中庭広場、再会と奇遇と困惑と(後)
わたしは少しの間、思案してみたけど、この場合の適切な対応と言うのが思いつかない。
「お、お騒がせ、いたしました……?」
金髪の縦ロール巻の令嬢アンネリエは、再びバンと足を踏み鳴らし、上から目線でジロリと睨んで来た。
「まぁまぁまぁ! 卑しくも卑しい、お声ですこと! それで良くクレドに付きまとえた物ね! この清掃スタッフ如きが!」
――でも、今のところは、このしゃがれ声が精一杯だからなぁ。喉の筋肉、まだ元通りになってないし。
ねぇ、ジント、肩がプルプル震えてるのは、もしかして吹き出し笑いだったりする?
この清掃スタッフ風な三角巾、アンネリエ嬢をえらく刺激してるみたいだし。アンネリエ嬢はクレドさんと随分と親しい関係みたいだし、後で、この一幕をクレドさんが小耳に挟んだら、確かにビックリ仰天するよね。
ピコピコ尻尾で、ジントにそう言ってやった。そしたら、ジントは遂に、コンテナの陰からゴロンと転がり、腹を抱えて大爆笑を始めたのだった。
「わーっはっはっは! あっはっは! 腹いてー!」
「まぁ! 何て失礼なガキ! 卑しい者には卑しい者が集まるのね!」
ジントは、ピョコンと起き上がった。切れ長の目の端には、まだ涙が浮かんでいる。
明らかに混血児な灰褐色の、それもまだキチンとハサミを入れて整えていないからボサボサな毛髪だけど。かぶさって来た前髪を上げてみれば、それなりに美形な顔立ちではあるんだよね。
将来の伸びしろを感じさせる整った顔立ちを認識したのか、オフェリア姫もアンネリエ嬢も、ハッと息を呑んでいる。
「ターゲットってのは足音で分かるんだぜ。『盗聴カード』に乗せられてんのは、てめーじゃんか。足の裏が、なってねぇよ。歩き方、鍛えてねぇだろう。ドレスの裾で隠れているから、そうやって足元をごまかせているだけでさ。高いハイヒールで綺麗に歩けるかどうか、怪しいもんだな」
――うーむ。さすが、コソ泥。足音で、盗みのターゲットを見分けて来たんだね?
ジントは明らかに、アンネリエ嬢を挑発していた。アンネリエ嬢は、見事に、それに乗って来たのだった。
「無礼な! この貴族でも無いブラブラ女が、単なる卑しい台車転がしが、ハイヒールで歩ける筈が無いわね!」
――うん。確かに、わたし、何も無い所で転んだりするからね。
不意にジントは、クルリと振り返った。顔を突き出して興味津々で見物していた小物屋の初老な店主さんに、声を掛ける。
「オッサン、あの白いハイヒール、試着は出来んの?」
「それは可能ですが、お客様が履くんですか?」
初老な店主さんは白いハイヒールを棚から出しながらも、キョトンとした顔をしていた。
わお。すごく高いハイヒールだ。
ランジェリー・ダンスを披露していたピンク・キャットが履いていたハイヒールと、同じくらいだと思う。
そりゃ確かに、少年がハイヒールを履くというのは、すごく奇妙な光景だよ。
ジントは、初老な店主さんに、涼しい顔で返答を寄越してのけた。
「イヤ、履くのは姉貴さ」
――はぁ?!
わたしが仰天していると、「どうしたの?」という聞き覚えのある声が飛んで来た。
思わず振り返ると――ラミアさんとチェルシーさんだ。今しがた、オフェリア姫とアンネリエ嬢が立ち寄っていた宝飾品店にやって来た、という風。
わお。ウルフ耳が生えてると、やっぱり聴力が違う。
今は、三角巾に付いている耳キャップで固定されてる状態だから、ピコピコ動かせないけれど。『人類の耳』だと聴力が制限されている状態だから、この距離じゃ、『人の声のような物がした』という他には、分からなかったかも知れないな。
オフェリア姫が手をワタワタと動かしながらも、早口で、呆気に取られているラミアさんとチェルシーさんに、説明を始めている。
金髪の縦ロール巻なアンネリエ嬢の方は、ジントに挑発された形ではあるんだけど、相変わらずわたしをギリギリと睨みつけていて、後ろに居るオフェリア姫たちの様子には気付いていないようだ。
程なくして、ジントが袖をつついて来た。
「サイズ合わせが済んだぜ。ピンク・キャット・ウォークでも、何でもオッケーだよ」
――面白がってるよね、ジント……初老な店主さんが冷や汗してるけど、後でフォロー、シッカリするんだよ? わたし、絶対にコケるからね。
わたしは、足元に並んだ白いハイヒール――踵を押し上げている部分が、ギョッとする程に細くて高い――を暫く眺めた後、ソロリと足を入れてみた。サイズ合わせをしたと言うだけあって、ピッタリだ。
おや? 既視感のある感覚だ。
気が付くと無意識のうちに、馴染みのある重心移動をしていたみたい。このヒールの高さに、身体が馴染んでるって事。何処かで、わたし、場数を踏んでたっけ?
思わず、目をパチパチする。歩けている筈が……
……あるね。
わたしは、とりあえず、台車の周りをグルリと巡ってみた。
角を曲がる時に脚を交差させて、バランス良くターンしてみた。こうすると、ドレスの裾が優雅に広がった……ような気がする。実際にフワリと波打ったのは、チェルシーさんお手製の、青磁色の上着の裾だけど。
――えーっと。お目汚しでした。
身体の記憶を辿るままに、足のポジションを決めて、膝を正確に曲げ、ついでに胸の前で腕を交差させて、淑女の敬礼をしてみる。わたし自身は全く覚えていないんだけど、身体が、こういう動きを何度もしていたみたいで、自然に流れるように出来るんだよね。
敬礼を終えて、顔を上げてみると。
アンネリエ嬢をはじめとして、オフェリア姫も、ラミアさんもチェルシーさんも、口をアングリと開けていた。あれ。ホントにお目汚しだった?
チラリと、ジントと、初老な店主さんの方に目をやると。
ジントはニヤニヤしていた。初老な店主さんは頭に手をやって、ポカンとしていた。ついでにメルちゃんは、物珍しそうに目をパチパチしていた。
やがて、ラミアさんが愕然とした顔のまま、口を開いた。
「チェルシーから、ルーリーの元々の髪型が『花巻』風になっていて、レオ帝都の高位のハーレムの未婚妻だった可能性があるって聞いてたけれど。半信半疑だったけど、今まさに納得だわよ。それ、レオ大貴族の未婚令嬢が叩き込まれる動きなの。ウルフ王妃と、将来のウルフ王妃となる第一王女にもね。レオ皇帝への敬意を表する時に、一切の失礼が無いように」
――あ。そう言えば。
過去というか前世の頃、高いハイヒールを履きこなしていたとか……
じゃ、これも、身体に叩き込まれていたスキルの一種って事になるのか。うわぁ。過去と言うか、前世では、色々な事にチャレンジしてたんだなぁ。今でも実感が無いし、信じられないけど。
やがて、初老な店主さんが沈黙を破って、声を掛けて来た。
「ルーリーさん、そのハイヒールは差し上げましょう。ランジェリー・ダンスの女王ピンク・キャットのハイヒールをモデルにした商品なんですけど、買う人がいらっしゃらないんでね。イヤ、大変、勉強になりましたよ。我々の立場では絶対にお目に掛からない物を、見せて頂きました」
そこで――ようやく、アンネリエ嬢は、復活したようだった。ビシッと、わたしの方を指差して来る。
「あ、あんたは……レオ族の未来の不倫妻で、下品下劣な男どもの前でランジェリー・ダンスをするような、卑しい破廉恥だった訳ね!」