髪の下にある謎は
美容店の中に案内されて、3つある客席のうち1つに落ち着くと、すぐに散髪ケープを装着される。
フィリス先生が、わたしの頭の包帯を解き始めた。興味津々の顔をしたジリアンさんに、テキパキと事情説明を始める。
「この子は研究室の方で診ている特別患者で、『水のルーリエ』よ。ルーリーで良いわ。詳しい事は言えないけど、これは変身魔法を封印している拘束具。ディーター先生が調べているところでね。魔法で触るのは厳禁っていう厄介な代物なの……『人類の耳』が横から出てるから難しくなりそうだけど、ヘアカットと毛並みの調整は出来るかしら?」
店内の端っこの長椅子で、チェルシーさんと、人体に戻ったメルちゃんが、好奇心旺盛な様子でウルフ耳を傾けている。ウルフ耳、ホントに音のする方向にピコッと傾くんだ。ちょっと感心。
ジリアンさんは、スプレー水を髪全体に行き渡らせた後、熟練の手つきで、わたしの髪を持ち上げたり、櫛で分けたりし始めた。スプレー水には、乱雑な毛髪を一時的に扱いやすくするための成分が入っていたみたい。古い抜け毛っぽい物が一斉に取れて行っているせいか、ビックリする程スルスルと櫛が通っている。
「ずいぶん雑にハメられた物だわね~。ヘアバンドに見せるのも難しいわよ、この乱れ具合じゃ。ピッチリしてて隙間が無いけど……魔法か何かで、隙間を空ける事は出来る? ごくごく薄い遊びで良いの、毛並みを整えるのは、こっちでやれるから」
フィリス先生は、灰色ローブの内側ポケットから記録カードを取り出して、検討し始めた。
「ディーター先生が見つけた方法があったわ。ルーリー、ちょっとピリッとするかも知れないけど」
フィリス先生の『魔法の杖』が、淡い白い光を放った。
次の一瞬、デコピンされた時のようなパチッという衝撃が走り、脳みそにピシッと来る。身構えていたけど、結構な衝撃だ。ショックで頭がクラクラしたけど、何だか締め付けが軽くなったような気がする。
「余り時間は無いから急いでね、ジリアン。拘束具にセットされている拷問用の魔法陣の稼働につながっているから、タイムリミットまでに止めないと拷問が始まっちゃうのよ」
「どんな拷問よ?!」
「例えるなら、レスラー必殺技『脳天落とし』かしら」
それは怖い!
ジリアンさんは真剣な顔になって、何種類もの櫛を振るい始めた。さすが、プロだ。時々、薄目を開いてみると、鏡の中で、元々どうなっていたのかも分からなかった髪型が形になって来る様子が見える。
問題の『人類の耳』の周りになると、ジリアンさんの櫛のスピードが、明らかに落ちているのも見えた。
「いつもとは勝手が違うわね。本来は何も無い筈の場所に『人類の耳』が飛び出してるし、本来の『耳』が無いし」
そう言いながらもジリアンさんは、プロならではの経験と眼力で、元々の毛の流れを読み取って行っている。
奇妙なヘアバンドがハマっている事は、『ある筈の場所に"ウルフ耳"が無く、無い筈の場所に"人類の耳"が飛び出している』という異常状態に比べれば、そんなに問題では無いらしい。先祖の狼の毛流れの方向が、ちゃんと決まっていたからなんだろうけど……これはこれで、不思議に思える部分だ。
やがて、前髪の部分が、ハッキリとした形を現し始めた。わたしにも一応は『乙女ゴコロ』という物があったのか、ちょっと感動的な気持ち。
メルちゃんみたいにフワリと前髪を降ろしているスタイルなんだけど、両脇に流している毛量の方が多い。後ろ髪の方からは毛は余り取らないままにして、左右にお下げを作る事を前提にして、振り分けてある感じだ。
へぇー。わたしの前髪、こんな風になってたらしい。覚えてないけど。
ジリアンさんがブツブツ呟いている声が聞こえて来る。
「乱暴に切られたのは、だいたい後ろ髪の方ね。素人のカットだわ。でも、前髪は、長さがやられた他は被害が無い。こちらのカットは、間違いなく御用達レベルの腕前の人がやってる。この辺のやり方じゃ無いけど、ハサミ上手ね。この前髪スタイル、その内、うちの方で試してみようかしら」
「ジリアンが興味を持つ前髪スタイルって、そんなに無いわよね」
フィリス先生が、多少からかい気味に突っ込んだけど、ジリアンさんは真面目な表情を崩さなかった。
手を忙しく動かしながらも、ジリアンさんは喋り続けている。
「レオ帝都周辺で見られる『花巻』風なの。よく見かける、あの『花房』や『房編み』とは違うわ。元々は鳥人の未婚女性のヘアスタイルなんだけど、レオ帝都の同業者が、獣人向けのアレンジに成功してるのよ。同業者の間では良く知られてる逸話ね。知らなかったら『モグリ』というくらい」
――美容師や理容師のネットワークも、なかなかの物みたい。
総合エントランスの方で、獣人に属する色々な種族の人を見かけた。みんな、毛髪の手入れはキチンとした感じになっていた。記憶喪失になってしまったからピンと来ないんだけど、獣人の間では、ヘアスタイルの話題は、食べ物や政治の話題と同じくらい、熱くなるテーマなんだと思う。
ジリアンさんがフィリス先生に解説している内容が、続いている。
「こめかみ部分で集めてお下げみたいに流して、花や宝石を飾り糸に通したのを巻き付けるから、『花巻』。清楚なのに豪華絢爛。レオ帝都の技術が最高で、他国でも王女や姫君を顧客に持つ同業者たちが『花巻』の秘訣を知りたがっているんだけど、私たちが直接に見るチャンスって、ほとんど無いもの」
長椅子の方から、「えッ?!」という、チェルシーさんの驚きの声が聞こえて来た。どうしたんだろう?
「それ、大変な事じゃ無いの?! レオ帝都は特に、地位や立場ごとの区別に厳しい所よ。そんな所で高位のハーレムに囲い込まれた『白い結婚』中の女性や、レオ貴族の未婚令嬢がやる『花巻』ですって?」
近くに居たフィリス先生の、ブツブツと呟く声が続いて聞こえて来る。
「イヌ族女性と間違われて、何処かのレオ貴族の、ハーレム要員の候補になってたりしてたのかしら。『接待役のハーレム妻』も珍しくないし」
わたしの方からはフィリス先生の表情は見えないけど、声の調子からすると、困惑の余り渋い顔になっているみたい。
そうしているうちにも、ジリアンさんは、毛並みをほぼ整理し終えたようだった。
「よし、上がり。タイムリミットに間に合ったかしら」
「いつもながら見事な早業ね、ジリアン。余裕で間に合ったわ」
フィリス先生が再び『魔法の杖』を向けると、最初の時と同じ『パチッ』とした衝撃がした後、拘束具がキュッと締まった。さすが『呪われた拘束バンド』と言うべきか、寄ると触るとダメージが来るんだなあ。
ジリアンさんは、わたしのダメージが収まったのを見て、洗い場でわたしの頭を洗い出した。
洗髪の魔法を使えばアッと言う間なんだそうだ。でも、予期せぬ呪い発動を防ぐため、特に魔法干渉を鎮静化するという『ルーリエ』種による浄水を選んで、直に手洗いだ。お気遣い有難うございます。
そして、この洗い場では、思わぬ発見があった。
ジリアンさんが、わたしの髪に適温の流水を当てて、洗髪剤を流し始めた。流しながら、髪をかき分けて行ったところ――
「茜メッシュがあるわ。あなた、女の子だったのね」
「えッ、何処に?! 私が探しても、全然見つからなかったのに! 変身魔法も茜メッシュもダメだったから、《宿命図》で証明しなきゃならなかったのよ」
どうやら茜メッシュの有無は、未婚ウルフ女性の多大なる関心事みたい。穏やかに微笑んで様子を見守っているのはチェルシーさんだけで、メルちゃんは矢のようにビュンと飛び出して、身を乗り出して来た。
フィリス先生とメルちゃんの様子にビックリしたのか、ジリアンさんは少しの間、作業の手を止めてポカンとしていたのだった。
やがて、ジリアンさんは、きちんと状況説明する必要を察したみたい。ジリアンさんは作業を再開しながらも話し出した。
「本格的にルーリエ水を合わせて洗ったからかも知れないわね。魔法道具を洗浄する水でしょ、ルーリエ水って。魔法で固定されている染髪料は魔法的汚染と同じ性質を持っているから、ルーリエ水の洗浄に引っ掛かるのよ。それで除去されて、茜メッシュが出て来たという訳」
ジリアンさんは、手早くタオルドライをしながらも、困惑タップリに首を振り振り、コメントを追加していた。
「それにしても、ただでさえ見えにくい位置にあるのに、そのうえ短く切って、染めて、隠さなきゃならない理由があったの? 男の振りをしていたとか? 『花巻』風ヘアスタイルなのに、この矛盾は穏やかじゃ無いわね。一筋縄ではいかない陰謀やら事件やらの気配が、プンプンよ」
やがて、タオルドライが終わる。ジリアンさんは、わたしの左側『人類の耳』の、やや後ろ直下にある首筋の根元の毛を、櫛でかき分けて来た。
目配せされて合わせ鏡を見ると、確かに茜メッシュが出ている。黒髪の中に一筋刷かれた、鮮やかな色合い。周囲のザク切りの髪よりも更に短く切られていて、合わせ鏡で見ないと分からないくらいだ。
フィリス先生もメルちゃんも、目を丸くしてポカンとしてる。わたしにしても――自分の髪なんだけど――記憶喪失のせいで、初めて見る形になったから、ポカンとしてしまったよ。
ジリアンさんが、ヘアカット用のハサミを準備しながら話しかけて来た。
「これは、是非とも髪を長く伸ばしてもらわないとね。大丈夫、女の子だから、ちゃんと食べれば髪が伸びるスピードは回復するわ。レオ族の自慢のタテガミ程じゃ無いけど、ウルフ族の毛髪は成長が速いから。一番似合うのは、腰の長さまで伸ばした時ね」
腰の長さまで――
「あの、何となく、腰の長さまで伸ばしていたような記憶はあります。手の違和感とかでしか無いから、曖昧ですけど」
「成る程。前髪カットをした誰かさんは、見る目があったわね。さすが同業者のプロだわ」
フィリス先生は手持ちの記録カードに、新たに判明した要点をメモしている。あとでディーター先生と話し合うのだろう。くだんの『花巻』の痕跡は、かなり有力な手掛かりだと思う。意味的に、物議をかもしそうな手掛かりだけど。
ジリアンさんのハサミが、軽快に踊り出した。ザク切りな髪型が、ボブカットの形に整理されて行く。
それ程しない、うちに――
「失礼しますよ!」
「チェルシーさん、居る?」
――見知らぬ2つの掛け声に、美容店のガラス戸が開いて閉じた音が重なって来た。
いきなりだから、ビックリしちゃった。薄目を開けてみる。
最初に入って来たのは――ウルフ族・黒狼種。フィリス先生と同年代くらいの如何にも『仕事人!』な女性。ハシバミ色でまとめた中級侍女のユニフォームをまとっている。丈の長いワンピースドレスに、ベストの一揃い。仕事の途中で時間を作ってやって来たのか、如何にも仕事道具な風の、拡大鏡ペンダントを下げていた。
次に入って来たのが、ウルフ族・金狼種。純粋な金髪キラッキラの、ファッショナブルな中年女性。ユニフォームじゃ無いから、城下町からやって来た人かも知れない。手には大きな風呂敷包み。あれ、地下牢へ容疑者を持って行く時の、『拘束魔法陣シーツ』とかじゃ無いよね。何が入ってるんだろう。
フィリス先生はポカンとしていたけど、チェルシーさんが慌てず騒がず、にこやかに微笑んで迎えている。さすが年長者の貫禄。
「まぁまぁ、こちらの長椅子が空いてますよ、ヒルダさんにポーラさん。ポーラさんは、もしかしてメルちゃんの件かしら?」
ポーラと呼ばれた金髪の中年女性が、サッとメルちゃんを振り返った。
メルちゃんの方は、ふくれっ面だ。いつの間にか、ふわふわ子狼な格好になって、むくれている。何で?