第二話 「深夜の戦場」
<備考>
田中
・政府組織ガーディアンの実働部隊を統率する現場のトップで、通称は中年管理職。
物腰が柔らかく押しの弱い性格で、他と比べて反発してこない速水に率先して仕事を回してくる。
「まったく田中の奴め、弱腰で物を言いながら我をこき使いおって。帰ったら菓子を倍請求してやるぞ」
中年の管理職から告げられた仕事内容を反芻しながら不機嫌そうにズンズンと歩いていく少女、幻神ヴァルトの愚痴を適度に聞き流しながら速水雄士はその後に続く。
既に日が沈んだ夜という事もあり、傍から見れば聞き分けのない子供をあやしながら家路を急ぐ兄妹のようにも見える両者だが、実際の関係性も似たようなものなので、問題はないだろう。
但し、現在の時間帯と人の気配のない方角へと進んでいく姿を見咎められる可能性は十分にあった。
それを承知した上で両者に周囲に対する意識が薄いのは、政府主導の機関である"ガーディアン"の活動に先立って、対象となる区画の人払いが既に完了しているからに他ならない。
余計なクレームを抱えては責任問題になりかねないからという現実的な面から、その点は普段から徹底されていることである。
逆に言えば、これから向かう先ではほぼ間違いなく荒事になると、太鼓判を押されているようなものだ。
戦いの舞台は既に整えられている。
そのことを自覚している速水の口から紡がれたのは、少女の軽口に対する真摯にして辛辣な返答であった。
「日頃の自堕落な態度が無ければ同調してやっても良かったがな」
思い浮かべているのは当然、自室に篭って菓子を貪りながらゲーム三昧の日々を過ごす少女の日常である。
ろくに部屋の片づけをしない有様を直に見ている者であれば、顎で使う程度の態度は許されて然るべきだと思うのは自然のことだ。
無論のこと、言われている当の本人が素直に納得する筈も無い。
「……どいつもこいつも、我を甘く見ているのではないか?」
「むしろお前の自己評価の高さの方が俺には意外だ」
あくまでも自分の行為を棚に上げて語る少女の姿は、自らを"やれば出来る子"だと思っていることを示している。
それに対して周囲は"そもそもやる気のない子"と認識しているのだがら、結論が噛み合う筈も無い。
結局のところ、速水にしてみれば少女の肩を持つ理由が思いつかないと言うのが本音であった。
故に、その口から紡がれる言葉には一切の躊躇が存在しないのである。
「減らず口をっ……!」
「この辺りか、"調律体"が出現したと言うのは」
「聞け話を!」
まともに取り合わずに足を止めた速水は、前方にそびえ立つ建物を視界に捉えた。
住宅街の中心地、日中であれば大小問わず人が入り浸って喧騒が鳴り響く建物が、深夜という事もあって不気味なオブジェの様にそびえ立っている。
中年管理職こと田中から敵である"調律体"の出現ポイントとして指定されたのは、学校だった。
何故その場所なのか、またどのように特定したのかを2人は聞かされておらず、そもそも彼らにとって特に興味のある話でもない。
その理由は、速水の告げたたった一言によって証明された。
「仕事が先だ」
依頼とはすなわち、調律体の撃破にある。
それは狙われる対象である少女にとっても、政府組織に属する戦闘員としての側面を持つ速水にとっても、その目的の優先度は高い。
「ぐぬぬ……えぇい仕方あるまい。このまま奴らを放置すれば、我とて無事では済まぬのだ」
「それでお前たちだけが居なくなってくれるなら、ガーディアンとしては大助かりなんだそうだが」
力を取り戻していない少女がこの場所にわざわざ足を運んでいるのは悪手だと思われるが、速水が撃破した際に敵の力を頂いて回復を図ろうという、浅ましい考えによるものだと当人が言えば、特に反対する理由は挙がらなかった。
その辺りは、幻神が消失すれば大局的に見て"争いの火種が消えた"程度の認識に納まると言うのが、現場を統括する上長の最終判断だということである。
それを聞いた当初こそ露骨に嫌そうな表情を浮かべていた速水だったが、今となっては"まぁそんなものだろう"という諦めの混じった境地へと至っており、殊更話題にするようなことも無くなっていた。
その結果辿り着いたいつも通りの無表情で、彼は目的地を眺めながら如何にして仕事に挑むか、ただその一点のみに思考を巡らせているのである。
「連中に目を付けられては、我の力を借りるでもしない限り対処出来ぬぞ。よもや一般人を見捨てるような行動はすまい?」
「公務員は国民のために身命を賭して働くものらしいからな。そうやって全滅した場合に誰が代わりをするのかは知らんが」
その言葉には、暗に自分自身も使い捨ての駒であることを自覚しているという意味合いも含まれていた。
そしてそれは、望むものをただ与えられ続けて飼い殺されている少女にとっても、同様の認識である。
神さえも利用して見せる人間の恐ろしさの氷山の一角に対する感想は、恐怖以上に呆れ返っているというのが、両者の正直な感想だった。
「……まぁ、批判だけ口にしておれば気も晴れるのだろうよ」
「……神様に言われちゃ、納得するしかないかもな」
肩を竦めてため息を零す両者。
その瞳が、気を引き締め直した精神の在り方を現すかのように鋭さを増した。
「で、建物の中か?」
「そのようだ。しかし顕現したてでまだ力を確保しておらんのだろう、ここから位置を割り出すことは難しそうだ」
幻神、そして虚神が地上で力を失っているように、同じ神性を持ち合わせている調律体もまた、顕現していきなりその力を振るえる訳では無い。
神が信仰を集めて力を得ると同じように、調律体もまた何らかの方法で力を集めなければ、神に対抗することが出来ないのである。
だからこそ人間にも、神から力の一部を借り受けるだけでこれに対抗できるという面があった。
そして、大体そんな現場に真っ先に放り出されるのが、その力を保有した速水という訳である。
人使いの荒さにはとうに慣れた彼は、気負った様子も無く足を進めて学校の敷地内へと踏み入っていく。
「なら、地道に歩いて探すとするか。迷子になるなよ?」
「子供扱いするなっ、我は神だぞ神!」
日頃のストレスからか、やはり余計な一言を付けずにはいられなかった速水に対して、いつも通りの怒鳴り声で応じながら少女はその後に続くのだった。