暮れなずむ二重の情景・3終
――水妻ベルディナの、告白が終わった。
誰が、バースト事故の引き金となった、サーベル一味の手引きをしたのかと思っていたけど――
水妻ベルディナ本人だったのだ。時によって、真相は、とても単純。
重役会議室を取り巻く窓から差し込んで来る陽光は、角度が随分と浅くなっていた。間もなく夕暮れの刻だ。かつてバースト事故が発生した、あの夕暮れの刻が、近づいて来ている。
レオ族なリュディガー殿下とランディール卿は、2人とも、何とも言えない複雑な顔をしている。静かに控えている、それぞれの4人の正妻たちも、そろって困惑気味の顔を見合わせ、肩をすくめるばかりだ。
こういう事は、恐らく、巨大なレオ帝国の中では良く聞く話なんだろうけど。話に聞くだけという状態と、実際に巻き込まれてしまった状態とでは、全然、違う筈だ。
レルゴさんが首を振り振り、大袈裟に溜息をついた。ざっくばらんな茶色のタテガミを、ガシガシかき回している。
「まぁ、何と言うか、若き日々の過ちとか、そういうヤツって事か。私も色々、失敗はしてるけどよ」
バーディー師匠なユリシーズ先生は、思案深げに白ヒゲを撫でている。
「レオ王の周辺は、想像以上に、腐敗しておったのじゃな。巨大組織ゆえに、逆に目が届かなくなる部分が増えるのは必然じゃが。元々、レオ王の性根は、そこまで堕ちては居なかったと記憶している。ゆえに、老レオ皇帝は、レオ王の地位を保証していた訳だが。『悪貨が良貨を駆逐する』とは、まさにこの事だな」
鳥人ならではの特別製な脳みその中では、既に今後の状況を考慮しての策が練られている状態らしい。
次の瞬間。
水妻ベルディナが、先ほどまで伏せていた面を上げた。蒼白な顔色ながらも、意を決したような眼差しで――
――わたしを見つめて来た。ぎょっ。
「あなた、『水のサフィール』でしょう? 紫金の毛髪じゃ無いけど……それに、何だか印象が変わってるけど、私には分かるわ。どうやってバースト事故を生き延びたのかは分からないけど、サフィール、あなたは第一位《水の盾》として、レオ帝都に堂々帰還するべきだわ」
――ひえぇ! 直撃ストレート!
予期はしていたけど、幼児なウルフ尾が『ビシィッ!』と固まってしまった。バレる……?!
リュディガー殿下とランディール卿が、愕然とした顔で注目して来ている。
ランディール卿の地妻クラウディアが、「まさか」と呟きながらも、だんだん確信めいた表情になって来ていた。
「そう言えば、話に聞く『茜メッシュ』の位置が同じだわ。あからさまに混血なイヌ顔だけど、これは、お化粧で幾らでも化けられるし」
――地妻クラウディア、観察力が鋭すぎる!
「紫金の毛髪……そうね、チャコールグレーだけど、うっすら紫色を帯びてる色合いだし。母親が紫金の女だったのなら、魔法道具で遺伝情報を出す事は可能よね」
――さすが、スーパー有能な正妻。これ、どうやって『違う』と説明すべきか……背中を冷や汗が伝うのが分かる。
そこで、レルゴさんが、再び大袈裟に溜息をついて見せて来た。
「申し訳ないが、地妻クラウディア殿、ルーリーは、この煮ても焼いても食えんクレドと《盟約》済みなんだ。未成年だから《予約》になってんだが、《宝珠》ラインが出てる。ランディールの親友の名に懸けて、諦めてくれよ」
「あらまぁ」
「でも、《予約》の段階でしょう。必要とあらば、解除できる筈よ」
意外に、水妻ベルディナが食い下がった。自らの不始末によって、こんな事態を引き起こした責任を感じている――と言う事もあるのだろうけど。
まっすぐ刺さって来る視線に、決死隊にも似た異様な迫力を感じる。
「第一位《水の盾》サフィールを元に戻して、レオ帝国を正常化しなければならないわ。何もかも。私はサフィールのクセ、幾つか知ってるのよ。サフィールは、図星を突かれると、そう言う風にウルフ尾が固まったわ。今ほど、ハッキリとした反応と言う訳では無かったけど」
――違う! 違います!
ブンブン首を振る。声は出せない。声を出すと、幾ら全面的な記憶喪失とは言え、一発で同一人物だと判断されてしまう。恐らく、じゃ無くて、ほぼ確実に。
地妻クラウディアは、レオ族ならではの鋭角的な形のお目目を、パチクリさせていた。冷たいまでに整った彫像なクレドさんと、アワアワ状態の混血イヌ顔なわたしを見比べている。如何にも『信じがたい』と言う風に。
――そりゃ、何だかチグハグな組み合わせだな、とか、そう言う所はあるだろうけど……
自分で思いついていて、さすがに落ち込む。
クレドさんが、不意に水妻ベルディナを、スッと見据えた。
水妻ベルディナは、妖怪を見た時のような、ギョッとした顔になっている。動かない筈の彫像が、いきなり動いたと言う印象なんだろうなと想像できるよ。うん。
クレドさんの、冷涼にして滑らかな声が流れた。
「ルーリーが『サフィール』の名に反応するのは、それが母親の名前だからです。詳細は、リクハルド閣下にお尋ねください。そして、私は我が《宝珠》を手放すつもりはありません」
――もう少しで失神するところだったよ。
不意打ちの爆弾発言だから、心臓がドッキリしてしまった。訳知りなジントが、ウルフ尾で思いっきり背中を『バシバシ』はたいて来て、カツを入れて来たから、何とか気を保てた……感じ。
レルゴさんが、器用にタイミングを読んで、口を出している。
「ま、そう言う訳だ、水妻ベルディナ殿。ちなみに『公式決闘』は済ませてある、主に私がな。一太刀取られたから、この件はチャラだ。力及ばずで済まんがな、此処に居る小娘と《水の盾》サフィールは、確かに別人だ。既に結論が出ている事だから、ゴチャゴチャ言わねぇでくれると助かる」
今度はランディール卿が、口をアングリした。
「我が友レルゴよ、お前ほどの戦士が、一太刀取られたと言うのか?」
「おぅ、忌々しいほど、あっさりとな」
リュディガー殿下は、感心したようにクレドさんを眺めた。そして、おもむろに腕組みをして、アシュリー師匠と、バーディー師匠なユリシーズ先生を、疑問顔で振り返ったのだった。
「バーディー師匠にアシュリー師匠。では、あの日、大広間の天井の上に出現した、あのラピスラズリ色の《水の盾》を、どう説明するのだ? この件、既に帝都に報告が行っているのだ。結果があるのに原因が無いのでは、私もさすがに理解しにくい」
バーディー師匠なユリシーズ先生が、『決まっているでは無いか』と言わんばかりに、銀白色の冠羽をヒョコンと揺らした。
「あれは、水妻ベルディナ殿の発動した《水の盾》じゃよ、当たり前じゃろう。そして、リュディガー殿は、ウルフ王国からの全面的な支持を受けて、新しい『レオ王』になるのじゃよ」
「――はぁッ?!」
いきなり爆弾が投下されて、炸裂したようなものだ。
レオ族な面々は目を丸くしている。居並ぶ正妻たちは勿論、水妻ベルディナでさえ、何が何だか分からないと言う風だ。
アシュリー師匠が、訳知り顔で、内容を補足して行く。
「実際、それが最も現実的かつ適切な解決だろうと、我々、大魔法使いとしても結論しているのよ。今の老レオ皇帝が退位した後、今の第一位のレオ王子が一足飛びにレオ皇帝となり、同時に傍系ながらレオ王子の1人であるリュディガー殿が、一足飛びにレオ王になっても、問題では無い筈よ。レオ王子の地位を埋める候補者は、常にひしめいているのだから」
リュディガー殿下が金色タテガミをしごき始めた。
さすがレオ族だ。熟練の政治家らしくポーカーフェイスを保っているけれど、目がキラキラと光り始めている。脳みその中で歯車がカチカチ回ってる音が、此処まで聞こえて来そうだ。
アシュリー師匠の目配せを受けて、ディーター先生が、ノンビリした様子で付け加えた――ただし、その眼差しは油断なく、鋭く光っているところだ。
「実際、これはウルフ王国にとっても悪い話じゃ無いのだ。こちらも、リオーダン王子が巻き起こした問題の数々をカバーするだけの余裕が欲しいのでな。総合して五分五分の政治取引になるだろう。もっとも実際の交渉の窓口は、我らがウルフ国王陛下や、第一王子ヴァイロス殿下と言う事になるが」
おのおのの4人の正妻たちが、声を押さえながらも、ざわめく。将来の見込みに関する内容が、早くもチラホラと聞こえて来た。脳みその切り替え、凄すぎる。
水妻ベルディナが、口をパクパクし始めた。動揺した時のクセなのだろう、片手が、ソワソワと亜麻色の毛髪を触り出した。お下げのように下がっている『花房』を形作る青いハイドランジア真珠が、その手の動きに合わせてユラユラしている。
「……でも、それでは……レオ王陛下は……」
水妻ベルディナの疑問に対して、バーディー師匠なユリシーズ先生が、決然とした様子で応じた。
「勿論、今のレオ王は、水妻ベルディナ殿の告発を受ける形で、リュディガー殿が老レオ皇帝に奏上する事で、廃嫡となる。レオ王のハーレムも解体じゃな。ベルディナ殿を含め、正妻たちが私有財産を持ってハーレムを出るから、レオ王の私有財産も、大いに目減りする。政治工作も困難になる程にな」
バーディー師匠なユリシーズ先生は、凍て付くような――と言う程では無いけど、厳しい眼差しで『ベルディナ』を見やった。
「かつての第一位《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス亡き今、レオ帝国の現在の第一位《水の盾》は『ベルディナ』殿だ。『風のサーベル』の闇の腕は、とても長い。このたびの事件の残党の勢力も今なお強大であり、レオ帝国は、これから当分の間、動乱の時代を通過する事になる。まずは新レオ皇帝の傍で、《盾使い》として、シッカリ務めるが良い」