移動は捕り物を添えて(前)
翌日、わたしの熱が、やっと下がった。
まだ少しフラフラしていて貧血っぽい感じがするけれど、歩ける事は歩ける。
季節は確実に移り変わっていた。特に、山に近い高地の辺りは、黄色や赤の鮮やかな波が広がっている。真夏の時とは違って陽光は柔らかい感じだけど、昼夜の気温差が大きいお蔭なのか、紅葉の鮮やかさにはビックリさせられる。
あと1カ月もしたら、雪を見る事になるらしい。夏の離宮たる『茜離宮』は、避暑地な場所にあるから冬は早いし、いったん、気温変化のパターンが変わると油断できないそうだ。
特に大吹雪に見舞われる厳冬期と、『雷電シーズン』とが同期すると、多くの人が普通に生活する事は、絶対に出来ない。厳しいサバイバル訓練を受けた冒険者や隊士でも無い限り、厳冬期に『茜離宮』周辺に留まっている事は、自殺行為でもある。
平地でも初雪を観測し始めたら、ウルフ宮廷は、レオ帝都に近い場所にある、南方の飛び地に移る予定との事。そこに、本来のウルフ王宮がある。まさに民族移動。
その間『茜離宮』は、魔法で封印された状態になる。城下町も同様、大雪と雷電に備えて建築が分解されて更地になる。家具は民族移動と共に運搬され、基礎建材は地下に安置される。
――道理で、やたらと頑丈な、モンスターの重量にも耐えられるような地下水路になっている筈だよ! 入り口は狭かったけど、内部空間は妙にスペースがあったし!
クマ王国の夏の離宮も、北方の大地にあると言う。冬になると、クマ王国の宮廷も、レオ帝都に近い場所に移動するそうだ。
何故かと言うと、レオ帝都の周辺が、特に気象パターンが安定している土地だからだ。夏場はさすがに暑いし、冬の積雪も少しあるけど、『雷電シーズン』に伴う落雷が、それ程ひどくならない――という、絶好の土地。
冬の間は、自然に、レオ帝都の辺りが獣王国諸国の中心というようなロケーションになる。諸王国の宮廷が、ほぼ一ヶ所に――レオ帝都の周辺に――集中して来るから、冬季は、獣王国の国際社交シーズンでもある。
レオ帝国が、獣王国の盟主を自称する筈だよ。
――『茜離宮』の三尖塔は、当然だけど、まだ復活していない。厳冬期は完全に工事がストップすると言うし、10年近い工事になると言うから、気の長い話になりそうだ。
*****
フィリス先生に「飲みなさい」と言われて、いつだったかの苦い薬湯を飲まされた。体内のエーテル循環と血流を同時に整える成分が入ってるそうだ。道理で、最初に此処に来た頃、繰り返し飲まされていたな……と納得だ。
傍で見ていたジントが、あからさまに「げぇ」という顔をした。
ジントも、『雷神』との対決の後、《雷光》の影響でフラフラしていて、苦い薬湯を飲まされたそうなんだけど、いっぺんで嫌いになったと言う。霊験あらたかな数種類の薬草の根が材料で、幾つかはスパイスにも使われていて、美味らしい。それなのに、こんな風味になると言うのが不思議だ。
ディーター先生がわたしの脈をとり、いたずらっぽい、ニヤリとした顔になった。
「ふむ。明日には退院して、遁走できるな」
――遁走?
「実はな。この病棟の周りには、有力貴族が自前で雇っている私設スパイが、ウヨウヨしているんだ。『雷神』を自称していた、あの不良レオ族の配下と思しき残党も、総合エントランスの方から入り込んで来ているらしい」
――ほえぇ?! 何で、そんな事に?!
口をパクパクしていると、ジントが灰褐色のウルフ耳を、呆れたようにクルリと動かした。
「大広間のスッポ抜けた天井から、ラピスラズリ色の《水の盾》を目撃したヤツが何人も居るんだぜ。大広間に来てたレオ族の水妻ベルディナが《水の盾》なもんだから、ベルディナ原因説が半々な状況だけどさ」
――情報封鎖はしてあるけれど、勘の良い魔法道具の業者も、有力者も、たくさん居るという訳。ひえぇ。
それだけの強烈な《盾魔法》を発動した魔法使いは、間違いなく体調を崩して倒れていると推測できる。その辺りの知識を持っている人物なら、一定以上の設備が揃った病棟に搬送されていると、予想も出来る筈だ。
野望を持つ有力貴族や反社会的勢力の連中にとっては、まさに《水の盾》の身柄を確保、あるいは拉致する好機。
――そう言えば、アシュリー師匠が、守護魔法を使える人材は少ないから貴重、とか言ってたっけ。魔法使いのレベルも、守護魔法の強さを基準にして決める。身辺ガードが厳重であるかどうかは、一定以上の地位と立場を持つ者なら、誰でも気にするところなのだろう。
ディーター先生が、半透明のプレートをつつきながら説明を再開した。
「今のところはバーディー師匠の《防音&隠蔽魔法陣》で何とか持っているが、あと3日くらいが限界だろう。元々、病棟は《隠蔽》の類が掛かりにくいように出来ているんだ。脱走患者を発見しやすいようにな」
そう言って、ディーター先生は、ジントを意味深な目でチラリと見やった。
コソ泥なジントは、ギョッとした顔になっている。心当たり、有り過ぎるらしい。ジントなら、ベッドを抜け出して、変な事やりかねないからなぁ。
「とにかくな、病棟の周りに怪しげなヤツが集まり過ぎている。『雷神』こと『風のサーベル』が白状した内容は、ルーリーも知りたいだろう――元・サフィールとして、知る権利もあるしな。退院を兼ねて別の場に移動し、改めて話をする事になっている」
――ふむふむ。
「退院先は、リクハルド閣下の館だ。『茜離宮』外苑の大貴族の街区にあって、王宮に準じる警備レベルだから、落ち着いて話が出来るだろう。ルーリーは、そのまま、リクハルド閣下の館に滞在する事になるしな」
――ほえぇ?! 確か、元・第三王子な人ですよね、リクハルド閣下って……?!
「あぁ、言ってなかったかな? リクハルド閣下が、ルーリーの身元保証を務める保護者だから当然じゃないかね。今は亡きシャンゼリンが、実の姉として色々やらかした後だから、その辺は微妙だろうが……ルーリーなら大丈夫だろう。現に、このジント君は、既にリクハルド閣下の館に馴染んだからな」
――わたしが目が覚めなかった4日間の間、色々あったみたい。お手間、掛けます……
*****
翌日、朝食を済ませ、出発予定時間に合わせて、身の回りの物をまとめてスタンバイしていると――
病室のドアが、音を立てずに開いて閉じた。
――ぎょっ?!
次の瞬間、膝をさらわれ、視点が高くなる。ぎゃあ。
気配は勿論、足音も分からなかったし、余りにも急だったから、姿すら目撃できなかった。思わずジタバタしていると、隊士の紺色マントが『バサッ』と掛けられ――あの滑らかな声音がウルフ耳に詰め込まれたのだった。
「驚かせて済みません。行き先は変わりませんが、行程が変わりました」
――クレドさんッ?!
そう言えば、リオーダン殿下に『ガツン』とやられた右肩は、痛くないんですか?!
わたし割とドジだから、あの銀色の《雷攻撃》も、直撃を引き受けるどころか、自分からおびき寄せる結果になっちゃったし!
それから、それから――
クレドさんは、いつものように静謐な表情のままだったけど、わたしの百面相をチラリと見るなり、おかしそうに口の端に笑みを浮かべて来た。ドッキリ。
「後で話す機会はありますから。今は、つかまっていて下さい」
その瞬間にも、廊下の方から数人ほどの重い足音が――明らかに男たちの足音が――聞こえて来た。殺気を感じると言うレベルでは無いけれど、剣呑な気配をもって、疾走しているかのような……
クレドさんとわたしが、ディーター先生の研究室に移動するが早いか、病室側の入り口のドアが『バタン』と開いた。
仕切りのドアは、いつの間にか閉じている。
クレドさん、早い……?!
「ヤツは何処だ?!」
「まだ遠くへ行って無い筈だ、探せ!」
「そっちのドアだ!」
――ぎょっ。ディーター先生の声じゃ無い。知らない男の人たちの声だ。
クレドさんは、わたしを片腕抱っこしたまま、驚くほど滑らかな身のこなしで、研究室と緑地の仕切りとなっている大窓から手前の緑地へと降りて行った。忍者さながらに、さっさかと樹林に入り、外苑へと駆けて行く。
この数日の間に、空気は既に秋の物になっていた。抜けるような青空の下、涼しい空気は、冷たさを増している。紺色マントと言うワンクッションが無ければ、一瞬、ブルッとしたかも知れない。
わたしは訳も分からず、今は長袖な隊士服をまとうクレドさんの肩に、ギュッとしがみつくのみだ。心臓が勝手にドキドキし始める。
「ルーリーの退院日の情報が洩れました。総合エントランスの方から、送迎担当を装った私設スパイが侵入して――ディーター先生とフィリス先生が気付いて、渡り廊下の前で食い止めましたが、一部の工作員が押し込んで来た訳です」
――ひえぇ?! 私設スパイで工作員って?!
緑の樹林が流れるように飛び去って行った。いつの間にか、あの病棟エリアの外れのルーリエ噴水に到着だ。
ルーリエ種の噴水広場を成す石畳に、クレドさんが足を踏み入れる。見覚えのある、あの置き石の後ろから、やはり見た事のある灰褐色の子狼が『ピョコン』と現れた。
――あれ? ジント?!
思わず口をパカッと開けていると、灰褐色の子狼は舌を出して笑い、得意そうな様子でウルフ尾を『ヒュン』と振って来た。やっぱりジントだ。
(片方は、予想通り『風のサーベル』の残党だけど、もう一方はジョニエルの手下が混ざってたぜ。リオーダンとジョニエル、やっぱり裏の関係があったな)
――どういう事?
脳みそをグルグルしている間にも――クレドさんは、わたしを抱っこしたまま、再び駆け出した。あっと言う間に全力疾走スピードだ。ひえぇ!
視点が高くて気分がおかしくなるから、いつだったかのように、クレドさんの肩に後ろ向きにつかまって、後方を眺める格好になる。
灰褐色の子狼なジントが、クレドさんの後をピッタリ付いて来ていた。
その更に後ろから、病室に押し込んでいたと思しき一団が、追っかけて来ている。全員が全員、何故か人相を隠す覆面をしている。しかも、目と鼻と口だけ穴を開けてある、いかにも『ヒャッハーな』怪しげな覆面だ。
やがて、丘の標高が少し下がった所で、覆面男たちの一団が、「ワッ」と言いながら次々に転び始めた。ジントが、何らかの足止めの罠を仕掛けていたようだ。
かねてから潜んでいたらしい――紺色マントをまとうウルフ隊士の一団が不意に現れて、その覆面男たちの一団に、一斉に飛び掛かる。意外に本格的な戦闘というか、捕り物が繰り広げられているようだ。
丘をひとつ越えて、緑の樹林をふたつばかり抜けた後。
「野狼! 行かせん!」
右後方の植え込みから、ダミ声を上げながら、大柄な獣人が飛び出した。見るからにガラの良くない、『ナンチャッテ暴走族トロピカルなキラキラ&ヒラヒラ』を裸の上に直接まとったクマ族だ。何でクマ族?!
クマ族のチンピラは《地霊相》生まれだったようで、かなり大振りな《石礫》が降り注いでくる。ぎょっ。
クレドさんが『警棒』を振った。
一陣の《風縄》が飛び出し、クマ族の足に絡みつく。あれ、確かバーディー師匠がやってた、捕縛用の魔法だよね。
想定外の不意打ちを食らったらしいクマ族のチンピラは、文字通り、疾走の勢いのまま、トロピカルなヒラヒラをなびかせて空を飛んだ。口をポカンと開けつつ、緑の芝草の上で転げ落ちながらも、ボン、ボンとバウンドし始める――
野の上に、縦にも横にもふくよかな人型(クマ型?)の穴が出来て行った。
(ヒャッホゥ! ヤツまで釣れるとは思わなかったぜ!)
子狼なジントが疾走しながらも、ちょっと飛び跳ねた。
――思い出した!
あのクマ族の『ナンチャッテ暴走族トロピカルなキラキラ&ヒラヒラ』、確か『ミラクル☆ハート☆ラブ』で、金髪イヌ族の不良プータローなチャンスさんと怪しげな取引してた男だ! 非合法な金融魔法陣のボードを交換して……!