月のある夜
深夜が近いにもかかわらず駅の出入口はヒトであふれかえっている。
さきほど電車が緊急停止したのだ。
再開の見込みは立たず、代替輸送もなく、ほかの路線も使えない。
そうして、多くの人間がこの駅で足止めを食らってしまった。
目の前のロータリーも、迎えにきたクルマ・バス・タクシーで大混雑を起こしていた。
ヘッドライトとテールライトでイヤになるぐらいまぶしい。
急ぎの用があるのならば移動手段確保のためにタクシー待ちの行列に加わるところだが、今日のボクの予定は友人宅へ遊びにいくだけなのだ。
――混雑が落ち着くまでどこかで時間をつぶそう。
そう考え、流れに沿うようにしてヒトゴミを進んでいく。
十メートルも歩かないうちに携帯電話がなった。
これから会うことになっている友人からだ。
通話状態にして、今日はいけそうにないことを告げた。
友人はすでに、電車が止まったことを知っていた。
そのうえ、ボクが友人の家から二駅ほど手前の駅に降ろされたことも把握しており、もう迎えまで手配ずみだと言う。
「どこでダレと落ち会うの?」
友人に問うと、
「ヒトゴミからちょっと抜ければあとは勝手に見つけてくれるよ」
「あ、いまちょうど抜けたけど――」
「んじゃ、待ってるわ」
通話を切られてしまった。
――『んじゃ』って言われてもなぁ。
そのとき、立ち止まったボクの後ろから、ふわりと風が吹き抜けた。
振りかえると、右斜め下からボクを見上げる女の子がいた。
小学校高学年ぐらいだろうか。
水色でたくさんのフリルがあしらわれた短めのベアトップ。
白いローライズのショートパンツ。
がっちりとベルトで足を固めたスポーツタイプのサンダル。
動きやすく露出度の高い格好とボリュームのあるベリーショートの髪型が相まって、活発な印象をかもしだしている。
「……こんばんは」
女の子はボクを見上げて、そっけなくあいさつをした。
声の雰囲気もやはり友人に似ている。
よく見ると輪郭や目付きやに友人に似たものを感じる。
妹なのだろうか。
それより、いったいこんな子を迎えによこしてどうするつもりだろう。
いや、普通に考えれば『近くの駐車場にクルマを止めた運転手が、女の子を使いに出した』が正解だろう。
この子では、クルマの運転どころか自転車の運転すら危うそうに思える。
「ダレかいっしょにきてくれてるのかな?」
女の子は首を振り、
「私だけです」
いまいち状況を飲み込めないボクを気にせず、
「こっち」
女の子はさっさとどこかへ歩き始めた。
どうしようもないため、その後ろをついていくしかなかった。
駅前の通りを道路沿いにまっすぐ進んだ。
ときおりこちらをチラリとうかがい、女の子はボクがついてきているかどうかの確認をしてくる。
しばらくまっすぐ進んでいたが突然、女の子は建物の壁の方へ向きを変え、歩み進めて姿を消した。
そこには、建物と建物のあいだに小道があった。
真っ暗な細い道の先に女の子の後姿が見える。
急いで追っていくと、道のさきには五メートル四方程度の開けた空き地があった。
ここは、いわゆる『旗ざお地』だ。
ボクが来たことを確認して女の子は空き地の中央に立ち、
「じゃ、乗ってください」
ボクに背中を向けて中腰になった。
ボクを背負うとでも言うのだろうか。
冗談か、イタズラか、なにかおかしなことに巻き込まれているのか――
いや、じつは、ものすごく力持ちで、ものすごく足がはやいのかもしれない。
ボクを背負って友人宅に走って連れていってくれるのかもしれない。
ありえないと思いつつも、淡い期待をもって言われるがままに女の子の首にウデを回す。
キャシャな身体に小さな背中、ヒトをおぶえるようなものではなかった。
女の子は、ボクの太ももの後ろに手を回す。
足を支えるかぼそいウデとやわらかな手、あまりにも頼りなげだった。
フッ、と小さく息を吐いて女の子がチカラを込める。
ひざを伸ばす形で一気にボクをもち上げる――ことはできなかった。
ボクのかかとがすこし浮いただけで、体重が前へかかりボクを巻き込むようにして転びそうになる。
――これは無理だな。
自分の足で立とうとしたとき、ボクの胸の下、女の子の背中でなにかがくすぐったくうごめくのを感じた。
瞬間、そこから折りたたまれた大きな翼が生えた。
薄い皮膜と骨でできている真っ黒な翼、コウモリのものによく似ている。
ミシミシと音を立てて翼は左右に広がる。
ボクが両腕を広げてもかなわないほどの大きさだ。
女の子は、広げた翼を軽く動かしバランスをとる。
「――ッ、はぁー……」
大きなため息を吐き出し、女の子はスッキリとした表情へと変わっていた。
いつのまにか、ボクも彼女にきちんと背負われていた。
「離さないでくださいね――」
ググッ、と左右の翼を大きくもち上げ、チカラを溜め、大きくはばたかせる。
アスファルトに風を打ちつけて空高く舞い上がった。
一気に地面が遠くなり、旗ざお地は小さくなり、囲んでいたビルの屋上すらも遥か下方にあった。
下を見ることに耐えられなくなり、空を見上げる。
月が、いままで見たことがないほど大きく近づいてくる。クレーターすらも見分けられるほどだ。
上昇がおさまったとき、女の子がわずかに振りかえった。
ボクに向かってなにかを言っているようだが、ボクの耳には届かなかった。
女の子が前を向きなおると、夜空を勢いよく滑空し始める。