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Pictures

来春、また会えますように。

作者: Mt.danple

 「畑山さん、調子はいかがですか?」

 「まあ、今日は幾分かマシです。立ち上がれはしませんがね」

 「それは良かった」

 

 彼を蝕む病魔は、もういつ彼を殺してもおかしくはないのに、今日は畑山さんは穏やかな顔で外を眺めている。神の気まぐれか、嵐の前の静けさか、彼の肝臓がんも3月の暖かな晴れの日にまで蝕み回ることはしないようだ。


 畑山さんは金銭的にはそう貧乏には見えないのに隣に大学病院がそびえ立つ中、この地方の小病院に末期癌を見せに来た。一ヶ月前のことだ。


 僕は非常に彼に興味が沸いた。なぜわざわざうちの病院に癌を見せに来たのかだ。余命が幾分も無い事を伝えても少しも表情を動かさなかった当たり、自身が長く生きられない事は畑山さんは知っていたのだろう。


 

 四日前のことだ。


 「この病院は、桜が綺麗だ」


 突然ふっとそう零した畑山さんの顔が、今にも消えてしまいそうだったのだ。

 大学病院では見られない桜だ。この小病院がやっていけている理由でもある。ん?大学病院ではからは見られない?


 「もしかして、畑山さんがわざわざここの病院に来た理由って…」


 そうすると、何もかもお見通しですね。と言わんばかりに畑山さんは柔らかく微笑んだ。


 「妻と出会ったのは綺麗な紅の桜の。そう、まさにあのような桜のきれいなカフェだったんです」

 

 なるほど。彼の話によると、命が短いと知って大病院での入院をやめ、ふらっと外を出歩いていたときにこの病院の桜を見つけたのだとか。


 「ですから、最後に妻と桜を見せていただけませんか?」


 未だ病室の外にどっしりと構える桜の花は開かない。しかし、今朝庭を見てくると、今日は花が一、二個は花弁を開きかけている様子ではあった。おそらく明日明後日には満開になるのではないだろうか。


 「最善を尽くします。見せてあげられるように」

 

 僕は、こう言うしか無かった。畑山さんの癌はもう歩けないくらいに重症だし、明日生きている保証すら何処にもない。ただ、絶対に彼に桜を見せてあげたい。という強い気持ちは持っていたからだった。



 3月の暖かな晴れの日に似つかわしくない内容の話を、畑山さんは話し始めた、


 「桜ってね、木の下に埋められた人の生き血を吸ってあんな色になっているっていう逸話があるんですよ」

 

 よくある怪談噺の類だろうか。畑山さんは普段はそれほど喋る訳でもないのに、今日はやけに饒舌だ。体調が良いのだろう。


 「それは…なんというか、不気味ですね」

 「そうでしょうか。私はとてもきれいな話だと思うんです」


 そして、こう続けた。

 ―桜は、どんなに頑張っても二週間はなかなか持たない。すぐに散ってしまう。それでも、毎年示し合わせたかのように。人々の目を奪い、喜ばせ、幸せを運ぶ。それが人の生き血―命で形作られたとしたら、人の命も、やはりとても尊いものの筈なんです。


 それだけ言って、畑山さんは外へ目をやった。淋しげな目で。そして、まだ開ききらない桜の花びらを見て、ふっとため息をついた。


 「まだ咲きませんか」

 「みたいですね。明日明後日頃には咲くかと思いますが」

 「そうですか、おや、美代子じゃないか。おはよう」

 

 病室の戸を開けて入ってきたのは、畑山さんの奥さんだ。いつもより薄い化粧に消えてしまいそうな儚さを感じる。

 彼女はゆっくりと外の景色を見、そして夫へと目をやった。


 「おはようございます。体調は大丈夫なの?」

 「ああ、今日は問題無さそうだ。桜の花はまだ咲かないようだがね」

 

 楽しそうに話す畑山さんを見て胸を撫で下ろした。これ以上夫婦での団欒を邪魔してはいけないと思い病室の戸に手をかける。


 「あ、先生。今日もありがとうございます」


 畑山夫人の丁寧な挨拶に応じ、事務室へと向かった。エントランスのテレビをふと見ると、桜の開花予想が載っている。開花予想日は明後日のようだ。



 緊急外来の往診をしている内に、夕方になってしまっていた。おもむろに庭に出てみると、桜の木に一つだけ花が開いていた。そこでなぜだろうか、畑山さんの顔が思い浮かんだので、その桜の枝の端を折った。そして、良くない事だとは思いつつも、事務室にある花瓶に挿しておいた。

 しかし本当に血を水で薄めたような細やかな赤だ。医者をやっていないと分からない色だが、確かに動脈を流れる鮮血の色と似通っている。確か前に赤さの際立つ品種だと、誰かが話していたか。


 桜の花瓶を片手で持ったまま、コーヒーを一口含んだ。なんだかいつもより苦い。畑山さんの病状を気にして、少し疲れてしまったのだろうか。ふう、と椅子の背もたれに体重を預けた。

 私の席の一つ隣の席にある呼び鈴がけたたましく鳴り響いたのはその時である。


 「先生!畑山さんが危篤です!」


 まずい!

 安定した状態だったからと言って油断していた!


 一瞬パニックに陥りそうになった。いいや、私は医者だ。私が落ち着かずに誰が落ち着けると言うのだ。

 私はゆっくり、深く息を吸い込んだ。それを吐き出さないままに事務室を飛び出した。


 エレベーターがこの階に無いことを確認し、階段を一段飛ばしで駆け上がる。


 机に置き忘れた花瓶を片手に全速力で走る私の姿に、看護婦、患者、他科の医師が一斉に振り返り、軽い非難の視線を浴びせた。構わない。時は一刻を争っている。角を曲がり、人を掻き分け。遂に畑山さんの病室にたどり着いた。


 特殊部隊のように扉をバッと開き、中へ転がり込む。病室のカーテンは閉まっており、街灯に照らされた桜は、先程よりいくらか多く花びらを開いていた。畑山さんは眉をしかめて、しかし口元は今も和らいでいた。


〜ピッピッピッピッ


 「モルヒネ!鎮痛剤だ!早くしろ!」

 手近にいた看護婦に呼び立てる。

 

 しかし、鎮痛剤を打ち込めど彼の様態に変化は無い。


 「先生。それ以上は昏睡に陥る危険性が高いです!」

 

 ここまでか。

 必死な看護婦の呼びかけ。

 不規則な畑山さんの呼吸。

 病室に入るとき、慌てて机の上に置いた桜の花瓶。

 それらすべてがコマ送りになったように脳内に写った。


〜ピッ ピッ ピッ ピッ


 病室の中は時間が引き伸ばされているようで。私はそこで畑山さんの目を見た。


 そして、改めて目を反らした。

 

 「どうぞ」


 桜の花瓶を畑山さんに手渡す。痩せこけた彼の手は、しかししっかりと、花瓶を手にした。


 「何か、言い残すことは、ありますか」


 震える声で言う。

 視線の端で、畑山夫人が手で顔を覆った。

 視線のもう一端で、看護婦が項垂れた。

 

〜ピッ ピッ ピッ ピッ


 畑山さんの心音図の音さえ聞こえなくなるほど、静かになった空間で。畑山さんはゆっくりと、口を開く。

 

 「先生。ありが、とう。桜を」


 美代子さんに目を向ける。

 「美代子。ごめ、んな。」


〜ピッ  ピッ    ピッ      ピッ


 私は静かに窓を開けた。満開ではない桜風が、薬の匂いで満ちた病室内を満たす。咲かなかった桜の花を、私は睨みつけた。やるせない気持ちを込めて。

 

 だが、対象的に畑山さんはゆっくりと、それを見つめた。


 そして、慈しむように笑った。


〜ピーーーーーーーー




 私はその日、家に帰らなかった。


 事務室の机には冷めたコーヒー。電子レンジで温めても、それは冷たいままだった。


 ー3月17日。畑山 荘介 死去

  原因 ガンの転移によるショック死


 カルテに書き込む、余りにも機械的な現状に苦笑した。


 「先生」

 

 ふとガラス越しに声を書けられる。畑山夫人だ。


 「どうしましたか?」

 

 私は精一杯自分の感情を殺して、芝居臭くなった声で応じた。


 「夫の遺灰の一部は、ここに。この桜の木の下に、埋めさせて頂けませんか?」

 

 それは、私の一存では決められません。

 それは理事長に。

 流石にそれは…


 どんな言葉を返そうとしても、冷酷なものとなってしまって。仕方なく、私は黙り込んだ。


 「ありがとうございます」

 

 彼女は沈黙を承認と受け取ったのか、畑山さんの病室へと帰っていく。


 コーヒーをすすって。私は机に突っ伏した。


 夢を見た。畑山さんが、桜の花びらが咲くまで生きていて、夫人とともに満開の桜を見届けてから死ぬ夢。


 にこやかな笑顔で、畑山さんは目を閉じる。

 「ありがとう」

 そう最後に告げて。


 目を覚ますと、まず私は畑山さんの病室へと向かった。美代子さんをとりあえず一度、家に返さなければならないからだ。


 「畑山さん。おはようございます、一度家に…」


 そこで私は絶句した。病室の窓から、筆舌に尽くしがたいような満開の桜が、望んでいたのだ。


 美代子さんは、畑山さんに寄りかかって眠っている。


 今まで見てきたどんな桜より、美しく、悲しい桜だ。


 神様がもし、いるのだとしたら、本当に残酷だ。畑山さんが亡くなった直後に、こんなに美しい桜を咲かせるなんて。


 そう考え、すぐに思い直した。


 桜に目をやって眠っている畑山さんの顔が、夢の中で「ありがとう」と言い残したあの顔と全く同じだったからだ。


 桜がこんなにきれいな色になるのは、人の生き血をすすっているから。人の命を纏っているから。

 一年後に、桜になった彼を見にくるために、この話は忘れないでおこう。

久しぶりの投稿で、短編です。

オチが微妙だったでしょうか。まだまだ実力不足です。精進します。

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[良い点] 読後、余韻がある話でした。互いを思い合う夫婦愛が素敵ですね。 [気になる点] 主人公は1人の医師だと思っているのですが……前半だと人称が僕で、後半だと私なので複数人いるのでしょうか? [一…
[良い点] 夫婦の純愛。 [気になる点] 桜の枝は折ると、腐ると言われているので、ストーリー上仕方ないとはいえ、ちょっと引っかかりました。 [一言] オチは私は好きです。 皮肉なまでに美しい。残酷だか…
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