地下牢:前哨戦・1
「な、何だよ、いきなり……」
不意に、脅威が去った――と言う不可解な状況だ。
ジントが呆然としながらも、首輪の重さに耐えかねたように、地下牢の床にヘナヘナと座り込む。
隣の牢に居た金髪イヌ族のチャンスさんが、興奮しながら身を乗り出して来た。
「あの黒毛の、乱心スケコマシのうろつき野狼、いったい何が目的だったんだ? いきなり大型の《風刃》飛ばしたと思ったら《防壁》が出て来ても怒らなかったし、急に気が変わったみたいだったぞ、ヒョオオ!」
金色のチリチリの毛髪の立ち耳と巻き尾を振り振りしながらも、チャンスさんは、意外に的確な分析をして来ている。
このヒト、やっぱり謎だ。
ピンポイントで変な物を手に入れて来るし、ひとつひとつのトラブルは大した事無いくせに、変なタイミングでブッ放すから、大騒動になるし……
……真面目にしてたら、優秀な破壊工作員……いやいや、優秀な忍者だと思うんだけど。
黒茶色のチリチリの毛髪のイヌ族サミュエルさんが、目をパチパチさせながらも続く。ねじれタイプの立ち耳は余りチリチリしてないけど、差し尾の方の毛はパンチパーマっぽくなっているところだ。
「さっき、《盾》だの何だの言ってたけどよ、確かに、あんなシュバッと頑丈な《防壁》出せるんじゃ、まず《盾持ち》だわな」
向かい側の牢に居た6人のイヌ族とウルフ族のオッサンたちも、ウンウン頷きながら同意している。
「だいたい、モンスター対応の《防壁》ってのは時間が掛かるし、誰でも出来る魔法じゃねぇ。日常魔法のアレは、天然の落雷をよけるための《雷電シーズン防護服》でな。サバイバル用の『強化バージョンの毛皮』って言うか『空気の壁』とドッコイでよ」
――あ、噴水を悪天候からガードする時の防壁とか、スッカスカな渡り廊下の、夜間・悪天候用の防壁とか……
天然の落雷をよけるための《雷電シーズン防護服》は、メルちゃんの教科書とか、魔法の教科書で知ったばかりだけど、あの軽いバージョンが、『日常魔法:傘』になってたんだよね……
「んだんだ。ホントの《防壁》を立てる時は、やたら訳の分からん魔法陣を幾つも組まなきゃいけないし、大量のエーテルを集めなきゃいけないし、その間に攻撃魔法にやられるのが普通なんだからな」
――えーと。そうだったっけ?
さっきの《防壁》は、5個の魔法陣が組み合わさった、最も必要最小限なタイプの物なんだけど……
「おぅ。あんな、貴種レベルの攻撃魔法を止められる《防壁》が、シュバッと出せりゃあ、上級よ。いや、守護魔法の天才よ」
「あれだけ完璧な《防壁》なら、更に上の《盾魔法》も、イケるんじゃねぇのか」
――マーロウさんの《火矢》に対抗した《防火壁》の事を思い出してしまったよ。
あの時、グイードさんは確かに《防火壁》って言ってた。マーロウさんは《火霊相》だったから、最も得意かつ強烈な攻撃魔法が、基本的な《火》の攻撃魔法《火矢》だと、論理的に予測できる。
おそらく、《防壁》を形成するのは、難しいのだろう。対モンスター強度レベルの《防壁》――四種類の攻撃魔法と、刃物をはじめとする物理的な衝撃に、同時に対応できるような《防壁》ともなると。
だから、あの時は、短い時間で有効な防衛を可能ならしめるために、《火矢》を防ぐのに特化した《防火壁》を出した。『下級魔法使い』資格持ちの隊士が揃っていても、半数の《火矢》を防ぎきれなかったのは、充分な頑丈さが準備できなかったから――
不意にジントが、バッと振り返って来た。
「さっきのアイツ、『ヤツも用済み』って言ってたよな。その『ヤツ』って誰の事だ?!」
――ほえ?! だ、誰の事だろう……って、まさか?!
尻尾が『ビシィッ!』と硬直しちゃったよ。
「それに、アイツ『雷神』と取引してたとか言ってたぞ! あの変な宝石だらけの『魔法の杖』で《雷攻撃》を出して来てた、ヤバい大男の事じゃねぇか?!」
向かい側の牢に居た、6人のイヌ族とウルフ族の男たちが目覚ましく反応した。
「おい、そいつ、もしかしてフード姿の、種族系統の不明な大男だったかよ?!」
「古代アンティーク物の《宝玉杖》を持ってたか?! 雷の模様入りの、でかい球体を、宝石だらけの杖にくっ付けた奴なら、間違いなく『雷神』だぜ!」
「表向きは『勇者ブランド』の魔法道具を扱う商人だ。大きな魔法道具の見本市にゃ必ず出てるぜ。今、こっちの宮殿で、魔法道具の見本市パーティーか何かやってるだろ。それに出席して、王族と取引するとか言ってたぞ」
隣の牢に居たチャンスさんとサミュエルさんが、一斉に、ワンワン、キャンキャン言い出した。
「ヒョオオ! 憧れの『勇者ブランド』魔法道具だと!」
「強大なモンスターも、千切っては投げ、バッタバッタだぜ、イエーイ!」
男たちの言及を灰褐色のウルフ耳に詰め込みながらも、ジントは少しの間、奇妙な沈黙に落ちていた。そして、ゆっくりと眉根をしかめたのだった。
「――『雷神』なら、ヒャッハーな奴らを集めて、『サフィール』を盗めたかも知れない……」
うぐっ。
「あのフード男、やたら守護魔法の魔法道具に執着してたじゃねーか。『呪いの拘束バンド』でもって、奴隷となるように拘束しておいた《水のイージス》……奴隷ビジネスの目玉商品にもなるぜ、これ。貴重すぎるから、マーケットに出さずに、レオ皇帝よろしく自分で独占しとくって言う可能性の方が大きいけど」
ううッ。
――更に念を入れて、真っ赤な『花房』の催眠術でもって操れるように、『奴隷妻』として、拘束する、とか……!
ジントの灰褐色のウルフ尾は、高速でピコピコ動いていた。
「恐らく、計算違いが起きたんだ。姉貴は、その瞬間、シャンゼリンに『闘獣』として《召喚》されて、魔法で転移したじゃねーか。フード男『雷神』は、その場に居合わせていた。或いは居合わせていた誰かから、姉貴が『闘獣』として《召喚》された事を知って、こっちまで追って来た」
わたしは、だんだん、全身が総毛立って行くのを感じていた。
――そうだよ!
わたし自身は覚えてないけど、その時、魔法の暴発事故やらかしてしまったとか……現場に確か1人だけ、生存者が居たんじゃ無いかって話があったよ!
眉根をしかめたまま、ジントは、口を引きつらせた。
「闘獣マーケット業者とのツテがありゃ、《紐付き金融魔法陣》データだって拾えただろうぜ。『雷神』なら、『勇者ブランド』魔法道具と引き換えに……と言うのも可能だろうし、大魔法使いでさえ知らない接触ポイントってのも多い筈だ。『飼い主』付きの闘獣って、ただでさえ数が少ないからな、確認に時間は掛からなかっただろうな」
やがて、ジントは灰褐色のウルフ耳を、苛立たし気にシャカシャカとやり出した。
「こりゃ絶対、大金が要るぜ。ヒャッハーな奴らにだって頭がある。腕の良い奴であればある程、はした金じゃ動かねえ。『雷神』が『サフィール』を寄越して来たとか言ってたけど……」
ジントは、ハッとしたように目を見開いた。ウルフ耳もウルフ尾も、ピタッと動きが止まる。声がいっそう低くなり、ささやき声にまで小さくなった。
「ウルフ王国側の黒幕も、あちこちから不正に大金かき集めて来て、『雷神』が『サフィール』を盗むのに協力してたに違いねぇ。そして、シャンゼリンも、マーロウって男も、それに一枚かんでたんだろうな。地下通路の秘密も利用して。で、そのうち、利益分配か何かで『雷神』や黒幕と衝突して、死んだ」
――私利私欲だけで結び付いた協力関係に、裏切りは付き物だ。
まして、度を越した弱肉強食な闇ギルドの中では。