3話
あの湖からどれくらい歩いただろうか? 変わり映えのしないこの風景。木々が多い茂り、ゆく手を阻むように草や蔦が巻きつく。俺は進めなくなると白銀の剣を取り出し蔦を切り、道を作ると剣をしまいまた歩みを進める。
先ほどから俺のお腹は頼りない声で独唱し、俺はその度に水を飲みこんでいた。しかし空腹は紛れるなんてことは無く相変わらずである。
ふええ、そろそろ何かを食べないと本格的にまずいよ……。これ以上空腹度が減ったら一歩進むごとにダメージを受けてしまいそうだ。
俺はそう思い辺りを見回す。近くにあるのは良くわからない木と、良くわからない葉っぱども。俺はじっとそれを見つめる。それは傘に出来そうなぐらいの大きさの葉っぱで、明らかに食用には見えない。これは食えるのだろうか? トリカブトみたいに毒を持っていたりしないだろうか? ……止めよう。
と俺が葉っぱを見ていると不意に犬と猫の声が混じったような声が聞こえ、手に持っていた剣を抜く。
俺は剣を強く握りながら、行くか否かで逡巡する。ここで行って良いのだろうか? この声の主が危険な生物だったら? ……いやまてよ。
現時点での俺の戦闘力はどうだろうか? 弱いわけがない、剣のサビにしてくれるわ。今だったらこの剣が有るし、なんとかなるだろう。ここで食料を得なければどのみち野たれ死にそうだ。ならば行ったほうがいい。
しかし動物の解体とか久々だ。初体験は小学生の時だったか。じいちゃんとばあちゃんがやってるのを見た時はトラウマになるかと思ったが、慣れとは凄いものである。鹿や猪なら俺もできる。クマは一度だけ見た事あるから、何とかなるだろう。
草をかき分け、声のする方へ歩く。
俺が木の陰からそっと覗きこむと、そこにいたのは1匹の狐だった。まるで雪のように白く、毎日ブラッシングされていたんじゃないかと思うぐらいの美しい毛、その毛に覆われたモコモコの尻尾。
狐は俺を見つけると、毛を逆立たせこちらを睨みつける。
「クゥゥゥゥゥゥ!」
ふあぁぁ。やべぇ、もっふもふで、もっこもこが超冷たい目でにらんでくるんだけど…………マジKAWAII。
食料に……なんて思っていたがそんな思いははじけ飛んだ。無理である。コイツ殺すとかマジ無理。可愛すぎる……。
とそこで俺はあるものに気が付き、狐の足元を見つめる。白い狐の足元には、まるでゲームでよくある魔法陣のような、幾何学模様が存在していた。その幾何学模様はまるで黒曜石のように黒く、そして鈍い光を放っていた。
「コォォン」
急に狐が鳴き声をあげる。その時、幾何学模様の黒い光が強くなっているように見えた。狐は苦しそうな表情を浮かべながらなお、俺を睨みつける。
俺は苦しんでいる狐を見つめながら剣を握りなおす。そして大きく振りかぶった。
「いま楽にしてやるからな」
俺は狐が目を閉じるのと同時に振りかぶった剣を振り下ろす。
俺の振り下ろした剣は狐、その横の幾何学模様に突きささった。するとそこからバチバチと電気のようなものが発生し、俺は思わず剣から手を離す。
発生していた電気はすぐに消えてしまった。
どういう原理か分からないけれど、あの剣は発生していた電気を吸い込んでしまった。見る限りではそうだ。また不思議な光を放っていた幾何学模様も、電気が消えるのと一緒に光を失う。
狐は呆けた顔で俺を見ていた。先ほどのように苦しそうな表情は無い。
……ヤバい、可愛い。ツンとして威嚇する姿も可愛かったが、今のように状況が理解できずポカンとした顔も最高だ。
俺はその狐から視線を外すと、幾何学模様に突き刺さっていた剣を引き抜き鞘に戻す。そして狐に背を向けると歩き出した。
うん。これ以上あそこに居る意味は無いだろう。あんなモフモフを食べるなんて俺には無理だし、何よりこれ以上関わるつもりもない。
さっさと去ろう。去らなければ悪いことは起こりえる。どう言った事が起こり得るか、それは幾何学模様のあれを破壊したことで怒られることだ。
そう、もしあれが人間が作った、野生動物用の罠だったら? であれば俺は獲物を逃がしたことになる。怒られるだけで済めば良いんだが、そうならないだろう。おこなんてそんな生ぬるいもんじゃねえ、激おこだぞ? カム着火するかもしれない。
弁償しろなんて言われても困るしな。俺に出来ることなんて肉体労働、肉体奉仕ぐらいだ。やってられん。
ならばどうするか? 逃げるが勝ちだ。さあ、今すぐこの場を離れるんだ。
----
狐とお別れしてからどれくらい歩いただろうか。いつの間にか日もくれ始め、ただでさえ少し薄暗かったこの森だが、更に前が見ずらくなっている。
俺は道中に見つけた少し開けた場所に立ちながら枝と葉っぱの隙間から、茜色の空を見つめる。
もうすぐ完全に日は沈み、暗闇が辺りを支配するだろう。
今から安全そうなあの湖に戻ろうにもその前に夜になってしまうし、何より足が限界だ。棒どころか鋼になっている。ここは諦めて野宿せざるを得ない……のだが。
俺はため息をついて近くの倒れていた木に腰掛ける。そして硬くなった足を適当に揉みしだいた。
野宿するには、問題がいくつかある。
まずは火がおこせない。野生動物よけ、体を温める、光の確保、どれもできない。マッチ、ライターがあれば話は別だが、あいにくそれらは四次元ボックスに入っていないようだ。ド田舎出身とはいえ、火を起こすのは流石に何かしら道具が無いと無理だ。火種さえあればなんとか焚き火を作る事は出来るのだが……。
そうなればアレだ。真っ暗闇の中、俺はここに一人居ることになる。物音とかしたらちびりそう。
また、問題はそれだけではない。
ぐぅぅうぅう。
もう何度目だろうか。さっきまでは大きい音をたてていなかったが、今では大合唱している腹。俺は元気が無くなっていると言うのに、腹の虫は元気なようで。
こんな絶望的状況の中での救いは、四次元ボックスに幾つかの布が有ったことだろうか。これで多少の寒さはなんとかしのげる。
俺は四次元ボックスから布を取り出すと体に巻いて、水筒を取り出し一口水を飲む。
ああ、俺はこんな場所でこの布にくるまって一夜を過ごすのか。襲われないかな……大丈夫だよね。
と、そんなことを考えていた時である。不意にガサ、ガサ、ガサと草むらが揺れる音がして、俺は急いで隣に置いてあった剣を手に取った。
俺は音の方に視線を向け立ち上がると、俺に掛けていた布がずり落ちた。俺はその布が動きを阻害しないように、脚で軽く蹴飛ばす。
ガサ、ガサ、そう聞こえる音は明らかに風ではない。俺が歩いている時と同じような音だ。それは何か質量と重さがあるなにかが、草をかき分けて進んでいるような。
俺は息を飲む。
ガサ……ガサ……ガサ……。
だんだんと近づく音を聞きながら俺は剣を抜く。来るのは何だ? 狼? トラ? はたまた俺の見たこともないような怪物? 草食動物ならいいが、一応最悪を覚悟して置いた方がいい。
俺は唾を飲み込むと、目を細め、草むらを睨みつけた。
目の前の草むらから現れたのは、見覚えのある毛玉だった。
「……なんだよ、さっきの狐かよ」
俺はため息をついて剣を鞘にしまう。現れたのは幾何学模様に囚われていた狐だった。その狐は口に何かを咥え、犬のように尻尾を左右に振りながら俺のもとに歩いてくる。
そして俺の目の前にポトンと何かを置き、コンと鳴いた。
狐が置いたものはカブとパイナップルを合わせたようなものだった。カブを大きくしたような形で、表面はパイナップルのように鱗っぽい皮に覆われている。
狐は頭でそのフルーツらしきものを押すともう一度コン、と鳴く。この狐はもしかして俺にこのフルーツをくれると言っているのだろうか?
「お前、これを俺にくれるのか?」
そう聞いてみた。俺の言葉を理解しているのか、そうでないのか分からないけれど、確かにその狐はまたコン、と鳴いた。
俺はそばに寄ってきた狐の頭を撫でると、気持ち良さそうな表情で目を閉じ、ぶんぶん尻尾をふるう。
「お前、可愛すぎだろ……」
しばらく狐を撫でると、俺は今度はフルーツらしき物に視線を向ける。そして手を伸ばしそのフルーツを持ちあげた。
表面は少し硬くて、ナイフでもないと斬る事ができなそうだった。と、そう思った瞬間頭に数本のナイフのイメージが浮かぶ。どうやら四次元ボックスにナイフが入っているようだ。
俺はついでに四次元ボックスからまな板代わりになりそうな黒い木の板を取り出すと、足に乗せてフルーツを真っ二つに切る。するとそこにはみずみずしい黄色の果肉が姿を現し、透明な果汁が木の板を伝い地面にしたたり落ちる。俺は食べやすいように幾つかに分割し皮を取ると、その一つをいつの間にか俺の隣を陣取っていた狐に差し出す。狐は一度俺の顔を見ると、視線をフルーツに戻し口にくわえる。そして美味しそうに食べ始めた。
俺も食べやすい大きさに切った一つを手に取ると、それを口の中に放り込む。
味はパイナップルに近い。日本で食べていたパイナップルより少し酸味が強く、少し柔らかいだろうか。いや一人暮らしを始めて、フルーツなんてほとんど食ってなかった俺だから、しっかり比較できてるのかは分からないが。
「やべぇ、めちゃくちゃうめぇ……!」
ここに来てから初の食事である。一噛みするたびに口の中に広がるこの濃厚な果汁。皮はとても硬かったのに、真逆に柔らかいこの果肉。
俺は食べ終わった狐にもうひとかけら与えると、狐は頭で俺の手を押し返した。
「もう良いのか?」
俺の問いに首肯するかのように首を振りコンと鳴く。こいつは俺の言葉が理解できてるのだろうか。
俺は返されたフルーツを口に入れる。……やっぱりうまい。
フルーツを堪能した俺は使った物を四次元ボックスに片づけると、ふうとため息を吐く。
すると隣にいた狐は片付くのを待っていたのか、足の上に飛び乗ってきた。そして俺の脚の上で横になると、丸くなり大きな欠伸をした。
「マジでコイツ可愛いな。あったけぇし」
この子飼えないだろうか? めちゃくちゃ可愛すぎてヤバい。ペットという概念あるよな此処?
俺は頭を撫でながら狐に話しかける。
「お前は寒くないか? 悪いが俺は火がおこせなくてな、寒かったら布かけるから言ってくれよ?」
まぁさすがに寒いとは言えないだろうが……そもそもしっかり言葉を理解しているとは思……
不意に狐は立ち上がると、自身の周りに不思議な粒子を漂わせる。
「あ、いや、なんですかこれ」
そしてコン、と小さく鳴くと俺の1メートル前ほどにろうそくぐらいの小さな火が出現した。それは少しの間空中に浮いていたが、突然何もなかったかのように掻き消えた。
理解していると思えない…………そう思っていた時期が僕にもありました。
「おま、お前俺の言葉本当に理解してるのか? いやちょっと待て、今火が生まれたよな……!? やベぇよ剣ときて水筒と来て指輪と来て今度は生物か……」
凄いだろうと言わんばかりに俺を見つめる狐。俺は深く息を吐く。そしてとりあえず俺は狐の頭を撫でるとお願いをした。
「なあ、ちょろっと木を集めてくるから火を付けてくれないか?」
狐は任せろと言わんばかりに頷くと、俺の脚からひょいとおり、落ちている木を咥えてこちらに持ってくる。
「言葉を理解しているどころか、気もきいてるし…………今年度の新入社員よりいいんじゃないかこの子」
この例えはあながち間違っていないはずだ。こんな新人いたら動物とポケ○ン大好きなあの部長の顔面が崩壊しそう。多分俺と一緒に溺愛するわ。そんなことを呟きながら俺は狐と一緒に落ちている木々をひろう。もう彼らと会えるかもわからないが。
枝を集めた俺は、枯れ葉を中心に空気が入るよう小さい枝を置く。そして狐に中央の葉っぱに火を付けてもらった。
薪を足しながらこっちに来てから何度もお世話になったこの棒、ゲイ棒ルグも俺は焚き火に入れる。もう十分に役割を果たしてくれたそれは、その身を燃やし光と熱に変わっていく。
俺は布を敷いて横になると、その上に寝転がる。するとのそのそと狐が俺の横まで歩いてきたので、俺は狐の体を抱え、抱き寄せ頭を撫でる。
考える事が多すぎて頭がパンクしそうだった。
そもそもここはどこだろうか。触れてもいない木を簡単に斬ってしまう剣が有って、物を出し入れできる四次元ボックスが有って、火を生み出す狐がいて……。
……そもそもこの狐は何なのだろか? この世界の人間から敵、モンスターと定義されているわけではないよな? それだと俺はこの子とこの森を出るときに別れなければならない。でも正直に言うとこの子には一緒にいてもらいたい。頼りになるし、心の癒しになってくれる。なによりKAWAII。
俺は狐の頭を撫でながら今後を想像する。
もしこいつと一緒に町に行って、こいつが迫害されたら? この狐を見捨てる……とするのが一番の楽で安全でスマートな解決策だろう。だけどもう無理だ。俺は迷わずこいつと一緒に町を出るだろう。確実だ。むしろこんな可愛い奴に暴言を吐いたら、俺はそいつに殴りかかってしまうかもしれない。
ため息が口から洩れる。
俺はいつだってそうだ。ある程度関わってしまうと、どうしても身捨てきれなくなる。目を瞑る事ができなくなってしまう。だから仲の良い知り合いが苦しんでいれば俺も手を差し伸べる、地獄を見ると分かっていても。
そして現に地獄を見た。だからこそ、それから俺はなるべく深く物事に関わらないようにしてきたし、出会いも極力避けた。もちろん人間関係はある程度は構築し、いくらか仲の良い友人も作る。だけど決して多くは作らない。最低限度で良い。
増えれば増えるほど、俺は自分の首を閉めてしまうのだから。
そう、だからこそ本来ならば鼻から関わってはいけないのだ。でももう駄目だ。本来だったらあの幾何学模様に手を下すべきではなかったのかもしれない。
狐耳がピクリピクリと動く。今度は狐の顎を撫でる。狐は気持ち良さそうに目を閉じて、なすがままにされている。
ああああああああああああああ、クッソ。考えすぎてはげそうだ。せっかく戻った髪に、余計なストレスは与えたくない。
俺は規則正しく呼吸する狐を見つめる。そうだな、今日は……寝よう。こんな夜は寝逃げしてリセットだ。