星に願いを、裏の高難度クエスト
ザッカーさんにしごかれたジントが、ヨレヨレになって戻って来ていた。
ちなみにメルちゃんは、総合エントランスに迎えに来たダンディなパパさんとポーラさんと一緒に、城下町の家の方に帰宅済み。
ヴァイロス殿下とクレドさんが保証した通り――
ジントは、過去の優秀者に並ぶスコアでもって入隊試験に合格して、しかも忍者コースに引き入れられていた。本格的に、色々な護身術や、『正字』を含む魔法の知識を習う事になるそうだ。忙しいね。
それから――衛兵部署の方でも専門の理容師が勤めていたそうで、ジントの浮浪児な髪型は、すっかり整理されていた。ディーター先生にからかわれて、ジント本人はプリプリしていたけど、ケビン君やユーゴ君と同じような、城下町の今どきの男の子って感じになったと思う。
夕食後、ジントの着替えを詰めていた荷物を解いている時に、分かった事だけど。
クレドさんは、ジントが戻って来ていた事に気付いていたらしいのだ。ジントの目がある事を承知で、わたしに口付けしてたって事。
「あいつぅ。ぜってー、性格、悪ぃぜ! 姉貴がスッポ抜けてる所を分かってて、やってんじゃねーか」
……ジントは一応『弟』だから、その辺は無関係な気が。
「男と男の話し合いには、色々あるんだよ」
――そ、そう? わたしは記憶喪失だし、ウルフ族の基本知識とかも、ジントの言う通り、色々抜けてるんだよね。
何故ジントがプリプリしているのかは、良く分からないけど……
多分だけど、その件、聞いても教えてくれない内容だよね、ジント?
*****
――ザッカーさんに体力の限界までしごかれていたのが、やっぱり効いたらしい。
ジントは、夕食を腹に収めて入浴した後、わたしが寝る予定の隣のベッドで、すぐに熟睡に入ってしまった。明日も、ガッツリしごかれる予定だそうだから、実に正しい選択だ。
さすがに血がつながってる弟と言うべきなのか、この熟睡パターン、何となく、わたしがやってるのと似てる感じがする。
ディーター先生の研究室からお借りした魔法の教科書に目を通しながらも。
しばしの間、不思議な気持ちになって、弟の寝顔をしげしげと観察していると――
――病室のドアが、音を立てずにスッと開いた。アレ?
バーディー師匠?
銀鼠色のポンチョに身を包んだ、小柄でスラリとした鳥人の大魔法使いが、銀白色の冠羽をヒョコンと揺らしながら、静かに入って来た。いつものように、穏やかな笑みを湛えている。
「フォフォフォ、ジント君は、スッカリ熟睡じゃな。……うむ、良い機会じゃ。落ち着いて、サフィと……いや、ルーリーと話し合いたいと思っていたからな」
――あ、そう言えば、この数日、色々トラブルが連続していたし、アレコレと忙しすぎて、必要事項のやり取りしか出来ていなかったような……
「この病棟の中は、私は余り知らんのじゃよ。ゆっくり話が出来る場所を知っているかね?」
「えっと、それなら……あ、中央病棟の屋上階に、空中庭園がありましたから……」
「では、そこにしようかのぅ」
そんな訳で。
わたしとバーディー師匠は、いつだったか、クレドさんが教えてくれた場所を目指したのだった。あそこ、確か晴れた夜は『連嶺』が見えるんだよね。絶好の観光ポイントって感じで。
……だけどね!
失念してたけど、わたし、高所トラウマだった……!
総合エントランスと同じように、他種族の多くの人たちが、たむろしている公共スペース。その真ん中に『ババーン』とばかりに現れた、5階層をぶち抜いている螺旋階段。
その螺旋階段の高さを見るなり、頭からザーッと血が引く音を感じてしまった。
――あ……あの螺旋階段、あんなに高かったっけ? 記憶より高いような気がするんだけど。
「おぉ、ルーリーは高所トラウマだったか。記憶喪失のうえに、何とも妙な性質が身に付いたものだな」
バーディー師匠は、鳥人ならではの細長い手を差し出して来てくれた。細長い手なんだけど、暖かくて感触が良い。バーディー師匠は、わたしの手を引いて、スペースの端までスムーズに寄って行く。
――記憶は無い。でも、身体的には既視感がある。わたし、『闘獣』としてバーディー師匠やアシュリー師匠に拾われた頃、こうして、手を引かれて歩いていたのかも知れない。
バーディー師匠は穏やかに苦笑しながらも、わたしに話しかけて来た。
「あの螺旋階段は、ウルフ族の隊士たちの緊急ルートのような気がするが。高所トラウマで無くても、ルーリーの歩幅では苦労するだろうし、ルーリーが1人で螺旋階段を登れた筈が無い。と言う事は、あのクレド隊士が、ルーリーを抱えて登って行ったのじゃな?」
――わお。ドッキリ。まさに正解。ビックリしちゃう。
わたしの百面相に何を読み取ったのか、バーディー師匠は『魔法の杖』を構えつつ、イタズラっぽい笑みを返して来た。そして。
「転移魔法陣で行ってみるかのう」
異議なし――と、わたしが頷くなり、足元にサーッと《転移魔法陣》が展開した。ついで、瞬く間に《風》エーテル光が閃いた。
わお。さすが大魔法使いなバーディー師匠。魔法の展開スピードが早い。
次の瞬間、バーディー師匠とわたしは、屋上階の空中庭園に居た。
――記憶にある通りの、静かな空間。低い植え込みが広がっていて、その間で夜間照明がボウッと灯っている。
そして。雲は若干、出ているものの――心当たりのある方向には。
――見えた。遥かなる『連嶺』だ。地平線の彼方、何処までも続く、無数の星々で出来た天の渚。
バーディー師匠が目を細めて微笑んだ。
「ほほぅ。此処は、良い場所じゃな。……こういう所をルーリーが気に入ったのは、意外じゃが」
「そう……なんですか?」
記憶喪失になる前の『サフィール』を、バーディー師匠は知っているんだよね。元・サフィールなわたしも、こういう場所、気に入っていたと思うんだけど……実感が無いからなぁ。
バーディー師匠は、わたしのピコピコ尻尾の呟き、ナニゲに、シッカリとチェックしてたみたい。穏やかに微笑みながらも、「いや」と返して来た。
「意外な事にな。サフィは、こういう開けた場所は、好きでは無かった。……と言うよりも、瞬時に警戒モードに入った。恐らく『闘獣』としての記憶のせいだな。隠れる場所の無い広大な平原や丘陵地帯は、今でも、大型モンスター狩りや超大型モンスター狩りの場として、良く選ばれている。大型の攻撃魔法を、限界まで発動できる場でもあるからな」
――あれ。
やっぱり、バーディー師匠の声、若返ってるような気がする。気のせい……じゃ無いよね?
*****
しばし、ヒンヤリとした夜風が流れた。季節が進んだせいか、頬を撫でる風は、とても涼しい。もう少ししたら、一気に冷え込むんじゃ無いかなという感じ。
バーディー師匠の長い白い髪が、夜風に吹かれて、ユラユラと揺れている。白髪なんだけど、白髪っぽく無い気もする。
やがて、バーディー師匠が『魔法の杖』を突き直して、クルリと振り返って来た。長い白ヒゲの中で、面白そうな笑みが浮かんでいる。
「拘束バンドも外れたし、近いうち、退院という事になるだろう。これからどうするかは、考えてあるのか?」
――まぁ、一応それなりに。少し戸惑いながらも、コックリと頷いて見せる。
「少しずつ町に出て行って――あの、今はジントも居るし、ジントと、町で暮らす事になるかなと。『正字』スキルは良いところまで行ってるみたいだから、魔法文書のフレーム作成とか、魔除けの魔法陣とか製作して、生計が立てられるんじゃ無いかと……」
バーディー師匠は白ヒゲを撫でながら、耳を傾けて来ている。
「成る程……だいたい普通に、ウルフ王国に居たいと言う事だな。だが……」
しばし、バーディー師匠の苦笑が続く。
「ルーリーの『正字』スキルは、将来の上級の魔法職人ないし魔法使いとして有望な人材というレベルまで行っているのだ。実際、ウルフ王国の魔法部署が目を付け始めている」
――そ、そうだったっけ? あ。確か、この間の『魔除けの魔法陣』、魔法部署の人が、研究のためだとか言って、買い取ったとか何とか……
「それにな。ジントとメルに《隠蔽魔法》を頼んでいたのは、ルーリーが《水の盾》を発動している様子を、部外者に見られないようにするためだった。《盾魔法》が使えると判明した時点で、レオ帝国に献上されるか、ウルフ王国の魔法部署に身柄を確保されるか、或いは――闇ギルドに狙われるか、でな。普通に暮らしていくのは難しそうだな」
そう言う訳だったのか。そして、そう言うモノなのか。困った。周りを困らせるつもりじゃ無かったんだけど。
――でも、今更、『サフィール』に戻れるのか、戻りたいかと言うと……それは、無い。未婚妻と言っても、ハーレム妻って……実感さえ無い状態だし。それに、わたし、クレドさんが――
不意に、バーディー師匠が訳知り顔で突っ込んで来た。楽しそうに。
「――ルーリーは、クレド隊士が好きなのだな」
うわ。ドッキリ。直撃ストレート。多分、わたしの顔、赤くなってる。
バーディー師匠は、いっそう笑みを深めて、鳥人ならではの細長い手で、わたしの頭を撫でて来た。
――バーディー師匠、撫でるの上手だ。尻尾フリフリしちゃう。
やがて、何だか若返ってる感じのバーディー師匠の、静かな声が流れて来た。
「我が愛し子よ。全面的な記憶喪失と知って、ビックリしたが。ディーター君が言うように、確かに僥倖だったようだ。今のルーリーは、記憶喪失や高所トラウマのせいで色々と不便をしてはいるようだが、サフィだった時よりも、遥かに自然で豊かな表情をしている」
バーディー師匠は、ゆっくりと手を止めて、わたしの顔をのぞき込んで来た。バーディー師匠の目元に見えるのは、嬉しそうな笑みだ。ちょっと不思議。
「サフィは、自分の立ち位置を良く分かっていたのか、或いは、早くも人生に絶望していたのか……このような将来の夢や希望は、まして恋心は、一度も口にして来なかった。それだけに驚きはしたが……」
――そうだったのかな。
「うむ。新たに、大いに心配になるところは出て来たがな、ルーリー。正直、私は、ホッとしたよ」
確かに……幼児退行した分、おバカになっている部分は、一杯あると思う。それに、元・サフィールって、ホントに色々やってたみたいだし。身体スキルの数々、自分でビックリしてるところだし。
バーディー師匠は、少し目をパチクリさせた後、「フフフ」と笑い出した。「フォフォフォ」じゃ無くて「フフフ」。やっぱり、魔法で若返ってますよね? 鳥人の魔法って、ホントに不思議なのがあるなぁ。
「そうだな、ルーリーが察した通り、『《水の盾》サフィール』の行動範囲は広かった、という事だけ、言っておこう。いきなりサフィが消えた事で、ストップしたり後退したりしている部分が多いくらいでな。だが、今のルーリーが心配する事では無い。今のルーリーにとっての最優先は、このウルフ王国に、歩む道を見つける事なのだろう――唯一の《宝珠》と見初めたクレド隊士と共に」
――それはそれで、もうひとつの高難度クエストではある。
そう言って、バーディー師匠は、ウインクして来たのだった。そして、バーディー師匠は思案顔をしながら、おもむろに、遥かな『連嶺』に目をやった。
――記憶を奪い、また与えるのは海――
――命を救い、そして滅ぼすのは愛――
バーディー師匠の白ヒゲの中から、不思議な詠唱が流れて来ている。短い詠唱みたいで、すぐに終わった。
「その、詠唱は……? 呪文?」
「呪文に近いかも知れんな、我が愛し子よ。サフィとルーリーの間に起きた、この稀なる事象を考えると、この古い謎めいた言い回しが『成る程』と思えて来る」
バーディー師匠は、そこで、深々と息をついた。
「まさしく海なのだ。《運命》と言うのはな。時に、津波のように押し寄せて来て、岸辺にあった全てを奪い去る。そのようにして、一瞬のうちにして歴史を……記憶を奪うが、その岸辺に新たな《宿命》の軌道をもたらすのも海なのだ。愛と言うのもな。命とは、愛とは何か――と言うのは、問いを立てるのも難しいが」
静かな声が――途切れる。
いっそう夜の雲が濃くなり、空は闇の色を増して行く。季節の変わり目ならではの、ヒンヤリと湿った夜風が吹き渡った。
地平線に横たわる星々の『連嶺』――『星を宿す海』は、次第に湿度を増す空気の中で、ボンヤリとした波しぶきのような姿を帯び始めている。まさに『幻の最果ての渚』と言うべき眺めだ。
――星の大海、星宿海。永劫の時を寄せては返す、星宿海の渚よ――
少しの間、謎めいた沈黙が続いたけれど――やがて、クルリと振り返って来たバーディー師匠の面差しには、いつものように、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「そろそろ、子供は寝る時間じゃな。空気も冷えて来た。戻ろうかの」
バーディー師匠は『魔法の杖』を一振りし、やはり大魔法使いならではの見事な手並みで、《転移魔法》を発動した。
今度の《転移魔法》は、バーディー師匠がルートを記憶したと言う事もあるに違いない。ひとッ飛びで、わたしたちは、ディーター先生の研究室の扉の前に転移していたのだった。スゴイ。
part.07「もつれた意図と謎の追跡」了――part.08に続きます
お読み頂きまして、有難うございます。