王妃の中庭:密室の中の姫
アルセーニア姫の死亡現場、通称『王妃の中庭』。
そこに直結する連絡ルートの各所に、ベテランの衛兵が並んでいた。警備が厳しいというのはホントだった。
病棟に詰める上級魔法使い治療師というのは、人間の死に際の現象に詳しいだけあって、一目置かれているらしい。クレドさんも、ヴァイロス殿下直属の親衛隊メンバーという事で、顔パス。
此処でも、わたしの扱いがちょっとした議論になったんだけど、『クレドさんが監視するからには大丈夫だろう』という事で、渋々と言う形で通過オーケーとなった。クレドさんは、第一王子ヴァイロス殿下の親衛隊に所属するくらいだから、腕っぷしの強いエリート隊士なんだろう。
そんな訳で。
わたしは、陽光が降り注ぐ中庭で、やっと地上に降ろされて――今まさに、問題の噴水を眺めている。
さすが王族のスペースと言うか、中庭って言っても、呆然となるような広さなんだよ。外にあったルーリエ種の噴水広場の、10倍は明らかに超えている。ぐるりと、華麗な彫刻を施されたアーチ列柱が取り巻いていて、駆けっこ大会だって開けそうな感じだ。
中央に大きな噴水。ベンチになりそうな石段が、噴水プールの仕切りとなって取り巻いている。
石畳は噴水の周りにあるだけで、他は緑の芝草に覆われていた。中庭の縁にそって、ぐるりと一巡するように、種々の花を揃えた花壇もしつらえてある。
噴水の近くに優雅なカフェテーブルがあるんだけど、亡きアルセーニア姫は、噴水の石段に座ってお茶を飲むのを好んだとの事。意志の強い、元気な王女様だったそうだ。あのヴァイロス殿下の姉君な人だから、何となく納得。
噴水の周りをウロウロしていると、石段の傍に居たフィリス先生が、手招きして来た。
「此処は踏まないようにね」
――と、フィリス先生が注意して来た。
噴水プールの仕切りを兼ねている石段の一部に、黄色のラインで人間の形っぽいのが描いてある。思わず息を呑む。
「げ、これって……」
「そう、アルセーニア姫の死体があった場所よ」
――此処で、アルセーニア姫は、どうやってか飛んできた矢に、心臓を貫かれて死んだ。分かっていても、毛が逆立ってしまう。
そっと、『矢が飛んで来た』と思しき方向を振り返ってみた。
確かに見晴らしの良い中庭で、隠れるような場所は無い。
一面の緑の芝草に、くるぶし丈までしか無い可憐な花々が点在している。中庭の縁に沿って並ぶ花壇の高さも、それくらいだ。
アルセーニア姫の正面で、死角が出来るのは、端っこを巡る回廊の列柱の、陰になるところのみだ。
犯人は、どうして背後から襲わなかったんだろうかと思ったけど、ベンチ代わりになる石段を見て納得した。この幅じゃ、腰を下ろす事は出来ても、足をシッカリと踏ん張れないと思う。反撃でも食らったら、噴水の中に落ちちゃうじゃ無いか。噴水の中から飛び出している装飾用の彫刻には、鋭い先端を持つ物もある。あれに背中を刺されるのは痛いと思う。
噴水の反対側から矢を発射すると言うのも、考えられない訳じゃ無いけど。
しきりに跳ねる水の壁や、噴水を彩る装飾細工の群れを透かして、正確に狙いをつけられるだろうか? しかも、上級魔法使いによる防御壁に守られたターゲットに対して、短い時間で一撃必殺……プロでも難しそうだなあ。
確実に殺るとしたら、やはり正面からだろう。
改めて、噴水の頂上部の様子から、順番に眺めてみる。
オルテンシア種の藻は、セレスト・ブルーをしていて、薄いカーテン状だ。噴水を彩る様々な装飾細工が作る芸術的な水流に沿って、カーテン状の藻を揺らめかせている――さながら、セレスト・ブルーのオーロラだ。
青いガラス細工のような、半透明の大輪の花がひとつだけ、水しぶきの掛からない静かなポイントでプカプカと浮かんでいる。腕ひとかかえ程もあるサイズだ。あんなに大きな花だとは思わなかったよ。
次に、噴水の中をのぞき込んだ。
とっても普通の、何処も変わったところの無い透明な水だ。噴水プールの底面は、意外に浅い。ウルフ族男性の平均的な体格であれば、ちょっとジャンプして、ひとまたぎして、この高低差を踏み越えられると思う。
噴水の底面に固定されているハイドランジア種が、絶妙な深度の所に見えた。白サンゴみたいな純白の幹が目立つ。根の方は黒。実際に、白サンゴや黒サンゴと同じクオリティを持つそうだ。まさに全体が宝玉品。赤色が無いのは、赤が火の色なためで、水の中では維持が難しいからだろう(海洋産の天然サンゴには、赤サンゴがあるそうだ)。
枝の数々に付いている淡い水色のポッテリとした鞠状の集団花――ハイドランジア花――が、水中に降り注ぐ陽光を虹色に反射してキラキラしている。
「フィリス先生、あのハイドランジア花の数、増えてるように見えますか?」
「ここ最近は来てなかったから、分からないけど。前に招かれた茶会の時と、変わらないように見えるわ」
ディーター先生は『魔法の杖』を使って、この噴水に一つしかないオルテンシア花を、そーっと採集しているところだ。
そして、危なっかしく身を乗り出しているディーター先生が水に落ちないように、クレドさんが灰色ローブをつかんで支えている。クレドさんって、見た目はスラリとしてる方なんだけど、良く見ると筋骨はちゃんと太さがあるし、力持ちだ。
その様子を眺めた後、わたしは、もう一度、噴水の中をのぞき込んだ。
記憶喪失のせいで、正直、水中花の事は余り良く知らない。でも、逆に言えば、先入観なしで観察する事は出来る状態だと思う。だから、目に付く疑問点をピックアップするのみだ。
「あの、ハイドランジアの上の方の幹が、何だかフニャフニャな、気が」
「空気に長い時間さらされてしまうと、そうなるのよ。枝や根を採集する前に《宝玉加工》を施して永久硬化しておくと大丈夫なんだけど、これはプロの採集業者たちの秘密技術だから、私も知らないわ。フニャフニャな部分はサンゴとしての質も落ちるし、花も実も付けなくなるから、剪定対象ね」
だいたい、一刻から二刻が限度だそうだ。さすが、深窓の令嬢みたいな水中花。よく見ると、水面に近い方にあるフニャフニャな部分は、噴水全体のハイドランジアに広がっている。
――いつ頃かは、分からないけど。
最近、しばらくの間だけ、噴水の水位が下がっていたらしい。
水が少なくなる夏場だから、そう言う事は多いというのは、フィリス先生の言だ。この『王妃の中庭』に定時巡回があるのは、ハイドランジア種にとって最適な水位を常に確認し維持するため、と言うのもあるそうだ。
そんな事を話していると、ディーター先生が「よし!」と声を上げた。
「何か新しい物が見つかりましたか、ディーター先生?」
「まあ、これをご覧、フィリス」
ディーター先生は、採集したばかりのオルテンシア花を大型の水盆に入れながら、会心の笑みを浮かべている。その後ろに居るクレドさんは、ディーター先生の一挙手一投足を注意深く眺めていた。
フィリス先生が、水盆に入った貴重なサンプルを、慎重に観察し始めた。
「このオルテンシア花、黄白色のスジが入ってますね。咲き終わりの花は、青緑色のスジが入る筈なんですけど」
「その通り。この数日の間に、このサンプルは内部反応の処理が間に合わなくなって、異常変色するほどに弱った訳だ。かなり強烈なブツの筈だ」
オルテンシア種は、大輪の花を付ける水中花だ。カーテン状の藻が取り込んだ様々な養分が、ほとんど花部分に集中するから、大輪の花を付ける事が出来る。つまり花部分には、成分が濃縮されているという訳。
ディーター先生の『魔法の杖』は、問題のオルテンシア花の成分分析を速やかに進めて行った。その分析データが、フィリス先生が持っている半透明のプレートに転送され、反映されていく。
半透明のプレートを眺めていたフィリス先生は、急に眉根をひそめ、顔色を変えた。
「まさか――これ、モンスター毒の濃縮エキス?!」
ディーター先生が眉の端を跳ね上げる。フィリス先生から半透明のプレートを受け取り、一瞥するや、ディーター先生は難しい顔をして思案し始めた。
「筋肉弛緩と倦怠感をもたらす成分がメイン――薄めたエキスは、外科手術の際の麻酔薬でお馴染みだが。このデータからすると犯人のヤツ、大型容器3本分くらい、他の麻酔性の違法ドラッグと一緒に、一気に噴水にブチ込んだらしいな。此処にはモンスター毒に対応できる『アーヴ』種が無いし、解毒機能が追い付かなくて当然だ」
フィリス先生が、息を呑みつつも口を挟んだ。
「オルテンシア花の花蜜に、濃縮されたドラッグ成分――モンスター毒が含まれるという事態だった訳ですか?」
「まさに、な。オルテンシアの花蜜は甘味だし、デトックス効果やら美容効果やらで、ご婦人方に喜ばれる類のものだ。アルセーニア姫も、問題のティータイムの時に、茶にオルテンシアの花蜜を入れて楽しんでいた筈だ。まさか、それが汚染されていたとは……」
クレドさんが素早く思案し、そこから導かれる推論を付け加えて行く――
「では、アルセーニア姫がモンスター毒入りの花蜜を摂取し、その麻酔効果により意識が朦朧としたタイミングで、犯人が中庭に侵入し、凶器を用いたという事になりますね……それも、正面から」
――その場に、胃の重くなるような沈黙が落ちた。
*****
アルセーニア姫が、何故、犯人に気付かなかったのか、悲鳴すら上げず、大人しく殺されるままだったのか――と言う状況は、ようやく分かった。
だけど、大きなミステリーが相変わらず残っている状態だ。
第一、アルセーニア姫の死亡現場は、限りなく密室に近いのだ。
それに、大型容器3本分の、モンスター毒の濃縮エキス。その大型容器は、わたしの身体サイズを超える大きさだそうだから、とんでもない量だ。
それだけの量を一気に入手するなんて、プロの『超大型モンスター狩り』くらいだろう。闇ギルドを通じて入手した場合は、立証できる程の記録が残っているかどうかは望み薄らしい。
別の日に持ち込んだのだろうとは思われるけれども、これを、どうやって、警備の厳しい『王妃の中庭』に持ち込んだのだろう。そんな危ない代物、容器も中身も含めて、門番や衛兵の透視魔法にバリバリ反応するそうだから、並み居る衛兵が絶対に見逃さない筈だ。
それに、犯人は、わずか一刻の間に、どうやって現場に侵入し、アルセーニア姫を殺害し、誰にも見られずに脱出しおおせたのか。
ディーター先生とフィリス先生は、遅い昼食を取りつつも、第一王女アルセーニア姫の急死事件について、専門的な議論を交わしている。
――此処は、『茜離宮』の一角にある役人向けの大食堂。
ヒラの若手役人や衛兵や、各種部隊の隊士が多いけど、たまに重役が顔を見せたりする。見習いの少年少女たちが、オーダーを受けた皿を持って、テーブルの間をクルクル駆け回っていた。
わたしは、相変わらず消化の良いスープ類のメニューだ。食後のお茶が出るけれど、何となく飲む気にはなれない。
食堂の各所にはセルフサービスの水場があって、水をもらって飲めるようになっている。アーヴ種の水中花――無数の青い数珠の形をした藻が、透明な水瓶の形をした水槽の中で踊っていた。
わたしがテーブルを立って一歩を踏み出すと、背後から声が飛んできた。
「水場に行きたいのですか?」
ギョッとして、バッと振り返る。クレドさんがいつの間にか背後に、背後霊みたいに立っている。
――さっきまで影も形も無かったみたいなんだけど、いつから、そこに居たの?!
振り返った時の勢いで、わたしは思わず、たたらを踏んでいた。バランスを崩した身体を、クレドさんがサッとつかんで戻してくれる。見上げるような背の高さなのに、気配を全く感じなかったからビックリするよ。まだ心臓がバクバク言っている。
介助者なクレドさんは、相変わらず、無言で『どうするのか』と聞いている。
「み、水場まで……」
昼食時のピークを過ぎているとはいえ、まだ多くの人でザワザワしている食堂の中、声質の悪いボソボソとした呟きではあったんだけど――
――クレドさんの聴覚は、シッカリ認識したらしい。クレドさんは頷いた後、やはり手際よくわたしの膝をさらって来た。今日4回目の片腕抱っこだ。
一瞬だけど、ドッと冷や汗が出て、目が回って、頭がクラッとする……
高所トラウマが定着しちゃったみたい。ウルフ族なのに高所トラウマってどうなのよ、と思うんだけど。
食堂を行き交う人々の波を次々によけて、クレドさんは比較的に人のまばらな、落ち着いた水場まで行ってくれた。『重傷患者=わたし』への配慮ですね、有難うございます……
食堂の端にある水場は、片方が回廊につながっていて、片方が窓に接していた。クレドさんに降ろしてもらって、水を汲みがてら、窓の外をのぞいて見る。3階にある食堂だから、『茜離宮』を取り巻く庭園の一部が良く見えた。
――ずいぶん距離があるから、わたしの視力ではよく分からないけど、あの何となくきらびやかな一行、今朝も見たレオ帝国の大使を中心とした一団なのかな。外交行事が終わったとか……?
疑問が顔に出てたみたい。クレドさんは私をジッと見た後、窓の外を一瞥して、「あちらはレオ族の大使の方々です」と解説して来た。
しばし沈黙が続き、わたしは水を一服した。アーヴ種が浄化した水には定評があるというだけあって、美味しい水だ。
「ルーリーは、本当に以前の記憶が無いのですか?」
クレドさんが話しかけて来た。
――うん、そうだよ。
コックリと頷いて、応えて見せる。
「何処に居たかという事も?」
クレドさんの漆黒の眼差しは、いわく言いがたい表情を浮かべている。
何だろう。
信じられないとか、驚いたとか、そう言うのとは別の物っぽい気がするんだけど。最初に地下牢で目を合わせた時にも、クレドさんの眼差しには、こういう『何か』があったような気がする。
そう言えば、わたしの頭部のヘアバンドが『変なモノ』だって事に最初に気付いたの、クレドさんだよね。何で、気が付いたんだろう。あんな、全員が全員、誤解して見逃して当然な状況の中で。
――聞いてみようかな。
「えっと、クレドさん……」