再びの噴水広場にて
患者服である生成り色の無地のスモックを、再び身に着けた所で、フィリス先生が話しかけて来た。
「歩行の方は一応、問題ないし、今日はルーリーが出て来た噴水広場に行ってみましょう。何か気が付いた事があったら、教えてちょうだい。殿下たちは――ディーター先生もそうだけど――ルーリーが転移魔法の先触れも無しに、どうやって降って湧いて来たのか知りたがってるのよ」
転移魔法は《風魔法》の一種だけど、隠密レベルの転移魔法を発動できる魔法使いは、《風霊相》生まれの上級魔法使いの中でも5人に1人くらい。獣王国の全体でも、登録済みの《風霊相》上級魔法使いは300人にも満たない状態だから、そちらの調査の方面は、すぐに結論が出たそうだ。
フィリス先生は《風霊相》の生まれで、中級魔法使いながら《風魔法》は専門。転移魔法もお手の物だけど、それでも、隠密レベルの転移魔法は発動できないと言う。
ディーター先生は上級魔法使いだけど、《地霊相》だから転移魔法は専門外で、標準的なレベルに留まる(とは言え、上級レベルの《風魔法》を幾つか発動する事は出来るから、それはそれで凄い事だそうだ)。
あらかじめ転移魔法陣が刻まれていないポイントに、即席で転移魔法陣を構築するという事は、正確で精密な転移魔法陣をゼロから描き出していくという事。しかもフリーハンドで。まして隠密レベルとなると、何も分からない暗闇の中で、正確な図形を描こうとするようなもの。非常に神経を使う作業になる。
まっさらな石畳という場で、即席で隠密レベルの転移魔法を発動する――というのは大変な事。それこそ『マイスター称号』を持つ大魔法使いレベルじゃないと――というくらい高難度な代物なのだ。
そんな説明をしながらも、フィリス先生は、物置棚から新しい包帯を取り出して来た。
――あれ? 身体には、もう包帯を巻かなくても大丈夫だったですよね?
「包帯を頭部に巻いていた方が、周りの人に余計な詮索をされにくいのよ。『耳』パーツを再生するためにやって来た入院患者さんという風な感じになるから。出逢う人たち全員に、その拘束バンドの件を説明している暇は無いしね」
と言う訳で、昨日と同じように、外出に先立って、フィリス先生に包帯を頭部に巻き巻きしてもらったのだった。
*****
――特にピンと来るような感触は……無い。
わたしが出て来たと言う場所には、あの噴水が、存在するけれど。
記憶にある通りの滑らかな石畳。その周りに、緑の芝草。傍らに背の高い樹木が立っていて、頭上で緑の枝葉をいっぱいに伸ばしている。真昼の頃には、あの日と同じように、この樹木の下に広々とした半日陰が出来る筈。
見覚えのある置き石も、記憶にあるままの位置に鎮座していた。その石の表面に、『殿下』が作った魔法の楔穴も残っている。
だけど、此処に来る前に何があったのか――全く思い出せない。
ボンヤリと、『雷雨の嵐に巻き込まれてメチャクチャに転がされていた』らしい、というような感触はあるけれど。それは、四大《雷攻撃》魔法に伴う典型的な現象だそうだ。《火》の雷光、《風》の強風、《水》の豪雨、《地》の震動。
「――或る程度は覚悟はしていたが、そこまで徹底的な記憶喪失だとはなぁ」
調査研究で付き添って来たディーター先生が、呆れ気味の溜息をついている。フィリス先生も、記録のためのノートを持って来ていながら手持ち無沙汰だ。
――思い出せなくて、ごめんなさい。でも、本当に何にも思い出せないんだよ。
わたしはもう一度、チラチラと噴水の方を眺めた。
真ん中で、水を噴き出しているオブジェがある。古風な水瓶の形をした透明な噴水口だ。いつの間にか、フラフラと惹きつけられるように、わたしは円形をした水槽の端にしゃがみ込み、手を掛けていた。
噴水の底となっている面は、地面よりも深い所にある。適当な深さの穴を掘って、そこに噴水をセットしてあるのだ。それで、地上部分の水槽の仕切りの高さが、わたしの膝丈よりも低い位置まで繰り下げられている。
――あの日、寝そべったままでも、噴水の中央部に水瓶の形をしたオブジェがあるのが楽々見て取れた訳だ。
透明な容器の中で、『ルーリエ』種だという青い水中花が踊っていた。病棟の中庭広場でも見かけた、ミントグリーン色をした蔓草タイプの藻。そこに、瑠璃色をした六弁の小花が付いている。
オブジェの外にも分枝を伸ばして、噴水全体にワッサワッサと広がっていて、円形をした水槽の中でユラユラと揺れていて、如何にも気持ち良さそうだ。
――わたし、植物の方の『ルーリエ』に生まれてたら、なーんにも考えないで生きていられたのに。
その心中の呟きは、実際の呟きになって洩れていたらしい。
フィリス先生が『魔法の杖』をハリセンに変形して、『ペチン』と頭をはたいて来た。病棟に担ぎ込まれて来た最初の時の方が、ヘタレて弱っていたけど、ウルフ族ならではのガッツがあったんだって。
決まり悪い気持ちになって噴水を眺めていたら、別の道が噴水広場から伸びているのに気づいた。しょっちゅう使われているらしく、車輪の転がった痕跡みたいな物もある。
――ここって、『道外れの噴水』じゃなかったの? あれ、でも『外れの噴水』って言ってたよね?
「あの道は、何ですか?」
その質問に答えたのはディーター先生だった。
「ここら辺の別棟――『茜離宮』の控えの棟への運搬ルートだ。病棟向けの魔法道具とか――この運搬ルートを運ばれて来るのは、魔法道具が多いな。此処に『ルーリエ』の噴水があるのも、その関係だね」
成る程。魔法道具の運搬ルートの途上にある、洗い場ポイントなんだ。穴を掘って、水槽の地上部分の仕切りの高さを繰り下げてあるのも、洗い場として便利なように設計されているからなんだろう。
しげしげと見慣れぬ道を見ていると、ディーター先生が「おや」と言いながら、横を見やった。『茜離宮』と直結する、メインの散策路のある方向だ。
「ヴァイロス殿下たちが、レオ帝国の大使と散策に来ている。こちらは裏方らしく、引っ込んでいようじゃ無いか」
「やんごとなき方々が勢揃いね」
成る程、仕切り壁そのものの樹林を透かして、きらびやかな一行がゆっくりと歩んでいるのが見える。ごくごくわずかな高低差ではあるけど、こちらの方が丘の上になるから、一行の様子が良く見えた。
フィリス先生が適度に解説を入れて来てくれる。
豪華絢爛な金髪が、ウルフ王国の第一王子『火のヴァイロス』殿下。続くのが、ウルフ王国の第二王子、黒狼種『風のリオーダン』殿下。どちらも、ロイヤルブルーの着衣に純白のマントだ。公的な場だからか、2人とも頭部に、ウルフ族の物だと言う銀色のサークレットをしている。遠目にも分かる美形な人々だから、眼福というところ。紺色の軍装姿の親衛隊が、付き従っている。
一方、朱色の着衣をまとった巨人風な5名はレオ族の戦闘隊士だ。中央に居るレオ帝国の親善大使一行――緋色の着衣の5名の貴族男性たちと、付き従う10数人ほどの、ココシニク風ヘッドドレスも『花房』も豪華絢爛なレオ族貴族女性たちを、それぞれ護衛している。
唯一の金色のタテガミの、最も偉そうなレオ貴族男性は、レオ帝国の開祖『金獅子大帝』に由来する貴種の血が入ってるそうだ。レオ帝室の血縁メンバーなんだ。一般のレオ族男のタテガミは、薄茶色、茶色、黒色と様々みたい。
ウルフ族の貴族令嬢や侍女たちも、レオ族の貴族女性の相手のためか、数を合わせて参列している。令嬢は思い思いのドレスだけど、侍女の方は、上級侍女のユニフォームをまとっている――動きやすそうなストンとしたハシバミ色のドレスに茜色の縁取り紋様。
黒髪をした若い上級侍女の1人が、特別にヴァイロス殿下やリオーダン殿下のサポートをしているのが目立つ。今は亡きアルセーニア姫の直属の侍女を勤めた人だそうだ。傍に居ただけあって事情を良く知っているから、アルセーニア姫の代理をしてるらしい。
ヴァイロス殿下もリオーダン殿下も、ウルフ王国の開祖『大狼王』につながる貴種の名門の血筋と、鍛え上げた実力によって決まった王位継承者の称号を持っていて、それが『殿下』なんだそうだ。今のところ、ヴァイロス殿下が一番の実力者だから、第一王子という事になっている。
――ヴァイロス殿下にリオーダン殿下に、レオ帝室の血を引く貴種の大使。亡きアルセーニア姫の代理の上級侍女。
外交行事のひとつで、レオ帝国から派遣されて来た親善大使の視察に対応しているそうなんだけど、何とも凄い顔ぶれだ。今は亡き第一王女アルセーニア姫が生きていたら、この外交メンバーに必然的に加わって来ただろう。
護衛をしている男たちは、みんな大柄で筋骨隆々だ。この一行を襲おうとするバカな人は居ないんじゃ無いかなと確信してしまう。ヴァイロス殿下を襲った暗殺者たちだって、バーサーク化していて正気じゃ無かったという話だし。
――アルセーニア姫は何故、殺されたのか。
――誰が、よりによってヴァイロス殿下、すなわち第一王子という存在を、亡き者にせんとしたのか。
レオ帝国の大使がやって来たのは、ここ数日の事だそうだ。ウルフ王国の国王夫妻も、だ。事件が集中したタイミングがタイミングだけに、とってもキナ臭い物を感じてしまう。
「――そう言えば、リオーダンって、以前、聞いた事のあるような名前……?」
「急死したアルセーニア姫の、婚約者です」
新しい人の声が入って来た。前にも聞いた事のあるような、滑らかな低い声。
ギョッとして振り返ると――
そこには、以前にも見た事のある、黒髪黒目のウルフ族の男性が居た。
――ディーター先生が『クレド隊士』と呼んでいた人だ。
明らかに軍装姿だ。丈の短い紺色マントを羽織っていて、紺色の袖なしの着衣に手甲などの防具を追加して、警棒ホルダーを下げている。きらびやかな一行を護衛しているウルフ族の親衛隊と、同じユニフォーム。
「クレド隊士か。今日はどうしたんだ、非番か?」
ディーター先生は既に接近に気が付いていたみたいで、訳知り顔で、黒いウルフ耳の背の高い人物に声を掛けている。
「一応の非番です」
「一応の、か。まぁ、レオ帝国の親善大使が来ている時期だからな。それにしても、よく気付いたな」
「警戒対象の身元不明の人物が、気配を隠していませんから」
――わたしの事ッ?!
思わずクレドさんの方を見上げる――わたしの顔は、きっと警戒バリバリで強張っていたと思う。
観察してみる限りでは――
警戒対象と言っている割には、クレドさんの黒く涼やかな眼差しには、剣呑な気配は無い。黒いウルフ尾の方も、つややかな毛並みを保ったまま、無表情だ。
静謐さを湛えた、彫像みたいに整った硬質な面差しは感情が読みにくいけど、それでも、わたしを注意深く眺めているのは分かる。黒いウルフ耳も、わたしの方向をまっすぐ向いて来てるし。
――わたし、まだ容疑者扱いなの?
背が高いゆえの『上から目線』で、クレドさんの視線が移動している。
わたしの頭部に巻かれた包帯。その下には、直には見えないけど、相変わらず『人類の耳』が飛び出していて、奇妙な金属製のヘアバンドがハマっているところだ。
バッサバサの浮浪者な髪型が整理されたが故に、あらわになった目鼻立ちの周辺とか、顎ライン辺りをしつこく眺めて来ている。何か気になる事があるんだろうか。何となくだけど、茜メッシュが存在する辺りに、長々と注目して来ているような気がする。
次いで、生成り色のスモックの上下に、サンダル――というか、患者服セット。
最後に――やっと生えてきた感のある尻尾。
わたしは、思わずパッと尻尾を隠した。
身元不明なだけに怪しさ急上昇の行動だろうけど、毛並みが惨めにペッタリしている状態だから、余り他人に見せたくないんだよ。おまけにクレドさんみたいな、漆黒というような美しい黒じゃ無くて、色あせた不真面目なブラックというか、チャコールグレーだし。
――そう言えば、この人、ヴァイロス殿下の部下だよね? ヴァイロス殿下が、わたしのおバカな寝顔をのぞき込んでいた(かも知れない)時、クレドさんも、そこに居たんだろうか?
頭がゴチャゴチャしていて、自分でも何をしてるのか混乱してる。尻尾を背中に隠して抑え込んだまま、サササッと後ずさると、足が噴水の仕切りにぶつかった。
勢いで身体がグインと傾いた。天地がひっくり返る。
――そう言えば、この噴水プールの仕切りの位置、低かったよね……!
ディーター先生とフィリス先生とクレドさんが、揃って、口をポカンと開けていた。
「@@@~ッ!!」
続いて『バッシャン』と言う水音、身体全身を襲う冷たい水、絡み付くミントグリーン色の蔓草タイプの藻。
――わたし、噴水に落っこちたんだ! 沈む! 溺れる! わたし泳げないの!
「あー、そこまで慌てなくても大丈夫だ、よし……ソレッ」
苦笑いしながらも沈黙を破ったのは、ディーター先生だ。
さすがウルフ族男性ならではの、見上げるような背丈を持つ体格ならではと言うのか、筋力がすごい。胸倉をつかむ形だけど、あっという間に引き揚げてくれて有難うございます。あと少しで、鼻の中に水が入るところだったよ。
フィリス先生は何が『ツボ』にハマったのか、アサッテの方向を向いて肩を震わせている。
「これ、フィリス、《風魔法》でルーリーを乾かしてやってくれ」
「お任せを……(プフッ!)」
*****
――動転して、ひっくり返って噴水に落ちたなんて、黒歴史の中の黒歴史だ。
おまけに体温保持と安定のため、クレドさんのマントをお借りして、くるまっているというのも――
――恥ずか死ねる。この世で最も深い地下迷宮の、底の底まで、穴を掘って埋まりたい……
ウルフ族の人体スタイルは、男女の体格差が大きい。この紺色マント、クレドさんにとっては丈が程よく短くても、わたしにとっては余裕で膝丈まであるんだよ。
ディーター先生いわく、体調は落ち着き始めてるけど、身体を急に冷やすのは厳禁。濡れてしまったスモックや下着は、フィリス先生が預かってて《風魔法》で乾燥中。つまり、このマントの下は全裸って事。
――これって、変態ファッションか何かじゃ無いだろうか……
居たたまれなくて、陽射しで暖かくなった芝草の上で小さくなって座り込んだまま、ボンヤリと丘の向こうを眺める。