猫の満月亭
服を一新した。一新したといっても、ジーンズに黒いシャツだ。靴は買ってない。仕事靴は丁度よく重くて、プラスチックを詰めているために、固いからだ。
気疲れと腹ごなし解消に喫茶店のような店に入った。看板には『ミルフィー』と書いていた。ここは落ち着いた雰囲気で、おしゃれ。客もそれなりに来ている。
「いらっしゃいませー。何名様ですか?」
歌うような挨拶がした。
「えっと、一名で」
なんとか返事はするものの、巡は呆気にとられていた。また別の店員がやって来て、歌いながら接客している人を嗜めた。
「お客様、申し訳ありません! お席のほうまでご案内しますね」
ほらサリー、向こうで料理出来たわよ、と歌っていた女性を向こうにやった。
「すいません、あの子、歌が大好きなもので」
聞きながら、巡はさっきの女性に視線を移した。若く、顔は可愛いほう。茶色の髪が腰まであって、歌声もすごく綺麗だった。
「いや、聴いてると楽しくなるよ」
「ありがとうございます。そう言って頂けると……あ、お席はこちらになります。メニューはこちらで、お決まりになりましたら御呼びください」
また他の客の接客に行った。巡が案内された席は、一人用だった。木製の椅子に丸い、木製のテーブル。メニューを流し見ると、軽食と飲み物、デザートがある。メインはケーキらしく、種類がたくさんある。デザートにいたっては持ち帰りも可能のようだ。
決めて、店員を呼ぶ。すると、またも歌声が聴こえた。
「お客様、ご注文はお決まりですかー?」
「タマゴサンドと、カフェオレお願いします」
「かしこまりました! ふわふわで絶品タマゴサンドと、ミルクの入ったカフェオレですね」
即興でここまで歌えるのは大したもんだ、と巡は感心した。耳を澄ますと、厨房で彼女の声がした。「タマゴサンドとカフェオレ、ショートケーキです!」
ショートケーキは頼んでいないはずだが、まあ、他の客の注文なのだろう、と納得する。暫くすると、カフェオレとタマゴサンドがやって来た。
彼女の歌と共に。
「店長特製こだわりふわふわタマゴサンドと恋のように甘く、ほろ苦いカフェオレをご注文のお客様ー!」
巡が手を挙げる。ここではこれが当たり前のようで、客はみんな楽しんでいるように思える。気恥ずかしさを紛らわそうと思ったが、なにもなかった。
「ありがとう」
「ミルフィーのタマゴサンドは凄い美味しいですよー! もちろんコーヒーもデザートも絶品です!」
他の子は愛想笑いであったり、軽く微笑むだけだが、この子は心の底から楽しんでいる気がした。
湯気が立つカフェオレをスプーンでまぜて、一口。口に入れると、甘い。深いが、後味は少しだけ苦い。同じくして、タマゴサンドにも手をつける。見栄えよく盛られたそれは、黄金色の肉厚タマゴを白いパンで挟んで、視覚からも、嗅覚からも美味しいと訴えかける。もちろん、味も最高。普段、コンビニのタマゴサンドしか食べたことのなかった巡は、感動で、思わず溜め息を吐いたあと、口の端があがってしまった。
一瞬で盛られたタマゴサンドと淹れられたカフェオレを飲み干し、余韻に浸っていると、テーブルにショートケーキが置かれた。
「お客様、お待たせしましたー! 白と赤のコントラストが絶妙な苺のショートケーキです」
歌声と一緒に目の前に置かれた。
「ん、俺、ショートケーキは頼んでないぞ?」
訝しげに言うと、女性は普通に喋った。
「あれ? そうでしたっけ? でも、凄く美味しいから食べてみてください。お代は結構ですので!」
「いや、そういうわけにもいかないだろ」
「いえ! 結構です! でも、ショートケーキが美味しかったら、また来ていただけませんか? もっと他の物も食べてもらいたいんです!」
ハキハキと。
素で間違えたのだろうが、転んでもただでは起きないとはこのことだろうか。もう一度来よう、と決めた。
ショートケーキも絶品で、なにかをこだわっていることはわかるのだが、それがなにかはさっぱりだった。素人には一切わからない。ただ、頬が落ちるほどに美味しい、ということしか。
起立して、会計を済ます。
「えーっと、タマゴサンドとカフェオレで、銅貨七枚ですね」
『円』で言うと、七百円だろう。金貨しか手持ちにないので、金貨を渡す。
「あ、面倒だしお釣りはいいよ。これで次回から貸しにしとくことは出来る? 歌も聴いたし、食べ物もカフェオレも美味かったよ」
十万円なため、釣りを出す時間が長くなるし、持ち合わせてないかもしれない。
「では、十万円分の貸しですね。店長にお待ちしてます」
「じゃあ、また来る」
店を出た。金銭感覚が早くも狂い始めていることを自覚しながら、軽い足取り、心地よい満たされ具合で街を歩く。
今さらだが、装備も服も買わないで良い。なんせ《創造》があるのだから。好きなものはすぐつくれる。服はつくってもよかったが、なにか味気なかったので、買うことにした。
鼻歌まじりに、街並みを一瞥する。
屋台のおじさんは活気よく客寄せをして、鉄の装備を纏った者。皮の装備を必要最低限つけた身軽な女性。馬車の後ろには紐で繋がれた奴隷らしき男女。遠くに城。
巡は感動する。これこそ求めていたファンタジー。近々家を買うかして住居を決め、奴隷も購入したい。そのためには依頼をこなして、早々にランクを上げ、好きに暮らしたい。この調子でやると、すぐに貯まりそうだ。手持ちは金貨が六枚と銀貨、銅貨数十枚。あとは細々と。金は煩わしくなり、魔法である、《ボックス》に仕舞っている。
ボックスとは、いつでも出したり納したりできるものだ。いまはお金、制服だけ入れている。
利点は、リュックなどのように、背負わないこと、持たないこと、二階層の一軒家を入れてもまだ余裕がある、そんなところだろうか。
巡は無性に叫びたくなった。嬉しさと楽しさと、その他諸々がまざり、愉悦を生み出す。
だが、今日はギルド長から休めと言われた手前、依頼を受けるわけには――頼めば出してくれるだろうが、今更面倒くさいので――いかない。
通行人に良い宿屋を教えてもらい、部屋だけでも手配してもらおう、と足を動かした。
――宿屋『猫の満月亭』
聞いた話によると、ここは知るギルドメンバーぞ知る、おすすめの宿屋らしい。家をもつ者でも、たまにここに泊まるらしい。扉の横に、白い招き猫の象。暖簾をくぐり、スライド式の扉を開くと、カウンターに恰幅のいい男性が立っていた。
「いらっしゃい」
しかし、その男性の頭部からは、猫耳が生えていて、体が毛深い。
「えっと、一泊良いですか?」
「あいよ。朝食は八時、昼食は午前十二時、夕食は午後の八時だよ。エリア!」
肉きゅうを叩いて響き渡る大声を出した。右を見ると、食堂のようで、いくつかの椅子とテーブル。そこに数人談笑していて、接客している、エリアと呼ばれた少女が振り向く。
「なにー? お父さん」
その少女も茶色い、ピンと立った猫耳と、しなやかな尻尾が出ていた。
一言二言話すと、少女は頷いて、男性はカウンターの奥、厨房らしき場所に入っていった。しっかり青っぽい灰色の尻尾を揺らして。
「お名前をうかがってもよろしいですか?」
「星月 巡」
名前を呟いて、少女は紙に書く。
書き終わったらしく、紙をカウンターの下に置いて、宿屋代を先払いした。
こちらです、と招かれ、着いていく。入り口から右の食堂を左に行くと、階段があった。そこを少女とのぼっていく。十三段目で廊下があり、左側に扉が幾つかある。
「星月様のお部屋はこちらになります」
一つ先の鍵をひらき、扉を開け広げた。
入ると、窓に机、椅子、ランタン、ベッドと、基本的なものは揃っていた。
「言って頂けると、タオルとお湯は持ってきますので、体をお拭きになってください。トイレはこの部屋の右にあります。では、おくつろぎください」
一礼して出ていった。
まず、ベッドが気になるため、消臭スプレーを創造して、吹き付けた。部屋の角にも。スプレーの爽やかな香りに包まれながら。椅子に座る。窓を見ると、空は晴れ晴れとしていて鳥が数匹飛んでいる。太陽の逆光があり、神秘的に見えた。
下に視線を移すと、人が歩き、馬車が通る。その誰もがスーツではなく、鉄やら、布やら、皮やら。たまにジーンズなどの普段着を着用した者もいるが、少数だった。
時間がわかりづらいために、腕時計を創造して身に着けた。いまは午後三時のようだ。
つい太陽の日差しが気持ちよく、欠伸と声が出てしまう。だが、たまには一人言も悪くはないので、声に出して会議を開く。
「これからどうしようかな。一応、今日は気ままに休んで、明日からは本格的に金稼ぎと家を買うと。余裕があれば奴隷もほしいな。まあ、もっとゆっくりしても良いんだろうけどな」
ベッドに飛び込んだ。スプレーのせいか、若干冷たいが、寧ろそれが気持ちよかった。枕はなんとなく嫌なので、端に置いて、新しく創造し、後頭部に置いた。
微睡んでいく――。