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炎帝の武器

 神谷の攻撃は、非常に厄介であった。密度や、考えなんてあってないようなもので、ただただ魔力を暴力的なまでにぶつけているに過ぎない。だがしかし、故に厄介なのだ。防御に結界を張っても、圧倒的な力を前に、ただの脆い硝子のように割れる。皆で何重に掛け、凌いで一分を過ぎた。

「なんか策は無いのか!?」

 レイスが結界を維持しながら、問う。神谷は構わず魔法を放出し続けて、防戦一方の巡達を嗤っている。

「これは俺の勘違いじゃないと思うが、見てて思ったんだ。奴は、邪神の力に身体が着いていけてない。ツキ、よく見ろ」

 巡は魔力に余裕がないため、結界の内側で神谷を見ていた。神谷は、最初とは違い、咳や発汗が抑えきれていなくなっていたのだ。

「確かに、言われて見れば具合が優れない様子ですね」

 神谷の後ろでは直立不動の炎帝が居た。どうやら、手は出さないらしい。

「その内、奴は動けなくなる。その隙をつこう。それまで頑張ってくれ」

 巡はなにも出来ない事に、激しい歯痒さを感じた。今は、皆の無事と、三人が耐えてくれる事を心から祈るばかりである。


 戦場へと仲間、兵を連れてきたリサは困惑していた。いや、リサだけではなかった。やめてくれ、裏切ったのか、そんな無念と憎悪の言葉だけが耳に入ってきた。

「星月巡殿の従者ですな?」

 突然目の前に現れたのは、男の獣人だった。耳から尻尾まで黒。身軽だが無駄な脂肪はなく、暗殺者だと見受けた。

「そ、そうだ」

 いきなりの戦況の変わりに、少々臆しつつ応える。

「ただいまより、獣国は、親愛なる巡王の指揮下に入る。なんなりと」

 片膝をついた黒の男は、言う。この時を待っていた、と。王国を騙し、兵を一気に減らす為の、作戦だったのだと。

 リサは気分が昂るのを感じ、身体中の皮膚が逆立つのがわかった。

「皆、ご主人の名に恥じぬ働きをするぞ!」

 背後から何十の歓声と、敵の中心で吠える獣人達が、リサの心を更にふるえさせた。

「獣人の皆、ドワーフ、誰一人死ぬことは許さんぞ! 生きて主に尽くすのだ!」

 士気を高める。戦争において、士気は重要である、とリサは経験からわかっていた。

「くそ! 一旦退くぞ!」

 水帝が撤退を促すと、兵士が遁走する。しかし、獣人の走力には敵わない。あまり動けなかったが、優秀な獣人や仲間達がやってくれ、水帝も四天王も、直に戦死するだろう。

 リサは、戦果に満足していた。


 同じくしてツヴァイ軍、エリシア軍も獣人に感謝していた。獣人の数が少なく、兵を殲滅出来なかったが、それでも戦況は圧倒的有利。士気もあった。だが、帝と四天王の名は伊達ではなかった。

 ツヴァイ軍は風帝をなんなく倒したものの、四天王が、エリシア軍は四天王を倒したけれど、光帝がそれぞれ立ちはだかったのだ。

「貴女、王の妻よね」

 エリシアは問う。

 純白のコートを羽織った女性――光帝に。

「質問の意図がよくわかりません」

「だから、あの男の妻でしょ?」

「……そうなの、でしょうか」

 はっきりしない物言いに、エリシアは片眉をあげ、刃のついた弓を仕舞った。

「なにをしているのでしょう。戦いは始まってすらいません」

 近くで断末魔が聞こえた。

「いや、貴女、なんだか戦うのに肯定的じゃなさそうだし」

「なぜ言い切れるんですか。私はあの人に命令をうけたのです。戦わない理由がありません」

「それがおかしいでしょ。一応薬指を見るに、夫婦みたいだけれど、まるで奴隷みたい」

「違います。私とあの人は夫婦なんです。ちゃんと子供も産み、私がお願いしたら、ちゃんと聞いてくれます」

 声に抑揚が無い。既に心はどこかへ行ったのね、とエリシアは小さく同情した。

「例えば、なにを?」

「ご飯をくれたり、娘に会わせてくれたり」

 エリシアが鼻で笑った。

「やっぱおかしいじゃない。そんな夫婦この何百年聞いたことがないわ。王はきっと、貴女を『駒』としか見てないわ」

「冗談はよしてください。なぜ、貴女が言えるのですか」

「そりゃあ他人だからよ。さっきもちらっと言ったけれど、私はこれでも何百年と生きてるエルフ。観察眼なんかとっくに最高峰なの。断言するわ。貴女とあいつは偽りの夫婦よ。私は貴女が苦しみすぎて、もうなにも感じなくなってるだけにしか見えないわ」

「やめて……聞きたくない……!」

 微かに頭が動いた。自分でも疑問を抱いていただろう。

「いえ、言わせなさい。お願いしないとろくに食べさせてくれない、娘に会わせてくれない、自分の身を、心を削って尽くして、なにになるの? 結果、貴女は今どうなってるの? 心はどこに行ったの?」

 言葉は後になるにつれ、早さを増した。

「やめて、やめて……この指輪が夫婦の証なの。私はあの人とサリーとリリーの為に生きていかないと駄目なの……それがお母さんだから……それだけが私に出来ることだから」

 光帝は耳を塞ぐ。地面に座り込み、洗脳を解く言葉を拒絶するように頭を振る。

 エリシアは光帝に近づいた。頭部を覆い隠すフードを剥がすと、薄く汚れた金髪が姿を現した。元は綺麗であっただろうに、今は頭垢が付着しており、不自然なショートカットが脂によって顔に張り付いていた。

「可哀想に、今は酷いけど、前は凄い美人だったんでしょうね」

 顔を確認すると、目は光を無くし充血、痩せこけ、どれだけの扱いだったかは、明白だった。

「……あの人は言いました。この指輪は俺と私を永遠に繋ぐ特別な指輪だと。私は、だから永遠にあの人達の為に動いてないとあの人に叱られてしまうの。あの人は、今も見てる。きっと、不甲斐ない私を怒っている。だから、だから――」

「だったらこんな指輪、壊せばいいでしょ!」

 奪い取ったダイヤの指輪を、エリシアは砕いた。呆然とするも、瞳にやっと光が姿を見せた。

「何してるんですか!? あの人に……あの人に……」

 瞬時に顔が青くなった光帝は、あまりにショックだったのか、気絶してしまった。だが、それは好都合だった。エリシアは静かになって、注目を受けていたのに気づき、気まずそうに「皆、帰るわよ」と声をあげた。光帝を連れて。

 グローリエルの「浮気はやだ」という責める言葉に弁解しつつも。


 唐突に、神谷が吐血した。動きが止まる炎帝が目を細めた。

「なんだよこれ……おい邪神! 聞いてないぞ!」

 天を仰ぐようにして張り上げると、返事とばかりに雨が降り始めた。

 何度か空に「そんなこと聞いてないぞ!」と会話すると、悪態をついて羽を仕舞った。

「炎帝、後は任せたよ。僕は先に離脱する。君も遊び疲れたら帰ってくるといい」

 踵をかえしてからこちらを一瞥すると、悔しそうに顔を歪め、剣を杖にして王国へ足をひきずっていった。雨も丁度あがる。

「これは、チャンスか……?」

 ダイゴンが重々しく口を開いた。

「炎帝だけならまだ勝機はある。魔力は?」

「十が最大だとすると、私は五割でございます」

「七」

「まだまだ。八だ」

「多分六割です!」

 ダイゴンは年長者なだけあり、魔力の扱い、量ともに長けている。ヤミはまだまだだが、ハーフとはいえ、魔王の隠し子は伊達ではないらしい。

「作戦は決まったか。奴は遊んで身を滅ぼしたが、此方はそうはいかん。王の命により、貴様らを殺す」

 バトルアックスを取り出すと、辺りの温度は急上昇し、炎帝の周りが揺らぎ始めた。

 巡は濡れた髪をかきあげる。

 先に動いたのは炎帝だった。爆発的な速度で肉薄する。レイスが戦斧を受け止めると、巡は背後から袈裟斬り。寸での所で避けられるも、そこにはツキが待っている。

 お互いに有効打のない攻防が続く。破ったのは、ダイゴンだった。後方から土を動かし、足を拘束する。炎帝は解こうと必死ながらも、他者を寄せ付けない熱量を纏った。土が焦げていく。

 ツキとヤミに目配せすると、ナイフと黒い光線が放出。直撃、小規模爆発。

 緊張の糸が張られた。

「巡――避けろ!」

 レイスの言葉と同時に、左腕に違和感がした。ツキとヤミが悲鳴をあげる。

 左腕が、無くなっていた。血が滴る。

「ツキ、巡の腕を治癒させろ! 早く!」

「お前らは奴の動きを止めろ!」

 巡は、冷静になっていた。ツキの方に向かい肉片が付いた左肩を見せると、ツキは青い顔をして、全身をガタガタ震わせながら手に緑光を出した。

「ツキ、落ち着いてやってくれ。俺は大丈夫だから」

「あ、あ……巡様の腕が……」

 精神的に不安定だが、なんとか断面は無くなり、見事に左腕が使えなくなった。

「大丈夫でしょうか?」

 ツキが平然と聞いてくるので、あの短時間で精神を持ち直したのか、と感心した。

「血が足りないなら、どうぞ私の血をお好きなだけ!」

「私のも良ければ!」

 二人とも、まだ平常心ではないらしい。

「巡は指示を頼む! 戦闘は俺達に任せろ!」

 叫ぶ。片腕がない自分は、更に役に立たなくなったか、と自らを卑下する。しかし、首を振って状況の判断を急ぐ。

 視線を動かすと炎帝の武器はバトルアックスと一挺の古い銃になっていた。

 銃弾を皆は避けつつ、攻撃する。よく見ると炎帝の脇腹が出血していた。

 炎帝から発せられる熱風が、身体に強く当たる。

 ――昨日風強かったし、案外風邪だったりしてな。

 脳内に、ふとツヴァイの言葉が蘇る。何故今なのかはわからなかったが、そういえば寮の一階の部屋に居たツヴァイだけ、窓が風で揺れていた、と証言していたのだ。

 そこからなにを言ってたかを、巡は違和感無く、考えていた。そうだ、確か『さっきのが嘘だったみたいに風が止んでた』と言っていた筈だ。そして、サリーの傷はなんだった? 銃痕だ。

 心臓が早鐘を打ち始めた。

「お前が……?」

 声が震えた。

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