暮れなずむ二重の情景・2
――ジワジワと、不気味な確信が湧き上がって来る。
水妻ベルディナは、強張ったまま答えない。黙秘しているかのように。
異様な空気を破ったのは、ジントだった。目が据わっている。
「おい、あのサーベルのオッサンは、『恩寵がある』とか何とか笑ってたけどさ。オバサンが実際に『恩寵~』って守護してたのは、レオ王の方じゃ無くて、サーベルの方だったんじゃねぇのかよ。サーベルは年が行ってるけどさ、ガタイは良いし、顔は、やたら整ってた。外面さえ保ってれば、まぁ『イイ男』ってヤツか」
――まさに図星だったらしい。
水妻ベルディナは、『ヒッ』と呻いた――
*****
――かの運命の日の、前日。
水妻ベルディナは、情報を漏洩していた。サフィールの1日の行動の情報だ。漏洩先は、スケスケ赤ランジェリーのバニーガール。当時バニーガールは、御用達のアクセサリー業者のビジネスパートナーとして、後宮の都に入って来ていた。
『水妻ベルディナ殿~。ご存知の『雷神』からの注文ですってよ~。いえ、なに、ホンのちょっとした事よ。サフィールが護衛の目を外れて1人になる時間って、有ったり無かったりするかしらぁ? サフィールの知り合いって言う、或る筋のネコ族の人に、その辺、ちょっと聞いてるんだけどぉ?』
次の社交行事に必要となる、礼装用の宝飾品を選んでいる真っ最中に、水妻ベルディナは、心臓が止まる思いをしたのだった。
――遂に、最も恐れていた『時』が、到来した。
裏社会では『雷神』で通っている、レオ大貴族『風のサーベル』。表でも裏でも、まさに『最高の男』と言うべき、ヤリ手の政治家。若返りの術を使っているのかどうかは不明だが、今なお年齢を感じさせない美貌の持ち主だ。その表と裏にわたる絶大な権勢と言い、今の老レオ皇帝が「表の皇帝」なら、サーベルこそが「裏の皇帝」と言うべき男。
風のサーベルと、レオ王の水妻ベルディナは――人目を忍ぶ恋人関係を続けていた。折々の、心華やぐアバンチュールの時間。年齢こそ随分と離れていたが、恋をする事に、年齢差が関係あるだろうか?
水妻ベルディナは、レオ族の最強の《水の盾》として、秘密の恋人サーベルの守護をしている事に、充実感を抱いていた。
そのサーベルは――最近、急に態度が変わった。何があったのかは知れぬが、方々の闘獣マーケット業者を訪ね歩き、特にメスのウルフ闘獣を、とっかえひっかえしていると言う。
最近、名前が出て来た『シャンゼリン』という黒毛のウルフ女を、他種族ハーレム妻として、従えたのだろうか。それにしては、何故にウルフ闘獣にこだわるのか、まるで分からなかった。
――それと共に、何故だか、確信めいた直感があった。女としての直感、とも言うのだろうか。
遂に、この『時』が来た。
サーベルが、第二位《水の盾》に繰り下がった水妻ベルディナを、必要としなくなる日が。
7年ほど前になろうか――
ウルフ族の少女サフィールが、レオ皇帝の元に『献上』されて来た日以来。
サーベルは、《水の盾》サフィールに対し、儀礼的と言うには余りにも強く、生々しい程の関心を抱いていた。
――ただでさえ希少な《盾使い》の中で、特に天才的な《盾使い》のみが獲得する、その『イージス称号』持ちの守護の強さとは、どんな物なのだろうか――
サーベルは、折に触れて要求して――命令して――来ていた。第一位《水の盾》サフィールを、何としてでも己の影響力が充分に及ぶ、レオ王のハーレム妻として従えるように、と。その特権の大きさでもって、レオ王にも『命令』していた。
レオ帝国の第一位《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス。
ウルフ王国の辺境で偶然に見いだされ、急に献上されて来たウルフ族・金狼種。レオ帝都に到着したその日のうちに、『イージス称号』の最有力候補と判定された上、老レオ皇帝の身辺守護を務める事となり、即座に老レオ皇帝のハーレムに入れられていた。
現在、公称年齢22歳。今なお『白い結婚』が続いている――『花巻』装着中の未婚妻。
まばゆいばかりの紫金のサフィールは、余りにも若かった。
そして、魔法使いとしても、圧倒的なまでに強かった。ベルディナの師匠を務めている大魔法使いたちをもして、『天才』と言わしめる程の、《盾使い》の中の《盾使い》――『イージス称号』持ち。
しかも――鳥人出身の《風の盾》ユリシーズ・シルフ・イージスが、唯一『我が愛し子』と呼ぶ、直弟子にして右腕。
――紫金のサフィールが、居なくなれば。
あの頃のような、恋人サーベルとの胸浮き立つような日々が、戻るのだろうか。
バニーガールの問いは――まさに、誘惑のささやきだった。
水妻ベルディナは、サフィールの1日の行動パターンの――詳しい情報を、まるまる漏洩した。同じ後宮の都のハーレム関係者で無ければ、知り得ない情報を。
まさか、その頃、サーベルが『悪辣非道な非合法の奴隷商人』として摘発されていたとは、知らなかった。まして、『タテガミ完全刈り込み』の刑をも受けていたとは、つゆとも知らなかったのだ。
かくして――
かのバースト事故より、一刻ほど前の刻に、至る。
水妻ベルディナは、久し振りのような気もするサーベルの直々の指示に従い、軍事施設の近くで待機していた。サーベルの秘密の作戦に協力するためだ。
太陽は、西の地平線に近い。暑い夏の、いつもと同じような夕暮れの刻だ。
いつものように、サフィールは新しい魔法を研究するために、1人で軍事施設に来ていた。
そこで、サフィールは、行動パターンをかねてから承知していたレオ王に付きまとわれ、『我がハーレムに入れ』と言う、しつこい勧誘を受けていた。それは次第に、セクハラと言うべきレベルにエスカレートした。いつもの、ように。
レオ王も、別の面から見れば哀れな男だ。サーベルの圧力を結局、押し返す事が出来なかった。ホンのちょっとした陰謀の隙をサーベルに突かれ、弱みを握られたのが原因なのだが。サーベルが、レオ王の想像以上に強大で邪悪な存在だった事が、不運と言うべきだった。
しつこい勧誘が、度を越したところで。
やはり、いつものように、プチッと切れたサフィールが《水まき》との合わせ技で《防壁》を吹っ飛ばし、レオ王を大広間から叩き出した。
なおかつ《防壁》の応用でもって、大広間の扉を厳重にロックした。同じ魔法使いで無ければ開錠できないような、魔法のロックだ。
レオ王が大広間の扉をガタガタと揺さぶったが、サフィールの方は完璧に激怒している状態で、堅く閉じこもってしまっている。諦めたレオ王は、悪態をつきながら、いっそう闇の色を増した夕方のオレンジ色の陽光の中、館へと戻って行く。
その様子を物陰から《透視魔法》で窺いながらも、水妻ベルディナには、さすがに今回は反省する所があった。水妻ベルディナもまた、ここ1年に渡って、サフィールに『レオ王のハーレムに入れ』と、しつこい勧誘を仕掛けていたのだから。
しばらくの間――サフィールが居る筈の金剛石の大広間は、静かだった。太陽の端は、西の地平線に接触し始めている。
――余りにも静かすぎる――
不審に思い始めた水妻ベルディナは、再び、物陰から《透視魔法》でサフィールを窺った。
ガランとした大広間。細いスリット群からこぼれる、薄暮の光の中。
サフィールは、非常な集中力でもって、複雑な魔法を展開している所だった。サフィールの手前の空間に、『天秤』と思しき、ボンヤリとした、薄青い多重像の幻影が浮かんでいる。
気が遠くなるほどの大容量のエーテルが集中しているのは分かるけれど、攻撃魔法でも守護魔法でも無い。
――では、これは、いったい何だろう?
訝しく思いながらも様子を窺っている内に、不思議な魔法が終わった。多重像を成していた『天秤』の幻影が、砂時計の砂のようにサラリと崩れ――薄青いエーテル粒子となって拡散する。
サフィールは、限界を超えて疲労困憊したかのように、床の上に手を突いて、ペタリと座り込んだ。
薄青いエーテルの流れは、広大な大広間の各所、明かり取り用の細いスリット群を、軽やかにスリ抜けて消えて行く。
西側のスリットから見える夕陽は――既に半分が、地平線に沈んでいるところだ。
次の一瞬。
サーベル一味が――近くの地面の下から湧いて来た。正しくは、軍事施設の付属の緑地、『ししおどし』のある水場から、湧いて来た。まさにコソ泥として、ヒャッハーなコソ泥8人と共に、地下水路を通って侵入して来ていたのだった。
――妙にタテガミの気配の無い、フード姿の大男。サーベル本人の声を発している。あの魅惑的なまでの金茶色のタテガミは、どうしたのだ。
水妻ベルディナは、驚き過ぎてボンヤリとする余り、これらすべてが、悪夢か何かのようにしか思えなかった。
『グズグズするんじゃ無い、役立たずのノロマが。サッサと、この大広間のロックを解除しろ。中に居るのは、最高位の《水の盾》なんだろう。早くしろ!』
――あの金茶色の魅惑的なタテガミが無くなった今。貧相な姿になっていたサーベルは、ただの、極悪人だった。
いや、元からサーベルは、外道な極悪人だったのだけど、水妻ベルディナの目は曇っていたと言うべきか。
――サーベルも水妻ベルディナも、相手の表面の要素しか、見ていなかったのだ。お互いに、相手の本質が見えていなかったし、見ようともしなかった。
サーベルは、レオ族の最強の《水の盾》としての、水妻ベルディナにしか用が無かった。単に《盾使い》としての利用価値のみ。女としての意味すら無い。第一位《水の盾》、しかも『イージス称号』持ちの《盾使い》であるサフィールが出現し、第二位《水の盾》に繰り下がった水妻ベルディナは、もはや用済みと言う訳だ。
水妻ベルディナにしても。『風のサーベル』の強い権力や、煌びやかな外見に惹かれていただけ、と言えた。
目が覚めてみれば。
サーベルの中身とは、その本質とは、心にある物は――いったい何だったのだろうか。
頭は良いかも知れない。でも、その頭の良さは、表の顔と裏の顔を使い回す方面に発揮されていた。
社会的地位は高い。でも、その地位は、巨大な特権のカタマリでしか無い。貴種ならではの覇気は、過剰な残酷さや暴力性、権力欲となって噴出するばかりだ。
サーベルの本性に気付きは、したけれど――気付くのが、遅すぎたのだった。
――かくして、バースト事故は、発生した。紫金のサフィールは、消え失せた。
その後、5日後に続けて発生した《水雷》事件では、水妻ベルディナが防御を主導する事になったのだった。
何とか防御を成功させたものの。
それでも、非合法な『勇者ブランド』魔法道具による強烈な《雷攻撃》だ。そのダメージは大きく、水妻ベルディナは、2日間ほど寝込む羽目になった。
体調を崩してフラフラになっていた、水妻ベルディナに――レオ王を通じて、かのサーベルからの新たな指令が下った。『これからウルフ王国に潜入するから、守護をしろ』という指令が。
レオ王は、老レオ皇帝の退位の情報をいち早くつかみ、それに夢中だった。体調がまだ回復していなかった水妻ベルディナの事を、振り返りも、気遣いも、しなかった。この辺りは、水妻ベルディナの自業自得と言う事もあるのだけど。