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何者にもなれない蝙蝠達  作者: 和菜
コウモリの長
22/29

約束

 

 何のことはない、普通の、日だった。

 大雨が降ることも、風が凄く強い訳でも、何でもない、いつも通りの、一日だった。

 仕事が終わり、帰る時にロッカーから鞄を取り出して、スマホを弄るのも、いつものこと。

 だけど、その、スマホの画面に表示されていたのは。

 一通の、メールの受信を知らせるコメント。

 母からだった。

 それ自体は、まあ珍しい事では、なかった、けれど。


『ごめんね、桜花ちゃん。突然だけど、お父さんとお母さんは、お兄ちゃんと一緒に地元を離れます』


 詳細は、家のテーブルの上の手紙に書いてあるから。

 ……そんな、唐突過ぎる、信じられない、理解し難い文面だった。

 勿論それだけでは、何一つ理解することなんて、出来ない。

 桜花は急いで実家に戻り、テーブルの上の置手紙を、読んだ。


 そこには、更に信じられない内容が綴られていた。

 兄が、妻である真緒を殺してしまったこと、死体を川底に捨てたこと、自分の行いにパニックを起こして、両親に助けを求めて来たこと、そして。

 そんな兄を守るため、三人で遠い場所に逃げることにした、こと。

 桜花はいつ裏切るかも分からないから、連れて行けない。兄を忌み嫌い、兄のことを何でも否定し貶す桜花は信用出来ない、これからは一人で生きろ、と。

 家も家具もそのままにしておくし、少しだけどお金も置いて行くから、後は勝手に好きなようにそこで暮らせ、と。

 それ以来、桜花は、両親にも兄にも、会っていない。


「……別に、そんなに、大それた不幸って訳でもないんですよね……

 兄妹間で比較されたりすることなんて、そんな珍しい話でもないし」


 ……そう、桜花の言う通り、びっくりするような壮絶な家庭環境、ではないのかも、しれない。

 両親は、何だかんだで桜花をネグレクトしたりした訳では、ないし。

 でも、如何なる事をしても肯定される兄の傍らで、如何なる事でも否定され続けるというのは、果たして、「そんなことで」と他人が安易に鼻で笑って一蹴して良いような話なんだろうか。


「……正直、実家に良い思い出なんてありません。あんな家に一人で住むなんて、って思いましたけど……私も、そんなに高給取りじゃないし、当時住んでたアパートより立地が良くて便利だし……それならいっそ、広い家で一人、存分に良い暮らししてやろうって、思ったんです」


 それは、桜花なりの、意地と、せめてもの強がり、だったんだろう。


「事件の事がニュースで騒がれた頃、何処の誰がやったのか、私の顔がネットに晒されちゃって、酷い目に遭ったんです。

 実家の場所までは特定されずに済んだんですけど、アパートの方が騒ぎになっちゃって……

 産んだ意味もない、一緒に生きる気もない、言葉に耳を貸す気もない。

 なら……いっそ、私も殺してくれたら良かったのに。

 そうしたら、裏切るだの何だの、的外れで滑稽な心配を引き摺らずに逃亡出来るのに」


 最後の呟きは、自嘲交じりだった。

 どんな命にも、産まれて来たからには、産まれて来たなりの意味がある、なんて、綺麗事を言うつもりは、ない、けれど。

 びっくりするような酷い環境でないのに不幸ぶっている、と思い込んで自分を責めて。

 産まれた意味も、生きてる価値も見出せない自分を嘆いて。

 それなら殺して欲しい、と、心で泣く桜花が。

 堪らなく、切なかった。


 道案内の通りに車を走らせて、桜花の実家の前まで辿り着く。

 近所にはバス停やコンビニ、スーパーや総合病院もあるという、確かに立地条件の良い場所に、桜花の実家はあった。


「今日は、ありがとうな」

「いえ、私の方こそ……変な話を聞かせてしまって、すみません」

「いいんだよ、そんなこと。ていうか……桜花、何か俺にいつも謝ってばっかだな」

「そう……ですか?」

「そうだよ」


 苦笑交じりにそう言うと、桜花も小さく笑う。

 やっと……笑ってくれた。


「あの……少し、待っててもらえますか? お渡ししたいものが、あるんで」

「、? ああ、いいけど」

「すみません、すぐ、戻りますから」


 すると桜花は急いで車を降りて、素早く家の鍵を開けて中に入っていく。

 防犯面もそれなりに考慮して建てられた家らしい。

 玄関は中も外も人感センサーでライトが点くようになっていた。

 言われて待つこと、五分程。

 桜花は、両手に封筒をいくつか持って、再び外に出て来ると、車の助手席のドアを開けた。


「これを」


 おずおずと差し出されたそれは、手紙の束だった。

 フードコートで、浜辺で、桜花が読んでいた、あの。


「両親や、兄からの手紙です。毎月送られて来てて……」


 ここで、「手紙をくれるんなら、何だかんだ気に掛けてくれてるんじゃん」なんて、野暮なことを言うつもりはなかった。

 何故なら俺は一度、彼女がこの手紙を、怒りの滲む眼差しでビリビリに破り捨てた瞬間を、この目で見たことがあるから。

 差し出された手紙の束を受け取ると、一つを片手に持ち上げて、まじまじと見つめる。

 やたら達筆な字で宛名が書かれているものと、小学生でも書かないくらいの汚文字で書かれたもの、半々くらい。

 当然ながら差出人の住所は書かれていない。

 消印も、あちこちの地区の郵便局で押されており、県外の消印も中にはあった。

 居場所を特定されることを恐れて、わざわざ手紙を送る度にあちこちの郵便局を渡り歩いてるんだろう。


「お役に、立ちますか?」

「ああ、きっと何らかの手掛かりになる。でも、良いのか?」

「はい。もし必要なら、中身を見て頂いても構いません。どうせ、全部同じ内容しか書かれてないですけど」

「……同じ内容?」

「……逃亡資金を、援助しろ、と」


 トーンを落として言われた言葉に、俺は最早呆れ果てた。

 散々信用出来ないの何だの言って罵っておきながら、金は寄越せってか。

 実の親兄妹とは言え、図々しいにも程がある。


「本当は、捨ててしまおうと何度も思ったんですけど、後々、何か、証拠とかになるかもと思って、一応取っておいたんです。

 まあ……何通か、捨てちゃった分も、ありますけど」


 そのうちの一通が、あの時浜辺で破り捨てた分だろう。

 何にしても、これはこれで十分な手掛かりになり得る。

 俺は彼女の頭にぽん、と手を乗せて、安心させるように、笑った。


「ありがとう。必ず先輩を見付け出してみせるから。信じて、待っててくれ」

「――はい」



 □□□



 誰かに揺さぶられる感覚で、目を覚ました。

 椅子の背凭れに全身を預ける、という変な格好で寝てたせいか、体のあちこちが痛い。


「んー……」

「大和、起きて。もう朝よ」


 耳元で柚希の声が響いて、俺は、重い瞼を押し開けた。


「何あんた、昨夜も帰らなかったの?」


 呆れたように言う柚希に、俺はでっかい背伸びと欠伸で返した。


 桜花に俺の過去を明かしてから、既に二週間が経っていた。

 あの日の翌日、俺は再度県警に赴き、本部長と対面し、夏目優一朗の捜索を、第七小隊が受け持ちたい旨を伝えた。


『良いのか? お前が懇意にしているっていう女の子を、傷付ける事になり兼ねんぞ』


 俺の監視役から、既に本部長に桜花と俺の関係は知らされているんだろう。

 本部長の気遣いを、俺は首を横に振って一蹴し、きっぱりと告げた。


『夏目優一朗の確保、逮捕は、他ならぬ、七海桜花の希望でもあります。彼女は、兄に対して如何な情も抱いてはいません』

『……それは、直接本人から聞いたのか?』

『はい』

『昨夜、お前と七海桜花が何やら深刻に、車の中で話をしていた、という報告は、お前の監視役から今朝受けた。

 念のため確認しておくが……“蝙蝠”のことは、明かしていないだろうな?』

『はい。あくまで探偵として、夏目を探し出す、と言いました』


 昨夜の桜花との一時は、何ら恥じることもなければ、何ら後ろめたいことはない。

 毅然とした態度で本部長を真っ直ぐ見据え、受け答えをした。


『……お前の事を信用していない訳ではないが、相手は昔お前と接点のあった男だ。監視は強化されるだろうが、それでも良いか?』

『構いません』


 にべもなく答える。本部長は気が抜けたように、ふ、と小さく笑った。


『……良かろう。県警本部長として、改めて“蝙蝠”第七小隊長、黒咲大和に言い渡す。

 一年前の女性殺人事件の犯人、夏目優一朗を何としても探し出し、逮捕に導け』


 それ以来俺は、夏目優一朗の居場所を探し出すべく、あれやこれやと手を巡らせた。

 桜花から預かった手紙の消印場所は、優一朗が結婚して引っ越した住所近くの郵便局もあれば、そこから車で片道二時間半以上掛かる市外の郵便局だったり、更には隣接する県の郵便局だったり、色々だ。

 全く、妙なところで手が込んでいる。

 便箋も、その辺の文具店やコンビニで買えるようなやつだから、消印や切手、便箋などで居所を突き止めるのは恐らく無理だろう。

 となると。


「ねえ、もしかしてあいつも……徹夜?」


 柚希が信じられない様子で、半ば恐る恐る指差しながら訊いて来た。

 彼女が指差した先には、俺と同じように、机に突っ伏して眠っている、崎原の姿がある。


「ああ、そうだな」

「そうだな、って……あの子にそんな難しい任務与えてたっけ?」

「奴にこないだ与えた任務はとっくに片が付いてるよ。報告書も貰った。意外とやれる奴みてえだな。

 で、ちょうど手が空いたから、ちょっとだけ俺の任務手伝ってもらってんだよ」

「あんたの任務ってあれでしょ? 本部長から直接言い渡された、一年前の殺人事件の犯人を見付けろってやつ」

「そうそう。御自慢のハッキングの腕で、SNSとかネトゲとか当たらせてんだ。ついでに、商業施設とか街中の防犯カメラの映像とかもな」

「それで何で崎原まで徹夜?」

「俺が急かしたからな。悪いとは思ってるが……一日でも、一秒でも早く探し出さなきゃなんねえもんでな」


 低く、冷たい声音で締め括ると、柚希は少し心配そうな目で俺を見下ろした。


「……いつになく気合いが入ってるわね。何処かに潜入する予定もないのに。

 何か……事情でも?」


 何処か慎重に問う柚希に、俺は、僅かに目を伏せた。


「……ちょっとな」


 そうして、そんな曖昧な答えを返す。

 柚希は一瞬怪訝そうな顔をしたけれど、それ以上追求はして来なかった。


「……う、ん……」


 そんな会話をしているうちに、崎原もデスクの上で目を覚ます。


 ――夏目優一朗。

 俺に罪を擦り付け、俺を裏切り、俺の人生を狂わせ。

 実の妹でさえも、傷付け苦しませ続ける、劣悪な犯罪者。

 必ず……見付け出してみせる。

 桜花のために。

 何より。自分自身のために。


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