中庭広場
目的地、病棟の中庭広場に到着した。
――意外に広い。周囲を複数の病棟に囲まれていて、長方形をした敷地になっている。
長方形の長辺に沿う形で、ミニ店舗がズラリと並んでいた。どの店舗も、屋上付き1階建ての組み立て倉庫という感じ。倉庫に、店舗用の各種出入口、陳列棚、窓、看板……と、アレコレと付けてみた、と言う風の簡素なスタイルだ。
雑貨店、衣料店、ちょっとした魔法道具の店、軽食コーナー、各種の遊戯屋、貸本屋、色々ある。この区画の官衙では此処が最寄りの商業施設だそうで、紺色マントの軍装姿も含めて、ユニフォーム姿の大小の人々が多数たむろしていた。
ちょっとしたストリート商店街という感じ。お天気が良いお蔭か、こちらの方が賑やかだ。
ミニ店舗には全て、屋上スペースが付いていて、そこへ上がるためのハシゴが備えられていた。屋上から荷物を降ろすためと思しき、ささやかな滑車セットもある。
良く見ると――不思議な事に、屋上は揃って、畑になっているように見える。荷物を置くスペースなんて、あるんだろうか。グリーンカーテンと思しき蔓植物が、ワサワサと茂っている。大いに茂って、店舗の壁を覆い尽くさんとしているのもある。そりゃあ、日当たりは満点だろうけど……
店舗ごとに色んな種類のグリーンカーテンがあっても良いと思うけど、葉っぱも蔓も全て共通している。『茜離宮』付属・王立治療院の方で、特に指定しているって事かな?
――よし、聞いてみよう。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だ。
「あの、お店の屋上に、何があるんですか?」
傍を歩いていたチェルシーさんが、にこやかに答えて来た。
「あ、あれね。『炭酸スイカ』よ。ああやって周りにグリーンカーテンを広げておくと、真夏でも、お店の中が暑くならないものねぇ。『炭酸スイカ』は特に冷却性が良いから、『茜離宮』の方でも、色々な倉庫の屋上で育てているわ」
――謎な言葉があったような気がする。『炭酸スイカ』……?
チェルシーさんは、わたしの疑問顔に気付いた様子で、不思議そうな顔になった。
「あら、もしかしてルーリーさんは、知らないの? 遠い辺境の飛び地の出身とか?」
「ほぼ記憶喪失の状態ですから」
わたしの状態についてタイミングよく解説してくれたのは、フィリス先生だ。チェルシーさんは「まぁまぁ」と驚いている。
続いてフィリス先生が、謎のグリーンカーテンについて講義を始めた。
「夏の代表的な果物『スイカ』の魔法的変種なんだけど、実が変わってるのよ。中に入っているのは、グズグズになった極彩色の七色の果肉、それに高濃度の炭酸ガスを含んだ水。普通のスイカとは違って、果肉の中には種は無い。イタズラっ子の遊び道具として狙われやすいわ」
――どういう事でしょう?
「中身が高濃度の炭酸水だから、包丁を入れた途端に泡立つの。実を散々転がしてシェイクした後だと、なおさら発泡性が増すわね。それで、ちょっとでもヒビが開こうものなら、そこから炭酸水のカラフルなジェットが出て来るから……結構な見ものではあるわよ」
フィリス先生は胡乱な目つきで、子狼なメルちゃんを見やった。
メルちゃんは、ワゴンの上でハァハァ、キラキラしながら、店舗の壁を覆う緑のつる植物を熱心に見つめているところ。尻尾が左右にピコピコ振れていて、いかにも何かを企んでる風だ。
見ると、その店舗の地上部分にまで降りて来たツルの先に、手頃な大きさの実がある。
普通の『スイカ』の、黒と緑のパターンじゃ無いような……
……どぎつい蛍光紫と蛍光黄色、だ。あれが『炭酸スイカ』の実なの?
見るからに、中からお化けが出て来そうな実だなあ。魔法的変種というのも成る程と言うか……目が痛くなりそう。
メルちゃんは、すぐにフィリス先生の視線の意味に気付いたようで、パッと顔を伏せた。更に、『伏せ』の姿勢になった。
成る程。メルちゃんも、『炭酸スイカ・ジェット』のイタズラをした事があったみたい。
――色とりどりの極彩の水で出来た、ジェット……水で出来た花火みたいに見えるのかも知れない。イタズラ盛りの子供にとっては、危険な誘惑だよね。
チェルシーさんが小さなメルちゃんを微笑ましく眺めながら、「そう言えば」と言葉を継いだ。
「治療院では『炭酸スイカ』で炭酸泉を作って、治療に役立てているのよね。熱を加えると極彩色の果肉が溶けて、乳白色になって本物の温泉という感じになるし、ちゃんと美肌効果があるわよ、ウフフ」
くだんの『炭酸スイカ』風呂は女性に人気があるそうで、城下町の方でも、専門の『炭酸スイカ』銭湯があるとか……そのうち試してみたい気がする。
*****
不思議な『炭酸スイカ』について雑談を交わしながら中庭広場を巡っていると、中央スペースに差し掛かった。
中庭広場の中央スペースには、可動屋根のついた大きな噴水がある。
今は、噴水を覆う屋根が取り払われている状態だ。跳ねる水が昼下がりの陽光を反射して、キラキラ輝いている。その周りには花壇と、パラソル付きのテーブルが並ぶ。カフェの出店ってところ。
噴水の各所に、傾斜をつけた装飾細工があって、透けるような薄青――セレスト・ブルーをしたオーロラみたいなものが光っている。
噴水の脇にしつらえてある飲料用と思しき水槽では、深い紺青色をした無数の数珠が踊っていた。
――何とも不思議な光景……
わたしが余りにもしげしげと噴水を眺めているからか、「ちょっと噴水に寄りましょうか」という事になった。
ワゴンの上に鎮座している子狼なメルちゃんが、不思議そうに顔を上げて来た。
『ルーリーは、水中花を見た事ないの?』
限りなく正解だ。時々子供は、正確なところをピンポイントで押さえて来る。
「記憶喪失と聞いたけど、それほど記憶が吹っ飛ぶなんて大変な事ね」
チェルシーさんが目をウルウルさせていた。
うーん、ほとんど記憶が吹っ飛んだせいなのか、わたし自身は余り悲壮感は感じない。感じるべきなんだろうけど、地下牢の方で究極の恐怖を味わったというのが、もっと大きい。あれに比べれば、どんな事態でも『マシ』なような気がするんだよ。
フィリス先生が端的な解説をして来た。
「あのセレスト・ブルーの、オーロラみたいなのは『オルテンシア』種。薄いカーテン状の藻だから、あんな風に見えるのね。水面の上に、良い香りのする大輪の八重咲きの花を付けるんだけど、花そのものは珍しいから、開花の瞬間を見た事のある人は滅多に居ないわ。1年に、1つ2つくらいしか咲かないし……でも、医療方面では重宝する水中花よ」
大輪の花を咲かせるために、藻全体から取り込んだ成分を、花部分に濃縮するそうだ。魔法プロセスを含んだ濃縮と合成が、花部分で起きる。咲き終わりの頃にオルテンシア花を採集して、成分を抽出するんだけど、それは、あの全身消毒液プールの原料になるという。花弁1枚で、20人分の消毒液プールが出来るらしい。すごい。
噴水の底の方には、ミントグリーンの蔓草に瑠璃色の小花――という水中花が、揺れ動く水に乗って波打ちながら、ワッサワッサと広がっていた。『ルーリエ』種だ。ルーリエ種が浄化した水は、特に魔法要素の乱れを鎮静化し除去するので、安全に魔法道具を洗浄できるそうだ(魔法道具の中には、暴走・爆発しやすい危険な物も多い)。
飲料用の水槽で踊っている紺青色の数珠も水中花の一種で、『アーヴ』種という。地味な見かけだけど、浄化パワーは最大。その浄化力は、魔物成分を含む有害な水を飲料用に変えられる程だ。襲来して来たモンスターの毒にやられた、不運な町や村の除染では、特に持ち込み必須。
チェルシーさんが、タイミング良く口を出して来た。
「此処には無いけど、『茜離宮』の方には『ハイドランジア』種の水中花があるわ。深窓の令嬢みたいな水中花で一見の価値ありよ、オホホ。ハイドランジア種は、綺麗なサファイア色の真珠の実を付けるの。古代の頃から、宝飾品に使われているわ」
ハイドランジア種は、浄化力は普通。基本的な浄化フィルターを付けた機械と同じくらい。でも、王族たちの鑑賞に堪えられるレベルの美麗種の水中花だ。しかも宝玉――真珠を産出すると言うおまけも付いている。
元々、ハイドランジア種は、魔境と接触する難所エリアの浅い泉の底に棲息している。水場に集まって来る数多くのモンスターの群れを抜けて、上手くハイドランジアの真珠や苗を採集して来るのは難しいそうで、冒険者ギルドでも最高ランクのクエストになるという話。
ハイドランジア種から青い真珠が採れるという事は、真珠ビジネスに関わる人々以外には余り知られていない。魚人が海から収穫して来る真珠の方も珍しいそうだから、『さもありなん』と言うところ。海の真珠をどうやって安定して収穫するのかは魚人だけの最高機密になっていて、今でも謎と神秘に包まれている。
さすがアンティーク宝飾品店の女主人。詳しい。メルちゃんは初めて聞いたみたいで、ビックリしている。
更にチェルシーさんは、ドレスメーカーの助っ人としての、豆知識も披露してくれた。
海洋生産であれ、ハイドランジア産であれ、ドレスに真珠を縫い付けるのは一種のステータスだとか。王妃さまや王女さまのドレスには、最高級の品質『花珠』称号を持つブランド真珠が、たくさん縫い付けられているそうだ。
水中花の話が一段落し、噴水を回った。ミニ店舗を連ねた、中庭の商店街に再び入る。
その中の一角に、メルちゃんの姉ジリアンが出張していると言う美容店がある。
ちょうど、如何にもヒラの役人と言った風の先客の大柄な男が、黒茶色のウルフ耳をピコピコさせながら出てきたところだ。「毎度~」というセールス挨拶が聞こえて来る。
ガラス戸を開けて顔を突き出しているのは、店員と思しき若い金髪女性だ。わたしたちに気付いて、パッと振り返って来る。髪の色と同じ金色をしたウルフ耳が、既にワゴンの車輪音を捉えていたみたいで、ピピッと動いていた。
メルちゃんもお年頃になったらこうなるだろうな、という雰囲気の美女だ。ウェーブのある長い金髪をスッキリと結い上げていて、右こめかみ部分から伸びる茜メッシュの一房が、お洒落ポイントになっている。腰から伸びる金色のフッサフサの尻尾が、いかにも美しい。
「いらっしゃい……フィリス叔母さんじゃ無いの! チェルシーさんも……って、メルちゃん、また何かした?!」
わお。この美人な金髪女性が、メルちゃんの姉ジリアンみたい。気難し屋なメルちゃん、日頃の『金髪コンプレックス』行動が問題だったのか、余り信用が無いみたいだね。
「こんにちは、『地のジリアン』と申します。当店は初めてですよね?」
――このメチャクチャな髪型なものだから、すぐに『お客さん』と認識されたみたい。