地下牢:前哨戦・2
わたしとジントは、推理に集中していて――気付かなかった。
新しい人物が、地下牢にまで降りて来ていたと言う事実に。
「キーッ! あんたたち、あたくしを華麗に無視して、無事で済むと思ったら大間違いよ!」
「ほえ?!」
妙齢の女性の声だったものだから、思わず注目してしまった。
向かい側の牢に居た6人のイヌ族とウルフ族の男たちが、呆れた様子で声を掛けて来る。
「おい、チビのコソ泥と嬢ちゃんよ、大した集中力じゃねーか」
「そのガミガミ令嬢、ずっと、そこでガミガミと喚いてたんだぜ。マジで気付かなかったのかよ」
「アテクシ、栄誉あるウルフ王妃の一族の第一の貴族令嬢、火のアンネリエなのよッとか……オヒョオッ!」
ガチャン、ギギィ、ドバガーン!
鉄格子の扉で、《火魔法》ならではの真紅のエーテル光の爆発が生じた。鉄格子の扉が勢いよく開く。
爆発が収まり。
見ると――成る程、以前にも見た『火のアンネリエ嬢』が、怒髪天と言った様子で立ちはだかっている。
宮廷社交パーティーに出席するのに相応しい、華麗な礼装姿だ。
淡いピンクのスカート部分には、赤系統の宝玉や真珠が花パターンでもって縫い付けられている。裾には、これでもかと言うような、赤グラデーション系のレースとフリルがセッティングされていた。まるで、バラの花々で彩られた裾をまとっているようだ。
鉄格子の扉は、黒焦げになっていた。そして、まだ火花をバチバチと放っている。
アンネリエ嬢が、自身に可能な限りの最大の《火魔法》を発動して、外側から錠前を破り、なおかつ鉄格子の扉を『爆発的に』開けたせいだ。さすが貴種。すごい威力。
隣の牢に居たチャンスさんとサミュエルさんは、当然と言うべきなのか、端に近い所で、ススだらけになって、目を回して横たわってる状態だ。
2人のイヌ族は、アンネリエ嬢の《火魔法》の余波を食らって、取り付いていた鉄柵から吹っ飛ばされていたらしい。鎖付きの首輪のお蔭で、隣の牢のゴツゴツの石壁にまでは、ぶち当たらなかったみたいだけど。
火のアンネリエ嬢は、宝飾細工のつるバラを巻き付けた『魔法の杖』を構えて、咆えた。
「さっき、地下牢からクレドが出て来たから、何があったのかと思ってたのよ! あんたたち性懲りもなく、あたくしのクレドに、ちょっかいを出してたのね!」
――それは、限りなく、誤解だと思うよ。
ジントが「へッ」と吐き捨てた。明らかにアンネリエ嬢を挑発してる。
「地下牢まで、あいつを追っかけてたのかよ。ストーカーって言うんじゃねぇのか、それ」
「おだまり、このガキが! あたくしは高貴なる《盾持ち》、特別に選ばれし至高の聖女にして、《火のイージス》候補なのよ!」
アンネリエ嬢の『魔法の杖』から、再び大きな《火炎弾》が飛び出した。ひえぇ!
先刻のとは明らかに違う、不吉なまでに重量級の魔法パワーだ。思わず『魔法の杖』を振るう。
瞬時に出現した《防壁》にブチ当たり、大型の《火炎弾》が赤い《雷光》を放ちつつ、『ボボン!』と爆ぜた。不気味なくらいに重いエーテル残響が、地下牢の空気を震わせる。
真紅に輝く《雷光》が、意外な程にゆっくりとした速度で、バチバチと飛び散って行く。
大きな樹幹ほどの太さのある《雷光》は、地下牢のゴツゴツの壁面にジワリと到達すると、バリバリと言う《雷攻撃》そのものの、大音響と共に――
――その壁面を、えぐって行った。凶悪なまでに、深々と。
間違いなく、『皆殺し』を想定している攻撃魔法だ。
まだ火の性質が強いのか、火事の延焼スピードという風の遅さだけど――反射を繰り返すたびに、スピードアップしているようだ。しかも、ゴツゴツの面で乱反射しているから、指数関数的に、反射してくる弾数が増えている。
――不純物を落とすと共に、純粋な《雷光》へと進化しているのだ。
向かい側の牢に居る6人の大の殺し屋な男たちが、全員とも真っ青になって、ガタガタ震えまくっている。
あからさまに、『無残な死に方』を想定してるって言わんばかりの顔つきなんだよね。見てる方が、よほど怖い。
でも、男たちの様子にも、ちゃんとした理由はあるようだ。
この《雷光》の増殖パターンは――限りなくマズイ。《雷光》が、この恐るべき威力を失わぬまま光速までスピードアップして、地下牢全体を濃密に満たすレベルの弾幕密度になった場合……
――地下牢は密閉空間だ。《雷攻撃》パワーを逃がす場所が無い!
アンネリエ嬢は、《雷攻撃》の性質を理解して無かったみたいだ。張本人のアンネリエ嬢が、手前に用意しているのは――
――何と、通常の避雷針や接地としての機能を持つ、日常魔法《雷電シーズン防護服》でしか無い!
あんなのじゃ、全く意味が無いよ。この強大な《雷攻撃》パワーが、丸々、貫通してしまう。というか、対モンスター強度の攻撃魔法を、日常魔法で防げると確信している方が、どうかしてると思うけど。
しかも、アンネリエ嬢には、危険を察知して避難しようという兆候すら無い。こちらの狼狽ぶりをニヤニヤして眺めているほどだ。
「この偉大なる恐ろしき《散弾剣》から助かりたければ、あたくしの足元にひれ伏して、泣いて命乞いしなさい! ただし、この《火の盾》の中に入れてあげるのは、あんたが充分に、黒焦げのボロボロになってからになるけどね! それも、一番最後でね! オホホホホ!」
――やっぱりだ。
どう見ても、日常魔法《雷電シーズン防護服》なんだけど。何故か上級魔法の《盾魔法》――それもイージス級の《火の盾》を発動できていると思っているか、その振りをしてるって事なんだろう。
アンネリエ嬢は、確かに貴種ではある。エーテルの勢いは充分。
あの追加分のエーテル・パターンを見る限りでは、何らかの護符による『正字』展開のバックアップが入ってるから、普通よりは丈夫らしいというか……
最も強く発動できている部分では、中型モンスター対応の《中級魔物シールド》という所までは、行けてるみたいだけど……
術の乱れが大きすぎる。クオリティ均一じゃ無いから、《防壁》機能はおろか、《魔物シールド》としての機能すら、まともに果たせるとは思えない。やはり、《雷電シーズン防護服》に毛が生えた程度だ。
――《盾持ち》なのに、何故、これ程の強大な《雷攻撃》に対して、《火の盾》を出しておかないんだろうか。それに、こんな風に分裂増殖する《雷光》弾幕、ひとつの《盾魔法》だけで、有効に防衛できるとは思えない。
アンネリエ嬢が愉快そうに嘲笑し続けている声が、《雷攻撃》による轟音と共に、地下牢じゅうに響いている。警告しても、ウルフ耳の中まで届かないのは、確実。
――この狂暴な《雷攻撃》を、抑え込まなければ。何としてでも。
手に握りしめた『魔法の杖』を、前方に突き出す。
「――水の精霊王の名の下に」
魔法の呪文に気付いたジントが、唖然として振り向いて来た。向かい側の牢からも隣の牢からも、驚愕の眼差しが集中して来る。アンネリエ嬢は、『はぁ?』と言わんばかりのバカにした顔つきだ。
杖が青く光った。青いエーテル流束が、数多の『正字』となって流れ出す。
――ディーター先生の研究室から借りて読んでいた魔法の教科書。その中に、上級魔法による、大型モンスター対応の《防衛プログラム魔法陣》の解説があった。
たまに、特に頑丈な大型モンスターの装甲は、《雷攻撃》を乱反射して弾いてしまう事がある。非常に珍しいケースではあるんだけど。
そういう厄介な大型モンスターの大群を討伐する時に、乱反射して来る《雷攻撃》で味方がやられないように、いわば『防衛ライン』を敷くのだと言う。
でも、超高速で乱反射して来る膨大な数の《雷攻撃》を、いちいち防ぐのは、人の手では絶対に無理。
だから、あらかじめ、《防壁》や《盾》そのものをハイスピードで動かすための、専用の《防衛プログラム魔法陣》を組んでおいて、それを駆動する事で、『超高速の防衛ライン』を維持展開するのだと言う。
だいたい《盾魔法》20セット、それを《防衛プログラム魔法陣》で動かして、危険じゃない方向に《雷攻撃》弾幕を散らして行くのだとか……
――今から、此処でやろうとしているのは、その応用になるんだけど。考えが正しければ……
配置パターンの見当を付けながら、『魔法の杖』を縦横に動かして行く。見る間に、数多の『正字』で構成される多重魔法陣が、杖の先の空間に展開した。防衛プログラムを組んだ、即席の魔法陣。腕一杯を少し超えるサイズだ。意外に大きい。
動作確認のための試験エーテルを入力すると、『問題なし』と言う意味の、青いエーテル光を放って返して来た。
魔法陣の形だけは、意図通りに正確に描けている。構造に矛盾は無く、魔法陣として、ちゃんと動作する――らしい。
――急いで構築しただけに、如何にも間に合わせという感じの、不安定な術になっている気配がある。記憶喪失のせいで経験度はゼロだけど、《防衛プログラム魔法陣》としては穴だらけなんだろうって事も、何となく分かるし。
果たして、充分に維持展開できるだろうか。いや、やらなくちゃ……成功しなくちゃ、いけない!