虚実の狭間の結節点・1
その後、数日のうちに。
大天球儀ニュース網を、獣王国の共通のトップニュースが駆け回った。
レオ帝都からの訃報――『第一位《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス、体調悪化の末、病死』という内容だ。
――まったく実感の無い、記憶にすら無い前世の人格とは言え。
リアルタイムで、かつての自分だった存在の死亡ニュースを聞くと言うのは、ちょっと不思議な気がする。
なお、ユリシーズ先生やアシュリー師匠との間で、わたしの今後の身の振り方についての話し合いは、既に済んでいるところだ。
バーディー師匠は、レオ帝国の方で《風の盾》ユリシーズ先生の影武者を務めているところ。そのバーディー師匠から、こういう決定があったと言う事を、あらかじめ教えてもらっていたから、予期してはいたけれど……こんなに早々に公表されるとは思わなかったから、さすがにビックリだ。
ウルフ王国の方では内々の話として、『サフィール』の将来の夫として、リオーダン殿下を推挙していたそうだ。
そのリオーダン殿下が、恐ろしい真実の露見と共に死体になったものだから、上層部の方では、かなり慌てていたらしい。日を置かずしてサフィールが急死したと言う事で、妙な安心感が広がっているとか、何とか……
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午前半ばごろ、リクハルド閣下の邸宅。
中庭に面した茶室で、バーディー師匠なユリシーズ先生から、魔法のアレコレについて講義を受けていたところ――包帯巻き巻きのミイラな執事さんを通じて、呼び出しが入った。
「バーディー師匠、ルーリー嬢。アンティーク部署のラミア殿とチェルシー殿から、通信が入っております」
――ラミアさんとチェルシーさんから? 何だろう?
わたしは、まだ通信用の補助の魔法道具を持ってなくて、『魔法の杖』で直通通信が出来ない。バーディー師匠なユリシーズ先生が、代わりに通信リンクを開いてくれた。
「ふむ。ルーリーには充分な『正字』スキルがあるし、アンティーク部署の作業の助っ人に来てほしいそうだ。間もなく民族移動のシーズンだから、魔法部署からの魔法道具のチェック作業も上積みされている筈だ。繁忙期と言う事だな」
バーディー師匠なユリシーズ先生は、何やら思いついた事があったみたい。銀白色の冠羽を面白そうにヒョコヒョコ動かしながら、ウインクして来た。
「タイミング的にも、頃合いだろうな。行ってみようでは無いか」
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魔法道具チェック用の作業場は、予期せぬ魔法事故や盗難を警戒するため、『茜離宮』外苑の中でも、注意深く隔離された場所にあるそうだ。警備の目もある。魔法部署とアンティーク部署が、共同で使用している。
ルート限定の転移魔法陣を3つ経由する必要があるとの事で、最初の経由地に、ボランティアのアシスタントなチェルシーさんが、道案内を兼ねて迎えに来ていてくれた。有難うございます。
チェルシーさんは相変わらず、柔らかな色合いの金髪をした、上品なシニア世代の淑女って感じだ。いつだったかの、お手製のラベンダー色の上着が似合ってますね。
最初の経由地から次の経由地までは、並木道スタイルになっている散策路を少し歩く。向こうの丘の上に『茜離宮』を望みながら闊歩できる、気楽な散策路という感じの道になっている。
現在の『茜離宮』の上層部には、訳が分からなくなるまでに変形した――解体&修理中の――骨組みが見えている状態だ。ちょっと前までは、名物の白い玉ねぎ屋根を乗せた壮麗な三尖塔が、バッチリ観光できたそうだけど。
「あら、ルーリー、『魔法の杖』に紐で、何か護符っぽい物を付けてるわね?」
さすがアクセサリー類が専門なチェルシーさん、目が鋭い。
実際、わたしの『魔法の杖』、根元に紐を通して、青いルーリエ花を模した小粒な魔法道具を付けてあるところなのだ。アンティーク物では無いけど、礼装の時でも不自然じゃ無いような、格式のある宝飾系アクセサリー仕立て。
ジントが、魔法道具に詳しいレオ族のレルゴさんとネコ族のラステルさんに相談して、わたしにプレゼントしてくれた品だ。
格式のある宝飾品だから、ジントのお小遣いでは足りず、お値段の大部分は、リクハルド閣下が出して下さったとか……恐れ多い。
この青い護符スタイルの魔法道具は、《水まき》や《洗濯》の魔法を発動する時に、魔法道具の洗浄用のルーリエ水を出せるようにする機能が付いている。定期的にルーリエ水に付けて置くだけで、ルーリエ水の性質をコピーしてくれると言うスグレモノ。
魔法パワーを抑えてしまうという厄介な性質の都合上、加工が難しく、意外に高値なんだけど、爆発しやすいタイプの魔法道具を扱う業者たちの中では、昔から緊急用の定番の魔法道具なんだそうだ。業者用の物は、魔法道具の爆発を抑えるためもあって、サイズが大きい。如何にも業務用という感じの散水ノズル型のデザインで、パワフルだと言う。
わたしが『杖』に付けているのは小粒なアクセサリー仕立てと言う事もあって、適用できる水量は、それ程という訳では無い。あちこちにルーリエ種の噴水があるから、今のところ出番は無いけど……そのうち、役立つ事もあると思う。
ひととおり雑談が済んだ後、チェルシーさんが、最近の社交界で耳にしたと言う内容を説明して来た。
「この間、『茜離宮』の三尖塔を吹っ飛ばしたのが、レオ族の『風のサーベル』と聞いてビックリしたわよ、もう。非合法の奴隷商人で、なおかつ『勇者ブランド』魔法道具の闇業者の元締め。それほどの大物なのに、『タテガミ完全刈り込み』のせいで、逆に今まで正体が分からなかったと言うのも。ルーリーも大変な人に捕まって、苦労したのねぇ」
――そうだったっけ。そうとも言えるかな。
わたし、そもそも記憶喪失だから、いずれにしても実感は無いのだ。チラリとバーディー師匠を見上げてみる。
バーディー師匠なユリシーズ先生は、銀白色の冠羽をヒョコンと揺らし、長い白ヒゲを撫でながら、イタズラっぽいウインクを返して来た。
あの後、今なお生死不明な事になっている『雷神』こと『風のサーベル』の白状内容は、若干、編集された。その内容の端々に、わたしの『新しい過去』が示唆されて来る形で。
わたしは、サーベルが、シャンゼリンの『闘獣』を探し当てようとして盛んに『ウルフ闘獣』のメスをとっかえひっかえしていた頃、その『闘獣』として、運悪く捕まったと言う事になっている。
その際、ちょっとばかり《防壁》魔法能力が見られたので、『奴隷妻』候補として囲われた。その《防壁》魔法能力というのが、幼少時にも偶然に発動してた、下級モンスター・毒ゴキブリ対応の《下級魔物シールド》って事で。
レオ大貴族なサーベルに『奴隷妻』候補として囲われていた数年間の内に、『花巻』の髪型にさせられたり、レオ大貴族の令嬢としての作法を覚えさせられたりしたので、妙に行儀作法が身に付いた。
そして、サーベルが『タテガミ完全刈り込み』の刑を受けて牢獄につながれていた隙に――すなわち、サーベルが不在となった隙に、わたしは、お仕置きか何かで、拘束バンドや拘束衣を付けさせられたまま、どうにかして、サーベルの邸宅から脱走を図った事になっているのだ。
この辺り、『拘束衣で走れたのか?』という疑問は付くそうなんだけど、此処だけは、どうしようも無かったみたい。プロの死刑囚……と言うのも変だけど、熟練の忍者な死刑囚なら走れるそうだし。
そして、危険な魔法道具を装備したサーベル配下の工作員に追いかけられ、色々あって、ボロボロの記憶喪失になって、『茜離宮』に出て来た事になっている。実際、『風のサーベル』の残党が、わたしを捕まえようとして今なお近くをウロウロしているそうなので、この辺は、バッチリと説明が付く。
ここ『茜離宮』に出て来たところで、実の姉にして『飼い主』シャンゼリンの《召喚》を食らったんだけど、記憶喪失のせいで中途半端な反応になった。そこへ、コソ泥なジントの《隠蔽魔法》によるイタズラが重なった。それで、あんな妙な出現スタイルになった……と言う事になっているのだ。
――色々と矛盾している特技が、こうも滑らかに接続するとは思わなかったから、正直言って、ビックリしている。その辺は、幾つもの裏の顔を持っていた『風のサーベル』やシャンゼリンのお蔭と言う事もあるから、ビミョウな気持ちではある。
幼少時の経緯は、リクハルド閣下がクラリッサ女史に説明した内容で通っている。ほぼ事実。
更に、アレクシアさんの手腕でもって、『風のキーラ』と、リクハルド閣下の失踪奥方が同一人物の可能性がある――と言う話が広がっていて、今や公認状態だ。
色々と身元の怪しいわたしが、リクハルド閣下の奥方を輩出した古い名門の出身の令嬢と言うのも、恐れ多いけれど……
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石畳で舗装された散策路の両脇は、日除けを兼ねた並木と植え込みで縁取られている。
うららかな秋の陽差しの下、行く手には、少し大きめの『あずまや』みたいな施設が見えた。
――転移基地だ。
一歩先を行くチェルシーさんが、淡いラベンダー色の上着の袖を振って、「次の経由地よ」とガイドしてくれた。
魔法道具の運搬ルート上にある施設の常として、傍にルーリエ種の噴水が設置してある。噴水広場は、季節の花々を付ける植え込みに囲まれていて、良い感じだ。
最後の、並木を構成する樹林の密度が濃くなるポイントに差し掛かった瞬間。
――ブワァッ。
不意に、脇の植え込みから、不穏な気配が噴出した!