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神ニ捧グ

神饌

作者: 安栖 咲

 山奥の小さな村へと続く道に差し掛かったバスは、どこか無機質な女性の声でバス停が近づいたことを知らせた。ぼんやりと窓の外を眺めていた千鶴は、慌てて停車ボタンを押す。がらんとした車内に大きく響いた電子音に、運転手は気だるげにお決まりのセリフを口の中で呟いた。


 プシュゥ、と音がして車体が沈み込むと千鶴は膝にのせていた荷物を持ち上げ、背負いながら跳ぶようにバスから降りる。


「ありがとうございまーす!」


 元気よく声を掛けると、驚いたように振り向いた顔をした運転手が閉じていく扉の奥に見えた。長く座りっぱなしで強張った体を伸ばし、千鶴は大きく息を吸う。久しぶりの山の空気は、やはり気持ちがいい。


ちらと見たバス停は利用する人が少ないのだろう、置かれたベンチは錆びて座面に大きな穴が開いていた。


「うわ、田舎だなあ」


 小さく呟き、千鶴は小道を歩き始めた。まだ二月末、空気は冷え切り、辺りには雪も多く残っていた。それでも天気は快晴であるため、重い荷物を背負って山道を歩いていては村に着くころには汗ばんでいるだろう。


 「あれ、おばーちゃん!」


 村が見えてきたころ、ゆっくりと坂を上ってくる人影を認めて千鶴は大きく手を振った。着物姿の老女は手を振り返し、駆け寄ってきた孫に笑みを浮かべる。


「いらっしゃい、千鶴。一人で大変だったでしょう?」

「うん、久しぶりだし、いつもはお父さんが車出してくれてたから。電車使うとこんなにかかっちゃうんだね」

「お疲れ様。荷物、持つわ」


 提げていた紙袋に手を伸ばし、ちらと見えた中身に幸恵は首を傾げた。


「あら、お酒?」

「あ、うん。お父さんが、おじいちゃんとお母さんにって。おばあちゃんにはお饅頭ね」

「ありがとう、二人とも喜ぶわ。先にお墓参りに行く?」

「あ、村の手前で曲がるんだっけ。じゃあそうしよう。今日中に挨拶していきたいなあ。あと、高校の合格報告も!」


 照れたように笑い、千鶴は墓の方に顔を向けた。左方には木々が植わっており、その向こうにある墓地は見えない。


「ああ、そうね、おめでとう千鶴」

「ありがとー」


 へらり、と笑い千鶴は照れ隠しをするように速足で歩きだした。そんな孫に、幸恵もゆったりとついて歩く。


 墓地に着くころには、西日が差し込み始めていた。橙色に染まった墓石はどれも丁寧に手入れがされており、大切にされていることが伝わる。雨の日でも雪の日でも、必ず誰かが墓参りに、掃除に来るのだ。そのためいつ来てもどこかの墓石の前には瑞々しい花が手向けられている。


「あら、幸恵さん。それと、千鶴ちゃんね?久しぶり。その大荷物、着いたばかりなのにお母さんにご挨拶かしら」

「お久しぶりです、おばさん。どうしても今日中に挨拶したかったから・・・。一度村に行くと、きっと日が沈んじゃうでしょう?」

「そうねえ、まだ日が沈むの早いから。そういえば、聞いたわよ。千鶴ちゃん高校に合格したんですって?おめでとう。春からは華の高校生ね、楽しみね」

「ありがとうおばさん!」


 もう帰るところなのだろう、手ぶらで村の方へと向かう女性と言葉を交わし、千鶴は改めて田舎の情報網に驚く。千鶴が合格報告を祖母にしたのは昨夜のことだ。合格後の手続きも終わったため、早めの春休みに入るからと村に行く旨の電話をしたのだ。


「もうみんな知ってるの?」


千鶴が振り返ると、幸恵は当然とばかりに頷いた。それにげんなりとした表情を作ってみせ、千鶴は幸恵から受け取った酒瓶を供えた。


「おじーちゃん、おかーさん、千鶴です。今日は高校の合格報告に来たんだけど、あたしが二人に報告するよりも先に村の人たちが知っちゃったみたいです。あたし、無事に合格したからね。それからお父さんもお姉ちゃんも元気だよ。二人とも来月にお休み取れたら行くねって言ってた。でもお姉ちゃんんはむずかしいかなー」


 ふう、と息を吐いて顔の前で合わせていた手で耳に触れる。


「まあ、報告はこんなところかな?じゃあ、帰る時にもまた寄ります。じゃあね」


 軽く手を振り、千鶴は祖母を振り返った。すでに合掌を終えていた幸恵は頷き、軽くなった荷物を持ち直して踵をかえす。


「ん、なにあれ」


 ふと辺りを見回した千鶴は、墓地の隅に鎮座する大岩に目をとめた。正月に訪れたときにはなかったはずだ。足を止めた千鶴の視線を追い、幸恵は深いため息を吐く。


「先週、落石があったのよ。幸いお墓は無事だったけれど、最近地震やがけ崩れなんかが多くてね。千鶴、気を付けるのよ」

「はあい」


 返事をして歩き始めながら、千鶴は横目で岩を眺めていた。あんなものが人の上に落ちてきたらひとたまりもないだろうな、と考えながら。



 山は日が沈み始めると暗くなるのがあっという間だ。村へ着くころにはすっかり闇に包まれ、街灯などのない山道は歩きなれない千鶴では恐怖感が伴うものだった。夜闇であることに加え、舗装のされていない道だ。足元に目を凝らしながら進むのは疲労が溜まる。


「電池、どのくらいあったっけ」


 千鶴は背負っているリュックからスマホを取り出すと、バッテリーに余裕があることを確認し、懐中電灯代わりに道を照らし始めた。


「今は便利なものがあるのねえ」


 感心したような幸恵の声に、千鶴は苦笑を浮かべた。


「まあねー。でもここじゃほとんど圏外だから、これぐらいしか使い道ないけど」

「携帯なんて、持っている人の方が少ないものね」

「わあ、田舎。あたしくらいの子だと、持ちたがらない?」

「使えないんじゃ、持っていても仕方がないもの。欲しいなって口では言っていても、買ったところで使えないから」

「ふうん、そんなものかな」


 不思議そうに首を傾げる千鶴に、幸恵は人差し指を立てて見せた。


「明日、村でお祭りがあるの。よかったらいってらっしゃい。きっと子どもたちも多いでしょうから」

「お祭り?わあ、行きたい!」


 毎年盆と正月、年に二度村を訪れている千鶴は、今まで村の祭りに参加したことはなかった。どちらも祭りの時期とはずれてしまっていたため、話に聞いていても参加できたためしはないのだ。

 この村の祭りは大広場で行われることが多く、村人の殆どが参加するような大掛かりなものだ。千鶴が幼いころに一度だけ見た祭りの櫓は、煌びやかで華々しく、辺りには灯りも灯されさぞかし美しいのだろうと思えるものだった。



「おばあちゃん、行ってきます!」


 翌日、千鶴は日が暮れるや否や早々に身支度を終えていた。祭り自体はすでに始まっているらしく、控えめな太鼓が広場から聞こえてくる。


「気を付けて。上着は持った?完全に日が沈むと寒くなるからね」

「はあい。あんまり遅くならないうちに帰ります」


 山道はやはり、暗い。村の中とはいえ、広い道にしか街灯は取り付けられておらず足元が覚束ない。しかし今目指しているのは祭り会場である大広場。提灯らしき灯りがぽつぽつと見え、目的地までは迷うことなくたどり着けそうだ。

 山の向こうへと沈んでいく茜色の夕日は、柔らかな温かみも引き連れていく。いつの間にか駆けるように山道を下っていく千鶴の額にはうっすらと汗がにじんでいた。


「うわあ・・・!」


 広場は端から中央に向けて提灯が吊るされ、闇を淡く照らし出している。広場のふちに沿うように、屋台の類も幾つか並んでおり、食欲をそそるにおいが辺りには漂っている。想像していた以上に人がおり、幸恵の言った通り子どもの姿もちらほらと見える。


「あれ、もしかして村の外から来た人?」


 突然声をかけられ、千鶴はタコ焼きに齧り付いたまま振り向いた。声をかけてきたのは巫女のような衣装を着た、千鶴とそう変わらない年頃の少女だった。化粧を施しているらしく、真っ赤な口紅が白い肌によく映える。

 千鶴は大慌てでほおばったタコ焼きを飲み下し、頷く。


「うん。春休みに入ったから、おばあちゃんの家に遊びに来たの」

「そうなの。あ、じゃあもしかして、私と同い年なのかな?もう春休みってことは、受験が終わったってことだよね?」

「うん、4月から高校生だよ」

「じゃあ、同い年だ。私は山園志織。よろしくね?」

「あ、私、千鶴。中里千鶴」


 差し出された手を握り返しながら、千鶴はほぅと息を吐いた。薄化粧のせいか雰囲気のせいか、志織は幾分年上に見える。丸顔でよく幼く見られる千鶴とは正反対だ。


「中里ってことは、村はずれのお家ね?同い年のお孫さんがいたなんて、知らなかった」

「え、そうなの?この村じゃみんながみんなお互いのこと知ってるんだと思ってた」


 ぶらりと歩き出した志織について歩きながら、千鶴は食べかけだったタコ焼きをまた口に放る。千鶴にしてみれば、村は狭く隣人との仲もいい。高校に合格した知らせがすでに知れていたことを鑑みても、千鶴の存在自体知らなかった、というのは意外だった。


「やだ、千鶴ちゃんたら。確かにここは小さな村だけど、今時そんなになにもかも知ってるわけないじゃない」

「そうなんだ?でも今時ってことは、昔はみんな知ってたってこと?」

「多分ね。昔の方が、やっぱり繋がりは強かっただろうから。そういえば、都会じゃ隣の家の人の顔も知らないって、本当?この前テレビで見たんだけど」


 志織はわずかに声を潜めて尋ねる。その興味津々、といった顔つきが年相応に思え千鶴は小さく笑った。


「ほんと、ほんと。もちろん全員が全員そうってわけじゃないけどね」

「へえ、そうなんだ・・・。なんだか怖いわね」


 眉根を下げる志織は、そんな都会の様子がうまく想像できないのだろう。怖い、という言葉とは違い、その表情はただ不思議そうに首を傾げている。

 たしかに、と苦笑を浮かべる千鶴にしても、隣人を知らないことで危機感を覚えたことなど一度もない。生まれたころからそんな状況であるため、可笑しいと思ったことすらないのだ。


「あ、父さんだわ。ね、千鶴ちゃん。このお祭りって、いままでに来たことあるの?」

「ううん、初めて」

「なら、抽選に参加してみない?このお祭りはね、毎年一人巫女役を選んでいるのよ。今年は参加する女の子が少ないから、もしかしたら千鶴ちゃんが選ばれるかも」


 そっと指で示した方向には大きな鳥居のような門が建っている。鳥居のような、と表現するのは、それが丸みを帯びた鳥居に両開きの扉を付けたようなものだったからだ。その下には、志織が父と呼んだ白髪交じりの男性が立っている。Yシャツに袴を合わせたような服装で、暇そうに佇んでいる。その前には造りのしっかりとした木箱。どうやら志織が指差したのはその木箱のようだった。


「巫女?何をするの?」


 巫女ならばすでに志織がそうだろう、と千鶴は目を丸くする。


「衣装に着替えて、洞窟にお供え物をしに行くの。ほら、あそこの山に」


 促されて視線を向けると、消えそうなほどに細い月を支えるように山が立っていた。あまり高くはなく、これといって特徴のあるものではない。

 ふうん、と頷き千鶴は志織に視線を戻した。巫女服が着られるのなら悪くはないかも、むしろ面白いんじゃないか、と思うと自然と口角が上がっていくのが分かった。


「面白そう、やってみたい!」

「わ、よかったー。じゃあさっそく応募しに行きましょ」


 嬉しそうに笑い、志織は男性のほうへ歩いていく。そのあとに続きながら、ふと千鶴は不思議に思った。この小さな村では抽選率はどの程度なのだろうか。そういえば、志織は“参加する女の子が少ない”と言っていた。女の子の人数そのものが少ない、というわけではなさそうだった。では何故参加人数が少ないのだろう・・・?


「父さん、一人追加よ」


 志織が告げると、男性は頬を緩めた。彼としても人数が少ないことは懸念事項だったようだ。


「そうか。初めまして、村の子ではないよね?志織からは大体の話は聞いたかな」

「あ、はい、なんとなく」


 あいまいに頷く千鶴を見て、男性は志織に向かって片眉をあげた。志織は悪びれた様子はなく肩をすくめて見せた。説明を簡単に終わらせたことは重要な話ではないからだ、とでも言いたげな様子だ。


「じゃあ、参加してもらう前に僕から軽く。この祭りは村の安全を願うためのものなんだ。あの山には昔から月の神様が住んでいてね、この辺りは昔から地震やがけ崩れなんかが多い土地だから、神様に守ってもらっているんだよ。そこで毎年年頃の娘がお願いとお礼を伝えにお供え物を持っていく。それを僕たちは神饌、と呼んでいるんだ」

「しんせん?」


 漢字の変換ができず、千鶴は首を傾げた。


「そう、神饌。神様へのお供え物のことだよ。昔はその神饌は村で選ばれた娘自身だったらしいね。もちろん、今はそんなことはしていないけれど。まあとにかく、神様に1年間村を守ってくれてありがとう、また1年間どうぞよろしくお願いしますって伝えに行く行事だ。どうかな、参加してもらえる?」

「はい、もちろん」


 千鶴は和紙に名前を書き、木箱に入れた。ストン、という空虚な音からは、確かに参加人数の少なさが伺えた。今時、どこへ行っても伝統行事は廃れつつあるようだ。


「ありがとう。実は、もう開封の時間なんだ。中で抽選をして、そこの看板に張り出すんだ。すぐに終わるから、よかったらここで待っているかい?」

「それがいいわ、千鶴ちゃん。巫女に選ばれなかったとしても、ここにいれば巫女を見学できるし」

「んー、そうだね、そうしようかな」


 千鶴は逡巡の後に頷き、建物内へ入る二人を見届けた。近くの柱へ凭れて空を見上げると、くっきりと星々が見えた。都会では一度も見たことがないほどたくさんの星だ。今夜は新月らしく、どこを向いても月は見当たらない。暗いのは街灯がないからだとばかり思っていたが、どうやら月明かりがないことも一因だったらしい。

 先ほど志織の父が指さしていた看板の傍には千鶴とそう変わらない年頃の少女が数人集まっている。おそらくは千鶴と同じく抽選の結果を見に来たのだろう。そこに一人の少女が走り寄って行った。


「ねえ、もう決まった?」

「ううん、まだ」


 友人の返答を聞くと走ってきた少女は安堵したように肩を落とした。随分と急いできた様子だ。千鶴は少女らに興味をひかれ、そちらにそっと耳を澄ませた。


「なんかさ、もし巫女に決まったら辞退しろって言われてさ」

「え、なんで?誰に?」

「わかんない。でもおじいちゃんが行くなって」

「あ、それあたしもおばあちゃんに言われた。でもお母さんはどうせいつもの迷信でしょって」


 不思議そうに話す少女たちに、千鶴は先ほどまでの会話を思い出して納得した。年配者は何か迷信を信じていて、それを子どもたちに伝えているのだ。だから今年は巫女に応募する人数が少ないのだろう


「お待たせ、千鶴ちゃん。今から貼りだすからおいで」


 志織に呼ばれ、千鶴は慌てて視線を逸らした。そして丸めた紙を持った志織に足早についていった。


「ねえ、誰になったの?」

「さあ、私もまだ結果は見てないの」


 看板には大きな手書きのポスターが一枚、今日の祭りについての知らせを張り出していた。そのとなりに志織は持っていた紙を貼る。そこには達筆な文字で何か書かれているが、生憎と達筆すぎて千鶴には何が書いてあるか判然としない。辛うじて「祭り」や「女」といった文字が読み取れるだけだ。しかし、その横に大きく書かれた文字は整ったきれいな字で千鶴にもはっきりと読むことができた。「中里千鶴」と、紙にはそう書いてあったのだ。

 周囲にいた数人が同じように看板を見上げては初めて目にした名前に戸惑いの声を上げていた。


「あ、千鶴ちゃんが選ばれたのね。おめでとう!」

「ありがと・・・」


 祝福の声に向けられた複数の視線に、千鶴は顔を伏せる。よそ者の自分が選ばれてもよかったのだろうか、という思いが過ぎる。しかしそんな胸中に気付いた様子もなく、志織は手を引いて揚々とき出す。


「さあさあ、着替えないとね。ちょっとお化粧もするから、時間がかかるわ」

「あ、うん!」


 咄嗟に返事をしたものの、千鶴は今までに一度も化粧をしたことがない。志織の淡く施された化粧を見て羞恥と期待が浮かぶ。




「はい、これ着てみてね。サイズ合わなかったら取り換えるね」


 手渡された衣装を見て千鶴は目を丸くした。それが巫女服ではなく、ドレスのようなものだったからだ。巫女というからには志織のような巫女服を着るのだと勝手に思っていたが、実際に渡されたのはアイボリーのベアトップワンピースだ。胸の真下で金の刺繍が入ったリボンを結ぶようになっており、大きくふわりと広がる裾がかわいらしい。

 背中からは細やかな刺繍の入ったレースがマントのような形で長く伸びていて、まるでバージンロードに引きずって歩くウェディングベールのようだ。


「・・・かわいい」


 ぽつりと呟き、ドレスを着てみる。どうやらサイズはぴったりのようだ。一歩歩くと空気を孕んで広がった。いわゆるフィッシュテールの形で、前は膝辺り、後ろはふくらはぎの辺りまでの長さがあるドレスだが、軽くて動きやすい。


「どうかな、志織ちゃん」


 照れながらもくるりと回ると、志織は小さく手を叩いた。


「可愛い!よく似合ってるわ。丈はぴったりね、良かった。さ、こっちに来て。髪のセットとお化粧しちゃいましょ」

「お、お願いします」


 促され、鏡台の前に座る。緊張でうっすらと頬が赤らんでいた。志織はそのことに気付くと小さく笑みを浮かべ、さっそく髪を梳きはじめた。持ち上げられた毛先が項を掠めてくすぐる。

 見る間に髪は纏まり、肩までの長さだった髪は編み込まれて一見長い髪を纏めているようにも見えた。所々に散りばめられた真珠のような飾りが可愛らしい。


「うわあ、すごい!志織ちゃん器用だねー!」

「ふふ、もっと髪が長かったら凝った髪型にもできるんだけどね」


 残念そうに答えながらも、志織は手早く化粧道具を用意する。一般的なものではなく、古くから使われているような白粉や頬紅などを使うようだ。

 気恥ずかしさから千鶴は鏡から目を逸らし、慣れた手つきで動く志織の指先に注目していた。


「少し、上を向いて」


 出された指示に従うと目元に紅が引かれた。鼻先を掠める白粉が、紅が、古くから使われている顔料の香りを伝え、気持ちが引き締まっていくようだった。

 最後に雫型の石を額に垂らし、志織は一歩下がって千鶴を見つめた。落ちた沈黙が少し息苦しい。


「はい、出来た。ほら、見てみて」


 満足そうな笑みを浮かべた志織が脇に寄り、そっと鏡を目で示す。それにつられて正面を見ると、控えめに化粧を施された自分の顔が映っていた。いつもよりも白く繊細に見える肌、赤く彩られた艶やかな唇、淡く色づいた頬は柔らかで、細く紅が引かれた目元は大人びて見える。


「わ、私じゃないみたい」


 鏡に映った少女は頬を赤らめて顔を俯かせる。視界に映るその様子がそれでもやはり鏡に映っているのは自分自身なのだと、如実に伝わり頬の熱を増加させる。


「とっても綺麗よ、千鶴ちゃん。それじゃ、行きましょうか。貴重品は着替え終わった後に返すから、忘れないで声をかけてね」

「はあい」


 前を歩く志織についていきながら、高鳴る胸元をそっと抑える。――初めての化粧は思ったよりも不釣り合いではなかった。そういえば、高校生にもなればみんな化粧を始めるとお姉ちゃんが言っていた。後で志織ちゃんに教えてもらおうか。そうだ、写真も撮ってもらおう。お姉ちゃんもお父さんも、きっと驚くから。

 ワクワクと今後のことを考えていると、志織が突然立ち止まった。その背にぶつからないように慌てて立ち止まると、志織の頭越しに彼女の父の姿が見えた。玄関に屈みこみ、何かしている。


「ありがとう、父さん。千鶴ちゃん、靴を履いてみて。サイズ、どっちの方が合うかしら」


 玄関に目を落とすと、長いリボンのついたサンダルが二足置かれていた。デザインはどちらも同じようだ。


「あ、こっちかな。ありがとうございます、用意してくれて」


 志織にリボンを結んでもらいながら顔をあげると、志織の父は笑みを浮かべてそっと頭を振った。


「いや、これが僕たちの仕事だからね。祭りに参加してもらってるんだから、僕たちこそお礼を言わなきゃね」

「そうよ、無事に神饌を持っていけそうで、安心しているの。今年は巫女が決まるかどうかも怪しいくらいだったし」

「応募してくれた子が少ないって、言ってたもんね」


 途端に苦笑が漏れた親子を見るに、本当に困っていたのだろう。多少なりとも役に立てて良かった、と千鶴は胸を撫で下ろした。


「最後に、これを被ってね」


 差し出されたのは飾り気のない薄布だ。それを頭に乗せ、志織は千鶴の顔を布で覆ってしまう。生地が薄いために特に不便さは感じないが、視界が覆われているという事実が心細く感じさせる。


「これはね、道中危険がありませんようにって姿を隠すための布だそうだよ」

「山まではちゃんと私がついていくから、心配しないでね」


 にこりと笑った志織に安堵し、千鶴はそっと頭を下げた。


「いってきます」

「うん、行ってらっしゃい。二人とも、気を付けてね」


 見送る声に返事をして歩きはじめると、志織が背中のベールを持ち上げて歩いた。そうするとますます花嫁のような気分だ。

 玄関から出ると、その両脇に幾人かが提灯を持って立っていた。大きく感覚をあけてぽつりぽつりと繋がるそれは、ずいぶん遠くまで続いているようだった。


「すごいでしょ?これ、山のふもとまで続いてるの。昔は村人総出でこの列を作ったんだって」


 背後からの説明に感心しながらも、千鶴はこの状況にすっかり緊張していた。応募人数が少ない、という話から大して目立たずに終わるだろうと思っていた巫女役だが、知らない顔がずらりと並んでいる。まるで卒業式の時に在校生と保護者がつくったアーチをくぐったときのようだ。


 山に近づくにつれ、村人の数は減り、年齢が高くなっていった。年嵩の者たちは暗く沈んだ表情をしていることが多く、ぼそぼそと隣同士で話し込んでいるものもいた。

 列がすっかり後方になると、志織は大きくため息を吐いた。ベールが引っ張られる感覚があり、その後手が離されて志織が横に並んだ。振り向くと、ベールは地面に着かないように軽く結ばれている。


「いいの?」

「いいの、いいの。それよりも、ごめんね?お年寄りたち、感じ悪かったでしょ」


 すまなそうに謝る志織は、それを気にして先ほどため息を吐いたのだろう。寄せた眉根に皺が寄り、あとが残ってしまいそうだ。


「そんな、別に志織ちゃんが謝ることじゃないよ。・・・ねえ、なにか、あったの?」


 村の事情に首を突っ込んでもいいものか。悩みはしたが自分は当事者を名乗ってもいいだろう、と千鶴は割り切る。


「さあ、よくわからないの。今まではこんなことなかったのに、今年はなんでかピリピリしてて。理由を聞いても、教えてもらえなかったの」

「ふうん。なんでだろうね」


 ね、と共感して疑問を切り上げ、志織は足元の不確かな山道を案内し始めた。木々が生い茂っているため、志織の持つ懐中電灯がなくては何も見えないほどだ。


「千鶴ちゃん、この水を一口、飲んでもらえる?」

「うん」


 指示された通り、岩の隙間から小さな滝のようになっている水を両手で掬い、飲み干す。凍りそうに冷たい水が喉を通り、爽快感よりも冷たさが体を満たす。


「これは禊なの。本来は洞窟の中に籠ってやるんだけど、何年も前に落石で入り口が塞がっちゃったんだって。だから今はこうして簡易的に済ませているの。昔は湖に浸かって禊をしたらしいわ」

「え、こんなに冷たいのに?うわあ、大変だね。なくなってよかったかも」


 この季節に冷たい湖に浸かることを想像し、ぶるりと背筋を震わせる。そんな千鶴に共感するように頷き、しかし志織は人差し指を立てて見せた。


「でも、その洞窟ってすっごく綺麗だったんだって。今も残ってたら絶対観光名所になってるはずだって、おじいちゃんが言ってた」

「へえ、ちょっと見てみたかったなあ。あ、さすがに水に浸かるのは嫌だけど!」


 そうして村のことについて教わったり、都会のことを話したりと歩を進めていると、気が付けば前方に洞穴の入り口が見えていた。


「さあ、先へ」


 促された先は完全な闇。入り口の大きさは千鶴の身長とさほど変わらないが、先が見えないがために大きく見える。まるで、大きな生き物が口をぽっかりとあけているかのようだ。


「うん」


 しっかりと頷いて、顔を覆っていた薄布を志織に渡した。その後の手順については、すでに聞いている。洞穴の奥にあるという祭壇に、村から持ってきた神饌を供えるだけだ。志織は先に村に帰ってしまうが、帰り道は志織が目印をつけていくらしい。大した距離もないため、そう迷うこともないだろう。


「中は真っ暗だから、足元気を付けてね。私は村の入り口で待ってる」

「うん、ありがと。行ってくるね」


 軽く手を振り、洞穴に足を踏み入れる。数歩進むと右も左もわからない程の暗闇に埋もれ、思わず壁を探ってしまう。ひやりとした壁はあまり凹凸がなく、これなら手をついたまま進んでも問題はなさそうだ。

 背後で立ち去る足音を聞きながら、一歩一歩地面を踏みしめる。


「うう、寒いよー」


 と、そのときかすかな振動を感じ、千鶴は足を止めた。


「いけない、スマホ持ってきちゃった」


 呟いてスカートをたくし上げ、習慣的に中に履いていたショートパンツの尻ポケットからスマホを取り出す。制服を着ているときは常にショートパンツを履いており、そのポケットに入れたままにしているのだ。スカートをあまり好まないがための苦肉の策であり、今回も癖でいつものようにしてしまっていた。

 まああまり問題はないだろうと画面を見る。どうやら姉からのメッセージが届いたことを知らせる振動だったようだ。


『さっきおばあちゃに電話したんだけど、まだ帰ってないんだって?お祭りが楽しいのはわかるけど、おばあちゃに心配してるから早めに帰りなさいね』


 時間を見ると、確かにそろそろ帰った方がいいような時間だった。早く終わらせて帰ろう、と千鶴はスマホで足元を照らして歩き出す。と、ふと違和感を覚え再び画面に目を向けた。ここは山の中、さらに言えば洞穴の中だ。思った通り、圏外の文字が映しだされている。


「・・・一瞬だけ、電波入ったのかな」


 そうとしか考えられない。いや、そうでなければおかしいと、そう思うことにし、足早に進む。足元が見える分、先ほどとは段違いに早く進める。さらには恐怖が、早まる心臓が足を速めてもいた。大丈夫、祭壇なんて、もうすぐだ。と、自分を鼓舞するように強く手を握った。





――そして。


 少女は突然歩みを止めた。何かを聞いたのではない。何故なら自身の鼓動で足音すらかき消されてしまう程だったのだから。何かを感じたのでもない。何故なら少女は寒さに凍えて感覚などとうに麻痺していたのだから。

 少女は、光に照らされた巨大な足を見たのだった。自身の頭ほどもありそうな大きな足。ごわついた毛は薄汚く、元が何色だったのかわからない。毛に絡みついているものは何だろうか。黄ばんだそれは、何かの骨のように見える。では、何の?骨についての知識など皆無に等しい彼女には、それがどれほどの大きさの生き物のものかすらも判然としない。


 ゆっくりと、震える光が徐々に持ち上がる。腕。黒く、濡れて光っている鼻先。よく見ると小さく動いていて、呼吸をしているのが分かる。そういえば少し前から感じていた生臭い臭いは、コレが原因か。

 そして奥に見える大きな牙。黄ばんで、涎にまみれていて汚らしい。目。閉じている。眠っているのだ。どうか、どうか、そのままで。ゴクリと唾を飲み、思わず一歩下がる。

 耳が、大きな耳がピクリと動いた。息を詰める。グルリ、と耳がこちらを向いた。だめだ、そのまま。起きないで、お願い。


 そっと腕を下す。指先を動かして、灯りを消した。暗闇に包まれる。途端に恐怖に襲われ、どっと冷や汗がにじみだしてきた。しかし暗闇の方が見つかる危険は低いはずだ。空いている手で壁を探り、そっと後ずさり始めた。


――グルル、と腹に響くような音がした。何、この音は。闇の中で目を凝らす。何かが動くような気配がした。腹の虫がなった音だ。きっと、少女の香りを嗅いで食欲をそそられ、目が覚めたのだろう。

 顔を上げると、目線の倍程の高さに赤く光る一対の瞳があった。


「あ、あぁ・・・」


 小さく呻き、少女はその場にへたり込んだ。逃げる気力など、失せてしまった。自分は死ぬのだ、と確かな現実味が感じられた。


 力の抜けた手から、スマホが落ちた。ボタンがどこかに当たったのだろう、画面が光り、反射的にそちらを見た。照らされた先には、獣の大きな足。いや、それだけではない。何か、木でできたものが。あれは、きっと――


「祭壇・・・。なに、それ。結局、私自身が、しん、せん・・・」


 熱い息が、生臭い息が眼前に感じられた。ああ、もう、終わりだと、少女は絶望に満ちた笑みを浮かべた。何にも触れられなかったスマホは、ふいにその光を消し、辺りはまた暗闇に包まれた。



「・・・・あああああああああああっ!!」




 恐怖と激痛にまみれた少女の断末魔は、ただ一人の耳にも届くことはなかった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] まさかのバッドエンドで想像していた展開と違いワクワクしながら読むことが出来ました! [気になる点] 山の中で水を飲むシーンですが志織と千鶴が逆になってるんじゃないかなと思いました。(自分の…
2018/02/06 18:59 退会済み
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