最初の、かの日の目撃談(後)
――今すぐにでも、世界の果てまで逃げ出す勢いで、逃げ出さなければならない。
そう分かり切っている筈なのに、ジントの足は動かなかった――動けなかった。
金と銀で描かれた転移魔法陣。それを取り巻く白い《風》エーテル光の列柱もまた、凍り付いたかのように動かない。
次の瞬間、金と銀で描かれた転移魔法陣の内側で噴出して来たのは、《水》の青いエーテル光だ。ラピスラズリ色と言うくらいに、息を呑むような――透明なのに何処までも深い青さだ。
そのラピスラズリ色は、良く見ると、高速のスパイラル嵐を構成している。
何処までも深く青いスパイラルは、四大《雷攻撃》と激しく揉み合っていた。スパイラルに巻き込まれた四色の《雷光》は、瞬く間に粉々の破片となり、四色の火花となって飛び散っている。
ラピスラズリ色をしたスパイラルの各所で、金色と銀色のエーテルの炎が、見上げる程の高さの火柱となって燃えていた。
ジントは畏怖の念に打ち震えたまま、その凄まじいまでのエネルギーの奔騰を眺めているしか出来なかった。
これ程に激烈な《四大》エーテル魔法の衝突は、見た事が無い。
――金と銀が、同時に巨大な炎となって燃えているなんて。このエーテル魔法、宇宙すら動かせそうだ。
もし。灰色の宝玉による、精巧な《隠蔽魔法》が無かったら。『茜離宮』の人たち全員が、『何が起きているのか』と仰天して注目していただろう。
見る見るうちに、四大《雷攻撃》が消滅した。ラピスラズリ色をしたスパイラルと、金と銀の火柱が、お互いを焼き尽くすかのように今ひとたび明るく輝き燃えて。そして――不意に雲散霧消する。
金と銀で描かれていた転移魔法陣が――見慣れた《風》エーテルの光を放ちつつ、白く輝き始めた。転移魔法を構成している白いエーテル列柱も、尋常に転移魔法陣を一巡した後、バラけて消えていく。
いつしか――いつの間にか、『人体』らしき、ひとつの立ち姿が出現していた。
――闘獣って、『獣体』スタイルじゃ無かったっけ? でも元は獣人だから、たまに『人体』スタイルでいる時間も、あるのかも知れない。
しかも『完全な人体』だ。『耳』も『尾』も無い――奇妙な姿の、ボサボサ黒髪の、少女だ。
あれが、シャンゼリンの妹分、すなわち子分の、闘獣の『水のルー』か?
ジントは猛ダッシュした。闘獣ならば、毒ゴキに反応する筈。ボンヤリと立っていた少女の目の前に『ババーン』とばかりに、毒ゴキによく似た、大型昆虫を掲げた。
黒髪の奇妙な少女は、確かに『毒ゴキ』に反応した。
驚愕の余り、口をアングリと開けたまま、失神したのだ!
普通の獣人ならば、男、女いずれであっても、たった1匹の毒ゴキだけで、いきなり失神するような事は無い。確かに闘獣だ。
意識を失ってグッタリとのびてしまった少女を、ジントはズルズルと引っ張って行った。天気は快晴。夏の盛り、それも昼日中とあって陽光が強いので、とりあえず、半日陰となっているスペースに置いておく。
少女の手から――『魔法の杖』が、こぼれ落ちた。コソ泥の習慣でもって咄嗟に拾い上げ、小型ペンの大きさに縮めてゲットしておく。
観察してみると、少女がまとっているのは、死刑囚が着用する拘束衣だ。これじゃ、城下町に連れて帰っても、天下の公道に躍り出た凶悪な脱走犯として目立ってしまう。とりあえず、訓練隊士用の紺色マントを、もう1着ばかり頂くか――
ジントは素早く『狼体』に変身し、最寄りの備品倉庫を突撃した。そして、もう1着、《水》の紺色マントを失敬した。
再び、噴水広場に戻って来てみると――少女は目を覚まし、キョトンとした様子で、辺りを見回していた。子狼ジントは思わず、置き石の後ろに身を隠し、様子を窺った。
次の一瞬、灰色の宝玉のエーテルが、切れた――《隠蔽魔法》が停止した!
――局面が一変したのは、いきなりだった。
あの金髪王子が、剣呑な様子で噴水広場に足を踏み入れて来た。不意に出現した少女の存在を察知し、怪しんだのは、目にも明らかだった。
ザッカーやクレドを始めとする、金髪王子の親衛隊は、想像以上に強く、優秀だった――
――既に、残党狩りのタイミングだったのだ!
ジントは焦ったが――もはや後の祭り。
金髪王子は楔型の投げナイフを投げて来た。
よりによって、ジントが隠れていた置き石の、ど真ん中に。
*****
「あん時は、本当に心臓を貫かれて死ぬかと思ったぜ。何なんだよ、あの剛腕は」
ジントは胸に手を当てて、『ハーッ』と息をついた。次いで、灰褐色の頭をガシガシとかき回す。
「投げナイフの刃が、置き石の裏までシッカリ通ったしさ。オレが持ってた『毒ゴキ・モドキ』が一瞬でバタン、キューだったぜ。『毒ゴキ・モドキ』が間に挟まって無きゃ、オレも見付かってたかも知んねぇな」
――な、成る程。あの置き石の裏で、謎の大型昆虫が腹に穴を開けられた状態で死んでた……という奇妙なシチュエーションの件、偶然じゃ無かったんだ。
「で、まぁ、この姉貴がさ、金髪王子の親衛隊に捕まって地下牢に放り込まれた時は、また焦った訳だよ。よりによって、拷問で当たりたくねぇ凶悪リストの上級隊士、『風のクレド』とか『地のドワイト』とか居たしさ。夕食の刻の直前に誰も居なくなるから、その時に姉貴の脱獄作戦やろうと思って、近くで準備してたんだ」
次々に爆弾情報が飛び出して来る物だから――
さすがのディーター先生も、腕組みをしつつ片方の手を顎に当てて、スッカリ無言になっている。フィリス先生も、口をアングリしているところだ。
バーディー師匠とアシュリー師匠は、これまで分かっている事と突き合わせつつ検討中。時折、フムフムと言うように、納得顔になって頷いていた。
「クレドが、姉貴を地下牢から摘まみ出して来たのを見た時は、またギョッとした訳だけど、まぁ、結果的には一安心ってヤツか。で、夕食の刻になって、ソッチの方でもご存知の通り、オレは、怪し気にウロウロしてる所をザッカーやクレドに見つかって、死に物狂いで逃げまくった、と言う訳さ」
最後に「ケッ」という感嘆詞を付け加えて、ジントは話を締めくくったのだった。
*****
遂に、わたしの『魔法の杖』が戻って来た。
ジントが白状した通り――ジントがひそかに拾って、他の魔法道具と一緒に隠し持っていた。
――道理で、あの噴水広場や周辺を幾ら探し回っても、わたしの『魔法の杖』が出て来ない訳だよ。
「いつか説明して、返そうと思ってたんだよ。いつの間にかズルズルと盗んでる形になっちゃったけどさ」
ジントは、すっかり、しょげ返っていた。メルちゃんが、呆れたように目をパチパチしている。
――長くて複雑な話になるだけに、タイミングが難しかったと言うのは、うん、よく分かる。
随分と遠回りになってしまったけれども――
結果から見れば、今が一番のベストタイミングだったのかも知れない。他のタイミングだと、殺人事件があったり、『狼男』が出て来たり、モンスター襲撃だの何だの、それどころじゃ無かったり、色々混乱していたと思う。
「でも、それ変な『魔法の杖』だぜ。オレ一度、それで《パラシュート魔法》を試してみたけどさ、全く反応しねぇの。エーテルで文字や模様を描く方は、普通に反応するけどよ。故障してんじゃねぇのかって、本気で思ってんだけどな」
バーディー師匠が銀白色の冠羽をヒョコヒョコと動かしながら、意味深そうに頷いている。フィリス先生は、わたしの『魔法の杖』を見て、驚きが止まらないと言った顔をしていた。
「それは『戦闘用の魔法の杖』よりも、ずっと『重い』のじゃよ。特に、金と銀のエーテルを扱うには、超重量級の『杖』で無いとな。《宿命図》の心臓部を成す《宝珠》が、なかなか壊れないのも、最も基本的な陰と陽の要素、つまり金と銀のエーテルの間にある強い引力のお蔭じゃ」
わたしは改めて、わたしが最初の日に持っていたと言う『魔法の杖』を、ひっくり返してみた。小型ペンのサイズだった物が、瞬時に標準的なサイズの『魔法の杖』になる。
――見た目は、『魔法使い用の魔法の杖』。指示棒みたいなタイプ。
青みを帯びた色合いは、《水霊相》向けの品だからだろう。
杖の素材は、強化加工を施した人工宝玉。単純な棒状スタイルという事もあって、天然の『宝玉杖』に比べて宝飾品としての価値は落ちるけど、耐衝撃性に富む。
隊士が持っている『戦闘用の魔法の杖』のような、武器としての強さは無いものの、『魔法使い用の魔法の杖』では、これが定番。
今まで持たされていた日常魔法用の『魔法の杖』よりも、遥かに手に馴染む感覚があるから、ビックリだ。この感覚、無意識レベルではあるけど、確かに既視感がある。
ディーター先生とアシュリー師匠が、感慨深げに言葉を交わし合っていた。
「拘束バンドを外すメドが立ったわね、ディーター君」
「色々なタイミングを考慮すると――手術は、翌朝がベストですな」
part.06「深く沈める謎の通い路」了――part.07に続きます
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