怪しすぎる控え室
わたしたちは、コッソリと大広間の会場を後にした。
いったん大広間を出ると、衛兵たちの目も、定時巡回に毛が生えたようなレベルだ。警備の中心が、大広間の玉座――ウルフ王族たちの周りに移動しているせいだ。
此処でも、仕事見習い中の侍女なメルちゃんの道案内が、大活躍した。
ラステルさんとしては、まだ小さなメルちゃんを巻き込むのは本意では無かったんだけども、『茜離宮』奥殿の内部構造には詳しくないから、背に腹は代えられぬ、といったところらしい。
「夏の離宮は、余り外交の舞台になる事は無いからねぇ。レオ帝都の方に近いウルフ王宮なら、だいたい獣王国の共通の間取りになっているから、予測しやすいのだけど」
控えの間との連絡路を兼ねている回廊が、会場となっている大広間の外をグルリと巡っている。ウルフ衛兵の目を避けて、その回廊を一回りしたお蔭で、この辺りの構造が呑み込めてきた。
大広間をグルリと巡る回廊は、空中廊下を通じて、三尖塔と接触していた。
玉座の間の裏側に当たる部分に、最も高い第一の尖塔。
第二と第三の尖塔は、大広間の両脇に控える形。
つまり、玉座のある大広間は、三尖塔に守られるように囲まれた格好となっていた訳。
大広間の天井に配置されている天窓を、もっとジックリ眺められたら、その天窓を透かして、『茜離宮』名物の三尖塔がそびえ立っているのが見えた筈だ。時間があったら眺めてみたいと思うけど、今は、それどころでは無い。
*****
メルちゃんが、行く手にあるアーチ形式の出入口を指差した。控えの棟につながっている出入口だ。
「この出入口から、出入り商人たちの控え室に行けるわ」
商人たちに用意された控えの間は、出入口から伸びる廊下に、順番に配置されていた。ロック付きのドアが並んでいる。廊下では、他種族の若手たちが、トイレ休憩などで控え室から出て来て、ブラブラしているところだ。
おのおのの魔法道具の商人の代表と、主だったスタッフたちは、大広間に出張っているんだよね。残っているのは、雑用や荷物の見張りを担当するスタッフのみという状況だ。
ラステルさんが、ネコ族ならではのニヤ~ッとした笑みを浮かべて、ジントを振り返った。
「今こそ、《隠蔽魔法》の出番よ。偽フォルバの手下が居たら、私がやっつけるわ」
廊下を進み始めて、間もなくのこと。
クマ族の魔法道具商人『風のフォルバ』の控え室は、尋常に見つかった。大部屋を独占しているし、ドアプレートに『クマ族・風のフォルバ』と書いてある。
わたしたちは、《隠蔽魔法》でもって、慎重に近づいた。
ラステルさんの侵入手段は、ストレートだった。そのまま扉をノックしたんだよ!
「どなたですかい?」
そう言って出て来たのは、フードを深くかぶって、人相を巧みに隠した男だ。明らかに下っ端と見える運搬スタッフ風の獣人。大柄な印象で背丈もあるけど、ヒョロリとしていて、意外に若い声。
ラステルさんが、自身の口と鼻を手巾でふさぎながら、目にも留まらぬ早業で、手に持った『霧吹き』のような物をシュッと吹く。
――効果テキメン。
応対に出て来ていたフード姿の獣人は、口をポカンと開きながら、その場にバッタリとお休みになったのだった。
扉からの怪しげな物音に気付いた様子で、追加で出て来た下っ端のスタッフらしき若者も、同じようにして昏倒。
その後、部屋の中の動きは無くなったみたいだ。
ラステルさんは『魔法の杖』を振って、《風魔法》で探知を掛けている。余りにも手慣れた動きだ。ビックリしちゃう。
「フフフ、留守番役は2人だけだったみたいね。さぁ、忍び込むわよ!」
この全ての出来事については《隠蔽魔法》が掛かっていたから、昏倒した2人の手下は、誰が出て来たのか、何で失神したのかも分かってない筈だ。
そして、わたしたちは、扉の前に倒れ込んだ2人の身体をまたいで、『風のフォルバ』の控え室に侵入したのだった。
*****
金色マントに金茶色の毛髪をした謎のクマ族『風のフォルバ』の控え室は、実に奇妙だった。
クマ族の特有の空気が無い。代わりに、レオ族の特有の空気がある。
部屋を仕切るのに下げとく布地の色彩が、明らかに違うんだよね。レオ族ならではの、赤と金の多いパターンだ。
部屋の雰囲気を決める仕切り布は、それぞれの種族によって違うため、持ち込みになっている。仕切り布が違うと、枕や毛布が違うのと同じで落ち着かなくなると言う、獣人ならではの理由があるから。
ジントが、昏倒した2人のフードをペラリとめくった。
「こいつら、レオ族のチンピラだぜ。タテガミがまだ完全に生えてない年齢だから、見た目、クマ族に見えたんだな」
「ちゃんとしたタテガミ持ちの大人になっても、これがバレたら、ハーレムを持てないわね」
メルちゃんがフンッと鼻を鳴らしつつ、辛辣に応じている。
部屋の方々を物色しながらも、ラステルさんが疑念を口にした。
「あの『偽フォルバ』は間違いなくレオ族ね。タテガミを取ったからクマ族に見えた。でも、変装などという理由があるにしても、タテガミを完全に、あそこまで物理的に刈り込んでしまうなんて変だわ。レオ族の男は『タテガミを食い荒らす害虫の駆除』という医療上の理由が出来ても、タテガミを無くすのを嫌がるものなのに」
わたしは、ラステルさんの作業を手伝って、備え付けのクローゼットを開いた――
――ぎゃああ!
目の前に、見覚えのあるような、濃灰色の不吉な衣服が下がっている!
たたらを踏みながら後ずさってしまう。尻尾の先が、お尻にくっついているのが感じられた。間違いなく、わたしのウルフ尾は丸まって縮こまっている所だ。
ラステルさんが、わたしの後ろからクローゼットの中をのぞき込んで来た。濃灰色のザックリとした拘束衣セットを目にして、顔をしかめる。
「……これ、死刑囚に使う、魔法の拘束衣ね?」
次にジントの声が飛んで来た。
「ひょえぇ。姉貴が、最初に着てたヤツじゃんか。何か濡れてんな。この間の雷雨っぽい匂いがするけど」
「洗濯しないで、そのまま突っ込むなんて……変なカビやキノコが生えるじゃ無いの。でも、わざわざ雷雨の日に、死刑囚のための拘束衣を持ってうろつくというのも、まともじゃ無いわね」
わたしの全身が一気に総毛立つ。
――この間の雷雨の日、ジリアンさんの美容店の周りをうろついていた、正体不明の誰かが居たけど。もしかして……?!
*****
「誰か来るわ!」
ドアの傍で警戒していたメルちゃんが、ささやき声を飛ばして来た。ラステルさんの白いネコ耳が『ピシッ』と動く。
「早く、隠れるのよ!」
ラステルさんの鋭い指示が飛んだ。何者かが、この部屋を目指して来てるって事だ。わたしたちはギョッとしながらも、クローゼットの中に隠れた。更に《隠蔽魔法》でもって、『隠れていると言う事実』も隠蔽したのだった。
――息を詰めて待ち受けていると。
ヒタ、ヒタ、という足音が近づいて来た。部屋のドアの前で止まった。
――ガチャリ。バスン。
気が抜けたような音は、まだ失神して倒れたままだった下っ端の身体に、ドアの端がぶつかった音だ。
「ややッ?」
――聞き覚えのあるような、若い男の声だ。ギョッ。
「おい、これは、どういう訳だ? 此処に転がってるのは……」
それを遮るように、すぐに別の男の大声が響いた。
「妙にネコ族の気配がする。クソ! 競合している隊商の奴らか、商業スパイか、泥棒猫め! ネコ族と来たら、全員、泥棒猫だからな!」
年配の大男らしい。意外に声質が優れていて、良く通る声ではあるけれど――にじみ出て来る敵意と侮蔑の雰囲気が凄すぎて、全体的に印象が台無しって感じ。
「ネコ族ってヤツは、生まれながらにして、劣化版のレオ族、夜な夜な空飛ぶホウキにまたがり、煙突から煙突へと飛び回り、モンスターと共に大凶星の夜のドンチャン騒ぎをやって踊っている、下等な軟体動物だ! 最も罪深き者、我々を堕落させんとして、暇さえあれば邪悪な陰謀にいそしんでいる魔性のモフモフ、その名はネコ!」
――わお。ネコ族に対するヘイトスピーチじゃ無いの、これ?!
わたしの隣に居るラステルさんが、ネコ尾をブワッと膨らませた。怒りに満ちてるって感じ。
(あいつは、私がギッタギタにやっつけてやるわ!)
そうしているうちに、クローゼットの扉の隙間から見える所に、声の主が、ズカズカと足を踏み鳴らしながら現れて来た。
――金色マント。偽『風のフォルバ』だ!
フォルバは少しの間、苛立たし気に部屋中を歩き回っていた。けれど、すぐに次の方針が決まったようだ。ブツブツと言いながらも、何処かの仕切り布をバサッとめくる気配がする。
やがて、フォルバは再び、クローゼットの扉の隙間から見える所に、その大柄な姿を現した。
――手には、あの物騒な《雷攻撃》用の古代の宝玉杖を持っている!
(あいつ『雷神』じゃんか!)
同じく、クローゼットの中に潜んでいるジントが、目を見開いたようだ。驚愕の色を浮かべた一対のお目目が、キラーンと光っている。
偽『風のフォルバ』こと謎の『雷神』は、気取っているかのように、金色マントをバサッと揺らめかせた。見るからに異様な《雷攻撃》用の古代の宝玉杖を、いっそう物騒に構えている。
「今まで散々世話になったなぁ。その不愛想なツラを、やっと《雷攻撃》でズタズタに出来るかと思うと、嬉しくて全身が震えるぜ。ただし、此処ではマズイ。何やらネコ族が居る気配があるんでな、場所を変えて、タップリと話をしよう。おい、新入り野狼、シッカリ束縛して連行しろ」
――全員で3人、居るのか。そして仲間割れ中なのだろうか。
不審に思っていると、いきなり、あの人の声がした――
「先刻も言ったように、私は貴殿と話すのは初めてだ」
ひと息おいて、良く通る声の、ただし雰囲気の悪い笑い声が響く。偽『風のフォルバ』こと謎の『雷神』の笑い声だ。
「下手なゴマカシが通用すると思うなよ、クレド野狼。あんたとは6年前からの仲じゃ無いか、フフフ」
「此処に倒れている2人がレオ族と言う事は、貴殿もレオ族だな」
「フン。たかがネコ族の奴らに……役立たん手下どもだ」
偽『風のフォルバ』の声が不吉に尖った。
「都合よく雷雨の日があった時、例のウルフ娘が中庭広場の美容店に入ったんでな、これをチャンスとして、拘束衣で拘束し、拉致誘拐して来るよう命令したんだが。中級魔法使いが居たと言うだけで、逃げ帰って来た。女どもしか居なかったと言うのに、返す返すも、無能めが」
次の一瞬。
――ババババ。バリバリバリ。
クローゼットの隙間からも、青白い《雷光》が光ったのが見えた!
やがて――不吉なまでに、焦げ臭い空気が漂った。
「やい、新入り! 貴様の権限で、こやつら、泥棒猫に殺されたとしておけよ。少しでも疑義が出るような事があったら、貴様を無能として、同じように黒焦げにしてやる。実力主義のウルフ王国で『殿下』称号持ちなのだから、それだけの実力を見せてもらわんとな」
余りにも剣呑すぎる、宣言の後。
複数の足音が、部屋を出て行く音が続いた。
――バタン。ガチャリ。
ラステルさんが白いネコ耳を、ピコピコ動かした。
ジントが、ラステルさんの合図を受けて、《隠蔽魔法》の対象範囲を拡大する。
満を持して、ラステルさんはクローゼットの隙間を慎重に広げ、ネコ族ならではの柔軟さでもって、ニューッと頭を突き出した。そして、周囲を窺い始めた。
隙間から、焦げ臭い空気がドッと入って来る。これだけ焦げ臭い空気があると言う事は、あの若いレオ族の2人は……
「よし。奴ら、完全に廊下に行ってるわ。出て来て良いわよ。静かにね」
メルちゃんが真っ青な顔色をしながら、クローゼットから這い出て来た。その視線は、2人分の、黒焦げのカタマリにある。
――さっき、『雷神』が《雷攻撃》で黒焦げにした、2人のレオ族の若者たちだ。
ジントが顔をしかめながらも、黒焦げのカタマリに鼻を近付ける。
「こいつら、かろうじて息はあるぜ。どうするよ」
「鎮痛と火傷止めの治療魔法を施しておきましょう。これだけ火傷が深いと、本格的な治療は《高度治療》じゃ無いとダメなのよ。メルちゃん、救急の通報は出来るわよね?」
ラステルさんが『魔法の杖』を振って、白いエーテル光を、2人の哀れなレオ族の若者に注ぐ。2人はピクリとも動かなかったのだけど、息遣いは、心なしか復活したようだ。
メルちゃんが部屋のドアの前に『救急通報カード』を仕掛け、『魔法の杖』を振って発動し始めた。
わたしも手伝って、『正字』で通報内容を仕掛ける。
――至急。重傷者はレオ族の男2人。若年層。《雷攻撃》直撃による全身の火傷。わずかながら自発呼吸あり。意識無し――
「ボヤボヤして居られないわよ。早くしないと、3人目の瀕死の重傷者が出るわ」
必要な処置を済ませた後、ラステルさんを先頭に、ジントとメルちゃんとわたしは、廊下に残る痕跡を辿って、『雷神』を追跡したのだった。
わたしの中で、不安が急に膨れ上がって行く。
さっき『雷神』と話していた、あの声――
――次に、あの致命的なレベルの《雷攻撃》を受ける事になるのは、クレドさん?!