それぞれの岸辺
その後、各種の確認が続き――レオ帝国の大使館における密談は、終了した。
重役会議室の窓の外に広がる空は、夕暮れの刻をとうに過ぎていた。茜色は、西の地平線に漂う細いリボンとなっている。天球は、夕刻の早い星々による、ひとときのページェントに彩られているところだ。
退出の頃合い。
バーディー師匠なユリシーズ先生の立ち合いのもと、ディーター先生とアシュリー師匠がウルフ王国を代表して、レオ帝国を代表するリュディガー殿下と、順番に握手を交わしている。
その脇で、クレドさんは、レルゴさんやランディール卿と、戦士のやり方で礼儀正しく敬礼を交わしていた。
未成年なわたしとジントは、従者さながらに、端っこで控えているところ。
そんなところへ、スキマ時間を縫ってやって来たランディール卿の地妻クラウディアが、面白そうな様子で小声を掛けて来た。
「ルーリー、短い間に色々あったみたいだけど、運よく《宝珠》を見つけたのね。全く運の良い子だわ」
――はぁ、まぁ……その節は、どうも。
横に居るジントが、何食わぬ顔で、何やら『手品師も驚くマジックの収納袋』をゴソゴソやっているような、怪しげな動きをしている。ハラハラしちゃう。あのね、ジント、この人は多分、大丈夫だと思うよ。基本的に、フェアな人だから。
地妻クラウディアは、次の瞬間、チラリとクレドさんに視線を走らせた。目がキラリと光っている。油断の無い視線だ。
「あんな隊士、見覚え、あったかしら……綺麗な外見をしてる割に記憶に残らないタイプだから、少し考えてしまったけどね。ルーリーに対する眼差しが全然違うわ。《宝珠》と言うのも納得だわよ」
そして、地妻クラウディアは目をきらめかせて、イタズラっぽい笑みを向けて来た。
「あの隊士に飽きたら、いつでも来てね。私、まだルーリーのハーレム勧誘を諦めた訳じゃ無いのよ、ウフッ」
……これ、多分、地妻クラウディア流の祝福だよね。何だか祝福っぽくない祝福だけど、一応、有難うございます。
勘の良いジントは、早くも意味を察したらしい。思案のモヤモヤの中から結論を出していたのであろう間、手のゴソゴソとした怪しげな動きは小休止していたけど、今も目が少し据わってる。やっぱり、お姉ちゃんとしては、ハラハラだよ。
――更に。先ほどから、意味深な視線をチラチラと感じる。
今や、レオ帝国の第一位《水の盾》となった『ベルディナ』の――色々と、物問いたげな視線だ。
廃嫡確定なレオ王の、ハーレムの解体が決まった今、呼称に『水妻』という称号は付かない。普通の『ベルディナ殿』。
ベルディナの、ほとんどの疑問に、わたしは応える事は出来ない。ゴメンナサイ。
――かつての第一位《水の盾》サフィールは、既に死んだのだ。
バーディー師匠なユリシーズ先生は何も言わないけど、わたしの『サフィール』としての役目は、充分に果たし終えていると思うんだよ。あとは、レオ族なベルディナが、レオ族として関わって行く領域だ。
そして――そして、いつかは、ベルディナにも、真に愛する人が出て来たら良いと思う。多分、レオ族の男女としての、一夫多妻制ハーレム形式な愛の形になるんだろうな、と思うんだけど。
バースト事故に至る経緯は、さすがに、まぁ、ビックリしたものの。
ベルディナの、その心の偶然の揺らぎが無ければ、今の『ルーリー』は此処に居なかった。クレドさんと出逢う事も出来なかったと思う。
だから。
感謝こそすれ、恨みとか怒りとかは、全然、無い――
地妻クラウディアと入れ替わるようにして、クレドさんが戻って来た。そして何でも無い事のように、わたしの膝をサッとさらって来た。片腕抱っこだ。
いつもの事だけど、いきなり視点の位置が高くなるから、ウルフ尾が『ピシッ』と固まっちゃうんだよね。クレドさんが、わたしを落っことす事は、多分、無いだろうと言う点では、信頼してるんだけど……
クラッとしている内に、クレドさんが、やはり何でも無い事のように、紺色マントを『バサッ』と掛けて来る。あれ?
*****
「では、行こうでは無いか」
バーディー師匠なユリシーズ先生が、面白そうな顔をしながら、わたしたちに一声掛けて来た。そして、レオ帝国の大使館に残る事になっているレルゴさんと分かれて、わたしたちは外に出たのだった。
既に、とっぷりと日が暮れている。
先頭にバーディー師匠なユリシーズ先生とディーター先生が立ち、それに続くのがアシュリー師匠だ。その後に、私を片腕抱っこ中のクレドさんが続き、脇にジントが付いている。
3人の魔法使いたちは、早速、今後の対応について話し合いを始めていた。
――『風のサーベル』が関わった数々の事件の影響は、非常に大きな物になったようだ。
闇ギルドの広域ネットワークを通じて、獣王国の諸国どころか、大陸公路をも股にかけるような、グローバルな内容になってるみたい。全容は、今のところ、わたしには全く読み切れていないけれども。
やらなきゃいけない事が一杯あるらしいと言う事は、良く分かる。少しの時間でも惜しい、という状況だろうと言う事も。
――わたしが遭遇した出来事だけにしても、この短い間に色々あったし、色々あり過ぎたし……
散策路を成す道の脇に、間隔を置いて置き石が並べられていて、その中で、夜間照明がボウッと灯っている。少しばかり距離のある先に、わたしたちが使う予定の、『あずまや』型の転移基地が佇んでいた。
ふと気が付いて、空を仰ぐと――
――わお。いつの間にか、満天の星空だ。宝石箱をひっくり返したみたい。
以前、バーディー師匠なユリシーズ先生が詠唱して見せて来た、不思議な呪文が思い出される。
――記憶を奪い、また与えるのは海――
――命を救い、そして滅ぼすのは愛――
いつか見た、あの遥かなる『連嶺』が見えるのは、どちらの方向だろうか……
夜空のアチコチをキョロキョロしていると、急に冷たい夜風が『ヒュッ』と通り過ぎた。ひえぇ!
「さ、寒いッ……」
思わず首をすくめると、紺色マントの襟が頬に触った。
あ、夜になると気温が下がるから……クレドさんは、わたしを片腕抱っこして来た時、紺色マントを……
チラリと、クレドさんに目を向けると――クレドさんは訳知り顔で、不意に綺麗な笑みを返して来た。顔が近いから、ドッキリ。
相変わらず小生意気なジントが、灰褐色のウルフ尾をヒュンヒュン振りながら、要るのか要らないのか良く分からないコメントを寄越して来た。うーん、ますます小生意気になる年頃って事かも。
「姉貴、記憶喪失にしても、色々スッポ抜け過ぎだぜ。魔法で《空気の壁》を作って保温しとくのは、この季節の常識なんだけどよ。南方のレオ帝都生活が長くて忘れていたか、その手の魔法も出来ないのか……姉貴の場合、絶対に両方だから、弟としては、ハラハラする訳だよ」
――うわぁん、やられた!
クレドさん、わたしが気付いてないと思ってるみたいだけど、肩、震えてるよ! 絶対、忍び笑いしてる! 何故かジントと気が合ってるし、中身は案外、ジントと似たり寄ったりだったりして……!
*****
いつしか、遥かな上空で――季節の変化を告げる冷涼な風が、強く吹き始めた。
雲はスッカリ吹き払われており、全天の星々がチラチラと瞬いている。
しきりに揺らぎ続ける天上の星明りは、間もなく地上で展開するであろう動乱の時代を、予兆していたのだった。
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《名も無き補遺》
――『レオ帝国史・魔法使いの部』より適宜、引用――
《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス。ウルフ族、金狼種、女性。
レオ帝国の最大の動乱期、その初期の間だけ活動した、最も謎の多い《水のイージス》である。老レオ皇帝のハーレム妻であり、同時にレオ帝国における第一位《水の盾》として、老レオ皇帝の身辺を守護していた。
老レオ皇帝のハーレム妻となって7年目の夏、《運命の日》の日暮れの刻、サフィールは、後宮の都にて、『雷神』として知られる伝説の梟雄『風のサーベル』に率いられた凶賊一味の急襲を受けた。
その際、金剛石の大広間における最大最強レベルの四大《雷攻撃》乱反射が発生した事が知られている。
サフィールは、その『イージス称号』に相応しい天賦の才能をもって、みごと防衛してのけたが、想定外の『バースト事故』により体調を崩した末、療養の甲斐なく、その年の秋の半ばに急死した。一方で、伝説の梟雄『風のサーベル』は、逃走に成功していた。
――《水の盾》サフィールの活動期間は、実際は、まる7年に満たぬ短いものであった。しかし、鳥人出身の《風の盾》ユリシーズと協力し、先見の明に優れる老レオ皇帝の身辺守護を成功させて来た功績は、その後のレオ帝国の情勢安定という側面から見ても、決して小さくは無い――
バースト事故の現場より辛くも逃走に成功していた『風のサーベル』には、まだ続きがある。
彼はバースト事故の直後から、《雷攻撃》使いの凶賊『雷神』として、ウルフ王国に潜入していた。奴隷妻の候補として拘束していたウルフ闘獣『水のルーリエ』が脱走し、ウルフ王国に入国したからであると言われている。
伝説の《雷攻撃》使いでもあった『風のサーベル』による凄まじいまでの破壊活動の結果、ウルフ王国の夏の離宮『茜離宮』の象徴となっていた三尖塔が、まるまる吹き飛んでしまった。この事件は、歴史上、有名な逸話である。
この『茜離宮・三尖塔の大崩壊』は、レオ帝国および獣王国の諸国を巻き込んで行った最大の動乱期の幕開けを告げる、一大事件でもあった。
なお、この『茜離宮・三尖塔の大崩壊』で、『風のサーベル』は、遂に落命したとも、しぶとくも逃走に成功したとも伝えられているが、真偽のほどは、今なお明確では無い。その後の、かの動乱期においても、なおも梟雄サーベルの名が記録され続けた――という事実のみ、記しておく。
――レオ帝国および獣王国の諸国における最大の動乱期をくぐり抜けた名君、後の中興の祖として知られているのが、元々は傍系王子の1人であった『地のリュディガー』だ。中興の祖リュディガー帝の数々の偉業は、その『不遇の王子』時代を含めて、今や数々の伝説となっている。
偉大なるリュディガー帝の治世下において、記録に名を遺した『イージス称号』持ちの《盾使い》は、獣王国の全体では、わずか3名である。
レオ帝都に1人。鳥人出身の《風の盾》ユリシーズ・シルフ・イージス。
ウルフ王国に1人。ウルフ族出身の《水の盾》ルーリエ・レヴィア・イージス。
パンダ保護区に1人。パンダ族出身の《火の盾》ホンホン・イフリート・イージス。
――以上である。
とりわけ、ウルフ族、黒狼種『水のルーリエ』は、《水の盾》サフィールの再来とも噂された、天才的な《盾使い》であった。
ルーリエ・レヴィア・イージスは、レオ帝都の社交界に出て来た時には既に同族ウルフ族の婚約者を伴っており、その後、間もなく結婚した事が記録に残っている。
ウルフ王国を代表する有力者の庇護のもとにあった令嬢であり、身元そのものはシッカリしているのだが、様々な局面で、かつての《水の盾》サフィールを彷彿とさせていたという目撃証言の数が非常に多い。
水のルーリエは、『茜離宮』に出現した時の謎めいた状況と言い、幼少時の経歴の波乱ぶりと言い、サフィール同様、妙に謎の多い興味深い存在である。
サフィールがレオ帝都で活動していた時期、何故かルーリエも、同時並行でレオ帝都に居たと言う記録がある。しかも、『雷神』として知られる伝説の梟雄『風のサーベル』に囚われる形で――
偶然とは言え、この摩訶不思議なまでの事実は、特に様々な想像を引き起こす性質の物だ。
更に、その後の《風の盾》ユリシーズの右腕として示した能力からしても、くだんの《水の盾》ルーリエは、実はサフィール本人だったのでは無いかとの俗説が広く信じられている。特に決定的なのは、ルーリエが、サフィールと同様に最高位の《水の盾》を発動できていたと言う事実である。
――この物語では、『ルーリエ=サフィール同一人物説』を採用するものであるが、所詮『俗説』の一バージョンであり、正統派の学界では認められていないという事を付け加えておくものである。
いずれにしても、この辺りの決着は、後世の判断にゆだねるのみである。
――《終》――
最終話までお読み頂きまして、誠に有難うございます。楽しんで頂けましたら、幸いでございます。
《バックグラウンド詩歌作品》
――ソ連ロシア詩人パステルナーク未刊詩集『晴れようとき』
生きよ、
虚飾の名誉を捨てて
いつの日か宇宙の愛を引き寄せ
未来の呼び声を聴く
そのためにこそ生きよ
やがて他者が足跡をたどり
一歩一歩おまえの道を来るだろう
だが敗北かそれとも勝利か
それを見きわめるのはおまえではない
一瞬たりとも個性を捨てるな、
おまえ自身をつらぬきつつ
ただ生きてあれ、生きてあれ
生きてあれ、ただ最期のそのときまで