従者の館
「なるほど。そういうことだったのか」
場所は客間。家具はある程度揃えられていて、埃一つ見当たらない、清潔な部屋で、ツキを含む家族と、巡は居た。
どうやら、ツキの実家は執事やメイドのなんたるかを教えるところらしい。父、母、祖父、姉、ツキの家族構成で、あとは教え子達が居ると聞いた。
代々でやっているので、執事やメイドを目指すものはここの扉を叩く。そうして毎年教え子が十数人来るのだと。
その他にも、嫁の修行に来る者へ、料理の作り方から掃除の仕方まであらゆる事を教えているそうだ。
卒業した者は、王の従者の一人に加わったりするようだ。もっとも、執事長である祖父の話によると、王の一番執事は祖父以外にありえないと言われるほどらしい。
階級としては、執事長が祖父、副執事長が父。メイド長が母、副メイド長が姉だと聞いた。祖母は去年、病によって他界したとのこと。
「ツキはなんで奴隷として売られてたんですか?」
向かいに座る、気品を感じずにいられない祖父が答えた。
「それは、つい四ヶ月ほど前でしょうか、買い出しに出掛けたツキが戻って来ず、探したら奴隷として捕まっていたのです」
「助けようとは?」
「思いましたが、私にはわかっていたのです。貴方様のような主が見つかる事に」
自らのオールバックの髪を撫でた。優しく閉じられた目には、一体なにが見えてるというのか。
「……確証はなかったんでしょう? もし違う貴族に買われたら」
「私は、確信しておりましたよ」
白い手袋に包まれた人差し指を口の前に立てた。これ以上は聞くな。そう言われた気がした。
「すいません。でしゃばってしまいました」
「いえ。私も、久しぶりに対等に話せる事が出来ました」
そう言って、くくくと笑う祖父。とても聴き心地の良い声だ。
「ツキ、これは副執事長としてではない。一端の父親として、心の底から思っている。出来れば幸せになってくれ。副執事長として言うならば、誠心誠意主に仕え、どうか主を導いてほしい」
「お父様、ありがとうございます。私は、ご主人様に従えた日から幸福の極みです」
後ろのツキが、恐らく一礼したのだろう。ふわりと石鹸の香りがした。
「ツキ、頑張りなさい」
母からの言葉が、それだけで終わりかと思いきや、ツキになにやら耳打ちした。すると、ツキの顔が徐々に赤くなっていった。
大体想像がつく。恋も頑張りなさい、に近い言葉を言ったに違いない。
「あ、ありがとうございます。頑張ります。いろいろと……」
苦笑しか浮かばないが、なんとか笑って誤魔化した。
「ツキ、私は貴女が羨ましい。天才なだけじゃなく、これ程までに良いご主人様に仕えられるなんて。正直、貴女が嫌いよ」
部屋から出ようと、歩き出した姉。
「お姉様……」
「……まあ、頑張りなさいよね」
部屋に手をかけ、振り向き様にツキへ言った。
「お姉様! ありがとうございます!」
なるほど、ツンデレというものだったか。良く見ると、少々強気そうな顔立ちをしていた。
皆一様に銀髪で、瞳もシルバーグレイ。祖父と父はオールバック。母は肩辺りまでのストレートボブ。今は部屋に居ない姉は腰まである髪を、サイドポニーにしていた。ツキは肩甲骨辺りまでの髪でポニーテールにしている。
「ツキ、家族水入らずで今日は泊まっていくか?」
「いえ、ご主人様のお側に居たいと思っております」
「といっても、今日は休みだろ?」
そう言うも、ツキからは一行一句変わらない言葉が返ってきた。少し考えていると母が、「どこかで遊びに行ったらどうかしら?」と提案してきた。
「従者が主と遊びに行くのは失礼では……」
「俺は大歓迎だけどな。休みくらいは従者だってことを忘れてくれ」
「歓迎して頂けるならお供致します」
「だから、従者だってことを忘れろと言ってるのに」
巡は笑った。そしてツキ以外が優しい笑みを浮かべる。当のツキは恥ずかしさからか、縮こまっていた。
なぜかくも女性の買い物というのは長いのだろうか。
「これなんかどうですか?」
「うん、可愛いよ」
「本当ですか!?」
さっきからこの調子で試着している。もう店の服を全て試着するのではないか、それほどの勢いだ。
なおざりな返事になっているが、似合っているし、可愛いのは事実なのだ。嘘ではない。
そして、当初の氷を思わせる無表情はなんだったのか。感情豊かで、年相応ではないか。年齢はわからないが、きっと巡と同じくらいだろう。
「美味しいか?」
「はい、ご主人様の料理には敵いませんが」
「そんなこと言わない。聞こえるから」
目の前の料理を貶しているかのような言いぐさに、巡は人差し指を口にたてて、言うな、とジェスチャーした。
ふと、周りの視線に気づいた。非難の視線ではなく、好奇と嘲笑が混じった視線だった。
恐らく、奴隷は席に座って同じ飯を食べるな、とでも言いたいのだろう。そういえば、ツキは私服ではない。メイド服のままだ。これでは奴隷だと思われるのも当たり前だろう。
普通は奴隷の服にこれまで良くできたものは着させない。なので、巡のことを良い所の貴族だ、と他人に認識もされているだろう。
「ツキ、食べ終わったら服、着替えような」
向けられる視線を尽く無視するツキに、食事の邪魔を極力しないように、囁いた。
「なるべくこの服は脱ぎたくありません」
フォークに装った料理を皿に戻し、真剣な表情で返してきた。
「なんでだ?」
「ご主人様から初めて貰った服ですので……毎日身に付けていたいのです」
「ツキ、それだったらお前が欲しいものをつくってやるから」
「そうではありません。この服だからこそ、特別着ていたいと思っているんです。勿論、ご主人様から頂いた物は全て嬉しい。ですが、やはりこれと名前が一番です」
ツキの顔は、真剣な表情から一変して、まるで恋する少女の顔になっていた。
「私としたことが、口が過ぎましたね。申し訳ございません。ご主人様のご命令なら、私が逆らう道理がございません。食事が終わりましたら、すぐ服を変えます」
そうして、話が終わったかのように、ツキの手が動いた。口へと運ばれていく料理。巡も失言を反省しながら、気まずい空気の中食事を再開した。
「ご馳走様でした。ご主人様、それではお手洗いに行って参ります」
心なしか、声が低くなっている。顔も、影が差しており、更には言葉使いも堅苦しいものに変わっていた。
「なんで行くんだ?」
「それは、着替える為にです。ご心配なく。服ならボックスに収納しておりますので」
「俺が無理強いをさせた事があるか? そのままで良い」
「ですが、従者の服では視線が……」
気づいていたのか。そう声に出したかったが、堪えた。まだ店内で、席があるにも関わらず、立ったままの二人というだけでも注目が集まるというのに、その状況で大きな声を出したら店員が出て来るに決まっている。
「大丈夫だ。俺達は俺達。他の奴等がどう思おうが勝手だ。そう思おう」
「では、着替えなくて良いんですね! ありがとうございます!」
ツキが大声を出すとは思わなかった。綺麗な一礼をするツキに頭を抱えた。
「お客様、少しよろしいですか?」
巡は更に頭を抱えた。
謝ったら快く許してくれた。なかなか良い店長であったが、巡はツキを横目でちらりと見る。
目に見えるほど、滅入っている。
「すみません、ご主人様」
「いや、気にするな。あそこまで喜ぶとは、思ってもいなかったよ」
「この服は、私の特別ですから」
身に付けているメイド服の裾を大事そうに掴み、破顔一笑するツキに、思わず見惚れてしまった。
「まあ、行こうか」
照れ隠しする自分に、まだまだ子供だと思いながら、ツキと夜になるまで遊んだ。
最後にツキの家族にもう一度会って、また来ることを伝えて帰った。
帰るとツキは、可愛らしい少女を胸に押し込め、従者である、完璧で無表情のツキに戻った。あの表情の変化はなんだったのか。帰ってからというもの、話をしても表情に変化はなく、今日の事を言っても、「仕事中ですのでその話は控えて頂けると……」といつもの無表情で返された。巡は寂しさを感じた。
そして今日を終え、次の日へと変わろうという時間に、ツキが部屋にやって来た。
「ご主人様、遅くに失礼します。今日はありがとうございました。学園を休んで下さって、感謝と嬉しさ以外に見つかりません」
月に晒される銀髪。輝きを放ち、ツキの顔を照らす。何もないとわかっていても、その妖しい雰囲気に巡は息を飲んだ。
「いや、いいさ。もっと休みをとってもいいんだぞ? なんだったら、一日や二日くらい掃除なんてしなくても変わらない」
「そういうわけにはいきません。家の汚れは心の汚れとも言います。そうですね、では、私の休みは当分要りませんので、代わりにヤミとリサを休ませてあげてください」
それは出来ない。ヤミもリサも十二分に働いてくれてるし、ツキはそれ以上に動いてくれている。朝、誰よりも早く起きて、誰よりも遅く寝ている事は知っている。いつ過労で倒れてもおかしくない。
「じゃあこうしよう。従者を増やすんだ。それなら雇うことだって出来るし、奴隷だって買える」
「ご主人様なら間違いはありません。私の家に行けば、従者を雇えるでしょう。正式雇用も出来ます」
「そうするよ。というか、言い過ぎだって。俺を全知全能の神かなにかだと間違えてないか?」
ツキは、決して冗談で言っている訳じゃない。あれは本心だとわかっている。だが、苦笑し、おどけ、聞いてみせる。
三人は何故か巡を心酔している。巡は大したことをしていないつもりだが、特にツキはその傾向が強い。
死ねと言われたら、死ぬ。それくらいの忠誠心が、ツキにはある。
「いえ、ご主人様は私達の、神のような存在です」
「そうか。もう十二時だ。明日は学園に行かなきゃならない。掃除は止めて、三人とも寝ろ。これは命令だからな」
くすっと笑った。
「ご主人様のご命令とあらば」
一礼して、扉の方に向かった。巡はツキが扉に手をかけたのを確認して、ベッドから起こしていた上半身を寝かせた。
扉が開く音を聞きながら、目を閉じた。
「お休みなさいませ。“巡”様」
飛び起きた。一瞬で目が覚めた。
今のはなんだったのだろう、視線をツキにやるも、既に部屋から出ていて、扉は閉まっていた。
あれは幻聴だったのか、本当の声だったのか、確かにそう聞こえたのだが、如何せん声が小さく、確証は持てない。
その夜は胸が踊り、なかなか寝付けなかった。
長い夜だった。




