそう促せば、彼女は半ば弾かれたように立ち上がり、俺の背に隠れた。


「そいつがあんたの彼女? はっ、何の冗談? そいつに恋人なんて出来る訳ないじゃん」

「……何でそう言い切れるんです」

「だってそいつは……」

「人殺しの妹、だから、ですか」


 先回りして言葉を遮れば、松山は驚いたように目を瞠る。

 背後で、桜花が身を強張らせる気配がした。

 幸いにも、カフェの他の客達は、厄介ごとに巻き込まれたくないのか、ひっそりとちらちらとハラハラしたような視線を向けるだけで、俺達の会話を気に留めていない。


「こちとら、全部、承知の上ですよ。

 分かったら金輪際、こいつに近付かないで下さいね」


 唖然としている松山に吐き捨てるように言い放ち、俺は、さっさと彼に背を向け、桜花を促し歩き出す。

 寝不足のせいか、苛々が募るばかりで落ち着かない。

 全くどいつもこいつも……。

 桜花は男運が無さ過ぎなんじゃないだろうか。




「あ、あの……黒咲さん」

「うん?」

「あの、ありがとうございました。助けて下さって」

「いや。俺こそごめん。“人の女”とか、言っちまって」

「、いえ……それは別に……」

「まあ、それはそれとして」


 駐車場に停めてある俺の車まで辿り着くと、俺は、鍵を開ける前に、くるりと桜花の方を振り向いた。

 びく、と桜花の肩が震える。

 なんかよく分からない、けど、苛々が、治まらない。

 眠気はさっきので吹っ飛んでるのに。


「さっきのあいつ、やっぱ、知り合いだったんだ?」

「え、……あ……はい、まあ……」

「けど、確か初めてここのフードコートで会った時、知らない、って言ってなかった?」


 意図せず尋問みたいな口調になってしまい、桜花は罰が悪そうに俯いた。


「……関わりたく、なかったから。二度と、あの人とは……」

「……誰なんだ、あいつ」

「昔の……大学時代に付き合っていた人、です……一年くらいで別れましたけど……」

「それが何だって今頃? 復縁を迫られてたように見えたけど?」

「……それ、は」


 そこで桜花は口籠る。

 尋問みたい、じゃない、完全に尋問になってることを、流石に自覚した。

 けど、言いたくないならいい、って、いつもなら言えるその一言が、どうしても、今は、言えなかった。

 むしろ……言いたくなかった。

 何なんだ、この苛々は。分からない。分からないけど……とにかく、あの松山って男のことだけは、聞かずにいられなかった。包み隠さず話して欲しかった。


「……高校を卒業後、彼は作家になるべく上京しました。

 でも、数年前、その夢を諦めてこっちに戻って来て、資格を取って小さなマッサージ店を開いたそうなんです。けれどそれも立ち行かなくなって閉店したらしくて……

 そんな時、一年前の兄の事件の事を知り、私のことをあれこれ調べたみたいで……

 フードコートでいきなり話し掛けられたあの日から暫くして、ちょくちょく家の近くで待ち伏せされてたり、さっきみたいに、出先で何故か遭遇したり」

「それほぼストーカーじゃねえか……」

「マッサージ店が閉店したことで、生活が苦しくなったんでしょうね。

 結婚して、私のあの家で一緒に暮らしたい、って」


 眩暈がした。

 俺以上の屑はいねえとは思ってたが、松山もなかなかの屑だ。


「そんなつもりはない、って何度も断ったんですけど……」

「……お前、男運悪いな……」


 さっき思ったことを、つい口に出して呟いてしまった。

 つーか、桜花と結婚したって住む場所が確保されるだけで、別に裕福な暮らしを送れる訳でもなかろうに。

 俺に言えたことでもないが、本当に桜花の周りの男は馬鹿だ。


「かもしれません、でも」

「……ん?」

「でも……黒咲さんは、良い人です」

「、……」


 不意に。

 微笑んでそんなことを言う、から。

 思わず、咄嗟に、返す言葉を、失った。

 出逢ってから今まで、桜花を特別可愛いと思ったことはない、けれど。

 何となく、この時だけ、は。

 不覚にも、ちょっと、可愛い、かも、なんて、思う。


「黒咲さん?」


 俺が面食らって何も言わなくなったのを不思議に思ったのか、桜花が下から俺を覗き込む。

 我に返り、意図せず一歩下がり、首を横に振った。


「な、何でもねえ。それより……手紙、貰っていいか?」

「あ……そうでしたね、すみません」


 危うく本題を忘れるところだった。

 半ば誤魔化すようにそう切り出すと、桜花は慌ててバッグから新たに兄から届いた手紙を取り出し、俺に差し出した。

 今回の消印は、隣の県。

 書いたのは、両親のどちらかだろうか、見慣れた達筆の字だった。


「ありがとう」

「いえ……、あの……」

「……ごめん。まだこれと言って進展はないんだ」

「、そう……ですか」

「でも、任せて。必ず……必ず見付け出す。俺は、約束は破らない主義なんだ」

「……はい。大丈夫です。全て、黒咲さんにお任せします」


 桜花は微笑んで、そう、言ってくれた。

 最初は畏まり、緊張した面持ちで俺と対面していたのが、まるで嘘みたいに。

 それだけ、彼女は俺を信用してくれてるって、事なんだろう。

 嬉しい事、の筈、なのに。

 何だか妙に、複雑な気分で、桜花の微笑みを、見下ろした。



 □□□



 桜花から預かった手紙の内容は、当人が言ってた通り、何とも腹立たしいものだった。

 いつになったら逃亡資金は振り込まれるのか、今まで散々優一朗に迷惑を掛け、両親にも迷惑を掛けて来たんだから、こんな時くらい手助けするのが妹として当然の務めだろう、だとか、まあとにかく勝手な言い分ばかり。

 優一朗が書いたやつには、俺より低所得のくせに実家に住んでる贅沢者が、この上お金までケチるなんてせこいことすんな、というような文面さえあった。

 毎月、毎月、こんな似たり寄ったりな内容。

 桜花を気遣うような言葉は、一言たりとも出て来やしない。

 確かに、こんな家族の中で育っていて、「妹のくせに」とか「妹なのに」なんて言われた日にゃ、ふざけんじゃねえって怒鳴りたくもなるだろう。

 読んでて吐きそうになりながら、俺は漸く、最後の一通を読み終えた。

 潜伏先の手掛かりになりそうな言葉を、うっかり書き記してないかと思って読み始めたのだが、ストレスが溜まっただけの骨折り損だった。

 大きくため息を吐いて、手紙をデスクの上に放り投げる。

 世の中には色んな家族が居て、一見、普通の家族のように見えたとしても、内情は所詮、そこで「家族」やってる連中にしか分からない。

 両親が居て、兄弟が居て、服を持ってて食べるものがあって。

 だから幸せだって、お世辞にも言えないことも、残念ながら世の中には、あるんだろう。

 やり切れない思いをつい感じてしまい、俺は、気分を変えようと珈琲を淹れた。

 一口飲んで、息を大きく、吐き出す。

 その時、デスクの上に置いておいたスマホが震えた。

 県警本部長からのメールだった。

 桜花の実家周辺のパトロール強化の要請が、受理されたことを知らせる内容だった。

 ちょうど、あの近所で、松山以外にも不審な人物を見掛けた、という通報がたまたま寄せられていたこともあって、要請は意外とすんなり通ったようだった。

 これで、松山も桜花に近付かなくなればいいが……。

 そんなことを思いながら、珈琲をもう一口。

 焦る気持ちが日に日に募る。

 夏目優一朗を探す、と決めてから、今日で三週間。

 とはいえ、普段の捜査ならそれくらいの時間、普通だ。焦る程のものじゃない。

 分かってはいるが、早く見付け出さなければという思いが、どうしても増していく。

 こんなことは初めてだ。

 こりゃ……深入りどころか、私情に駆られ過ぎてんのかね……

 半ば途方に暮れつつ、頭をがしがし掻く。

 ――ぼやいていても仕方がない。

 私情だろうが何だろうが、これは立派な任務だ。

 同時に、友人からの依頼だ。

 “蝙蝠”だろうが“探偵”だろうが、俺が、俺として、絶対に完遂させなくちゃならない。

 気を取り直して、俺は残っていた珈琲を一気に飲み干して、改めて、デスクに広げた手紙や資料、地図その他諸々に視線を落とす。

 ――そうして、ふと。

 あることに、気付いた。


 俺は、手紙を優一朗が書いた分と、母親、もしくや父親が書いた分に分ける。

 そのあと、一つ一つの消印をもう一度確認して、その郵便局のある位置に地図で確認、色を分けてチェックを入れた。

 赤が優一朗、青が親。

 全てのチェックを付け終わった後、地図をまじまじと見つめて、俺は……目を、瞠った。

 何てことだ。

 こんな……単純なことに気付かなかったなんて。


「……成程な」

 思わず、口許を歪ませて笑った。

 こんな単純なことに気付かなかった俺も俺だが、こんな単純なことをやっちまってる優一朗達も優一朗達だ。


「崎原!」


 俺は、半ば興奮のまま崎原の名を呼び、彼のデスクに地図と一枚のメモ用紙を持って大股で近付いた。


「な、何ですか?」

「この辺り一帯の防犯カメラを調べろ。そんで、このナンバーの車を探せ!」


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