微妙に気になる噂
――パチリ、パチリ。
美容店の中で、わたしの髪をカット中の、ジリアンさんのハサミが鳴る音が続く。
ハサミの音をバックグラウンド音楽にして、女たちの雑談が始まった。
「うちの娘――メルちゃんが、ご迷惑おかけしてませんか? よく言って聞かせますから」
「まあまあ、いつも言ってるけど、私は全然気にしてないのよ、ポーラさん。素直で良い子だわ、ウフフ」
「いつも済みません。あ、これ、アンティーク・ドレスをお貸し頂いて有難うございます。チェルシーさんが、こちらに来ているとお伺いしましたので。お返ししますね」
「私の趣味のアンティーク・コレクションが、お役に立てたのなら嬉しいわ」
ポーラさんがメルちゃんの母親なんだ。
ふくれっ面の子狼なメルちゃんは、ポーラさんの手の届かない隅っこで丸まっている。でも、ウルフ耳は最大限までピシッと伸びていて、女たちの雑談に全力で耳を傾けている事が丸わかりだ。
フィリス先生が気を利かせて、ジリアンさんの了解を取って、店の奥からティーセットを出して来ていた。ちょうど、わたしが歩行器代わりにしていたサービスワゴンがあって、それが当座のテーブルになっている。
フィリス先生は、この雑談は長くなりそうだと予測したみたいで、美容店の看板を『休憩中』の物に差し替えていた。勘のいい人だなあ。
ポーラさんが持ち込んでいた大きな風呂敷包みは2つあって、そのうち1つが、チェルシーさんの手元に移動している。
チェルシーさんとポーラさんの話が一段落すると、見るからに『仕事人!』な黒髪の中級侍女ヒルダさんが、息せき切ったように口を開いた。
「チェルシーさん、レオ帝都の事情にも割と詳しいでしょ? アンティーク品の取引所の繋がりで」
ヒルダさんが身を乗り出した拍子に、ストレート黒髪がバサッと動く。セミロング髪型を直すその手から、黒髪と共に、一筋の茜色がこぼれていた。
何気ない仕草だけど、わたしがドキッとするくらいだから、男の人だったら、もっとドキッとするんじゃ無いかな。
ストレート黒髪をドラマチックに振り乱しながらも、ヒルダさんは早口で、言いたい事を述べ立てている。
「さっき、エントランスの『大天球儀』の遠隔通信ネットワークを通じて、奇妙な『レオ帝都ニュース』があったんだけど、チェルシーさんの見解が欲しいと思って」
「まあ、何かしら、ヒルダさん? お茶を飲んで落ち着いたら、説明して下さる?」
おっとりとした風のチェルシーさんに促され、ヒルダさんは長椅子に改めて座り直していた。おもむろに茶を飲んで、大きく息をついている。一服のお茶は、ヒルダさんの気をなだめる効果があったみたい。
ヒルダさんは、順序立てて話し出した。何でも、大天球儀を通じて、チラッと出て来た奇妙なニュースが、気になったそうだ。
「レオ皇帝が住まう宮殿の運河の港の一角が、何処かの暗殺専門の魔法使いによる攻撃魔法《水雷》を食らって、たまたま崩壊したんですって。魔法防壁もやられて、専用の舟も沈んで。第二と第三の《水の盾》によって、微小な被害に留まった――という事なんだけど。それって重大な事なんじゃ無いかしら」
魔法に詳しいフィリス先生の反応は、目覚ましかった。
「第二と第三の《水の盾》ですって? 第一位の《水の盾》は、それ程に強い攻撃魔法が来たのに、反応しなかったという事?」
「そう、そうなのよ!」
バリバリの仕事人なヒルダさんは、魔法使いの興味反応を引き出せた事で、すこぶる興奮しているようだ。
「気になって周辺ニュースをあさってみたら、思わず見逃しそうな補足メモの中にあったわ、『第一位《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス、体調悪化のため、長期休養』って。ねえ、それって、そんなにコソコソ補足メモの中に混ぜるような内容だと思う?」
チェルシーさんが、顎に手を当てて思案顔になった。
「普通は、しないわね。緊急で特使を立てて、こちらに責任問題を転嫁するべく、ウルフ国王夫妻に直接伝えて来るわ、レオ帝都の性格からして」
次に、チェルシーさんは顔をしかめた。しかめた顔も上品で優雅。年長者のうえ年季が入っているという事もあるんだろうか。年とっても優雅でカッコいい女性、憧れちゃうなあ。
「以前、レオ皇帝の《風の盾》が、7日ほど行方不明になった事があるんだけど。その時は、ものすごい大騒ぎだったのよ。私がレオ帝都の取引所に出掛けていた時の話でね」
チェルシーさんは、ふーっと溜息をついて、疲れたような顔になっている。余り愉快な思い出じゃ無かったみたい。
「レオ帝都の全体が戒厳令下になって、通りの要所、要所に、巨人みたいなレオ族の戦闘隊士が『ぬーっ』と立ちはだかっていてね。検問に次ぐ検問で、移動がイヤになるほど大変だったわ」
「その事件は、私も聞いた事があるわ。ディーター先生が宮廷の『上級魔法使い会議』に召喚された件でもあるし」
フィリス先生が顔をしかめて、ブツブツと呟いた。
「――『水のサフィール、体調不良、長期休養』などというような、外交トラブルになりそうな情報が、ディーター先生の上級魔法使いネットワークにも引っ掛からないなんて、信じられないわ。よりによって、彼女がウルフ族出身の《水のイージス》なのに」
へー、そうなんだ。知らなかったから、ビックリしちゃった。
ウルフ族出身の《水の盾》が居る――というのは、大人なら誰でも知っている有名な内容みたい。チェルシーさんもヒルダさんもポーラさんも、それぞれに思案深げに相槌を打っていて、全く驚いていない。ジリアンさんの方からも、ビックリしたような気配は出てないし。
ジリアンさんが、わたしの髪のカット作業を一段落させていた。手早く櫛を入れながらも、進行中の雑談に口を挟んでいる。
「サフィールは確か、今年22歳だっけ? 地元の城館の仕事見習いの適性診断を受けた時はギリギリ15歳だったって、フィリス叔母さん、言ってたでしょ。モンスター生息域と接している山奥の集落だったから、充分に強い魔法を使える年齢じゃないと、最寄りの城館まで出て来れなかったとか。でも15歳で、既にモンスターと渡り合えるなんて、さすが『イージス称号』レベルの天才ね」
フィリス先生が苦い顔をしながらも、ジリアンさんの言葉に応じる。
「そうね。レオ帝国よりも先んじて『水のサフィール』を確保できなかった件は、ウルフ王国にとっては手痛い損失だったわ。ウルフ国王に連絡が行く前に、現地の城館駐在のレオ帝国大使が、帝国権限で『徴用』してレオ帝都に『献上』しちゃったから」
フィリス先生は、ひとかたならず苛立っているみたいで、少し声が大きくなっている。わたしの『人類の耳』でも、割とクリアに聞こえる状態だ。フィリス先生は歯切れの良い涼やかな声をしていて、一言一言がハッキリしてるから、聞き取りやすいんだよね。
「サフィールが適性診断を受けた次の日に、《盾使い》の素質が見受けられた件、上級魔法使いネットワークに引っ掛かってたのよ。その時のウルフ王国の魔法部署の長官が『風のトレヴァー』で……ご老体とは言え、《風霊相》らしく、もっと早く動けば良かったのに」
ふーん。『イージス称号』レベルの魔法使いともなると、方々から目を付けられるみたい。即座に『徴用』されて『献上』されるなんて、まるで徴発というか徴兵というか……大変だなあ。
レオ皇帝を守護する、第一位《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス。
――わたしより、6つ年上の22歳。どんな人なんだろう。
ヒルダさんが早口で、補足コメントを付け加えている。
「そう言えば、《盾使い》が女性だった場合は、自動的にレオ皇帝ハーレム要員になるのよね。でも、レオ皇帝ハーレムに入るには若すぎるという事で、レオ皇帝の長子にあたるレオ王国の王にして皇太子のハーレムに移された。そこでも親子ほどに年齢差があったから、名目上はレオ王国の王子、つまりレオ皇帝の孫のハーレムに繰り下げられていて。そんな状態で、実際はレオ皇帝のご老体を守護しているから、最も釣り合うお年頃のレオ王子の方にしたら、まさに結婚適齢期なだけに、複雑な気持ちよね」
ヒルダさんの言葉は、よどみなく流れ続けていた。すごい。何故そんなに、他国のハーレム関係の情報に詳しいんだろう。宮廷ゴシップに強そうだなあ。それとも《風霊相》生まれだから、噂を聞き付けるのが早いとか?
チェルシーさんが相槌を打っている。
「そんなところに、『長期休養』ねえ……ドロドロのハーレム後宮メロドラマがありそう」
ヒルダさんのコメントは、なおも流れるように続いていた。
「6年前だったかしら、サフィール16歳、ホームシックだのハーレム内部のストレスだので、ひどいノイローゼになってね。同じウルフ族と顔を合わせたら立ち直るかって事で、臨時護衛の名目で、称号持ちの剣士を特別に派遣した事があって。『結婚適齢期な男を寄越すな』って要求でね、老剣士を選定したって話。2人の従者も成人を選べなくて、安全圏ど真ん中な年下の少年スタッフだったから、老剣士、体面を保つの大変だったらしいわ」
レオ帝国のハーレムの風習は知らないけど。ハーレム妻を囲い込むって事は、女性を囲い込んで、他の男性に奪われないように独占するって事だよね。
名目上とは言え、レオ皇帝の孫にあたる、レオ王子のハーレム。他種族の男性を入れること自体が、有り得ないほど珍しい事に違いない。
――それも、そのハーレム妻の、同族に属する男性。レオ族とウルフ族の異種結婚より、ウルフ族同士の結婚の方が成り立ちやすいだろうと言うのは推測できる。きっと、双方ともに、すごくピリピリしていたんだろうな。
聞けば聞くほど、第一位の『イージス称号』魔法使いというのが、貴重な存在らしいというのが伝わって来る。
そんな内容の雑談が進行しているうちに、わたしのヘアカットが完了したみたい。
ジリアンさんが「良し、上がり」と言いながら散髪ケープを外してくれた。
鏡の中には、ショートボブを施されたボーイッシュな少女っぽいのが居る。『一見、少年だけど、よく見ると女の子かも知れないね?』という雰囲気だ。
「ヘアバンドが無ければ、もう少し形を整えられたんだけどね」
ジリアンさんは謙遜して肩をすくめているけど、あの浮浪者も同然のバッサバサな髪型が、こうも整理されるなんて……すごい腕前だと思う。
毛の流れが整理されたお蔭で、『呪われた拘束バンド』の方も、それなりにヘアバンドに見える。サークレット風な形をしているという点で、少し違和感があるだけ。それに、どうやったのか、ふわっとした感じのカットだから、髪の短さが余り気にならない。
感心していると、ジリアンさんは、わたしの尻尾にケアクリームを塗りながらブラッシングを始めた。
――ひえぇえ。くすぐったい。思わず尻尾がピコピコ跳ねてしまう。
意のままにならぬ尻尾について申し訳なく思っていたけど――
ジリアンさんが面白がって言うところによると、この時の尻尾が跳ねるのは普通の事らしい。みんな、くすぐったく感じるんだって。お客さんによっては、尻尾をお手入れ中の間、涙を流して笑い続けるツワモノも居るとか。
うーむ。立派な体格を持つウルフ族男性が、しかも相当にお年を召して貫禄のある偉そうな人が、金髪美女なジリアンさんに尻尾をお手入れされて、爆笑しているところを想像してみたけど……かなり不思議な光景かも知れない。
間もなくして、尻尾のお手入れが終わった。相変わらず、みじめにペッタリしている状態だけど、古い毛が除かれた分、ちょっとスッキリした感じがする。
「尻尾の方はね、基本となる毛の量が回復しないと、私でもどうにもならないわ、ごめんなさいね。いつか、その頭のバンドが取れたら、またお店に来てくれると嬉しいわ」
有難うございます、ジリアンさん。いつか、そうさせて頂きますね。