地下牢:前哨戦・5終
記憶喪失なわたしには、何が何だか、良く分からない。
アンネリエ嬢の金色のウルフ尾が、バリバリに逆立っている。文字通り、怒髪天って事。
「紫色の宝飾って事は、『紫花冠』ね! それは『茜姫』として選ばれた貴族令嬢のための物で、偉大なるウルフ王国の伝統の品なのよ! その辺の闇ギルドの下劣な女が、持って良い品じゃ無いわ!」
やたらと事情に詳しいアンネリエ嬢、いわく。
古代の戦国乱世の時代に作られた『茜姫のサークレット』シリーズの品。ウルフ王国全体で、わずか4個のみ。シャンゼリンの頭にハマっていたブツは、今はアンティーク宝物庫で厳重に保管されている。それも含めれば、5個。
サークレットに施された宝飾細工は、すべて茜色の系統の宝玉だ。茜色に近い色合いのバージョンの宝玉に統一されていて、その色合いの微妙な違いによって、各サークレットごとに《正式名》が付いている。
――『紅花冠』、『茜花冠』、『紫花冠』、……
サークレットの製作者だった魔法職人が、守護魔法の希代の名手でもあったので、非常に強い守護魔法が付いている。いつまでも終わりの見えなかった、古代の戦国乱世の悲惨な世相ならではの品だ。その強い守護機能ゆえに、現在でも国宝級の魔法道具となっている。
そのうえ。各サークレットに施された《識別》魔法は、戦乱に伴う半永久的な盗難および紛失を防ぐため、『持ち主』を識別し、選ぶようになっているのだ。
古代の本来の『持ち主』だった、それぞれの『茜姫』に近い《宿命図》を持つ女性じゃ無いと、その頭部に、サークレットとしてハマってくれないし、期待するような守護魔法も発動しない。
――と言う事は。
以前の『持ち主』だったと言うリクハルド閣下の亡き奥方は、さすが名門出身というか、古代の『茜姫』に似ている《宿命図》を有していた女性なのだ。社交行事のたびに装着していたと言うし、この気難しい『紫花冠』サークレットが、ちゃんと頭部にハマっていたんだろう。
遂に、アンネリエ嬢が咆えた。
「その《花冠》を装着するのに相応しいのは、古代の『茜姫』の直系の子孫にして、第一の貴族令嬢たる、あたくしよ! お寄越しなさいッ!」
宝飾細工のつるバラを巻き付けた『魔法の杖』が、うなりを立てて振られる。
――ひえぇ!
わずかに《火》の赤みを帯びた、黒い《地》エーテルの刃が閃いた。
斬首の危険を直感して、思わず体勢を低くする。
その瞬間、『紫花冠』が、アンネリエ嬢の《地魔法》の力で弾け飛んだ。『手品師の変装、黒ウルフ耳キャップ付き三角巾』もろともに。
ジントが「おい」と言ってる間にも――
アンネリエ嬢は『紫花冠』をガッチリとつかんでいた。アンネリエ嬢は、苛立たし気に三角巾をむしり取ると、頭の上に『紫花冠』を乗せた。
かくしてアンネリエ嬢は、華麗に身を返し、足音も高く石床を踏み鳴らして、牢を出て行った――出て行こうとした。
――カシャン。
ほえ?!
「おい、サークレットが落ちたぞ。サイズが合ってねぇぞ」
「うるさいわね!」
「ぎゃふん!」
思わず余計な口を出していたサミュエルさんは、それに相応しい仕返しを受けていた。
アンネリエ嬢の『魔法の杖』に巻き付いていた宝飾細工のつるバラが魔法の《火花》を発し、サミュエルさんの黒茶色の毛髪の全体を、あっと言う間に黒焦げのパンチパーマにしていたのだった。おまけに、チャンスさんも余波を食らっていた。
「オレの自慢の金髪が! サミー、余計な口、叩きやがって!」
「それはこっちのセリフだぜ、チャンスよ!」
結局、ズカズカと地下牢を出て行くアンネリエ嬢の頭には、『紫花冠』はハマっていなかった。
元からそうであったかのように、『紫花冠』は、手首をグルリと取り巻く持ち運びバージョンの大きさになっていた。ブレスレットさながらに、アンネリエ嬢の手首に巻き付けられている状態。
向かい側の牢に居たイヌ族とウルフ族の6人の男たちが、恐れ入った様子で、ブツブツと言い交わしている。
「何か見覚えがあるな」
「おう。シャンゼリンも、ああやって持ち運んでたぞ」
「サークレットなんだから、普通は頭にハメる筈なんだが。ハマらんからブレスレット様式にしてたって訳かよ」
「確か、《識別》魔法が付いてたってか。本当に持ち主を選んでんだな」
「男物も、一応、存在するんだろう」
「あるこたぁ、あるぞ。公式行事用の『銀牙』って言う銀色のサークレットがな。王族限定だが」
その会話の合間、合間に、ウルフ耳を通じて、異音が聞こえて来る。
――アンネリエ嬢が、地下牢の階段の大きな段差を一歩ずつ、『ガシッ、ガシッ』と登って行く音が。
*****
まだ息は安定してないけど――何とか体力が回復して来たようだ。
ゆっくりと身を起こす。首輪の鎖が巻き付いている鉄柱につかまり、フゥフゥ言いながら、ソロソロと立ち上がる。
まだ体力消耗しているという感じは残っているものの――とりあえず、歩けるようだ。だけど、《防壁》レベルの重量級の魔法の発動は、まだ無理っぽい。
暫し、無言で灰褐色のウルフ耳をピコピコさせていたジントが、急に振り向いて来た。
「無駄にしてる時間はねぇぞ、姉貴。『雷神』が、今回の『茜離宮』の魔法道具業界の社交パーティー会場に来てるんなら、それこそ、とっ捕まえねぇと」
新たに思いついた内容が、衝撃的だったみたい。ジントの顔色は、すっかり変わっている。
「オレの勘じゃ、あのフード男『雷神』は、今日、あの『偽クレド野狼』と、地下水路でやり合った件の決着をつける筈だ。あの時、『今は命拾いした訳だ、覚えてろ』って言ってただろうが」
――うぅッ!
「あいつ『王族と取引する』というような事も言ってたけど、話が決裂するのは見えてるぞ。『雷神』は絶対、強烈な《雷攻撃》用の魔法道具を持って来てる。場合によっちゃ、モンスター襲撃の時以上に死人が出るぜ」
――心当たり、有り過ぎる!
脳内にパッと閃いたのは、あの不気味な魔法道具、古代の《雷撃扇》。
バーディー師匠の説明を思い出す限りでは、先刻のアンネリエ嬢の魔法道具《散弾剣》どころじゃ無い筈だ。色々あり過ぎて、ゴチャゴチャと混乱してるけど。何故だか、不気味なくらい、確信に近い直感がある。
ジントは、紺色マントの下で盛んに手を動かし始めた。『手品師も驚くマジックの収納袋』を探っている。すぐに、ジントは目当ての物を取り出したようだ。
――金剛石製の、脱獄用の、多目的ピッケル?
今や、隣の地下牢でも、向かい側の地下牢でも、『何をやってるのか』と、ポカーンとした眼差しでいっぱいだ。わたしも、ジントが何をやろうとしてるのか、良く分からないんだけど。
多目的ピッケルは、さすが金剛石製だ。
ピッケルの尖った端で、首輪を連結している鎖の部分を力いっぱい叩くと、鎖が、あっさりと千切れた。重い首輪は首にハマったままだけど、鎖が切れたのは大きい。
次にジントは、多目的ピッケルの平らになった端を、ゴツゴツの石の床に押し付けた。《風魔法》でもって、そのピッケルの端を押し付けながら、グルグルと駆け回り始める。
わお。さすが最大硬度の奇跡の素材、金剛石。見る見るうちに、ゴツゴツの石の床が平らに削れて行く。
ジントが、不思議な作業に一区切りつけた後――
屋外テントの床と同じ程度のスペースではあるけど、平らな床面が、そこに出現していたのだった。
「おーし。これくらいだったら、転移魔法陣も大丈夫だろ。姉貴、転移魔法陣を描いてくれよ、あの時のように」
――な、成る程、そう言う訳だったのか!
或る程度、平らで滑らかな面じゃ無いと、有効な魔法陣をセット出来ないから!
向かい側の牢の6人のオッサンたちが、次々に感心したような言葉を投げかけて来た。
「あったま、えぇのぉ」
「よっぽど便利な収納袋を手に入れたんだな。俺にも分かんなかったよ」
「首輪のロック部分なんか、闇ギルドの隊士崩れとか、魔法使いに金を払えば、一発だしよ」
「おい、コソ泥チビよ、宮殿の件なんか放っといて、俺らの仲間にならねぇか」
ジントの返答は、ハッキリしていた。
「悪いけど、先約が入ってんだよ。急げ、姉貴!」
正確な形の魔法陣を描く事なら、お任せだ。『魔法の杖』を振ると、平坦になった石床の上に、一定量の青いエーテル流束が流れて行く。
あっと言う間に、転移魔法陣の形が出来上がった。
ついで、ジントが《風魔法》を発動した。白いエーテル流束が青い転移魔法陣の形をなぞり、あふれ、まばゆく輝き出した。わたしとジントの周りに、白いエーテル列柱が立ち上がる。
「ヒョオオ! 頑張って生きろよ~」
「あの、よぅ分からん爆弾女の狼藉の件は、シッカリ証言しとくからな~」
転移魔法が始まった瞬間、隣の牢のチャンスさんとサミュエルさん、それに向かい側の牢の6人の男たちが、良く分からない激励をして来たのだった。