新入りコウモリ
開け放たれたドアの向こう、立っていたのは、中肉中背の男だった。
ドアを開けてくれた夏鈴を見下ろすと、にやり、と何処か不快な笑みを浮かべて、「ここ、“蝙蝠”って部隊の事務所で合ってます?」と問うた。
「――待っていたぞ。こっちへ来い」
夏鈴が答えるより先に、意識していつもより低い声で、俺がそう促す。
すると男は、俺に視線を向け、挑発的な笑みと動きで俺の元へやって来た。
「本日付けで“蝙蝠”第七小隊に入ることになりました、崎原銀太でーす。よろしくお願いしまーす」
間延びした喋り方は、お世辞にも初対面の相手に対する礼儀がなっているとは言い難かった。
というより、こいつは俺や他のメンバーに対して礼を尽くす気などないんだろう。
入って来た瞬間にそれは明らかだった。
「まずは経歴書を貰おう」
癇に障る男だが、とりあえず諸々の手続きは済ませねばならない。
静かな苛立ちを腹の底に感じつつ、俺は片手を崎原に差し出した。
素直に手渡された茶封筒から中身を取り出し、折り畳まれたA4サイズの紙を広げて、目を走らせる。
崎原銀太、二十九歳。
大学卒業後、上場企業に就職するも、半年足らずで退職。
その年の冬に逮捕、起訴。
罪状は――
「――……強制性交等罪」
……思わず。
思わず、書かれていた罪状を呟いてしまった。
それを耳にした瞬間、柚希の眉が一瞬ぴくりと反応し、賢吾の眉間に深い皺が刻まれ、夏鈴は体を強張らせる。
体の奥が冷えていく感覚を覚える。
このタイミングで、この罪状で服役した男が、「蝙蝠」に配属されるなんて。
室内の空気でさえも凍るけれど、俺は、平静を装って改めて崎原と目を合わせた。
「やだなあ、そんな目で見ないでもらえます? 俺一応、刑期は終えてるんで」
ふざけた笑みと口調で軽薄に言い放つ彼からは、反省の色が全く見えない。
「……俺はこの第七小隊隊長、黒咲大和だ。
ここに配属されたからには、今後は俺の指示には絶対従ってもらう。
逆らったり、規則を破り勝手な行動をした場合、お前は刑務所に逆戻りとなることを、覚えておくように」
「は~い」
「それで、お前、何か特技は?」
「特技ですか~? そうっすねぇ……ハッキングとか?」
「ハッキング?」
「そう。俺昔からそういうの得意でねぇ。俺がヤッた女達の情報とかも、そうやって手に入れたんですけどね」
言って、崎原はケラケラと笑う。
――たまに、居るのだ、こういう、救いようのない屑が。
屑のくせに無駄に変な能力高い、というどうにも糞みたいな奴が。
まあだからこそ、「蝙蝠」に適した逸材と判断されたのかもしれないが。
「それから……特技っていうか特徴なんですけどね。俺、影が薄いらしくて。
人に後ろから近付いても百パー気付かれないんですよ。
しかも一回や二回会っただけじゃ顔憶えてもらえなくてね」
「……成程。それは確かに、「蝙蝠」の捜査では役に立ちそうだ」
「でしょでしょ? ちなみに俺、さっきちょっとした予行練習して来ちゃったんですけどね? 聞きたい?」
「予行練習だ?」
そこで、あからさまに嫌悪感丸出しで鸚鵡返しに問うたのは、賢吾だった。
「そう~。何を隠そう、ここに来る前にね~」
言いながら、崎原は更に挑発的に口許を歪めた。
そして、俺のデスクに両手を着いて、少し身を屈め、座る俺と目線を同じにする。
「あんたのこと、観察してたんですよ~、隊長さん?」
「……、」
「ほら、あのショッピングモールのフードコートで。気付かなかったっしょ?」
言われて俺は無意識に眉を顰めていた。
つまりそれは、あの一連のちょっとした出来事を、俺の少々らしからぬ行動を、じっと見られていた、ということだ。
……情けないことに、本当に、気付かなかった。
たとえどんなに人でごった返す街中でも、自分に僅かでも含みのある視線を向けられていたら、俺は瞬時にそれを感じ取れる。
「蝙蝠」で培った勘だ。俺だけでなく、ここに居る皆、そういう気配のようなものには人よりかなり敏感に出来ている。
その俺が気付かなかったということは。
確かに、自信満々に豪語するだけのことはある。
「ここに配属されるってなった時、あんたの顔だけは写真見せてもらってたんでねぇ。
事務所に来る前にたまたま見掛けて、どんな奴なんだろうって見張ってたんですけど……“あの子”、あんたの知り合いですか?」
崎原の笑みが嘲りの色を帯びる。
あの子、と聞いて柚希達が訝し気な目をしたのが分かったけれど。
「……知らねえな」
俺はあくまで冷静に、冷徹に答えた。
「おや? 俺には、妙な男に絡まれてる女の子を、わざわざ偶然を装って助けてあげたように見えましたけど。
知り合いじゃないならもしかして……片想い?」
何処までも俺を小馬鹿にする態度に、賢吾や夏鈴が段々苛立っていくのが分かる。
これだけでよーく分かった。
こいつは……自分の行いに、自分という存在に、自分で心底陶酔している。
早い話が、ナルシストだ。
それも、最強に不気味な部類の。
「一つ訊きたいんだがな」
「何です?」
「お前、この「蝙蝠」がどういう組織か、ちゃんと理解しているか?」
机に肘を着き、両手を組んで崎原に問うと、彼は、ここへ来て、ニタァ、と一番腹の立つ笑い方で嗤った。
「逃亡犯や指名手配犯を、ありとあらゆる手を尽くして見付け出したり、なかなか証拠の掴めない容疑者の、犯罪の決定的証拠を掴むための組織。
そのためなら、ありとあらゆる違法捜査も容認されている……“選ばれた罪人達”」
――何とまあ、都合の良い解釈の仕方である。
むしろ感心する。
「ここに所属してたら、一般人なら罰せられるようなことでも、やりたい放題なんですよね?
それが犯人捕まえるために必要な事なら」
「……言っておくが、ここにも規則はある。さっきも言ったが、それを破って勝手をすれば、俺はお前を容赦なく除名し、刑務所に戻すぞ」
「分かってますって。でも、その範囲なら、いいんですよね?
必要な、事なら」
「……何が言いたい」
「隊長、知ってます? 女ってね、ベッドの上が一番素直なんですよ。
まあ女だけじゃなくて、人間全部、ですけど」
「っ、貴様!」
「賢吾」
粘着質な目で俺を見据えながら、下衆な事を言って退ける崎原に、ついに賢吾が怒声を上げたけれど、俺は、それを鋭い声音で制止する。
「相手が女で、必要な情報や秘密を持っているなら、それを暴くために一番手っ取り早い方法。俺なら、上手くやりますよ」
それで逮捕されて服役していたというのに、よくもいけしゃあしゃあと。
――居るのだ。本当に、たまに。
「蝙蝠」にスカウトされたことで、その瞬間己が罪が免責になった、と勘違いする奴が。
それによって、己の考え方や行い、全てが“正しい事”だと思い込んでしまう奴が。
……まあこいつの場合、スカウトされるより前、逮捕されるより前、下手をすると物心ついてから今日まで、一瞬たりとも己の考えや行いに、一つも間違いがあったなんて、思った事はなさそうだが。
とはいえ、今の発言は人としてあるまじき言葉であることは間違いない。
賢吾は勿論、当の女である柚希と夏鈴は、最早殺意さえ孕んだ目で、崎原を睨み付けている。
正直俺もこんな奴を入隊させたくないが……。
「……成程。そいつはある意味頼もしい」
「隊長!」
「だがお前、さっきから口ばかりが達者だが、他の部分ではどうなんだ?」
「他……?」
「腕っ節だよ。口やおつむだけで務まる程、“蝙蝠”という部隊は甘くねえぞ」
「は? そんなの必要ないっしょ。そんな野蛮なの、あんたら筋肉馬鹿の担当でしょ。
俺はこの頭脳と口八丁で」
「凶悪犯が、貴様のつまらねえ御託をいちいち聞いてくれると思うか?
てめえの能力や講釈がどんだけ凄えもんかは知らねえが、ここはお友達同士仲良くしましょう、っつう幼稚園じゃねえんだ。
任務は基本、一人で遂行してもらうし、いざという時、てめえの身は、自分で守ってもらう。
全ての言動は勿論自己責任だ。
窮地に立たされた時、てめえの口はてめえの命を守れるか?」
敢えて俺も挑発的に笑みを浮かべつつ言ってやると、ついに崎原の口許から笑みが消えた。
「……ふん。元重罪人が偉そうに」
「その言葉、そのまま返すぜ。女を後ろから襲ってキャンキャン泣かせることしか出来ねえ強姦魔の変態ナルシスト」
「……、~っ!!」
ついでに鼻で笑ってやれば、分かり易く崎原の顔が赤くなる。
人を安易に挑発しようとする奴は、逆に挑発されると面白いくらいによく嵌まるもんである。
「さっきから聞いてりゃ大層な自画自賛を並べ立てるもんだが、俺から言わせりゃ、所詮お前の御自慢の能力なんて、何の特徴もねえ面とオーラの欠片もねえ爛れた存在感だけだ。「蝙蝠」としては何の足しにもならねえな。
人を正面から殴った事も、人に正面から殴られた事もねえ箱入り坊ちゃんが、自分よか弱い女のバック取って、自分は最強で偉人だと思ってるだけの、ただの勘違い野郎だ。
野蛮だ何だと、あたかも自分は高貴なふりして、実は五歳児にも及ばねえ程の根性しかねえだけだろ。
喧嘩も出来ねえ、口の上手さも実は大した事ねえ、ってんじゃ、お前のハッキングの腕とやらも底が知れてんな」
「~~っ、五月蠅い! 馬鹿にするな!! そういうお前だって、そこでただ座って踏ん反り返って偉そうにしてるだけの滓のくせに!
どうせ、お前だって口だけの隊長なんだろう!
調子に乗るな! お前なんかそのうち殺してやる!」
……やばい。マジでこいつ、面白いくらいに乗って来やがった。
「じゃあ、試してみるか?」
「……、え」
「ここの地下な、訓練場になってんだよ。そこで、その目で俺がお前みたいな口だけの男かどうか、自分の目で確かめてみろよ。
ハンデもやるぜ。俺は銃もナイフも、武器は一切使わない。
けどお前は、そういうの全部使って良い。どうだ?」
「っ……正気ですか。下手すりゃ死にますよ」
「いいんじゃねえの。それで死ぬなら、俺はてめえより弱かった事が証明されるんだし。
もし本当に俺がお前に殺されても、鍛錬中の事故だ、刑務所に逆戻りにはならねえよ」
賢吾と夏鈴が目を瞠り、柚希が半ば呆れたように額に手を当てる。
当の崎原は、何やら信じられないようなものを見るような目で俺を見据えたが、やがて、挑発的で不敵な笑みを再び口許に湛えて、一つ、頷いた。




