世界の始まり
人の喧騒を背に、星月巡は、カウンターの受付嬢へと依頼状を持っていった。
「はい、ドラゴン五体討伐――えっ!?」
いま受付嬢が述べた通り、ドラゴン討伐が依頼だ。適当に選んできたのだが、やはり駄目だったらしい。すぐにギルドカードを確認され、ランクが足らないから駄目だと言われてしまった。
「やっぱりだめか?」
「だめですよ! ギルドの規定ですから!」
「しかしなぁ、はっきり言うけど、ここの誰にも負けない自信はあるぞ?」
後ろでひそひそ話が聞こえる。
「おいおい坊っちゃんよ。お前いまドラゴン五体討伐持っていったよな?」
ガタイのいい男の妙に間延びした声。しかし、その声色は嘲笑を帯びており、顔は小馬鹿にする――いや、馬鹿にしている。その男の後ろには取り巻き数人が下品な笑い声を挙げた。
「そうだ。なにか問題でも?」
「問題? 大有りなんだよ。お前、見るからに新人だろ? それがドラゴン討伐だなんて……片腹痛いぜ。ゴブリン一匹でも死ぬんじゃねぇか?」
「なぜそう言いきれる? 筋肉がないから? 弱そうに見えるから? 見せかけの筋肉と一緒にしないでくれよ」
巡は相手の体を見て、鼻で笑ってやった。すると、男は顔を徐々に赤くさせ、拳を振り上げる。
典型的なモブ野郎だ、と一笑にふし、拳を受け止める。
「――なっ!?」
「お前が思ってた雑魚に自慢の拳を受け止められた気分はどう? ねえどんな気持ち? 俺は愉しい」
「ガキが! ぶっ殺してやる!」
拳を引いたのを確認した。しかし、相手は止まらない。背負った大斧を片手に、巡へとふりおろしてきた。
それを腰に帯刀させていた刀で受け流す。火花。耳に響く鉄の擦れる音。周りの喧騒は一層大きくなった。
空けたもう片手で相手の胸に掌底を叩きつけた。軽く力を入れただけで、巡の一回り大きい男は軽々と吹き飛ぶ。取り巻きと一緒に倒れた。
「受付さん。俺強いだろ? ていうかギルドマスター呼んでくれよ」
なおも食い下がる巡に、受付嬢は顔をひきつらせた。
「なんの騒ぎだ?」
カウンターの奥にあった階段から、老齢の男性がやってきた。
急いで受付嬢が説明する。
すこしづつ男性の顔が好戦的になっていった。
「君か? ほうほう」
人を値踏みする視線。舐めるように。
巡の目の前に来る。一八〇センチはあると思われる体は、服の上からでもわかるほどに筋肉粒々で、厳つい顔をしていた。右目に黒い眼帯、白い髭は伸びて、白髪は肩までオールバック。
「失礼だが、君にそこまでの強さがあると思えない。どれ、私が直々に試してやろう」
「戦いたいだけですよね?」
「いや、あくまで試すんだよ」
「顔が言ってますよ? 早く戦いたいって」
男性の咳払い。気づくと絡んできた男はいなかった。
訓練所にやってきた。ギルドの地下にあるここは、天井に魔方陣があり、まもられている。
向かい合い、審判である受付嬢がコインを見せた。
「いいですか? このコインが地面にあたったら試合開始です」
巡と男性が返事をした。
受付嬢がコインを上に投げる。緩やかに落ちていき――甲高い音をたてた。
巡は動かず刀を構える。男性は駆けた。恐るべき速度で。しかし、見えない訳ではない。
――いや、巡の目にははっきりと、確実に捉えている。
男性が二人になった。これは幻術魔法か、魔法によってつくられた陽炎のようなものか、もしくは分身か。二人が横凪ぎにバトルアックスを振った。
巡は短く息を吐いて、後ろに体をのけ反らせた。顔の数センチ上を通りすぎるバトルアックス。それは左からやってきた。
左の男性が本体だと判明したところで、巡は刀の切っ先を床に刺して、両足で男性を蹴った。
男性は唸りをあげ、吹っ飛ぶも、体勢を立て直し、足で勢いを殺した。
「なかなかに強いじゃないか。私が思ってたよりよっぽどね。いまので殺ったと思ったんだけど……」
「殺った? へぇ、やっぱり殺す気だったのか。じゃあ殺されても文句はないよね?」
「いやいや、すまないな。血が滾ったのだ。殺す気はないさ」
「殺ったって言ってたよね?」
咳払い。
「……よし再開しようか」
「反らすねぇ」
今度は巡が駆けた。刹那で男性の前に着く。そのままの勢いでドロップキック。
巨体が飛んだ。ご丁寧に当たる瞬間、後ろへ飛び、威力を殺して。
「私が見えなかった……? 速いな」
「速いだけじゃないさ。まだ七割も力を出してないよ」
告げると、男性は両手を挙げた。
「敗けだ。君を今からランク格上げする」
巡は、そこらに転がるドラゴンを一瞥する。そのあと、空を仰いだ。激しい雨に、風が強い。
「あれからまだ三日も経ってないのか」
巡はここの世界の人間ではない。所謂、転生者だ。
死因は事故の巻き添え。その日は今と同じように激しい雨と風だった。
十六で一年間仕事していたガソリンスタンド。そこで給油していると、唐突に、背後からとてつもない衝突音が聞こえたのだ。振り向くと、目の前には車。
避ける時間もなかった。いや、体が動かなかった。車を認識しても、体が追い付かず、車に押し潰されたらしい。
らしいというのも、そのあと、信じられない出来事があったのだ。簡単に言うと、神と名乗る青年に転生を申し出された。よくみる『神様転生』というシチュエーション。半信半疑だったが、脳に直接送られる、死んだ瞬間というものを観せられ、半信半疑は満信零疑へと変わった。
巡が憧れていた『テンプレ』のファンタジー世界へと送られることとなり、この世界は巡がテンプレだと思う事は粗方反映されていて、よくいえば、憧れの世界。悪くいえば、ありきたりな世界。そんな世界で、生きることになったのだ。その際、特典をもらい、誰にも負けないであろう力をてにいれた。
――全属性使用可能、オリジナル属性の《創造》《消滅》追加。魔力は無限。身体能力は最高。魔法は浅く広く、世界の情報はなし。因みに創造は能力、食べ物から家具。家も創造可能。命は不可能。
頭で神の声が再生される。あのとき、巡はもう一つ願った。
――そんな世界で、いまの価値観をもったままでは生きていけないと思う。だから、奴隷や殺しに対しての罪悪感を減らしてくれないかな?
――了解。完了。転送する。
そこからは一文なしの宿無し。するべきことは決まっていた。この世界にやってきて、早々のイベント、王女救助だ。だが、悲鳴をあげていたのは普通の中年女性だった。役にたたないモブは無視、という巡の考えでは、その女性を助けるという選択肢はなかった。女性がどうなったかは知らない――もしかしたらここの主人公が助けている可能性もある――が、興味はない。
一日目は自分の力を確かめるのと、小屋を作って一晩過ごした。
そして今日。今日は朝に、ここ、グラン王国へと赴いて、ギルドに登録し、あの騒動。
ドラゴン五体は王国の三十キロ程離れた火山にいた。一瞬で殺し、剥ぎ取る。証明はギルドカードが勝手にやってくれるようだ。
無詠唱で『転移』する。転移とはただのテレポートだ。それ以外には理解していない。これは神から贈られた、“浅く広く”のなかの一つだろう、と巡は考えていた。
暗転。ギルドへの転移は成功した。なんだかんだで初めての転移が失敗せずによかった、と安堵の息を吐いた。
「受付さん、ドラゴン五体、狩ってきたぞ」
ギルドカードを提出する。
「またまたぁ。私騙されませんよ?」
などと笑いながらもギルドカードをみた。どんどん顔を青くしていく。
「狩ってきたぞ」
再度言うと受付嬢は、「す、少しお待ちくださいー!」と叫んで奥の階段にのぼっていった。
巡は予めこうなることを想定していたのであまり驚くことはなく、黙って見送った。
暫くして、受付嬢が降りてきた。
「ギルド長がお呼びです」
一言返して着いていく。受付嬢の身長は思ったより低く、百六十くらいだと思えた。髪はワインレッドで、制服はスカーレット。膝上までのスカートからはスラリとした足。
話さず、十の階段をのぼると、木の扉が見えた。扉を二、三度叩きドアノブを受付嬢がひねり、押す。
「ギルド長失礼します」
「失礼しまーす」
乱雑に書類が敷かれていて、雑多に散らかっていた。木のかおりと煙草の匂いがいりまじる。簡単に言うと、臭い。
「ついさっき戦ったと思ったんだがな……」
机に両肘をついて、指を絡ませている。渋いイメージと相まって、似合うその風貌。
「いや、弱かったし。行きは面倒だったよ。なんせ三十キロ離れてるし。それを飛んで向かって、火山で五匹殺して、剥ぎ取って、転移で帰ってきた」
二人とも驚いたように表情を変えた。
「三十キロを転移で……?」
「うん」
「魔力を多量に消費するはずなのに、君は気だるさもないのか? リエラ、君は三十キロ離れたところから転移で帰ってきて、なんともないか?」
「い、いいえ。私なら気絶はするかと……」
今更ながらにして気づくが、最初のギルドカードには、魔力の項目に『千』と書いていた。巡が操ったからだ。理由はあったのだが、結局意味を成さなかった。……ばらしたために。
「君の魔力は無尽蔵か?」
「さぁ? そんなことよりもうギルドカード出来てんだろ?」
吃りながらもギルド長は一枚のカードを取りだし、手渡してきた。
――金色のカード。表面にはこの世界の文字で『星月 巡』と書いていて、裏面にはなにもない。怪訝に思い、首を傾げると、隣の受付嬢が教えてくれた。どうやら魔力を通したらいいようだ。これも防犯はできているらしく、本人の指紋と魔力でホログラムのように文字が浮き出るらしい。その上、魔力を通して浮きだしても他人からは見えないのだと。
魔力を通す。プロフィールらしきものが浮き出る。
『二つ名『?』
魔力『?』
依頼履歴『ドラゴン倒して!』クリア』
「……これだけ?」
「ギルドランクは知っているだろう?」
「知らん」
もう一度ギルド長に聞き返され、あっけらかんとして応えてあげた。
額をおさえるギルド長をよそに、受付嬢が説明をしてくれた。
ランクは下から『F~A、S、SS、SSS、X』となっている。巡のランクはF。金のカードはSS。ドラゴン五体討伐の依頼書はSSが条件だったらしい。あれだけ戦えたのだから、SSはくだらないだろうとギルド長は考えたらしい。だが、ドラゴン五体討伐を易々とやり終えたせいで、考え直さなきゃいけないと嘆いたようだ。
「いわば、この最初のカードはフェイクになりますね。言ってしまいますと、他のランクの人も持っています」
顔を隠している人だけ、と付け加えた。
「君もそのカードが役にたつ時がくるだろう。だから持っていてくれ。あと、二つ名や魔力の項目は疑問符になっているはず。近い内に紙に書いて提出してくれ」
煙草を咥えて、指の先に火を出して吸い始めた。
「ギルド長、喫煙は控えてくださいね」
受付嬢の嗜みを飄々と返して、「君への報酬を渡そう。これから人の目が気になる時もくるだろう。高ランクの依頼は顔を隠すことも可能だから、勝手にしてくれ」と言った。
受付嬢がちゃんとした説明をする。
「高ランクの方にも学生、なにかの事情があって、マスクやローブを羽織る人もいます。その方たちはカモフラージュで低ランク、中ランクのカードを持っていることがあります。しかし最高ランクの人――『帝』ですね。その方たちはそれぞれギルドカードを二枚、三枚持ってます」
「更に言うと、私は『炎帝』だ」
「本当は秘密なんですよ?」
微笑んで唇に人差し指をつけた。「私はリエラ・サライクレッド。SSSの『舞炎の踊り子』です」
受付嬢が高ランク。名前もありきたりで流石のテンプレだな、と改めて思わされた。
「へぇ」
「お、驚かないんですか?」
「いや、そんな感じはしてたから……」
「ふふ、貴方にはかくしごとできそうにありませんね」
「ところで、報酬の件だが、これが金貨八枚だ。確認してくれ」
机に金のコインが置かれる。手にとって見ると、金貨八枚あった。
金貨の価値観が分からない巡は、説明嬢――基、リエラに質問した。
「金の価値がわからないって、お前は今までどこで育ってたんだ」
「自然」
「え」
「自然だって」
「そ、そうか」
訝しげに巡を見ているギルド長だったが、やがて面倒臭そうに煙草を吸った。
通貨についてだが、簡単に例えると『銅貨は百円、銀貨は千円、銀板は一万円、金貨は十万円、金板は百万円』らしい。あとは細々とある。まあ、あまり使う機会はないだろうと思える。
つまり、渡された金貨八枚は八十万だ。
「確かに八枚だな。他に依頼ないか?」
「無尽蔵のようにあるぞ。ただ、今日は休んでいてくれ。そして服や装備を買ってこい。みすぼらしいぞ」
言われて自分の服装を見ると、確かにここでは可笑しい服装をしている。落ち着いた色合いの、ガソリンスタンドの制服。これは奇妙な視線も頷ける。
一つ返事で、ギルドを後にした。