変身魔法を目撃す
ディーター先生が『茜離宮』へ出張して、少し経った後。
わたしの身体状態をひととおり診察し終えたフィリス先生は、診療記録ノートを作成していた。
ベッド脇の小卓で、ファイリング作業に集中していたフィリス先生のウルフ耳が――急に、扉の方をスッと向く。
あれ? ――と思っていると、すぐに個室の扉をノックする音が聞こえて来た。
誰かが扉の前に来てたんだ。フィリス先生が、訳知り顔で応答する。
「昼食が来たわね。ロックは外れてるわよ、入って来て」
扉の外側から、誰かが「昼食を運んで来た」というような事を言っていたらしい。わたしは人類タイプの小さな耳のせいか、全く聞こえなかった。頭の左右についているウルフ耳、サイズが大きいだけあって、聴力も良いんだなあ。
見ていると、扉がスライドした。
入って来たのは、各種の料理皿を乗せたサービスワゴン。続いて、予備と思しき空白のサービスワゴンが入って来た。お行儀よく2台並んで、カタカタと音を立てながら入って来る。
――ワゴンを押している人が居ない……?
ジッと見つめていると、2台のワゴンの後ろから、小柄な人物が続いて来た。オーケストラ楽団の指揮棒のような物を、左右に振っている。
――黒髪黒目をした少女だ。背丈は、わたしの目鼻の位置の高さ程度。
少女が持つ指揮棒のような物は、『魔法の杖』に違いない。『魔法の杖』には色々なスタイルがあるみたい。
あの『殿下』や隊士たちが持っていた、いかにも頑丈そうな警棒みたいな物が、『戦闘用の魔法の杖』。ディーター先生やフィリス先生が持っている、伸縮自在な筆記ペンのような――講義用の指示棒のようにも見える――物が、『魔法使い専用の、魔法の杖』なんだろう。
そして、この少女が持っている『魔法の杖』が、最も細くて軽いタイプのようだ。子供用とか、いわゆる『日常魔法』用とか……いかにも一般人向け、という感じがする。
魔法の杖のヒョコヒョコとした動きに応じて、2台のサービスワゴンが独りでにカタカタと動いて行く。まさに魔法だ。魔法で、2台のワゴンを同時に動かしていたらしい。時々、魔法がうまく行かないみたいで、ワゴンが気まぐれにピタッと止まり、少女が直に手で動かしている。まだまだ練習が必要と言う感じだね。
黒髪の少女は、美少女と言って良いくらい、目鼻立ちのハッキリした可愛い顔をしている。フィリス先生と似た顔立ちだと思うけど、気のせいじゃ無いよね?
ふんわりした柔らかな黒髪は肩ラインまでのウェーブになっていて、頭の左右から、子供らしい小ぶりなウルフ耳がピョコンと生えている。左側のウルフ耳のすぐ脇から、あの鮮やかな茜メッシュが流れている。
着てる物も、可愛い。ピンク色の、ミニスカート丈のエプロンドレスとスパッツ。
少女が身体の向きを変えて、『魔法の杖』をペン程の大きさに縮めた。『魔法の杖』の持ち手がクリップの形になっていて、そのクリップで、エプロンの胸の前に引っ掛ける。成る程。これなら落としにくいし、再び使う時にも取り出しやすい。『魔法の杖』って、本当に日常的な、身近な道具と言う感じだ。
その一連の、如何にもメイドさんな仕草の合間に、ふわふわなウルフ尾がピッピッと揺れているのが見えた。ちょっと緊張している……というよりは、仕事を任せられて、お澄まししてる感じっぽい。初々しい。
フィリス先生が、『よくできました』と言う風に、にこやかに微笑む。
「メルちゃんじゃ無いの。今日は配達当番だったみたいね」
黒髪の少女は、わたしを見るなり、ポカンとした顔になっていた。将来は切れ長の目になるだろうキュッと形よく切れ込んだ目を、まん丸に見開いている。
少女の視線の先は――明らかに、わたしの頭部のヘアバンドのラインを追っていた。わたしの頭には、普通にウルフ耳が生えてないので、ビックリしてるみたい。
「……プータロー犬?」
わお。わたしの髪型、ザク切りの、バッサバサの坊主頭だもんね。メチャクチャにハサミを入れたような感じだから。
フィリス先生が、早速『魔法の杖』をハリセンに変形して――驚く事に、魔法の杖は、魔法の粘土か何かみたいに、色々な形に変形可能なんである――少女の頭を軽く『ペチン』とやった。
*****
ちょうど昼食時なので、昼食を運んで来た見習い少女メルちゃんも、わたしたちと一緒に食事中。メルちゃんは空白ワゴンを拡張テーブルに見立てて食事をしている。こういう事を想定していたそうだ。準備がいいね。
フィリス先生やメルちゃんの食事はシッカリした内容だけど、わたしの食事は、胃袋をビックリさせないように、消化の良いスープをメインとしたメニュー。
フィリス先生が、少し驚いたように、わたしの手元を眺めて来た。
「ルーリーが見習いに行っていた所が何処は分からないけど、城館の見習い教育、シッカリしていたのかしら。食事マナーが綺麗ね。諸王国との親善外交レベルの夕食会に参列しても大丈夫なくらい」
――そ、そうですか? 普通に食べてるだけですが……
黒髪の可愛い見習い少女メルちゃんも、『ふーん』というような顔でマジマジと見て来る。
メルちゃんは、『水のメルセデス』が正式名で、今年、仕事見習いに出る年齢になったそうだ。ピッカピカの新人だね。人体換算年齢で、10歳。何と、フィリス先生の姪。
メルちゃんが着ているミニスカート丈のエプロンドレスとスパッツは、下級侍女のユニフォーム。正式なユニフォームはハシバミ色でまとめているけど、見習いのうちは、色は自由だとか。メルちゃん、ピンクが好きなのね。
ウルフ族の子供たちは、10代前半のうちに、地元の城館や領主館に参上して、仕事見習いが出来るかどうか試す事になっているそうだ。これはウルフ王国の国民データを確定するという理由もあって、参上は必須。
王宮に近い城館であればあるほど箔が付くので、『茜離宮』は人気のある見習い先だそうで、飛び地や辺境から上京して来る子も少なくない。適性診断に合格したら、城館で仕事見習いをしつつ、読み書き計算や魔法の応用、そして『大陸公路』全域で共通する行儀作法を習う。
(もちろん、病気やケガのため仕事見習いの内容に耐えられない、元々の気質からして城館という場に馴染めない――などの理由で、適性診断に合格しなかったとしても、城館以外の所でも充分に対応できるので問題は無いそうだ)
中級スタッフのコースを満了した頃、ちょうど成人と言って良い年ごろになる。そして結婚したり定職に就いたりする。城館に残って働き続けて、新しく入ってきた子の仕事見習いを世話する人も多いとか。
特に実力や才能を認められた場合は、早くから上級スタッフのコースに入る。上級侍女、上級隊士、上級役人の育成コースなど。大抜擢の栄誉にあずかって、上級役人から大臣レベルへと出世して行く事もある。
一方で、方々の親方に引き抜かれて、めいめいの技術職に行く子も多い。魔法使いコースも、その類。フィリス先生は魔法の才能を見い出されて、魔法使いコースに入って、魔法使い治療師になったと言う訳。高度魔法を使える人は珍しいので、フィリス先生みたいなのは、エリートコースだそう。さすが『先生』。納得。
しばらくして、フィリス先生が笑みを浮かべて来た。
「食事は、口に合ってるようね」
――あれ? わたし、何も言ってませんよね? どうして分かったんですか?
「だって、ルーリーの尻尾、顔と一緒で分かりやすいもの。素直な性質なのね」
思わず、自分の尻尾を見直してしまった。
まだ毛並みはヘタってるけど、さっきまで、すこぶる調子よくパタパタ揺れていたから、『食事が口に合っている』と診断できたそうだ。
思いついて、横をチラリと見てみれば。
お楽しみのデザートを夢中で堪能中のメルちゃんの尻尾も、機嫌よくパタパタしてる。成る程。
ウソをついた時に、顔では巧みにごまかせても、尻尾の動きでバレる事がほとんどだとか(ただし、外交交渉を専門とする役人など、特別に訓練した獣人の尻尾の場合は演技が行き届いていて、真意を読むのは困難だそうだ)。
わたしの場合、『殿下』に恫喝されても、地下牢に放り込まれても、尻尾を出さなかった。――と言うよりも、出せなかった、というのが正確だけど。
イヌ族スタイルのサークレットもどき、もとい『呪われた拘束バンド』の性質に気付かなかったら、今ごろ、容疑者に尻尾を出させるための、あらん限りの拷問メニューを、次々に体験させられていたみたい。怖い!
つらつらと考えていると、食事を済ませたメルちゃんが、フィリス先生に声を掛けていた。
「今日はお姉ちゃんが広場に来てるの。うちの街区の当番日だから……どう?」
メルちゃんが身振り手振りで黒髪の端を持ち上げている。フィリス先生は『良い話を聞いた』と言わんばかりに、目をキラッと光らせていた。
「ルーリー、病棟の中庭広場には、当番制の店が色々入ってるのよ。今日は美容店が開いているから、その髪を何とかしてもらいましょう。その尻尾も、毛並みを整えるだけでも違うわよ、この子の姉は『地のジリアン』と言うんだけど、御用達の店でも認められてる腕前の美容師だから」
獣人の毛は、先祖の性質をシッカリ受け継いでるから、ヘアカットを含む定期的な手入れが必要との事。ゆえに、獣王国では、毛並みを整える専門の美容師や理容師は、最も多い職業のひとつだ。
竜人や魚人の王国では、髪結いの仕事はあるんだけど、ヘアカット担当に相当する職人は居ないと言う。脱皮の際に毛髪が綺麗に生え変わるし、髪の状態が鱗の状態によって決まるから、『ヘアカット』類が必要ないらしい。
うーん、竜人や魚人の毛髪の構造って、相当のミステリーだと思う。鱗がハゲたら、頭もハゲた状態になるんだろうか。謎だ。
少し相談した後、体力回復とリハビリを含めて、中庭広場まで歩いてみようという事になった。
メルちゃんが『魔法の杖』で自動運転して来た予備のサービスワゴンを、歩行器に見立てて、手動で転がしてみる。結構いい感じ。
早速、メルちゃんが目をキラキラさせて、フィリス先生の灰色ローブを引っ張った。おねだりの格好だ。
「ワゴンの上に乗って良いでしょ? 洗い場で一旦、人体に戻って、食器を下げとくし。舟に乗ってる感じで好きなの」
「しょうが無いわね。ルーリーが疲れてきたら、降りてもらうわよ」
メルちゃんは、フィリス先生の承諾を受けるが早いか、変身魔法を発動した。
フィリス先生に促されて、魔法感覚らしきものを意識してみる。額の中央辺りに、魔法感覚『第三の目』があるんだって。視覚と聴覚が合わさった、全方向型のアンテナのような代物らしい。
わたしの魔法感覚は、拘束バンドのせいで一部を制限されている状態(ディーター先生が頑張って、呪いを少し弱めてくれたそうだ)。言われてみれば、距離感とか、パワー強度とかの類は全く伝わって来ない。でも、エーテル光の色と形のイメージは、ちゃんと結んでくれているみたい。
メルちゃんの身体が、《水霊相》特有のエーテル光だと言う青系統の様々な光に包まれた。色々な種類の青い光で出来た、チラチラとした人影という感じになる。その人影が形を変え、更に小さくなった。
物理的な視覚はエーテル光に対応していないから、変身魔法プロセスが進行中の間は、そこに常夜闇の穴が出来たように見えるという。それは、さぞオカルトでミステリーな眺めだろう。
――わたしは不意に、最初の頃、フィリス先生の手で此処の病室に運ばれていた時、不思議な常夜闇のような空間に包まれた時の事を、思い出した。あれも、魔法感覚で見てみれば、全く別の光景が見えていたに違いない――
やがて、メルちゃんの変身魔法が終わった。
青い光が収まると、そこには、片腕でも抱えられそうな、ちっちゃな子狼が居たのだった。メルちゃんと同じ、ふわふわな感じの、少しウェーブの入った黒い毛。左側の耳の脇に、見覚えのある一筋の茜色が混ざっている。
うわ~。びっくりした~。
「メ、メルちゃん?」
『そーよ。何で、そんなに驚いているの?』
フワフワな黒い子狼が、可愛らしいウルフ耳とウルフ尾をピンと立てて返事して来た。厳密には音声じゃ無くて、身振りと表情と息遣いを合わせたメッセージの形になっているんだけど、意味を持って伝わって来る。
フィリス先生が、手慣れた様子で『メルちゃん狼』を抱き上げて、ワゴンの上に乗せた。
「ルーリーは記憶喪失なの。変身魔法もおかしくなってるから、この病棟に入院してるのよ。いろいろ基本的な事が抜けてるから、メルちゃんも気が付いたら教えてあげてね」
『分かったわ。ルーリーは変な声してるけど、これも病気のせい?』
「そのような物ね。でも、言葉には気をつけなさい」
あ、やっぱり、わたしの声、普通じゃないみたい。フィリス先生がメルちゃんを叱ってるけど、わたしは怒ってないよ。普通の人から自分がどう見えるのかというのは、気になってたから。
――あれ? でも、わたし少し喋っただけで喉が疲れて痛くなってしまうから、ほとんど口に出して喋ってないんだよね。しゃがれて歪んだ声だから、語音も潰れてるんだけど……意思疎通できてる?
フィリス先生と子狼なメルちゃんが、わたしの顔をジッと見て来て、同時に頷いて来た。
「複雑な内容となると、口でちゃんと喋ってもらわないと分からないけど、基本的な事ならね。元々、先祖の狼たちは、狩りの時はそうやってコミュニケーションして来たものよ。ルーリーは今、『狼体』の時のやり方で喋ってるし、尻尾も含めて、表情が素直だから」