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追憶は夕べの風と共に・3

噴水広場に降り注ぐ夕陽の角度が、少し浅くなった。


中央の噴水口の装飾となっている透明な水瓶みずがめの中では、相変わらず、ルーリエ種のミントグリーン色の藻が、夕方の金色を帯びた光と共に踊っている。


「ベルナールさんって、身体が弱かったんですか?」


その質問に、クレドさんは首を振って応えて来た。


「ベルナール殿下は当時から強い人でした。当時のヴァイロスは第一王子の座をほぼ確実にしていましたが、ベルナールはそれに続いて、第二王子の候補で――ただ、あの頃はベルナール殿下も少年でしたから、単身で中型モンスターの襲撃に対応するのは難しかったでしょう」


老師の道場は魔境に近い場所にあるので、夜中に魔物がウロウロしている事は珍しく無かったのだそうだ。何て恐ろしい。


ベルナール殿下の体調悪化の原因は、中型モンスターの毒。寝込んだ割には、ほぼ後遺症ナシで済んだのは幸い。左腕に少し不調が残ったので、新しい第二王子の座は難しくなったけれど、突出した強さと実績でもって、今は第三王子となっている。


――あれ。でも。確か、クレドさんって……


そっと見てみると――クレドさんは苦笑いしている。わ。こんな顔もするんだ。


「わたしは成長期が遅れていて、剣の腕前でも後れを取っていましたから、色々言われましたね。ザッカー殿には随分と庇われました」


へー。ザッカーさんって、昔から『頼れるアニキ』だったんですね。


*****


――老剣士と2人の少年従者、それに使節を兼ねた役人たちと隊士たち。


一行は老師の道場から直接に出発し、幾つかの転移基地と宿場町を経由して、レオ帝都にあるウルフ王国大使館に滞在した。そして、レオ族の巨人のような戦闘隊士たちに囲まれて、後宮の都に入った。


サフィールは、ノイローゼにも関わらず。


レオ皇帝の顔に泥を塗る訳にはいかぬ――という圧力によってか、青い礼装をまとって会見の場に出て来た。


第一位《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス。16歳と聞く割には、小柄。その所作は、ノイローゼの影響か、既に成人を迎えた大人のようにも、幼い少女のようにも見えた。何ともチグハグな、奇妙な印象を受ける少女。


昼日中の陽光を弾く、見事な黄金の毛髪。光を反射するたびに妖しく紫がほのめく金色は、何故か、肩先の長さで切り揃えられている。


両脇の髪をお下げみたいに流して、青い『花巻』で装飾している。名前にちなむのであろう、青いサファイア類がビーズのように結わえられていた。そこに、更にハイドランジア花を模した造花――水色の大振りな宝飾細工も付け加えてある。


肩先までしか長さの無い髪に対して、レオ皇帝ハーレム要員としての宝石の山のようなココシニク風ヘッドドレスと、胸元の下まで流れる豪華な『花巻』は、随分と重たく見えた。


黄金の髪に縁取られているのは、貴種を思わせる、整った容貌。だが、顔色は死人のように青く、頬はゲッソリとこけており、生気の欠けた目の下には、濃いクマが出来ていた。明らかに、ノイローゼに伴う絶食や不眠障害の症状。


初日は、サフィールは一言も発せず、老師の声掛けにボンヤリと反応するだけに留まった。ただ、警戒心が強い性質と言うのは、かねてから知らされていた通り、真実だった。警戒し始める距離がハッキリしていて、その内側に指先が入っただけで、全身の毛を逆立てて威嚇して来る有り様。


初日の会見が終わった後、老師が首を傾げた。


――サフィールは、肉体ひとつで、大型モンスターと幾度となく対峙した経験があったのだろうか、と。


サフィールが警戒モードに入る距離。大型モンスターに肉薄してなお、安全に毒牙を回避しうる、ギリギリの距離なのだ。それも常に、前後左右に対して、正確に距離を取っている。しかも臨機応変だ。実戦で通用するレベル。


上級隊士に必須の察知能力ではあるけれど、実戦ナシで、この距離感覚をつかむのは非常に難しい。老師の門下生のほとんどが――修行中という事もあるけれど――その距離を、なかなか読み切れず、身に付けられていないと言うのに。


1カ月近い会見を経ても、サフィールの警戒モードは、なかなか解けなかったが。


ふとした折に、老師がウルフ王国の夏の離宮『茜離宮』の外苑や城下町のマップを開くと、サフィールは好奇心を刺激されたのか、尻尾をピコピコさせながら――近寄って来た。辺境の生まれで、まだ1回も『茜離宮』を訪れた事が無いという、尻尾での告白と共に。


それがきっかけで、徐々にサフィールとの距離が縮まった。『耳撫で』しても大丈夫な程度まで。


*****


サフィールとの会見日数が1カ月を超えると、それなりに色々ある。


会見時間が伸びて、昼食や茶会を挟むようになって来たけれど――それと共に、毒が盛られるようになった。レオ帝都の暗闘には付き物だ。数日、風邪を引いたように体調悪化するタイプから、お腹を下すタイプまで。


要は、老師と2人の少年従者に、恥をかかせようとする試みだ。次のレオ帝宮の社交パーティーで、噂の種にして、笑いものに出来るから。


サフィールは、毒物をすべて察知してのけた。


1回、冗談どころでは無い即死性の毒物が食事に混ざってきたけれど、サフィールは、それも気付いた。犯人は孫世代のレオ皇位継承者の1人。給仕に変装して、その場で毒を仕込んでいたのを老師に見抜かれて、身柄拘束された。


この件は、ちょっとしたお家騒動に発展し、そのレオ皇帝継承者の一族が取り潰しになった。元々、禁制品の密輸など穏やかならぬ商売を手掛けていた上に、現在のレオ王子に繰り返し暗闘を仕掛けていた、問題のある一族だったと言う。


その後、その残党を、最も天才的な手腕を持っていた1人『風のサーベル』という貴種のレオ族が、上手に取りまとめた。今はレオ王の派閥のリーダーとして、巨大な特権を享受している人物だと言うが……それは、今は置いておく。



――転機は、それから少し後のこと。



その日は会見時間になっても、サフィールが現れなかった。


一応、身辺警護を担当していた老師と共に、リオーダンとクレドも、ハーレム館や庭園を探し回る羽目になった。侍女を務めているレオ族少女たちに聞いても、サフィールの行方は分からない。館のゲートは出ていないと言うから、館内に居るのは確実だけど。


そして――クレドが、何故か、庭園の隅の木の上に登っているサフィールを発見したのだった。


サフィールが、パニックになって木登りしたのは明らかだった。グシャグシャになった『花巻』を金髪にくっ付けたまま、木の上でガタガタと震えている。


だが、この辺に、それ程に『恐ろしい物』が存在しただろうか。大型モンスターはおろか、中型モンスターの姿さえ無い。それに『イージス称号』持ちレベルの強い魔法使いが、大型モンスターごとき恐れる筈が無いのだ。


『……サフィール殿、何で木に登ってるんですか?』


木の下から、クレドが呼び掛けてみると。


サフィールは涙目になって何処かを指差し、金色の尻尾をバシバシと木の枝に打ち付けて応えて来た。


クレドが首を傾げながらも、その方角を眺めると。


近くの回廊の柱の1本に、見慣れた小型モンスターが居る。


――毒ゴキブリ。


モンスターの割には身体が巨大化せず、非常に異例な場合を除けば、最大の大きさでも大皿と同じくらいのサイズに留まる。無論、大皿と同じくらいのサイズになったら、それはそれで、ちょっとした脅威ではあるけれど。


あらゆる防虫剤が利かず、しかも何故か、いつの間にか《魔物シールド》を突破して物陰でカサコソ動き回っている――あの馴染み深い害虫。


老師の道場でも、しょっちゅう模擬剣に食らいついて、毒でボロボロにしている。一方で、放置されて腐って行く大型モンスターや中型モンスターの死骸を瞬く間に処理してくれる益虫だ。どちらとも言えない、微妙で身近な存在ではある。


――まさか、あれが、パニックの原因なのか……?


標準的な大きさだ。手の平と同じくらいのサイズだから、女子供でもサクッと始末できる。大群で沸いて来ても、町内の民間業者レベルで駆除できる下級モンスターだ。サフィールが怖がるとは思えないのだが。


クレドは大量の疑問符を頭の上に浮かべながらも、『魔法の杖』から《殺虫光線》をパチッとやって、『毒ゴキブリ』を焼却した。『毒ゴキブリ』を完全に退治する場合は、《殺虫光線》の魔法を使う。10歳の子供でも扱える、最も小さな《雷攻撃エクレール》魔法だ。


回廊の柱にへばりついていた『毒ゴキブリ』が、完全に炭化して粉々になった。


すると、サフィールは、ホッと息をついた。そんなに脅威だったのかと、眺めていると。


『あ、そこの木の枝にも2匹――』


サフィールがしがみついていた木の、別の枝にも、『毒ゴキブリ』が出ていたのだった。


ちなみに、この害虫、1匹いれば、周辺にも10匹は出ているだろうと言う、厄介者だ。つまり、完全に駆除しきる事は難しい。害虫対応の《透視&探知魔法》があれば別なのだが、これは特別な魔法道具が必要だから、清潔を旨とする医療機関や、無菌状態が必要な特別保管庫などでしか装備されていない。

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