白
一日では、やはりそこまでの距離を稼げない。わかってはいたことだが、今まで楽をしていた分、歯痒い思いとなる。
「今日はここで夜営しようか」
「ここでですか……?」
ヤミの困惑も尤もであった。ここは、木も何もない平原なのだ。
「逆にだ。二人で見張っていたとしても、あの暗がりと木が多いところを考えると、賊が怖い。奇襲されてみろ。手も出せないかもしれない」
「まぁ、納得は出来るが、ここは帝国に近い。その方面では?」
心配なのも、巡にはわかる。近いといっても、帝国の城からは見えないだろう。炎を焚けば、異変を感じるだろうが、テントを張ったくらいなら目に多量の魔力を溜め、凝らさないと見えない。だが、こちらからは月の恩恵を感じられる。
「大丈夫だろう。まだ三十キロある。出てきても逃げれば良いし、お前ら三人だけでも大抵は対処出来る。嫌なら森に行こう」
「私は巡様に賛成致します」
ヤミはレイスの反応を窺っている。自分も賛成すれば、レイスの意見は出なくなり、強制的に平原で夜営する事になる、とわかっているからだろう。
「……俺も賛成だ。本当、よく周りの事見て考えてるな。改めて感心したよ」
「当たり前です! ご主人様ですから!」
レイスの称賛に、ヤミが目を輝かせ、巡の腕をとり、誇らしげに胸を張った。
「関係ないよなそれ。まぁいい。さっさと飯を済ませて見張りを決めよう」
巡は、折り畳みのテントと、寝袋をボックスから取り出した。
見張りは巡とレイス、ヤミとツキで行う事にして、先にツキとヤミに、寝るよう命令した。レイスも、異存はないようだ。
帝国に発見されるのを危惧し、炎は炊かなかった。しかし、月の光が照してくれる。光量は十分だ。
「レイス、まだミツに告白しないのか?」
聞きながらも、椅子を二つボックスから出し、背中あわせにするように置く。
「いきなりか。そうだな、まだ自信はない」
死角はない。背後にはレイスが居て、心に安心感を生んでくれる。
「早くしろよ。何があるかわからないからな。後悔しないように」
輝かしい星が、いくつも瞬き、星座らしきものをつくる。
「重いな。元全帝も、女には弱いんだよ」
「自分で言うか」
この世界は月が大きい。地球では見れなかったであろう大きさだ。よって、外灯が無くても月があれば暗闇ではない。
「生きる為に最善を尽くし、守る為に必死になったけど、悪い気分じゃなかったな……」
レイスの声色が変わった。
「まさか、グレンさんが裏切るなんて」
「そういえば、なんで炎帝は知ってたんだ?」
「……すまん、俺だ。前日に相談したんだ。詳しい事は言いたくない。でも俺が言わなければ……」
「まぁ良いよ。一瞬で国を滅ぼすなんて面白くない。弱いからこそ出来る事があるのを教えてやる」
封印されてしまったものは仕方ない、と巡は許す。此方にも非はあるので、怒るに怒れないのもあった。
「でも俺さ、巡が弱くなったなんて、信じられないんだよな」
レイスの疑いに、巡はレイスの正面に行って、手を出すように言う。差し出された手を力一杯握ると、レイスは「痛い痛い!」と小さく声を上げた。
「前なら、全力を出すと腕が千切れた位だぞ。今は精々“痛い痛い”で済む。一般人と変わらない握力になった」
「それも恐ろしいけど、俺相手にしようと思ったのがもっと恐ろしい」
「変わってなくて、千切れたなら再生させる。大丈夫だ」
「大丈夫じゃないぞ。流石に俺、怒るからな」
会話に笑いと冗談がまじった辺りで、巡は気になっていた事を切り出す。
「お前は後悔してないか?」
「また急だな」
さっきの空気が残っていて、レイスは冗談を言おうとする。
「これは真剣に答えてくれ。後悔させたままなんてのは嫌なんだ」
声からも、言葉からも冗談や、笑い話ではないと感じ取ったであろうレイスは、暫く考えた。待ち時間は、巡をそわそわさせる。
「後悔がないとは言い切れないよな、やっぱ。いままで尽くしてきたのはなんだったんだろうとか、グレンさんや学園の事とかさ」
背後の声は、不思議と後悔している風にはとれなかった。
「そうか。戻ろうと考えた事は?」
「まだ離れたばかりだ。わからん。でも、今はないな。この先もないんじゃないか?」
「……ありがとう」
「ああ」
それからは喋らず、交代の時間だと二人が来るまで、空と平原を眺めていた。
「今日は帝国からそれて、森の湖で夜営しよう。ひらけてる場所を探すんだ」
歩き始めると、意外にも暗くなる前に着いた。しかし、これから夜の幕が降りる。まだ歩けそうではあるが、余裕を持って休む事にした。いつ敵が現れるかわからないのだ。歩き疲れ、殺されたでは死ぬに死にきれない。
夜営を開く場所を考え、距離や位置を思案する。時には低級の魔物を倒し、食料としてボックスに入れ、賊を殺し土に埋める。
数日繰り返した頃には慣れが生じ、予定よりも早く獣国に到着した。
「もしかして王女を……」
おずおず、右の門番が聞いた。巡が頷き、会釈すると、左の若い門番に一言二言で、門を開いてくれた。
「人間には友好的じゃないのに……」
隣でレイスが驚いている。
「これぞご主人様です。ご主人様がすることは全て良いことに繋がるんですよ。良いですか?」
洗脳めいた事を口走るヤミ。おまけとばかりに手を合わせている。ツキも何故か頷いていた。
「言い過ぎだ。俺は失敗ばかりだろうに」
「分かる気がするけどな。まぁ、さっさと済まそう。やることは山ほどある」
毛むくじゃらや、半人の住民は四人に、好奇の入り混じった目線を向ける。
城に着くと、王自らが出迎えた。王の風貌は、王女であったリルと比べ、どちらかというと猫より、ライオンに似ている。身体中から黒い毛が生えているが、姿は人形である。
「よく来てくれた、出来る限りもてなそう。実は、会ってちゃんと礼を言いたいってリルが聞かなくてな」
豪快に口を開き笑う姿は、王ではなく、娘を愛する父。身形も王とは呼べるものではなく、極普通のシャツと半ズボンだった。
これが王としても、父としても愛されるというのに、王国の王と来れば、と巡は呆れる。
「そういえばあれから一度も来てなかったな……悪いことをした」
「いいんだ。君が気にする事じゃない。本来、私達が出向くべきなのだ」
廊下を進むと、食堂らしき場所に着いた。食堂には、白の耳を生やした綺麗なおっとり系の女性が、ゆったりした、しかし素早く、気品が滲み出ているような動きで料理を運んでいた。
「紹介しよう。彼女は私の妻の『ニーチェ』だ」
「ご紹介与りました、ニーチェ・テランです。リル共々お世話になりまして」
見た目相応に、ゆっくり喋り、語尾がのびたような口調。
「いえ、彼女が帰りたいと言ったので、彼女の意思を尊重しただけで……」
こういう場は、苦手だ。巡は内心うんざりしながらも、相手が好感をもてるよう努める。
「あらあら、まぁまぁ……巡ちゃんはいつも通りで良いのよ?」
「ちゃ、ちゃん……?」
思わず助けを乞うような視線を王に送る。しかし、当たり前らしく、首をひねった。
後ろでレイスの忍び笑いが聞こえた。
「とにかく座ってくれ。腹を満たそうじゃないか」
「娘さん達は……?」
誰も聞かないので巡が聞くと、王はにこやかになり、「もう来る。ほら、音」と入ってきた扉を指差した。
突如、壁にぶつかる程の勢いで開かれた。
入ってきたのは、見間違える程に王女らしいリルだった。スカートの端をつまみ、膝を少し曲げ、片足を斜め後ろの内側へ、背筋もしっかり伸ばされている。
「お久ちゅう……」
沈黙。
たえきれなくなったのか、真っ赤になって廊下へ戻った。
閉まった扉がまた開かれ、赤抜けない顔で再び入ってきた。
「あら、巡じゃない。いらっしゃい」
「空気を読んで、言わないでおこう。久し振り。元気だったか?」
「読んでないわよ。そうね、お陰さまで」
「それはよかった。テラン王――」
「ちょっと待ってくれ」
王が手を挙げ、巡を制止させた。心なしか、凄く楽しみにしていた、という印象を受けた。
何事かと思いながら待っていると、もう一度扉が開かれた。
綺麗な白。白よりも白く、なにものにも染められない白が、圧倒的な存在感を持って入室してきた。
白い耳、髪、肌、ドレス。その中で、目だけが紅かった。この世のなにものよりも美しく、儚い“もの”が、第一王女だと気づくのには、時間を要した。
「お初にお目に掛かります。私、エクリと申します」




