事件の後の長い夜・3
総合エントランスのざわめきは、まだ続いている。
そこかしこから、『大食堂の脇の回廊で』とか『矢の群れが』とか聞こえて来る。今回の大事件は、夜を徹しての話題になりそうな勢いだ。
ふと1人になったテーブルを眺めると、備え付けの半透明のプレートが置かれているのが分かった。フィリス先生の持っている物よりサイズが一回り小さくて、初心者向けみたいな感じ……わたしでも扱えるかな?
プレートの端に、押しボタンみたいな物が6つ程ある。順番に押して行くと、端っこのボタンで、プレートに文字列が浮かんだ。これが起動スイッチだったらしい。
――読める。
最初に出て来た文字列は、ガイドブックの類。どうやら、わたしの記憶喪失は、文字まで忘れるようなレベルじゃ無かったみたい。文字の記憶が無意識レベルで蓄えられていたお蔭かも知れないけど、とりあえずホッとする。
考え考え、操作ボタンを押していると、やがて大天球儀のニュース・チャネルとリンクした。トップニュースが、やはり今日の襲撃事件の事で、早くも新しいニュースラインが到着している。
――凶器となった『対モンスター増強型ボウガン』のひとつが、尖塔の最上階にある襲撃ポイントから持ち出されて、行方不明になっている事が判明した。捜査本部は次のように呼び掛けている。見慣れない『対モンスター増強型ボウガン』を発見次第、手を触れずに、本部まで通報されたし。慣れぬ人や非力な女子供が矢をセットしようとした場合、思わぬタイミングでバネが弾けるなどして大怪我をしやすいので、くれぐれも注意されたし――
行方不明……『対モンスター増強型ボウガン』が、ひとつ。
よりによって。あの襲撃に使われたと思しき『凶器』のひとつが、行方不明……
問題の、『対モンスター増強型ボウガン』は――犯人が持ち出したんだろうか?
この武器は機械仕掛けで、撃つだけなら女子供でも出来ると聞いた。でも、矢をセットする作業の方は、遥かに大変らしい。『対モンスター増強型――』と言うくらいだから、よっぽど筋力が無いと完全には扱い切れないんだろう。
アルセーニア姫の暗殺事件に使われた凶器も、『対モンスター増強型ボウガン』と推測されていると言うのが、すごく気になるけれども……
*****
「へーい、カノジョ、ひとり?」
ビックリして――声がした方向を、見上げる。
すこぶる背の高い、金髪の男。一見して、ウルフ族・金狼種。
頭部の左右から出ているのは、ウルフ耳っぽい耳。王子様みたいな、赤色のサークレット。ワルっぽいけど、ギリギリ『奇抜』という程度には節度のあるファッション。
「……巻き尾って事は……イヌ族さん?」
ワルっぽい雰囲気ながらも、顔の造作が平均以上に整っている――金髪サークレット男は、さりげなく『尾』を隠してたみたいなんだけど。
このテーブル、エントランスの端にあるから、ガラス窓が隣にあって。背後が、宵闇で暗くなったガラス窓に反射して見えるんだよね。巻き尾も、バッチリと。
「あっちゃー。ガラス窓かぁ。よく気付くね、カノジョ~」
金髪イヌ族の赤サークレット男は、背後のガラス窓を一瞥し、憎めない笑みを浮かべた。
ワルっぽい髪型をした金髪頭に手をやって、姿勢を傾けた拍子に、赤いサークレットが夜間照明にきらめく。わたしの頭部にハマってる『呪いの拘束バンド』と、デザインが似ている。
その赤いサークレットは、額の中央部分が開いていて、左右対称に複雑なパターンの幅広のバンドにつながっているという華やかな様式だ。
へえー。イヌ族が好む意匠のサークレットって、こんな風みたい。
ウルフ族が好む意匠のサークレット――ヴァイロス殿下やリオーダン殿下がしていた銀色のサークレットとか――は、普段使いじゃ無いみたいで、もっと細いラインだったけど。
金髪イヌ族の赤サークレット男は、ニヤニヤ笑いなんだけど、バカにしてる訳じゃ無いから、そんなに気にならない。イタズラっ子が『エヘヘ、失敗した~』とか言ってるような感じ。
わたしがウルフ族って事は、この金髪イヌ族の赤サークレット男は承知していると思う。わたしの尻尾は毛並みがペッタリしてるけど、明らかにウルフ尾だから。
――でも、このヒト、一体どんな用事があって声を掛けて来たんだろう?
今は頭部に包帯を巻き巻きして、『人類の耳』も『呪いの拘束バンド』も、キチンと隠せている状態だ。わたしの外見は、『耳パーツ手術の順番待ちの患者』には見えても、『アヤシイ忍者・工作員』には見えてないと思うんだけど……
小首を傾げていると――
――金髪イヌ族の赤サークレット男は、わたしの髪の周辺に素早く鼻を寄せて来た。
そして、髪の各所で、クンクンやり出した……匂いを嗅いでる?!
「な、何ですか?」
「変な声~。オレの勘は、確かに女の子と告げてるんだけどさー。紺色マントしてるし、男の子だったのかなー。声変わり中のウルフ少年にしちゃ、匂いが違うような気がするんだけどさぁ」
ま、まさかの変態?! こんな、人目が一杯ある所で?!
金髪イヌ族の赤サークレット男は、わたしの顔の左側に――まさにドンピシャで、『茜メッシュ』が存在する辺りに――鼻を移動した瞬間、「ウヒョオッ?!」と奇声を上げた。
ギョッとして、思わず、のけぞる。
金髪イヌ族の赤サークレット男が、わたしの頭部の包帯から飛び出している、わずかな髪をかき揚げて来た。『茜メッシュ』の位置だ。
その一瞬、金髪イヌ族の赤サークレット男の目がキラーンと光った。巻き尾が『大歓喜!』と叫ぶかのように、左右にブンブン振れる。
次の瞬間には、金髪イヌ族の赤サークレット男は、ビックリする程キレイな姿勢で、ひざまづいて来た。
「これは運命の出会いだ、お嬢ちゃん! オレの名前は『火のチャンス』と言うんだ! キミの正式名を教えてくれ! そして、《宝珠》をオレにくれ!」
――はぁッ?!
金髪イヌ族の赤サークレット男は、唖然とするほど素早くわたしの手を取り、左手薬指の根元に口づけして来た。そして、いっそう目をランランと輝かせて、期待に満ちた笑みで見つめて来たのだった。
「わたし、お宝も何も持ってませんが……?!」
金髪イヌ族の赤サークレット男『火のチャンス』は、幅広の赤いサークレットの中央部の間隙、すなわち装飾に覆われていない額の真ん中に、手をやった。そして、グイグイと顔を近付けて来た。
――か、顔が近すぎるって!
「オレの額に熱い口づけをしてくれれば、《宝珠》が……(ベッチン!)フゴォッ!」
気が付くと――『火のチャンス』なる金髪イヌ族の赤サークレット男は、脳天に強烈なハリセン攻撃を受けて、テーブルの下の床につんのめっていたのだった……
フィリス先生とメルちゃんが戻って来ていた。何が何だか分からない状況だったから、ホッとした。
「ルールは守りなさい、火のチャンス。《宝珠》盟約は、結婚制度に関わる神聖なルールよ!」
フィリス先生の容赦の無い視線を受けて、さすがに『火のチャンス』なる金髪イヌ族の赤サークレット男も、青ざめて縮こまっている。
わお。サークレットの色が《火》の赤なだけに、青ざめた顔色とのコントラストが印象的だ。『火のチャンス』は、尻尾を丸めて引きつった笑いをしたまま、テーブルの端にズリズリと後ずさり出した。
フィリス先生、不吉な雷光をまとった『魔法の杖』もとい『ハリセン』を突きつけて、本気で激怒してるもんね。ウルフ耳の角度も、攻撃的角度に傾いているし。
「なんだ、まぁ久し振りだね、風のフィリス嬢。その物騒なモン引っ込めてくれ、話せば分かる。そして《宝珠》の予約について、2人で話し合おう」
「不良プータローと話し合う事なんか無いわよ」
けんもほろろな、フィリス先生なのだった。その脇では、サービスワゴンにティーセットを乗せて運んで来ていたメルちゃんが、意味深な様子で、ウンウンと頷いている。
「えっと……《宝珠》って何ですか?」
わたしが思わず発した質問は、金髪イヌ族の赤サークレット男『火のチャンス』を徹底的に驚かせたみたい。チャンスさんは、ウルフ族に似た細い目を真ん丸に見開き、文字通り飛び上がった――文字通り。
「くうッ! 千載一遇の《宝珠》完全ゲットの好機だったのか!」
などと大声でボヤいたのが一層いけなかったらしく、フィリス先生のハリセンが、再びうなりを立てたのだった。
*****
金髪イヌ族の赤サークレット男『火のチャンス』を床にお座りさせたまま、夕食後のティータイムが始まった。
「全く、油断も隙も無い……この自称・御曹司『火のチャンス』は、この辺でも有名な『不良ドンファン』だから、気を抜いたらダメよ。普通のイヌ族の男は、此処まで失礼な夜討ち朝駆けは――記憶喪失の隙を突くような不意打ちは――して来ないんだけどね」
フィリス先生がお茶を一服しながら、イヌ族『火のチャンス』に関する辛辣な人物紹介をして来た。
「男として『真実の愛』を追い求める事の、何が悪いってんだよ」
「貴殿のは、度が過ぎてるし、目的をはき違えてるのよ。『宝珠メリット』に目がくらんでるんでしょう。《宝珠》は、一夫一妻制において《宿命の盟約》を決定する要素であると言うのが第一義であって、それに伴う男性側の、危険察知能力の向上だの、身体能力や魔法能力の上昇だのは、《盟約》の副産物でしか無いんですからね」
金髪イヌ族の赤サークレット男、チャンスさんは、なおもブツブツと呟いていた。
「でも《宝珠》の増強効果ってさあ、10人の恋人と同時ラブした以上に凄いし、ほぼ永続的って言うしさぁ」
「唯一の人に一生の愛を捧げる事の意味を、ちゃんと理解して言ってるのかしら? その言い草って」
――何だか、全然かみ合っていない会話だなあ。
聞けば、イヌ族は多夫多妻制で、ウルフ族は一夫一妻制なんだそうだ。そりゃ、話が合わないよね。
ウルフ族は獣人の中で唯一、一夫一妻制の慣習を持つ種族として、《宿命図》の中に《宝珠》という内部構造を備えている。他に《宝珠》を持つ種族は竜人のみだそうだから、割とレアな代物らしい。
メルちゃんが、お茶の中に可愛い花の形の砂糖を溶かしながらも、「そう言えば」と声を掛けて来た。
「お姉ちゃんと恋人は、《宿命の盟約》したのよ。あとで、お姉ちゃんの左の薬指を見てみると良いわ」
「左の薬指?」
「そうー。おでこにキスした時に、女の方の左薬指に《盟約》のサインが出るの。お姉ちゃんの恋人は大歓喜したっていうのかしら、その後、お姉ちゃんを抱っこして近所の通りを爆走して、勢い余って、うちのドア、ブチ壊してたのよ。普段は超・冷静沈着って人なのに、あんな風になるなんて、男って全く、バカよね」
前に会った時は、ジリアンさんの指を余り見てなかったから、良く覚えてないなあ。何か結婚指輪があったような気はするんだけど。
それにしても『おでこにキス』。
それで《盟約》というのが成り立つのか。
チャンスさんが『額に熱い口づけを』と迫ってきた理由は良く分かったけど、そんなに簡単に《宿命の盟約》が成り立つんじゃ、グローバル慣習の『親愛の口づけ』挨拶をする時なんかは、大変なんじゃ無いだろうか?
――心の中の疑問が、バッチリと顔に出ていたらしい。フィリス先生が訳知り顔で説明して来た。
「そんなに簡単に成り立つ物でも無いわね、《宿命の盟約》と言うのは。お互いに、最初から《宝珠》が合致して、しかも一定以上の好意を寄せ合う相手なんて、見付かる方が珍しいわよ。イヌ族とウルフ族とは、子孫を作る事を前提にしての交配が可能だけど、イヌ族は《宝珠》を持たない種族だから、正式に結婚しても《盟約》の証は出ないの」
そこで、チャンスさんが再び口を出して来た。
「オレにベタ惚れって言うくらい、夢中になってくれれば話は簡単だぜ。《宝珠》パワーもな」
ビックリしてチャンスさんを振り返る。
チャンスさんは、とっておきの物だろう色っぽい上目遣いと仕草とで、赤いサークレットに指を掛けた(犬座りでコレをやれるのも凄いかも)。しかし、すぐに底意が透けて見える『ドヤ顔』そのものの満面の笑みを浮かべて来た。
「それにルーリーちゃん、キミ、イヌ族の父とウルフ族の母の混血でしょ、その顔立ちからして。子供は母方の種族で生まれるしさ。オレはウルフ族の父とイヌ族の母の混血だけど、有力部族の血を引いてるからサークレット持ちの御曹司だったりするんだ。これこそ、運命の恋人の出会い……(ゴッチン!)ブホォッ!」
フィリス先生、容赦ない。今度のハリセンは頑丈なタイプだったみたいで、シッカリ固形物っぽい音がした。
ようやくの事で、金髪イヌ族の赤サークレット男・チャンスさんは、大人しくなったようだった――と言うのは、まだ早かった。チャンスさんは魔法か何かのように、ポケットから綺麗な香水瓶みたいな物を取り出し、メルちゃんに向かって捧げ持った。
「メールーちゃん♪ コレ、試してみない? その黒髪を、あっと言う間に輝くような金髪に変えてくれる、革命的な新商品の染髪料だよ」
――あ。メルちゃんって確か、『金髪コンプレックス』だったんだっけ。メルちゃんの目がキラーンと光った。
メルちゃんが香水瓶に手を伸ばしたところで――やはり、フィリス先生がサッと奪い取った。
「フィリス叔母さん、メルの金髪~!」
メルちゃんの抗議にも関わらず、フィリス先生は素早く『魔法の杖』を光らせて、香水瓶の中を照らした。『成分分析』の魔法みたい。すぐに分析結果が出たみたいで、フィリス先生は、返すハリセンで、『火のチャンス』さんを『ゴッチン!』とやった。
「子供に危ない物を出すんじゃ無いわよ、この不良プータローが! これ、即効性の強烈な媚薬じゃ無いの。しかも、我がウルフ王国の法律に引っ掛かる危険ドラッグ成分が、シッカリ入ってる!」
再び床に手を突く形になったチャンスさんは、それでも綺麗なひざまづきの態勢を取った。
古代の王子様がやるような、女性にとってはドキッとするような、あのポーズだ。赤サークレットも相まって、本物の王子様に見える。鏡の前でいっぱい練習したに違いない――舞台役者並みに、サマになっているのが凄い。
「城下町の盛り場の一等地にある『ミラクル☆ハート☆ラブ』の新商品だから危なくないぜ。ちゃんと毛髪に金色のキラキラが出るし、あと引かないから、アルコールと混ぜても二日酔いは無いし」
……セリフの方は、シッカリ残念だった。ドヤ顔の笑みも。
「ランジェリー・ダンスの店ね。夜の営業で、どんな風に『媚薬』が使われるのか、推して知るべしだわ」
再びフィリス先生の『魔法の杖』が、フィリス先生の激怒に応じてか、不吉な雷光をまとい始めた。『魔法の杖』が変形して行ってるんだけど、ハリセンとは別の、もっと物騒な『何か』だ。
さすが(?)のチャンスさんも、命の危険を感じたみたい。
チャンスさんは口を引きつらせながらも、「じゃあな~」と、モデル並みにカッコ良く身をひねって見せて来た後、サーッとその場を退散して行ったのだった。




