事件の後の長い夜・2
「フィリス先生。火のマーロウさんは、今でもチェルシーさんと親しそうですね」
「ええ、そうなのよ、ルーリー。アンティーク宝飾品の鑑定などで、今でも時々会っていると聞いた事があるわ。室長になった今でも、研究熱心な方ね」
成る程。確か、チェルシーさんは、趣味と実益を兼ねたアンティーク宝飾品店を経営していると言ってたっけ。アンティーク物のコレクションも手掛けていて、前日の『水のサフィール』の中古ドレスも、そのツテで入手したと話していた。
フィリス先生は、再び半透明のプレートを操作しつつ、「そう言えば」と付け加えて来た。
「マーロウさんは、『大狼王』の血を引く名門の貴種の出身の人なの。若い頃は、『殿下』称号レベルの力量を認められていた事もあったみたい。でも基本的に研究者気質な穏やかな方だから、結局は、並み居る荒くれ共を取りまとめる方面は――王族を務めるのは――向かなかったようで。今は臣籍降下という形で、古代アンティーク部門で天職を満喫してらっしゃるみたいね」
――へぇ。あのシニア世代のウルフ族男性が。
言われてみれば、マーロウさんには何処となく気品と余裕が感じられるし、納得できる。文官ユニフォームだったから先刻は気が付かなかったけど、思い出してみると、あの体格も、貴種ならではの立派な体格っぽい感じがする。
フィリス先生の問わず語りは続いた。
「チェルシーさんも名門の出身の令嬢だし、チェルシーさんとマーロウさんは、昔は、結婚するんじゃ無いかなと思うくらいには良い仲だったの。今からしてみると、友情の延長だったみたいだけど。ほら、チェルシーさんは結局、別の男性と――今の御夫君、衛兵部署の方に勤めている堅物の文官さんと結婚したから」
驚きそのものの話だけど、一方で、そんなに意外さは感じない。
チェルシーさんは品が良いし、マーロウさんも雰囲気は同じくらい洒落ている。確かに若い頃は、職場結婚も噂される程に、お似合いの2人だったんだろうな、と納得だ。
お互いに良い雰囲気で、同じアンティーク物への情熱を共有していて、何故に結婚にまで至らなかったのかは不思議だけど、本人たちにしか分からないような理由があったんだろう。
メルちゃんが、再びハンバーグを『グサッ』と突き刺しながら、喋り出した。
「それにしても、あの小麦色のおじさんの言う事も、もっともよね。頭を串刺しにされて死ぬなんて、普通の死に方じゃ無いもの。しかも偶然とはいえ、王子様まで死ぬところだったんでしょ。犯人は、きっと、すごく焦ってたのよ」
メルちゃんの頭の中は、血みどろなシーンの再現と想像図で一杯のようだ。
そうだよね。これくらいの子供には、事件の話はショッキングな筈だ。わたしも緊張のあまり途中で気絶しちゃったし、年齢から言えば似たり寄ったりかも。
不意に――記憶が巻き戻った。
あの時。
タイストさんは激しく怒鳴り合っていた。誰かと――
――そう、『風のヒルダ』さんと。ヒルダさん。あの時、すごく怒っていた。魔法を使って、重い本を投げつける程に。
「ルーリー?」
「もしもーし、応答せよー? ルーリー、帰還して来てる?」
記憶の再現に没頭していたみたい。フィリス先生とメルちゃんがビックリした顔でのぞき込んで来ている。メルちゃんは、わたしの目の前で手を振っていた。
――あ、わたしは大丈夫だよ。ちょっと考えごとをしてただけだから。
「ビックリしたわ。いきなりピタッと不動になるんだもの。集中力が強いのね」
フィリス先生に指差されて、自分の手を見ると――スープを入れたスプーンを持ったままだ。
わたし、スープをスプーンですくった姿勢のまま、固まってたんだ。それは、自分で考えても、かなりオカルトでミステリーな眺めだと思う。ビックリさせて済みませんでした。
わたしはスープを口に含んで喉を湿らせた後、慎重に声を押し出して行った。喉に適当に湿り気があると、喋りやすさが違うんだよね。
「あの、思い出した事があって。タイストさんは、大食堂に入る前、ヒルダさんと大喧嘩してたんです。ヒルダさんは重い本を魔法で持ち上げて、タイストさんを殴っていて。割と離れてたんですけど『ゴン』という音、わたしにも聞こえるくらいで……」
フィリス先生は、目を見張っていた。フィリス先生は気付かなかったのかな。タイストさんとヒルダさん、かなり大声で叫び合ってたんだけど。
「ええ、私は気付かなかったわ、ルーリー。回廊に近い端の人たちが、何かに気付いた様子は見えていたんだけど。あの時は、『風のジルベルト』閣下が、ディーター先生の傍にいらしてたから。彼は魔法部署の幹部で、同時に第五王子でもあるの。『殿下』の称号は第三位までしか付かないから『ジルベルト殿下』では無いんだけど」
事のついでのように説明した後、フィリス先生は、わたしに、当時の状況について細かく質問して来た。
そして、フィリス先生は、タイストさんとヒルダさんの謎の喧嘩について詳細を聞き終えた後、真剣な顔になって考え込んだのだった。
「それにしても、ヒルダさんは一体、何をそんなに腹立てていたのかしら? 本を投げるほど怒り狂うなんて、よっぽどの事よ。だからと言って流血に及ぶ、と言う訳じゃ無いだろうけど……」
フィリス先生は首を振り振り、「これは、ディーター先生に話を上げておかないと」と言って、立ち上がった。
「私は通信室に行って来るから、メルちゃん、ルーリー、申し訳ないけど、ちょっと待っててね」
フィリス先生は、総合エントランスの受付の方へと駆けて行った。そちらの方に通信室があるらしい。
「フィリス叔母さんが行ったのは、一般の通信じゃ無くて、秘密通信の方ね」
メルちゃんが、訳知り顔で解説してくれた。
一般的に、『魔法の杖』を使う通信は、特に秘密にする必要の無い通信。
そして、盗聴されると困るような内容を通信する時や、国境をまたぐような遠距離通信をする時には、特別な通信機をセットしてある通信室を使うそうだ。例えば、金融魔法陣の情報とか、辺境の飛び地との連絡とか。成る程ねえ。
「すっかり暗くなったし、フィリス先生が戻って来たら病室に戻る頃かな……」
「あ、ねぇ、ルーリー。まだ身体が大丈夫なら、もう少し、此処に居てくれる?」
メルちゃんが、わたしのスモックの袖をつかんで、オネダリして来た。
――『茜離宮』で気絶して少し睡眠をとる形になったから、身体の方は、余り疲れていないけど……?
回答を得て、メルちゃんは俄然、張り切った様子になった。パパパッと夕食の後片付けを始める。
サービスワゴンに使用済み食器を積んだところで、メルちゃんは身を乗り出して来て、わたしの『人類の耳』に口元を寄せて、内緒話をする格好になった。
「良かった。今、お皿を洗い場に持ってって、お茶セット持って来るから待っててね、ルーリー。あのね、秘密の中の秘密なんだけどね……実はね、フィリス叔母さんは、ディーター先生の事が好きなのよ」
……はい?!
「中級魔法使いは、上級魔法使いの助手になるんだけど。フィリス叔母さん、魔法部署の偉い上級魔法使いの助手の話も来てたくらいなんだけど、それを蹴って、ディーター先生の助手を希望してたのよ。高度治療師の資格だって簡単じゃ無かったのに。それなのに、何年も告白しないで片思いしてるのよ。見てて、ホントにジレジレするったら、無いわッ」
――き、気付かなかった……!
「フィリス叔母さんとディーター先生は、両片思いよ。このメルが言うんだから、間違いないわ。ルーリーも、メルと一緒に『ラブラブ作戦』、してね!」
――は、はあ。わたしに出来る事なら。
メルちゃんはニンマリと笑みを浮かべ、『ラブラブ作戦の事は、誰にも言っちゃダメよ』と念押しして来た。そして、スキップ混ざりの急ぎ足で、サービスワゴンを押して、洗い場へと向かって行ったのだった。
*****
わたしは少しの間、メルちゃんが言った事を考えてみる事にした。
中級魔法使いは、上級魔法使いの助手になる事が決まっているらしい。魔法使いの育成カリキュラムが関係しているのだろう。
くだんの『魔法部署の偉い魔法使い』と言うのは、例えば、今日見かけた『風のジルベルト(にして、第五王子)』のような人が、そうなのに違いない。彼は、何人もの中級魔法使いに、指示を出していた。そう出来る立場の人なんだ。
ディーター先生は、今回の事件の捜査チームに引き入れられている。助手であるフィリス先生は、本来は、それを補佐する立場。
それが、わたしの付き添いという事で、フィリス先生は病棟に戻された。ディーター先生の指示――つまり、ディーター先生の意思だ。
ディーター先生の方は、フィリス先生の身の安全を心配して、わたしという理由を付けて、不気味な殺害現場から病棟へ戻した――と考えられるのだ。
――うん、納得できる。正直、ビックリした。
ビックリしたけど、何となく『これは真実だ』と思える。
メルちゃん、諜報力すごい。将来は、きっと、恐るべき忍者や工作員になれると思う。