ツキの実家
ふと、深夜に目が覚めた。なかなか寝付けず、少し散歩をしようと部屋を出る。
三人とはいえ、いつもは必ず誰かがいるはずの廊下には、誰もおらず、代わりに血痕が床に落ちていた。
発見したのも偶然で、もしや三人の誰かが怪我をしたのか、と考えたが、どうやら違うらしい。剣撃の音がする。急いでそちらに向かうと、リサが見知らぬ人間と戦っていた。
急いで加勢して、無力化した。
「すまない、手を煩わせてしまった」
「いや、気にするな。それより、何者だ?」
「賊だ。最近は深夜に多くてな。ヤミは戦えないから隠れてもらってる」
「ツキは?」
「違うところで処分してるはずだ。ツキは私なんかより遥かに強いからな」
そういえば、ツキが戦うところを一度も見ていない。そればかりか、仕事をしてるところさえ見たことがない。それを口に出すと、リサが答えてくれた。
「ツキはご主人の気配を察知して、掃除をしてても料理を作っていても私たちに任せ、ご主人の元へ行く。それに、仕事しているところをご主人に見られたくないらしい」
「なんで?」
「そこまではわからない。ツキは自分の事を話さないし、休んでもないから仕事以外で話す機会がないんだ」
巡は驚きよりも、第一に呆れが出てきた。そこまで煮詰めなくてもいいのだが、今度強制的に休ませなくてはいけない。
「そうか。ヤミはどこに?」
「食堂、テーブルの下だ」
なるほど。隠れるには最適だろう。食堂のテーブルは、床につくほどのテーブルクロスが敷かれているので、賊がわざわざテーブルの下を見ることは無いだろう。
お礼を言ってから、食堂に転移する。転移してから気付き、廊下に戻った。
「どうしたんだ?」
「いや、死体を消すの忘れてた」
背中を一文字に切り裂いたので、血が床に染みを作っていた。このままでは更に酷くなるので、死体を消滅させ、床の処理をリサに任せた。
「ヤミ、出てこい」
「ご主人様!」
テーブルの下から勢いよく飛び出し、抱きついてきた。安心させるように背中に手を回すと、震えていることに気づいた。やはり怖いのだろう。
「大丈夫だ。さ、ツキを迎えに行こう」
「はい!」
ツキはまだ戦っている。感知能力のレーダーには敵のマークが五つ。たった今四つに減った。
転移して、庭に出た。隠れて様子を窺う。
「貴方達はこの家に招待されていません。再三問いかけます。逃げるなら今のうちですよ?」
「てめぇ、ただで終われると思うなよ」
ナイフを四本指に挟んだツキが忠告するが、汚い賊四人は下卑た笑いを浮かべている。
「そうですか。ご主人様も来ましたので、これにて舞踏会は終わりとさせていただきます」
次の瞬間にはナイフが四人の眉間に深く刺さっていた。素早く、正確。それに、巡がいることにも気づいている。
「ご主人様、お騒がせして申し訳ありません」
こちらに来るツキの肩を叩いて、労う。そして、死体を消滅させた。
「お手を煩わせてしまいましたね」
「気にするな。お前らは俺の奴隷ではなく、部下であり家族だ。少しは頼れ」
「……ではお言葉に甘えさせて頂きます。明日、お休みを頂けませんか?」
「おお、良いぞ」
願ってもないことなので、快く了承する。ツキ達と暮らして早三ヶ月ちょっと、漸く休みの申請が来たことに喜びを感じた。
「働きづめだったからな。明日はゆっくり、どこか遊びに行ってこい」
「いえ……」
俯いてからなにかを決心したように顔をあげた。
「ご主人様も来てほしいのです」
「え?」
思わず聞き返してしまうが、なんら難しいことではない。
「だめ……でしょうか」
沈痛な面持ちをするもので、巡は気づけば焦りながら了承していた。
そのあと、微笑みが見れたので良しとする。
今日は学校だが、ツキのお願いだ、仮病を使った。テストは問題ないので、出席日数が足りれば良いだろう。
「ご支度はお済みになられましたか?」
「ああ」
と言うものの、特に必要な物はない。創造が出来るし、ボックスもあるので、必要な物は入れてある。ツキも、いつも通りの丈の短いメイド服を着用しているだけだ。荷物はない。
「いいですか? 今日中に帰ってくるので、その間、ご主人様のお家を守るのですよ」
「わかりました、ツキさん」
「それに、お腹が空いたら食堂に行ってください。作りおきがありますので。それと、夕方までに掃除は終わらせるのですよ。残っても私が帰ってきたら手伝いますので」
「ああ」
「ああ、それと、ご主人様のベッドメイキングも忘れずに」
「わかったって」
ツキは心配性なのだろうか。
「それに、浴場の掃除や、洗濯もありますからね。万が一帰ってくる前に賊が来たら、なにがなんでもご主人様の部屋には入れないでください」
「わかりましたよ、ツキさん」
「あと――」
「はやく行けよ!」
リサに怒鳴られて少ししゅんとしている。そんなツキを見て、笑いを堪えるのに必死だった。
こんなツキは初めてなのだ。巡の近くでは凛としていて、無表情を貫くツキだが、最近は徐々に表情が柔らかくなってきた。大変喜ばしいことだ。
「じゃあ二人とも、行ってくる。無理はしないでいいからな」
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
「ご主人、行ってらっしゃい」
二人の一礼を目におさめ、玄関の扉を開いた。
「所で、何処に行くんだ?」
「はい。私の実家です」
聞き返しても、同じ言葉が返ってきた。
「え、なんで? 俺は、お前を買ったんだとでも言えばいいのか?」
「はい。そう言って頂けると幸いです。ご主人様に仕えてるだけで幸福の極みです。ご両親もご主人様を一目見て、ご理解を頂けると思います」
まず、ツキのことを一切知らないので、どういう家系かを教えて欲しかったのだが、「着いたらお分かり頂けます」とだけ言われた。
調べれば済む話なのだが、特に仲の良い者にはそんな事したくないという抵抗感もあった。しても内緒にすれば良いだけなのだが。
目の前には大草原、時々魔物。並んで歩くと、ツキは巡より身長が低いのだと改めて知った。
「家はどこら辺にある?」
付近の空は晴れていて、ちぎれた雲が少しある程度だが、帝国側は曇っている。
強化された視力で見ると、左には帝国、真ん中に微かだが見えるのが獣国、右に王国がある。そのまま歩いて三国に向かうとするならば、一日野宿するしかないだろう。
「今は王国の方に住居を移しております」
なんと言ったか。今は、と移しております。この言葉から察すると、王国以外に住んでたということになる。
「……聞きたいことは着いてからにしよう。じゃあ、王国に転移するぞ?」
「そうして頂けると助かります。魔力は大丈夫でしょうか?」
「問題ない。服を掴んでくれ」
「では、失礼致します」
裾を控えめに掴まれ、なんとなくツキに視線を移すと、目があった。何処と無く恥ずかしそうに顔を赤くし、必然と上目使いになるツキに、心臓のたかぶりを感じた。
「そ、そんな顔するなよ」
「すみません! 何分、殿方にこうするのはその、初めてなもので……」
巡は心臓と顔の熱さを誤魔化すように咳払いをしてから、転移することを告げた。一瞬で景色が変わり、目の前には大きな壁があった。間違いなく三十メートルは超しているだろう。つまり、巡とツキは、王国の中に入り、王国の入り口――出口とも言える――が目の前にあるといった状態だ。
「さて、案内してくれよ」
「かしこまりました。こちらです」
いつもの無表情に戻ったツキが、巡を先導した。
宿を越え、ギルドを越え、開けた場所に着いた。目の前には大貴族の屋敷ともいえるような家があった。
「お前、結構良いところ育ちだったんだな。道理で気品があるわけだ」
褒めると、ツキはくすくすと笑った。
「そんなことはありません。従者として当然です」
時たま、奴隷といったり、従者といったりするのは何故なのだろうか。以前に、ツキが自分の事を奴隷と卑下したり、従者と誇ったりしていたのを思い出す。
「で、これから入るのか?」
「そうして頂けると嬉しいのですが……」
なにやらキョロキョロと視線を泳がせる。なにかを探しているようにも見える。
「どうした?」
「いえ。ご主人様、堂々とお入り下さいませ」
「わかった。堂々と入れって、なんか偉そうでいやなんだけど……」
「お気になさらず。そちらの方が喜ばれますので」
なんなのだろう。
奴隷として買われた娘の主人が堂々と入ったら、失礼にも程があるのでは? 親としては一体どういう心境なのだろうか。喜ばれたらそれはそれで少し寂しい気もする。
門に手を掛けて、引く。
ギギギと音を立てる門に、一層緊張を強いられる。石の通路をツキと進み、漸く家の入り口までやって来れた。緊張を息と共に吐き出し、玄関の扉を叩いた。
「どうぞ」
少々年季を感じさせる、男性の声がした。扉を押して、中に入ると、左右に並んだ多くの人。軽く二十人が居るのでは? そう思わせる程に人が立っていた。その誰もがメイド服であったり、執事服である。
「お待ちしておりました。星月巡様、ツキ様」
「…………」
驚きに声も出なかった。
曇り一つもないシャンデリアと窓。シミや塵一つない赤い絨毯。
「お止めください、お父様、昔と同じように接して下さい」
「お父様!?」
やはり、ツキはとんでもない所で育ったらしい。




