コウモリ達の巣
警察組織が秘密裏に抱える極秘部隊「蝙蝠」
全員が「元受刑囚」で構成されるそれが、俺達の仕事場だった。
仕事は、主に、警察の目を掻い潜り、姿を眩ませ逃げ遂せている犯罪者、指名手配犯を、ありとあらゆる手段を用い探し出し、捕まえることと、確証がないばかりに捕まえられない容疑者の、犯罪の証拠を掴むこと。
と言っても、俺達は警察官じゃない。
前述の通り、「元受刑者」なので、捕まえると言っても、居所を見付けて上に報告し、確実に逮捕へ誘導する、というのが主なやり方だ。
普通ならば、刑を全うし、刑務所を出た後は、新たなスタートを切り、改心して普通の暮らしを送るべく一生懸命働くものだが、現実は、言う程易くはない。
ただでさえ、真っ当に生きて来た者でさえ就職難の昨今、前科者だと分かればそれだけで門前払いは当たり前。
上手く隠して生きていたとしても、そういった情報は守れているようで守られていないものだ。
SNSでちょっとアップされれば瞬く間に広がって、畏怖と嫌悪の目で見られる。
罪を償った、今は心を入れ替え真面目に生きている、と言っても、それを認めて貰えるのは、普通に生きる人間が“真面目に頑張ります”と口にする時より、遥かに難しい。
それでも頑張って頑張って、慎ましく生きている者も居る。
だが一方で、絶望し、また犯罪に手を染めてしまう者も居る。
「蝙蝠」は、そういったはみ出し者を救済――と言えば聞こえはいいが、要は、これ以上罪を重ねないために監視する意味も含めて作られた組織である。
刑期を終える直前、受刑者は極秘に警察幹部の一人と面会する。
殺人以外の、どちらかと言えば重罪を犯した者が主で、そこで、この「蝙蝠」の話を聞かされ、勧誘されるのだ。
遠回しな言い方ではあるが、要は、
『お前の犯した罪が罪なだけに、このまま世間に出ても、真っ当な暮らしが送れる保証はない。その時、二度と犯罪は犯さない自信がちょっとでも持てないならば、警察の犬になれ』
という話だ。
主に、自分の気に入らないことがあってぶち切れて、暴力によって憂さを晴らした連中だ。
最初は誰でも、ふざけんな、と怒る。
だが……それこそ真っ当な人間には死んでも言えないことだが、「蝙蝠」の待遇は、目玉が飛び出るくらいの厚遇だった。
入隊を承諾してくれるならば、住むところは警察が用意してくれ、給料も警察官とほぼ同額、逃亡犯の捜査は手段問わず。
銃の所持と使用も許可。その他あらゆる違法捜査も容認。
つまり、警察のために犯人を見付け出すという仕事さえこなせば、人と同じかそれ以上の暮らしが出来る、というのだ。
警察さえ掴んでいない裏の裏まで入り込める「前科者」を、二度と犯罪に手を染めさせないために警察の配下に置くという、裏取引。
警察にとっては一石二鳥という訳だ。
とはいえ、真っ当に生きてる人間からすれば、ふざけるな、なんて一言では済ませられない話でもある。
故に俺達「蝙蝠」の存在は世間からは隠され、メンバーは表向き、人に名乗る時は「探偵」と告げるように厳しく言われている。
その代わり、俺達の日常は、厳しい監視の下にあった。
こうしている間にも、俺達のこのオフィスは、警察……下手をしたら公安辺りに常に監視されている。
オフィスだけでなく、メンバー一人一人、全員に、監視が付いているのだ。
もっと言うなら、Twitterその他SNSも管理されていて、少しでも「蝙蝠」や警察内部、捜査について匂わせるような発言があれば、即刻投稿は削除、酷い時はアカウントも削除され、懲戒処分を受ける。
その判断は全て監視者に委ねられている。
自分にとってはセーフでも、彼らがアウトと見なせばすぐに処分される訳だ。
窮屈と言えば窮屈だが、監視や厳命、罰則は自業自得だ。
ちゃんと守って仕事をこなし、普通に生活してれば、俺達は“普通の人間”でいられる。
たとえそれが偽りだらけでも、仮初でも、少なくとも俺には、どうでもいい。
昨夜俺達が行っていたのも、「蝙蝠」の仕事の一環だった。
今朝、テレビで報道されていた男は、昨夜の、あの、おっさん。
蔵山達夫。
五年前、俺らの住むこの県で、ある誘拐事件が発生し、世間を騒がせた。
被害者は未就学児から小学校低学年までの女の子十人。
登校中、あるいは、親との買い物の途中、犬の散歩の途中……ありとあらゆる時間帯、親の目が離れた一瞬の隙を突き、彼女達は連れ去られた。
幸いにも殺された子は一人もいなかったが、この件でより一層世間を戦慄させたのは、彼女達が発見された時の様子だった。
全裸にされて、通っていた学校、あるいは幼稚園、保育園の前に、両手両足を縛られて置き去りにされた状態で発見されたのだ。
警察は、誘拐された女の子全員に、攫われた時の状況や犯人の顔、特徴等々尋ねたけれど、犯人は目差し帽に全身黒い服で、顔も見ていないという。
連れ去られたその瞬間は目隠しをされていて、監禁された場所が何処かも分からない。
乱暴された形跡はなかったが……それは、厳密に言うと、ただ、触られていない、だけ、だった。
身代金などの要求もなく、一応食事も与えられていた、らしい。
じゃあ一体何をされたのか……
正直それは、言いたくない。
ただ。聞いた時、柚希が堪らず耳を塞いだくらいには、悪質な行い、だった。
蔵山は、当時自宅にもしていた、自身が切り盛りする工場の寝室に、女の子を監禁していた。
そこは、工場長の完全なるプライベート空間ということで、従業員は近付くことさえ許されなかったらしい。
しかも、作業場から離れていたし、よしんば近い場所であったとしても、常に大きな音が木霊している工場、誰も、何も気が付かなかったのだ。
俺達はそこまでの詳細を、得意の「何でも有り」の調査で突き止めて、上に報告した。
そして昨夜、蔵山確保のため、出動を命じられたのである。
誘拐された少女達は、今でも心に受けた傷が癒え切らず、苦しみを抱えながら生きている。
前科者の俺が言うのも何だが、ああいう下衆は、もうずっと刑務所に居ればいいと思う。
全員分の報告書を纏めて、皆が帰ったのを見送ると、俺も戸締りをして事務所を出た。
埃っぽく黴臭い階段を下りて、郵便受けに報告書の入った茶封筒を入れて、そのまま駐車場へ向かい、車に乗り込む。
ああしておけば、あの報告書は明日の早朝までには無くなっている。
警察の誰かが、人に気取られぬよう取りに来て、回収していくのだ。
その後は、警視庁に極秘に届けられ、庁内の何処かの部屋だか保管庫だかに保存されるのだとか。
詳しくは知らない。知る必要もないし。
とにかく、俺達の今日のお勤めはこれでお終い。
明々後日の月曜までは休日である。
俺は車を発進させると、途中でスーパーに寄って、すぐに帰宅した。
□□□
寄せては返す波の音が、辺りに静かに響く。
車を出て、俺は海岸に下りると、適当な場所にどっかり座った。
冬の海は寒い。
だが、寒さを体中に受けても、暫く眺めていたいと思う程度には、俺は海が好きだった。
片道二時間のドライブの末、辿り着いたのは、住んでる地域より更に田舎の、海沿いの小さな町。
住人に知り合いが居る訳でも、ましてや実家がある訳でもないが、俺は、毎週土曜日、必ず、この場所に来ていた。
別に、何をするでもない。
ただぼんやり海を眺めて、飽きたら帰る。それだけ。
それだけのために、毎週、二時間掛けてここへ来ていた。
……中二っぽいって言うなよ……
俺だってちょっとイタイなとは思うけど、そこはもうほっといてくれ。
ぼーっとしてるうちに、あっという間に時間は過ぎた。
俺の見張り役は、こんな無駄な時間にも付き合ってくれてる訳だし、奴らにとっちゃ退屈極まりないかもしれんが。
生憎俺は、顔も名前も知らない監視役にまで気を遣ってやれる程、人間出来てない。
好きなように休みを過ごして、好きなように生きる。
とはいえそろそろ……陽が傾き掛けて来た。
気温も徐々に下がっていき、そうと気付くと寒さも余計に増していく。
大きく息を吐きながら立ち上がり、やる気なくだらしなく背伸びをする。
そろそろ帰るか……ちょっと腹も減った気がするし。
また来週、と心の中だけで海に向かって挨拶して、踵を返した――ところで。
少し離れた場所に、人の姿を見付けた。
余り人が集まって来る場所ではないが、常に無人という訳でもなし、俺と同じように近くで海を眺めに来る奴は勿論居る。
大体そういった奴らは、ドライブの途中の小休止目的が多いから、俺みたいに長居しない奴が多いけど。
思わず足を止めてしまったけれど、別段不審がってる訳じゃない。
驚いた事があるとするなら。
そいつの気配に、俺自身、今の今まで全く気が付かなかった、ということだ。
仕事柄、人の気配には敏い。
神経が常に張り詰めているのか、近くに人が立てばすぐに気付く。
その俺が気付かなかったってことは、よっぽどぼんやりしてたのか、余程相手の影が薄いのか、はたまた、俺が目を開けたまま寝てたのか。
相手は女だった。
長い黒髪に眼鏡、ジーンズにスニーカー、温かそうなダウンジャケット。
見た感じ化粧気もなく、まあ、失礼を承知で言わせてもらうなら、女らしさとは程遠いという印象の、女だった。
そんな身なりのせいか、実年齢が判別し難いが、少なくとも多分、成人はしてるだろう。
俺と同じように座り込んで海をぼんやり眺めていて、彼女も俺の存在に気付いていないように見える。
お世辞にも第一印象は可愛いとは言い難い彼女に、何故か俺は、視線を釘付けにされた。
普段なら同じ場所に誰が来ようが去って行こうが、全然気にしないのに。
――だが、俺が我に返るより先に、彼女が不意にこちらを振り向いた。
「……、」
目が合う。
咄嗟の事でどうリアクションすればいいか思わず悩んだけれど、彼女は無表情ですぐに目を逸らし、そそくさと立ち上がって踵を返した。
半ば呆気に取られて彼女の姿を目で追うと……彼女は、俺の車の隣に停めてあった軽自動車に素早く乗り込み、発進させて、去って行く。
……もしかして俺、彼女の邪魔をしてしまった、か?
こんな場所で、邪魔も何もないけれど、何となくそんな気になってしまって、ため息交じりに頭を掻いた。
そして今度こそ、俺もその場を後にして、車に乗り込んで帰路に就いた。
□□□
日曜はだらだらと家で過ごして、瞬く間に一日が終わり、月曜日。
八時過ぎに出社した俺は、郵便受けから報告書がちゃんと無くなっていることを確認すると、事務所へ向かった。
「おはよー」
「おはよう、大和」
「おはようっす、隊長」
先に出社していた柚希と華月が挨拶を返してくれるのを聞きながら、デスクにどかりと座ると、柚希が五冊程の分厚いファイルを、机の上にどかっ! と置いた。
「はい、これ今朝届いた指令書と、諸々の情報、それから調査資料ね」
「……毎度毎度、何だってこの国はこうも犯罪が絶えんのだろうね……」
「私達が言えた事じゃないでしょうが。それから、さっき賢吾と夏鈴から連絡があったわよ。
先月捜索の指令があった、あの通り魔を見付けたって」
「……そうか。応援は?」
「ただのチンピラみたいもんだから要らないって」
「了解。油断はするなって伝えとけ」
「はい」
てきぱきと報告を終えると、柚希はさっさと自分のデスクに戻る。
流石はうちで一番の働き者のやり手。俺なんかよりずっとしっかりしてる。
賢吾と夏鈴というのは、ここの部隊の一員だ。
先月、県警から捜索を命じられた通り魔犯を探す任に当たらせていて、一ヶ月程事務所に顔を出していない。
一度上から犯罪者の捜索指令が来ると、俺は事件の内容その他諸々を総合的に判断して、捜索に当たらせる人員を割り振る。
賢吾と夏鈴は、俺達の中でも腕っ節が強いメンバーで、たとえば囮などの危険を伴う手段を取らざるを得なくなった場合、よく動員する二人だ。
特に賢吾は、学生時代空手で全国大会優勝までした男で、空手の腕を磨くために他の武道は勿論、様々なスポーツを嗜んだことがあるらしく、文句なしにうちで最強の男と言っていい。
そんな奴が昔どんな犯罪を犯したか、は、語る必要はないだろう。
今、奴は、こうして犯罪者を捕まえるために生きているんだし。
それにしても、ただのチンピラの通り魔を突き止め逮捕するのにも俺らみたいなのを頼らないといけないなんて、警察は何をやっているんだか……。
まあ、俺がそれをどうこう言えた義理でもないけど。
気を取り直して、俺は一度立ち上がって珈琲を淹れると、改めて柚希が持って来た資料を開いた。