宮殿ゲートを通過する
フィリス先生の、何でも無い冷静な声が、とどめを刺して来た。
「そのまま大人しく運ばれてなさい、ルーリー。外出を始めたばかりの重傷患者に、介助なしでの『茜離宮』への移動は認められないわ」
介助。重傷患者への介助ですか、そういう事ですか。でも、わたしも『茜離宮』へ……?
「ルーリーの身柄は目下、ディーター先生の預かりよ。ディーター先生の目の届かない場所をうろつかれた末に、事情を知らない衛兵や役人たちに――とりわけ加減の出来ない下級魔法使いたちに――その頭部の拘束具に魔法干渉される訳にはいかないの。そしてディーター先生は、これから手が離せなくなる訳。『茜離宮』だろうが何処だろうが、適当な介助者に運んでもらって、ディーター先生の傍を離れないでいるのが一番いいのよ」
さすが王立治療院に勤める魔法使い治療師。すごい説得力。
考えてみれば、納得できる。
この『茜離宮』が目下ウルフ王国の宮廷になっているから、宮廷勤めの上級・中級・下級の魔法使いも、多く来ている筈だ。ディーター先生が拘束具トラブルの専門担当。それに、事情を知らない下級魔法使いレベルの衛兵や役人たちが、下手に拘束具を触ってきたら、場合によっては命にかかわる事態になる。
わたしは観念して、クレドさんが支えて来る動きに任せた。傾きが変わって肩につかまりやすくなったので、素直につかまる。最悪、命にかかわる訳だから、恥ずかしがっても居られない。
「よ、よろしくお願いします……」
しゃがれ声のモゴモゴとした声掛けだったんだけど、クレドさんは目を伏せて、折り目正しく目礼して来た。目を伏せてても、彫像みたいに端正だなあ。切れ長の目尻が美しい。
「承知。私は『クレド』と申します。お見知りおきを」
て、丁寧ですね。最初の時の態度がどうだったか余り覚えてないけど、扱いが正反対だから、ビックリします。一定の敬意を払われているって感じ。
――『敵認定はしてない』って理解して良いんだろうか? あ、それとも『男』扱いじゃ無い方……うん、『重傷患者』扱いだと、こうなるって事かも知れない。わたしにも、一応は乙女ゴコロという物があるし、ドキドキしちゃうんだけど。
紺色マントは、いつの間にかクレドさんが右手に持っていた。いつ渡したのか、落としていたのかも覚えてないけど。そして、紺色マントを再び掛けられた。あれ?
「離宮の中は空調が利いていて、冷却の強いスペースもありますから」
*****
――さすがウルフ族、足のスピード半端ない。『茜離宮』の敷地の景色が、みるみるうちに流れていく。
目下わたしは、人体なクレドさんに抱っこされたまま、さっさか移動しているところだ。
後方では、金茶色のオス狼と赤銅色のメス狼が並走している。金茶色の大きな方がディーター先生で、それより小さめの赤銅色の方がフィリス先生。右側の目の上に、茜メッシュがシッカリ入っている。
――変身中の着衣や荷物なんかは、どうなるのかって? それは、身体を取り巻くエーテルのモヤに溶け込むんだそうだ。荷物が一緒に運べる状態だから移動に便利。『魔法の杖』をはじめとする身の回り品も、ほぼ変身魔法に対応している。
敵陣や悪路、モンスター出現エリアなどを一気に突破する高速移動では、身軽な『狼体』で移動するケースが多い。運べる荷物の量や使える魔法が制限されるんだけど、そのデメリットを考慮して決めるんだとか。
クレドさんは、わたしを抱えて走っている状態なのに、しかも俊足な狼の前を取ってるのに、全く息切れしていない。わたしの方は、視点が高い所にあるせいで気分が悪くなるし、目も回るから、後ろ向きにつかまって、恐怖を我慢してるところなんだけど。
いつだったかの、あの猛烈な移動スピードにはビックリしたけど、ウルフ族男性にとっては、あれで普通の駆け足レベルらしい。もっとも、隊士であるクレドさんとか、訓練が入ってる人の言っている『普通』は、平均男性レベルで考えちゃいけないと思う。
やがて、樹林に囲まれた秘密基地のような、小さなあずまやに到着した。
プックリとした玉ねぎ屋根は通電性の良い金属製で、中央部分に、金属製の避雷針がスッと伸びている。此処が最寄りの軍用の転移基地。『茜離宮』のゲートと直結しているそうだ。
その周囲には、不可視の『警戒・監視の魔法陣』がセットされていると言う。一定以上の距離の内部に入って来た侵入者を感知すると、それがモンスターだろうと人間だろうと、『アラート付きの拘束魔法陣』が瞬時に発動する。侵入者を拘束すると共に、警備の本部や近辺に緊急アラートを出すようになっているそうだ。
その厳重な警備が、クレドさんの『魔法の杖』で一時的に解除され、あずまやに踏み込めるようになった。
ディーター先生とフィリス先生は、既に人体に戻っている。何でも、この転移魔法陣は『人体』にしか対応していないそうだ。人体の方が捕まえやすいとか、最悪でもモンスター類の転移が無いようにするとか、防衛上の理由もあるみたい。
あずまやの下の、一枚板の滑らかな金剛石床に、一定の幅と深さを持った溝でもって転移魔法陣が刻まれている。
フィリス先生が早速、転移魔法陣を起動した。
転移魔法陣の図式を刻んだ溝の中に、白いエーテル光が満ちて行くのが分かる。やがて、白いエーテル光は、魔法陣の一番外側のラインを覆う列柱の形になった。
白い《風》エーテル光で出来た列柱は、瞬く間に、周囲を隙間なく取り巻いて行く。
魔法感覚が使えるようになっていなかったら、たぶん、このタイミングで周りの光景が消滅して、虚無とも思える常夜闇に包まれたように感じたと思う。それはそれでパニックになりそうだ。
ディーター先生が『呪われた拘束バンド』の影響をどうやって弱めたのか知らないけど、魔法感覚は重要な器官だから、強い封印が掛かってた筈だ。一部分だけであっても、拷問や虐待の魔法陣に引っ掛からないように呪いを解除してのけるというのは、相当に難しいと思う。さすが上級魔法使いと言うか、ディーター先生の手腕はすごい。感謝します。
一呼吸置いた後、白いエーテルの柱がバラけて行く。白い光が収まると、既に見知らぬ場所に居た。変わっていないように見えるのは、足元に刻まれている転移魔法陣の図式のみ。
わたしたちが転移して来たのは、『茜離宮』の前庭に設置されている転移基地だ。
目の前にいきなりそびえたっているのは、赤みを帯びた切り出し石が美しい『茜離宮』だった。遥か頂上部の所に、玉ねぎ型の白い屋根を乗せた3つの尖塔が見える。
前庭の奥に宮殿ゲートがある。両脇に詰所と思しき玉ねぎ屋根の小屋があって、その対称性が芸術的だ。
宮殿ゲートに近付くと、即座に、門番を務めている若手のウルフ族の衛兵が、長物を交差させて通せんぼをして来る。しかし、ウルフ耳にウルフ尾の背の高い衛兵たちは、ディーター先生とフィリス先生とクレドさんの顔を確認するや、無言で敬礼してスペースを開けて来た。顔パスなんだ。
ただ、わたしに関しては――クレドさんに抱えられたままだったけど――そのままゲート通過するという訳には行かなかった。
わたしは、改めて地上に降ろされ、規定通りに門番の『魔法の杖』でもって透視魔法にさらされ、持ち物を全て調べられた……何も持ってなかったけど。
頭部の包帯の下に隠されていた魔法道具『呪いの拘束バンド』の存在については、ディーター先生とフィリス先生が、割と説明させられる羽目になった。
ちなみに問題の拘束バンドは、門番の透視魔法には反応しなかった。
拘束バンドを製作していた悪の魔法使いは、門番が使う透視魔法については、まるで考えてなかったらしい。不審物を調べるための魔法だから、かなり叩くスタイルなのに。これはディーター先生を割と驚かせた――後で詳しく調べてみる事になった。
そして今、ディーター先生が、門番から差し出された書類に魔法署名をしている。《地霊相》生まれだからだろう、その魔法陣にも似た複雑な魔法署名の図には、黒色が多く含まれているように見える。
フィリス先生に聞いてみると、『責任をもって、この者の身柄を管理している』という旨の保証書だと説明された。さすがロイヤルな場所は、警戒レベルが違う。
そして常時、居場所を発信するという、ブレスレット様式の魔法道具をハメられた。何故か男児用で、可愛い短剣飾りのついてる品だった。近所の町々では『迷子の輪』と呼ばれている代物だそうだ。
わたし、男の子じゃ無いし、迷子になるような年頃の幼児でも無いんですけど……
――クレドさん、わたしを再び片腕抱っこする時に、ちょっと肩が震えたみたいだけど……もしかして、その彫像のように端正な無表情の下で、吹き出し笑いしたんですか?
ともあれ、宮殿ゲートを無事に通過できたと言って良いみたい。
宮殿のエントランス・ホールには、あの『大天球儀』が、規則的に8台ほど並んでいた。その間を抜けて、アーチ列柱が続く長い長い廊下を、右へ折れ、左へ折れながら、さっさか移動する。これは迷子になりそう。1人じゃ帰れないかも……
先頭を行くディーター先生とフィリス先生は、移動しながらも、何かを忙しく話し合っていた。クレドさんは相変わらず、わたしを抱えたままだ。
――わたし、重くないですか?
クレドさんは、その確認に、あっさりとした様子で「いいえ」と返して来た。そうですか。
ふと気が付くと――各所で見張りに立っている何人かの衛兵や、通りかかった役人たちが、不思議そうな顔で振り返って来ている。
――もしかして、わたし、割と目立ってるんでしょうか?
クレドさんは前方に注意しているように見えて、その実、わたしの事にも注意を払っているみたい。すぐにクレドさんから返答が来た。
わたしに関しては、初見という事に加えて、頭に大袈裟に包帯を巻いた『耳無し坊主』の入院患者な姿が、とっても目立ちまくっているそうだ。普通、病人がこっちに来る事は余り無いそうなので、ちょっとした話のタネになる勢いだとか。
注意してみると、微笑ましいと言う感じの視線も感じる。パッと見、『隊士に憧れている男児が紺色マントを借りて、云々』という風に見えるらしい。別の意味で恥ずか死ねるのでは無いかと、微妙な気持ちになって来るんだけど。
初めて来た場所だから、思わずキョロキョロしてしまう。この『茜離宮』は、まさに宮殿だ。元々、王妃のための離宮だったと言うだけあって、繊細な装飾が多くて、見飽きない。各所の女性向けの施設も充実していて、女性が暮らしやすそうな感じ。
もうじき、問題の死亡現場――噴水のある『王妃の中庭』に到着するらしい。
ディーター先生とフィリス先生は、クレドさんと情報交換しつつ、アルセーニア姫の死の状況について要点をまとめていた。
それは、こんな風だった。
――あの日。
婚約者同士のリオーダン殿下とアルセーニア姫は、いつものように中庭の噴水の前でティータイム歓談をしていた。
やがてリオーダン殿下が、人に呼ばれて中庭を退出した。
茶器を担当していた姫直属の侍女が、アルセーニア姫とひとしきり相談した後、次のスケジュール対応のため退出した。
その後、アルセーニア姫が1人で居たのは、一刻の間のみだった。
そして一刻の後。噴水エリア担当の中級侍女(第一発見者)が、定時巡回で中庭に入って来た。アルセーニア姫は既に死んでいた。
これらのタイムは、要所で見張りに立っていた衛兵たちが証言したという――