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8話

 

 あれだけいた人だかりはどこへ消えたのか、あの大きな道にはぽつぽつとしか人がいない。それもそうだろう。日はすでに傾いて、辺りは茜色に染まっている。あと数十分もすれば辺りは暗くなり、空には星が瞬くのだから。


 ギルドのアレなんとかさんを見る限り、日本ほど治安がよさそうに見えないこの町。なのにこんな時間に出歩く人間は馬鹿としか思えない。


 さっさと宿へ行こう。ああ、宿へ行きたい。行きたいのだが。

 

「道、迷った……」


 そう呟いた瞬間、ユキちゃんは不安そうな顔で俺を見つめる。俺はユキを抱っこすると、もう一度ギルドの通りへ戻り教えてもらった道を歩く。


 誰だよ迷わず余裕で行けるとか言った奴。アホだろ? 

「道間違えて教わったか?」


 いや、そんなことは無いだろう。てきぱきと対応をしてくれたセリアさんだ。働き始めの子ならともかく、あの人が間違えて教えるとは思えん。


 じゃぁ何だ? 東と西を間違えたとか? ありえないな! ありえない。どこのアホだよ東と西間違えるとか。そんな奴がいるわけがないだろ、そいつ小学生以下? もし成人でそんな奴いるんなら俺の全財産差し出してもかまわないね!


「ふぅ……」


 さあ、もう一度聞いた話を思い出せ。俺は方向音痴などではない、言われたとおり歩くことは出来る。ただ歩きづめで疲れて道を数え間違えただけさ? なぁそうだろう。ほら、セリアさんの言っていた目印が有る。ここを右だろ? そしてここを左に曲がって……ほらぁ!


「……さぁぁぁて、どこだろうなここは?」



 人に道を聞きながらなんとか宿屋に辿り着いたものの、俺がギルドを出てからそこに辿り着いたのは、2時間ぐらい経過した後だった。迷わず行けば10分かからなかっただろうに。


----


 その宿屋の見た目は普通だった。もちろんこの周りの風景から見れば普通と言うものであるが。


 建物の入り口にはセリアさんが言っていた通り、看板に木が三本描かれた絵と『ミラージュフォレスト』という文字が書かれていて、ドアの隙間からは光が漏れていた。


 俺は木でできたドアを押すと、その中へ入る。

「いらっしゃ……あん?」


 そこに現れたのは見たことのある赤髪の女性だった。この身長に釣り上った目。間違いない。町に来た時ぶつかったあの女性だ。


「あ、こんばんわ」


 彼女は一瞬引きつった笑みを浮かべたが、すぐに表情を変えた。凄い。これが、営業スマイル。もちろん俺も営業スマイルならできる。社会人として当然だな。あ、そういえばオイルラッドにはスマイル効かないぞ? 知ってるか?


「はい、こ・ん・ば・ん・わ。本日はどう言った御用件ですか?」

 なにか含みを持たせて彼女は挨拶をしてくれる。とりあえず俺は何事もなかったかのように話を切り出した。


「先ほどギルドで紹介してもらったんですけど、とりあえず……3日ほど宿泊をお願い出来ればと」


「はぁ、お泊りですね……うん?」


 ユキを見つめて、数秒彼女は制止する。ユキに視線を固定したまま百面相をしている彼女だったが、やがて小さく『くぅぅ』と言葉を漏らしていた。彼女は大丈夫だろうか?


 不意に彼女はハッと何かに気が付いたのか、もしくは目が覚めたのか、ぶんぶん首をふると、はっきりと言った。


「当店では動物は遠慮しております!」


 彼女はそう言いきる。するとカウンターの奥、厨房らしきところから一人の男性が出てきた。


「別にいいんじゃねぇか? 問題起こさないように見ててもらえば」


 現れたのは無精ひげを生やした、中肉中背のおじさんだった。


「甘いわよおやっさん。嫌がる人だっているんだから!」

 そう言いながらチラチラとユキを見つめる少女。……彼女も多分ユキちゃんの天使っぷりにやられてしまったのだろう。致し方ない事だ。


「大丈夫だと思うんだけどなぁ……」


 おっさんの方はユキに関して何とも思ってはいないらしい。対して彼女は反対のようだ。

 しかし、だ。彼女の様子を見る限りでは、少し押せばいけるんじゃないだろうか? 別の宿を紹介してもらってそこに行くのもありだが、もう少し諦めないで試してみようじゃないか。


「君は、こんな可愛い子に外で寝ろと言うのか?」


 そう言って俺はユキちゃんを抱えると、俺の顔まで持ち上げる。


(ユキちゃん、弱弱しい声で鳴くんだっ)


「こぉぉぉん」

「うっ……」

 うわぁぁぁぁぁユキちゃんKWAIIIIIIIII。しかも効果は抜群だぞ! 見てみろ彼女を! 罪悪感で押しつぶされそうな表情をしているぞ!


 ただ一つ問題が有るとすれば俺までユキちゃんに陥落してしまいそうなところだわ。まあそれはおいといて。よし、もうひと押し!


(ユキちゃん、もう一度、今度は甘えるような声で鳴くんだ!)


 ユキは目を潤ませると今度は縋りつくような声を出す。

「クォォン」


 ほげぇぇぁぁぁぁぁ、わああああああああああああああああああああ、あばばばばばユキちゃぁぁっぁぁぁぁぁああん。かわいいよきゃわいいよおおおおおおおおおおお! ユキちゃんまじユキちゃん! ってだめだああああああああああああああああ!


 俺は首を大きく振り自分の左足を右足で踏みつける。


 いかんいかんいかんいかんいかんいかんいかん。この少女を陥落させようと思っているのに、先に俺が陥落してしまってどうするんだ! 


 宿屋のおっさんは目を細め、引きつった笑みを浮かべながら俺を見ていた。俺いたって普通の、それも健全な男の子だよ? 薬とかやってないよ? そんな目で見るな。


 そんな俺の様子を彼女は一切気にせず、じっとユキを見つめる。その表情は喜びと悲しみを足して2で割ったような感じだろうか。……いやたとえが悪いな。それ普通の顔じゃね?


 不意に彼女はユキから顔をそらす。

「ま、まぁこの子もここに住むのもいいでしょう。ですがその代わり!」

「……あ、はい」

「人の多い時間帯はしっかり部屋で待機している事! 良いわね!」


 俺はユキちゃんの頭を撫でながら顔を見つめる。

「コン!」


 どうやらユキちゃんは彼女の言葉を理解したようで、頷きながら鳴いた。これでユキちゃんも一緒の部屋で過ごせるというものだ。俺は迫真の演技をしたユキちゃんの頭を撫でると、ユキちゃんは嬉しそうに鳴いた。ユキちゃんマジ大女優!


「あ、あと、その……」

 なぜか俺に目線を合わせず、そっぽを向いた状態で呟くように話しだす。


「あ、はい。なんでしょう?」

「……撫でさせてもらっても良いかしら」


 俯きながら顔を赤くしてそう言う彼女。くっくっく。あまりのユキちゃんの可愛さに陥落したか。いやなに、そうなるのは当然の反応だろう。まぁ撫でるくらいなら許可してやろうじゃないか。


 ユキちゃんに許可を貰うと俺は彼女にユキちゃんを渡した。

「ああ……」


 ふむ、満面の笑みをうかべてユキちゃんを撫でる彼女は、少しだけ可愛――

「……あぁん? 何気持ち悪い目で見てんのよチビ」

 ――あんなヤツ可愛いいわけがないだろう? クソ小娘が。さっさとユキちゃんかえせ。

 



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