宿業の縁は今も巡りて
今や『呪いの拘束バンド』は、錆びた鉄のような、艶の無いドロリとした赤褐色を見せていた。
なおも一体化したまま、へばりついている『花房』付きヘッドドレス。相変わらず毒々しいまでに真っ赤だけど、こうして見ると、相当数のビーズが弾け飛んだ分、出来損ないの装飾物みたいに見える。
ディーター先生が、鉄バサミで『呪いの拘束バンド』をひっくり返しながら、口を開いた。
「バンドの内側に注目下さい、バーディー師匠。これが先程、『化けの皮』の頭部をメチャクチャに突き刺した棘です。理由は知れませんが、仕掛け人は、誰かの手によって拘束バンドを外されるくらいなら、ルーリーを物理的な意味でバラバラ死体にしてやろうという程に、計算づくで真剣な殺意を抱いていたようです」
見ると、拘束バンドの内側に、無数のゾッとするような大きな棘が突き出ている。
多数の棘は、ギョッとする程に長かった。頭蓋骨に確実に穴を開けられるように、回転ドリル式になっている。しかも、見るからに、金剛石レベルの金属だ。
――脳みそ、グチャグチャにされる所だったんじゃ無いだろうか。怖い。
バーディー師匠が、珍しく眉根をしかめている。
「ルーリーが、最高位の《水の盾》を装備してくれて助かったのう。生半可な《防壁》では、この回転ドリルを防げなかったじゃろう」
ジントとメルちゃんが、妙に納得したような顔で、もう片方の手に持っていたカタマリを『ババーン』とばかりに、示して来た。
――『火のチャンス』さんの頭部だ。人工の皮……
見るからに、変装用のフルフェイス・マスクっぽい感じ。4個から5個くらいの破片になっている。
そして、『呪いの拘束バンド』が接触していた位置と思しき、頭部の端から端に当たる部分が、むごたらしいまでに穴ぼこだらけだ。これ、回転ドリル攻撃を受けた痕だよね。ひえぇ。
フィリス先生が、妙に渋い顔をして、額に手を当てた。
「火のチャンスの『化けの皮』になったのは、偶然よ。『魔法の杖』が記憶していた最近の他者データが、たまたま、火のチャンスだったの」
*****
手術は、無事に終了した。
まだ信じられない気持ちだけど。
ディーター先生の研究室の周りの緑地には、『呪いの拘束バンド』を取り外した際に起きた大爆発の証拠が、あちこちに残っている。
火のチャンスさんの、バラバラ死体……いやいや、『化けの皮』とか。枝葉が、ゴッソリと吹き飛んだ樹木とか。『花房』だった真っ赤なビーズの破片が相当数、渡り廊下の壁にめり込んでいたりとか。
それに、《自爆魔法》を構成していた《火》のエーテル成分が、あちこちに飛び散った真っ赤な血痕よろしく、ベッタリと張り付いている。
――『魔法感覚』で眺めると、何とも凄まじい光景だ。
後で片付けたり掃除したりするにしても、機密保持をよく心得た、口の堅いプロフェッショナルな清掃スタッフを頼まないと大変かも。
わたしは身体の疲れを休めるため、いったん、先生たちの指示通り、病室のベッドの方で横になった。
急にクリアな『魔法感覚』が戻って来たせいで、目が回っている。久し振り(?)に大容量エーテルが通過して行ったがゆえの反動なのか、身体を動かすのも辛いんだよね。体内エーテル循環は正常だから、今は『魔法感覚』を調整しつつ、様子見という訳。
研究室の方では、ディーター先生とフィリス先生、それにバーディー師匠とアシュリー師匠が頭を突き合わせて、『呪いの拘束バンド』の解析を続けている。
安全のため、『呪いの拘束バンド』は、爆発物対応の透明ボックスに厳重に収められている所だ。それも、高度な魔法加工が付いているボックスだ。
まだ興奮が収まらない状態のジントとメルちゃんが、早速、わたしが横になっている病室にやって来た。そして、口々に、手術の間に何が起きていたのかを喋り出した。
わお。ジントとメルちゃんって、こんな声してたんだ。クリアになった分だけ、『人類の耳』で聞いていた時とは少し印象が違うけど、溌溂としていて元気な声だね。
ちなみに、わたしの声は、まだ回復していない。相変わらず、しゃがれ声だ。
今まで長い間、ギュウッとツボが圧迫されていて喉全体が変形していたから、慢性的な肩凝りと同じように、喉の筋肉とかが元の形に戻るのに時間が掛かるんだって。
閑話休題。
――ジントとメルちゃんの目撃談を、ひととおりまとめてみると、以下のような感じだ。
わたしは、最高位の《水の盾》を発動していたと言う。素人目にも分かるような、何処までも深いラピスラズリ色の《水の盾》だ。
それが全身を覆った瞬間、アシュリー師匠の指示に応じて、フィリス先生が『魔法の杖』を振った。
他者データを移植した人工皮膚『化けの皮』でもって、拘束バンドのターゲット識別機能を騙したのだ。
フィリス先生の『魔法の杖』が記憶していた他者データが、たまたま『火のチャンス』だった。
必然として。『呪いの拘束バンド』は、今くっ付いている人物は、ターゲットとは全く別の人物であると判断したらしい。うなじの方から緩んで行って、半円形に近いまでに変形した――取り外せる状態になった。
急に『火のチャンス』が出現したから、ジントとメルちゃんも、ビックリしたと言う。
だけど、バーディー師匠とアシュリー師匠とディーター先生が一緒になって、魔法の力で『拘束バンド』を外そうとしたので、『拘束バンド』が、『これは不自然な状態だ』と自動判断したらしいんだよね。
かくして『拘束バンド』が抵抗した。内側に棘を伸ばして、再び頭部を抱え込んで、棘をグサグサと突き刺して固着すると共に、回転ドリルでもって、人工皮膚を攻撃し始めた。
見るからに、凄まじい光景だったらしい。
バーディー師匠が咄嗟に気付いて、《水の盾》で出来た人工皮膚の厚みを調整してくれなかったら、わたしの頭部は危なかったみたいだ。
それは、『火のチャンス』の姿をした『化けの皮』ではあったんだけど――
チャンスさんの頭部は、棘にグサグサに刺されて、凄まじく変形しまくったと言う。
変な風に凹んだり、そこへ新しい《水の盾》成分が供給されて、プウッと膨張したり、そこを回転ドリルの圧力にやられて、シュウッと縮んだり……まるで風船が、あちこちからギュウッと押されて、メチャクチャに変形しているように見えたと言う。
――それはスゴイ。まさに妖怪変化だったに違いない。
でも、最高位の《水の盾》は、その回転ドリル攻撃に耐え切った。遂に、『呪いの拘束バンド』の圧力を押し返した。ジントとメルちゃんも、最高位の《水の盾》というものの、強靭な防衛力を、シミジミと実感したと言う。
バーディー師匠が《水》エーテルの流れを調整して、上方へと引き上げると、チャンスさんの頭部が、飴か何かのように、グイーンと細長く引き延ばされた。同時に拘束バンドも、わたしの頭部から完全に離れて行った。
なおもチャンスさんの『化けの皮』の頭部を抱え込んだままの拘束バンドが、宙に浮いた形となった。それが『パパッ』と赤く光った瞬間、アシュリー師匠が《自爆魔法》に気付いて、《遮蔽》を合成してくれた。
そして、わたしも耳で察知した通り、魔法事故さながらの大爆発に至ったのだ。『火のチャンス』の姿をした『化けの皮』は、まさにバラバラ死体となって、派手に四散して行った。
爆発そのものが想定以上に強烈だったので、《遮蔽》は吹き飛んでしまったんだけど、それでも、有るのと無いのとでは随分と違うらしい。ジントとメルちゃんは、《遮蔽》にガードされつつ、爆風で転がって行ったと言う訳。
ジントとメルちゃんには、また大変な思いをさせてしまったね。ゴメンナサイ。
*****
程なくして、先生がたによる『呪いの拘束バンド』の解析が一段落した。
ジントとメルちゃんは、さりげなく用事を言い付けられて、病室の外に出されている。
火のチャンスさんの『化けの皮』が、バラバラ死体さながらに派手に四散しているので、それを全部集めて来ると言う仕事だ。
ゾッとするような内容だけど、ジントとメルちゃんは何故か、そんなホラー満載な仕事に熱中し始めた。そういうお年頃って事かも知れない。
フィリス先生の監督のもと、ディーター先生の研究室の前に広がっている緑地の中ほどで、火のチャンスさんの『化けの皮』による『3次元立体のジグソーパズル』が進行している。
ジントとメルちゃんが、せっせと破片を探して拾って来て、頭をひねりながら破片を組み立てていた。『火のチャンス』なカカシは、半分くらい形になっている所だ。
いつものような穏やかな快晴の中で――真昼に近い陽光の下で――こういう、世にも奇妙な光景を見る事になるとは思わなかったよ。
*****
わたしはベッドの上で半身を起こし、バーディー師匠とアシュリー師匠とディーター先生から、説明を受ける事になった。
あの『呪いの拘束バンド』、秘密が色々あっただろうに、随分と早く解析が済んだな……と思ったんだけど。
自爆すると共に、完全な証拠隠滅が掛かるようになっていたらしくて、有望な情報があまり残って無かったそうだ。さすが闇ギルドの製品だ。証拠隠滅に念が入っている。
ただ、分かった事がある。
――『呪いの拘束バンド』と、真っ赤な『花房』付きヘッドドレスとが、一体化した原因。
何と、『仕掛け主』が同一人物なのだそうだ。
ディーター先生が首を振り振り、ボヤいた。
「ああいう類の魔法道具は、稼働スイッチ部分に仕掛け主が《魔法署名》を施す事で、呪いの動作が始まるようになっている。その《魔法署名》は、当然ながら断片しか残って無いんだが――ほぼ、同一人物だ。しかも、非合法の魔法道具の業界で、極めて活動的な人物でもあるらしい」
同席していたバーディー師匠とアシュリー師匠が、思案深げに同意して来た。アシュリー師匠が、続けて口を開いた。
「考えられる可能性は、本気で『サフィール・レヴィア・イージス』を捕縛しようとした人物が居たのでは無いかという事なの。サフィールが混乱して行方不明になった、あの6年前の7日間の件だけど――その真相が、何処かに洩れた。しかも、『闘獣』ルートでの捕縛の可能性を見い出されてしまった。『飼い主』シャンゼリンとの関係が察知できたのであれば、あとの作戦は比較的に容易になるわ」
――何だか、ゾッとする。それって、つまり……
バーディー師匠が大きく息をつき、わたしの不吉な想像に同意して来た。
「その通り。サフィに関する最高機密を手に入れた、良からぬ人物が居る。そいつは、念に念を入れて様々な魔法道具を揃え、準備した。満を持して――かの日、サフィの居る後宮まで乗り込んだのじゃ。つまり、主犯は、後宮に侵入した9人の曲者たちの頭目なんじゃろう。『飼い主』シャンゼリンとの協力関係があった事は確実じゃろうが、何者かは、今のところは不明じゃ」
――わたしが覚えていない、元・サフィールとしての過去。過去というよりは前世。
その中で起きた出来事が、知らぬ間に巡って来て、宿業さながらに、こういう状況を生み出していたと言うのか。
外は快晴なのに、急に、わたしたちの周りだけが暗くなったような気がする――
暫し、白ヒゲを撫でた後、バーディー師匠は厳しい顔になって、空を睨んだ。
「――『花房』付きヘッドドレスは、レオ族のハーレム妻のみが用いる装飾品だが、魔法道具として、非合法な機能を備えていたであろう事は、想像に難くない。下手したら『闘獣』だった頃と同じように自由意志を奪われて、主犯をハーレム主として認識し、なおかつ服従する羽目になっていたかも知れん。闇ギルドの勢力に第一位の《水の盾》を奪われていたら、一大事だった」
ウルフ族なディーター先生とアシュリー師匠は、その恐るべき可能性にまでは、思い至って無かったみたい。サーッと青ざめている。
実際に、そういう非合法な仕掛けを施した、『花房』付きヘッドドレスは実在するそうだ。
足が付かないようにするために、処分品を活用するケースが多い。実際、問題の『花房』付きヘッドドレスは、まさに粗悪品として在庫処分されていた商品を、再利用した物だ。
レオ族のヤクザ男や前科者は、まともな4人の正妻を得る可能性が全く無い。だけど、その魔法道具を使えば、そう言う風にして『奴隷妻』として獲得できる。催眠術の系統だから、効いたとしても、効果は一刻ほどしか続かないそうだけど。数さえあれば、種族に関わらず無制限に、安価に獲得できるので、需要は相応にあると言う。
聞けば聞くほど、ゾッとする話だ。
わたしの実の姉だったシャンゼリンは、わたしの『飼い主』――絶対的支配者でもあった。6年前、ノイローゼから回復したばかりの頃、わたしが混乱して7日間ものあいだ行方不明になったのは、偶然に正式名を思い出した拍子に、シャンゼリンが《召喚》を発動して来たからだと言う。
わたしの『飼い主』として絶対的な影響力を有していたシャンゼリンが、更に『花房』付きヘッドドレスを必要とする筈が無い。
論理的に考えれば、この真っ赤な『花房』付きヘッドドレスを用意したのは、わたしを『奴隷妻』として獲得しようとしていた、謎の人物だ。
その人物は、くだんの『サフィール捕縛作戦』において、シャンゼリンと協力関係にあったのかも知れない。しかし同時に、シャンゼリンを裏切って、『サフィール』を奪おうとしていたのだろうと思える。
わざわざ『花房』付きヘッドドレスを用意した。なおかつ、ただでさえ不良プータローでナンチャッテ色事師な、『火のチャンス』にもバラまいた。多分、男性なのだ。レオ族かどうかは分からないけど。
チャンスさんの言う所によれば、『見境の無いスケベ野郎なレオ族、クマ族、イヌ族、ネコ族、ウサギ族……などなどの男たちにも、大量にバラまいていた』そうだし。
――と言う事は。
「あの『花房』ヘッドドレスをバラまいた人が、その人かも知れない……って事ですよね?」
わたしの、その呟きを、バーディー師匠は否定しなかった。
ディーター先生も、難しい顔で頷いている。アシュリー師匠が眉間を揉みながらも、追加の言葉を付け加えて来た。
「実際に、『サフィール』だったルーリーを捕らえた訳だから、先方には勝算があったんでしょうね。つまり犯人は、ターゲットが此処に来ている事を知っていて、この近くに居るという事よ。新しいハーレム主君を気取っている犯人と顔を合わせる前に、あの『花房』も外れてくれて、本当に良かったわ。犯人を見つけて何とかするまでは、厳重に警戒する必要があるわね」
バーディー師匠が、ちょっと目を見張って、アシュリー師匠を振り返った。
「その『何とかする』という部分に、不吉な予感を感じたがのう?」
「想像は自由ですわよ、バーディー殿」
アシュリー師匠の淡い栗色の目は、スッカリ据わっていた。眉間を揉んでいた手は、今は、手前の空間の中で、穏やかならざる動きをしている。
ディーター先生は――何故か、無言で、ニガワライな顔を強張らせていた。